ゆづるはの、
わかさまリクエスト「心あたたまるお話」で書きました。
落葉が甚だしい。はらはらと地面へ落ちる譲葉は、悲鳴を上げるでもなく枝と別れを惜しむでもなく、ただ静かに降り積もる。
一時期あんなに盛りを迎えた深緑の大きい葉は、今はもう見る影もなく茶色にしわがれていた。庭の譲葉をなんとなく見ていた節子は、そのくすんだ落葉に何故か母を思い浮かべた。
盆に帰省したときの事である。母はいつものように割烹着を着て台所に立っていた。
ことこと、ことことと鍋の音がゆっくりで、節子は「ああ、実家に帰ってきたのだ」とのんびり思い、茶の間で足を伸ばしていた。
「節子ぉ?」
背中越しに母の声が聞こえる。
「なぁに、お母さん」
ことこと、と鍋が吹いている。
「ちょっと今手が放せないから、お鍋見て頂戴」
「うん、わかった」
「早く早く」
急いで立ち上がって調理場に向かうと、そこには母の姿があった。
どこであてたんだか、流行の欠片も無いくるくるパーマが小刻みに揺れていた。
「………お母さん。」
「ん、なによ。そんなとこで止まってないで早くお鍋見て頂戴」
節子は、久しぶりに会った母に「小さくなったね」という言葉を飲み込んだ。
昔は仁王像みたいにどっしりした母だったのにな、と思いながら鍋の火加減を調節した。
隣に立つ母は、目尻や頬に皺が目立っていて、黒いシミが増えていた。とんとんとん、とリズム良く刻まれるまな板の上の葱の先を見ると、以前よりずっとずっと骨ばった手があった。
「節子、聞いてよ。」
そう言って下らない世間話を始める母の声は変わりない。それでも近くで見ると、随分年老いたのだなと感じられる母だった。
ああ、もう母も若くはないのだな。節子は実家の少し脂で汚れた床を見つめてそう思った。
そう思ったら、少しだけ泣きそうになり目が滲んだ。
譲葉を見ていた節子は、そうだ、とふと思い出した。
多分箪笥の奥底に眠っているであろう、緑の着物。結婚する時に母から譲り受けたのである。
あんたも一端に人の妻なんだから、こういう着物を着て少しは落ち着きなさいよ。
そう言って渡されたのは、母がよく授業参観日などに着て来た着物だった。目立つ色だったので、卒業式にまで着て来た母の事を同級生にからかわれたりもした。当時は、からかわれるので母がそれを着るのを嫌がったけれども、今思えばとても母に似合っているものだった。
おばさんくさいし流行遅れだから、なんて言って今まで着ていなかったけれど。今ならもう着ても良いかな、と思えてきた。
いそいそと押入に向かい、箪笥から着物を引っ張りだした。ナフタリンの香りがぷんと鼻につく。
久しぶりに見るそれは、記憶の中よりも鮮やかな深緑だった。
「着付けの仕方、まだ分かんないや…」
着物に片方の袖を通して、節子はぽつりとつぶやいた。
そうして、節子はおもむろに携帯電話をポケットから取り出す。夫に電話する為である。
七回目のコールの後、夫の祐司の低い声がはい、と言った。
「もしもし、あたし。ごめんね仕事中に。…………うん。あのね、今日病院に行ってきたんだけど。うん。………私、子供が出来たの。八週目なんだって。」
電話の向こうで祐司は、そうか、やったねと言っていた。笑顔が想像できる程明るい声だった。今日は残業せずに帰ってくるらしい。
さて、母にも電話しなければ。母は一体どんな反応を示してくれるだろう。喜んでくれるといい。最近気にしがちな皺も気にせずに、顔をくしゃくしゃにして笑ってくれたら、いい。
「…あんたが幼稚園入る前には、一人でこの着物を着れるようにするからね。」
ぽん、と左手でお腹を叩くと、心なしか優しい音が聞こえてきた。そこで節子は、携帯電話の向こうにある母の姿を想い、通話ボタンを押した。
「お母さん。お母さんはおばあちゃんになるよ。私妊娠したから。…………うん、それでね。着物の着付け方教えて欲しいんだ。え?うん、譲葉だからね。………ふふ。分からないでしょ。いいんだ。今週末、そっちに帰るね。」
庭の譲葉が、またひとつはらりと落ちた。節子はそれを、新しい世代へとバトンを繋ぐリレーなのだな、と思った。
end.