1 一人暮らしの始まり
去年の夏、突然の交通事故で妻を亡くした。駅前のスーパー・マーケットに自転車で買い物に出かけた帰り道だった。ビニール袋を五個くくりつけ、おまけにビール六缶パック二個まで積み込んでいた。道路を横断するとき、ふらついたところへ車が接触、転倒して頭を強く打ったのが不幸の原因だった。勤務中に訃報が伝えられ、一瞬目の前が真っ暗になり、とり残されたのは五十歳の有吉健二だった。
有吉夫妻は、妻が一階、夫が二階に別れて自分の部屋を持ち、思うままの生活を送っていた。妻から見ると夫の鼾を気にすることもないし、昼間の趣味の手仕事や夜の読書に気兼ねなく過ごせる気安さはなにものにも代えがたかった。夫にしても読書やインターネットのブログ作りに都合がよかった。四十八歳の妻と家庭内別居というと、世間では不和を連想するが、この二人に関してはそれぞれの時間を最優先にした結果にほかならない。とはいっても性生活がやや間遠になっていたのも否めない。
そして今、妻のいない十二畳の部屋で、残された日記帳や途中までの新聞のクロスワードパズルに残る筆跡、あるいは作り始めたよく分からない布類、今にも帰ってきそうなたたずまいに、かすかに漂う妻の体臭に囲まれると、背筋を氷で撫でられたような途方もない寂しさに襲われる。
妻は贅沢を知らなかった。あるとき、「たまには、いい物を買ったら?」と言ったことがある。「いずれロールスロイスを買うわよ。心配しないで!」と笑いながら言った。そのロールスロイスを買わないまま、四十八歳の生涯を閉じた。早すぎた死だった。
しかし、悲しみにいつまでも浸っているわけにいかない。有吉健二は、東京に本社を置く従業員四百人の中堅建築会社の経理部長だった。創業は江戸時代という堅実な経営を誇る会社で、昔から言われている財産三分法を堅実に守っている。つまり預金・不動産・株式に分けておくというものだ。もっともサブプライムローン・ショックによる世界不況から逃れることはできなかった。その影響があっても、会社の資金繰りに齟齬をきたすことはなかった。
世の中はよくしたもので、堅実な会社には、堅実な得意先が集まり、したがって良質な情報がもたらされる。借金までして投資するということは、この会社には考え及ばないことだった。
社長は創業者一族の中から選ばれているが、世襲ではない。現在の社長は、年齢四十五歳、身長一七三センチで笑うと愛嬌があって印象に残る男だった。アメリカのイエール大学に留学した経歴の持ち主だ。
社長と健二は気が合って、良好な関係を築いていた。ジャズやハードボイルド・ミステリー、ワイン好きなどという趣味嗜好だけでなく、現状を常に前向きに変えようとする意欲も共通していた。だからというわけではないが、健二の年収は一千万円を下らない。
妻の葬儀にも格段の気配りを見せた社長には感謝の気持ちで一杯になっていた。一段落して、会社の仕事に加え家事労働がいっきに降りかかってきた。
そんな状況を案じてか、娘が電話をかけてきて
「お父さん、仕事と家事労働の両立はいかが?」
「いや、頑張ってるよ」
「そお、ならいいけど。お手伝いさんをお願いすれば?」とまで言い出す。
「本当に大丈夫だよ。わたし一人の身の回りだけだから。それに、慣れてきたしね」
娘は、健二が勤める会社の取引先である建材メーカーの男と結婚して一女を儲けている。健二には息子もいるが、こちらは何の音沙汰もない。息子は中学校の教諭をしていて、バスケット・ボール部の監督も引き受けている。土曜も日曜もない忙しい日々を送っていて、父親のことまで気が廻らないようだ。その点女の子は、気遣ってくれるのでうれしい気分になる。
気遣ってくれるといえば、社長もいろいろと気の廻る人だ。月の中ごろといえば、経理部も一息入れられる頃で、今日も終業時間の五時に社長から誘いがあった。
「健さん、家に帰っても一人ですることもないだろうから、今から付き合ってくれよ」と開口一番言った。
余計なお世話だと言いたいところだが、たしかに帰っても帰らなくてもいい状況なのは確かだ。まあ大目に見て付き合ってやろうか。
「ああ、いいよ。一階の回転ドアの前あたりで待っていようか?」
「分かった。すぐ行くよ」といって電話が切られた。
社長とはプライベートな時間には、名前を呼ぶ約束になっている。プライベートな時間にまで、会社の序列の役職名で呼ぶことには、違和感を覚える二人の意見の一致をみた例だった。
社長の名前は蘇我呑太といい、呼ぶときは、呑さんになる。社長はこの名前を毛嫌いしていて、名付け親をいつも腐している。その話になると、おかしくて笑いをかみ殺すのに苦労する。
二人で出かけたのは、日比谷のガード下の焼き鳥屋街だった。呑さんは、こういう庶民的な雰囲気が好きでよく出かけてくる。
一軒の屋台に腰掛けて、焼き鳥の盛り合わせとビールを注文した。ここでは外国人もよく見かける。日本人が話しかけると、嫌な顔をする人もいる。英会話の練習台を嫌っているのだろう。もちろん呑さんと健さんは、無視して自分たちの会話を楽しんでいた。
「ところで、奥さんが亡くなって一年が過ぎたことになるのかなあ」呑さんが言った。
「ええ、早いものでもう一年も経っちまいましたよ」
「うん、それで心境はどうなんだろう。つまり、奥さんのことをいつも思い出したりしているのかい?」
「家に帰れば仏壇に遺影があるし、彼女の部屋や持ち物もまだあるからね」
「そりゃそうだろうな。どうも男が残されるといやに寂しさを感じる気がしてならないんだが。夫をなくした女性を見ていると、皆さん元気溌剌としている気がするがね」
「呑さん、一体なにが言いたいんだ」
「悪かった。いや、男一人というのは、なにか不自然な気がしてね。喪が明けたと見ていいなら、健さんに再婚の意志があれば、相手の心当たりもないではないんだが」
「心遣いはありがたく受け取るよ。でも、再婚の意志は、今のところ全くないね。
考えてもみて欲しいんだけど、その人なりに人生を築いてきた男と女が一緒になるというのは、それなりの事情もあってなかなか難しいことだと思うよ。
資産や負債に加え家族、子供たちのことなんだけどね。ただ、わたしの場合、子供たちに関しては、それぞれ家庭を持っているんでおそらく問題ないんじゃないかな。いずれにしても、些細な事柄が邪魔になるというか、障害になる可能性もある」
「そうだろうな。若い人のように今から築こうってわけではないからね。よほど恋愛感情が強く、この人と今一度生涯をともにしたいというなら別なんだろうな」呑さんは独り言のように呟いた。周囲の喧騒に混じって、頭上を電車の通過する音で会話が途切れた。
健二は強がりを言ってみたが、本心はやはり寂しさを克服できないでいた。それは妻を亡くしたからなのか、あるいは女気を求めているのか判然としなかった。
そういう日々の中で、寂しさを紛らわすため近くの遊歩道を歩いてみると、夏の名残の暑さや、木々の彩が移ろう秋の爽やかな風、そして長雨のその向こうに冷たい季節の到来が予見でき、行き交う人々からは、生きているという体温が感じられてくる。
歩いていると、いろんな事を考えている。そんな時、春になるとどこかへ旅に出かけようと思う。




