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蛍巡りの夜

まる。さんリクエスト「ショートでライトでストライクな小説」で書きました。

 それは、噎せ返る程の青い草の香り。夏の空気だった。

 カナカナと、遠くで蜩≪ひぐらし≫が鳴いている。日は傾いているのに、一向に気温は下がった気配を感じさせない。そんな、茹だるような夏の夕暮れだった。


 久方ぶりの休暇だ。ここのところ仕事に忙殺さる、ろくに帰宅すらしていない。

 仕方のないことだとは思っている。今が昇進のチャンスなのだ。あの契約さえ結ぶことが出来れば、会社の中の自分の地位は揺るぎないものになるのだ。


 近くのコンビニで買ったビールを、通り掛かった公園の隅にあるベンチで飲むことにした。どっかとベンチに腰を落とし、ビールを袋から取り出す。


にゃあ。


 鳴き声がした。

 足下を見ると、小さな黒猫がそこに居た。野良なのか。しかし妙に人に懐く。

 買ってきたつまみの中で、これは大丈夫だろうと思った魚肉加工品をちぎって猫に放ってやった。猫は、それを追いかけて走っていった。



 ビール缶は冷たく、水滴が付いていた。プシッという音でプルタブを起こすと、握っていた缶が僅かばかり凹む。


 ぐいっと一口を喉で鳴らすと、炭酸のぱちぱちという刺激が胃壁まで広がった。


にゃあうん


 また、猫の鳴き声。


 猫を探そうかときょろきょろすると、ふわりと心地よい浮遊感。

 いつもより早い酔いのまわりに多少驚きながら足下を見ると、案の定そこにはさっきの黒猫がいた。


 またつまみの一部をちぎって放ると、猫は脱兎のごとく駆けだしていく。


 目を閉じると、どこかで水音がする。辺りが静か過ぎるのか、アルコールで感覚が鋭くなったのか。

 水音は、流れる小川の音に似ていた。


にゃあうん


 少し遠くで猫が鳴いている。見ると、緑の双眸がぱちくりとこちらを見ていた。


 もうすっかり周りは夜の気配で、黒猫はその背景に同化していた。そして、異様に光る二つの目のだけが際立っていた。


 ぼんやりと、猫の目を見る。


 夏の匂い。


 虫の声。


 むっとする風。


 そして、緑色に光る、それ。


 

 何故だか、懐かしい感情が蘇ってくる。





 さらさらという水音。



 ああ、

 あれは蛍か。



 田舎では、この季節に蛍が舞っていた。一匹二匹ではない。それはもう、無数の星の様に。


 にゃあお


 猫が鳴いた。それはまた足下にいた。ごろごろと人懐っこく、足に擦り寄る。頭をなぜようと手を出すと、然しするっと逃げていった。

田舎の蛍も、よくこのように逃げたものだ。猫はにゃお、と短く鳴いて、奥の茂みに入っていった。

 逃げられたか、と少し寂しく思い、またビールを飲み始める。すると、今度は茂みの中からにゃあお、にゃあごと声がした。

 不思議とその鳴き声に呼ばれた気がして、荷物を持って普段は入らない公園の奥に足を進めると、そこには噴水があった。

 水音の正体はこれか。

 噴水の近くにもベンチがあったので、そこに座ってビールを飲む。

 背伸びをして夜空を仰ぎ見た。

 空は、満天の星だった。


 にゃあ。



 猫を見ると、相変わらず緑の光を灯らせた目。ああ、この星の中、本当にあれは蛍のようだ。

 そのとき、ふっと何かが顔を横切った。

 ぼんやりと光る、虫。

 まさか、と思いながら光を目で追う。


 それは、紛れもない蛍だった。


 そんな馬鹿な。飲み過ぎたのか。

 思っている間に、ひらり、ひらりと蛍は増える。

 ひとつ、ふたつ、みっつ…


 そして、もう数え切れないほどの蛍が公園を飛び交うようになった。夜空と公園に区切りがない。まるで、ここが星空の一部になったようだった。


にゃぁあ


 猫が鳴いた。黒猫だ。

 ベンチに腰掛けたすぐ側に、猫。心無しか、彼は笑っているように見えた。


 酔っているのか、何なのか……。


 とにかく、今の状態が心地よい。

 少しくらい何もせずに星たちと戯れるのも良いだろう。


 何せ、明日は久方ぶりの休暇なのだから…。


 うにゃあと心の声に返事をした猫を横目に、思う。

 今年の盆は田舎へ帰ろうか。

 ここよりもっと強い草の匂いと、くっきりした星と、蛍に会いに行こう。

 家の縁側で風鈴の音を聞きながら西瓜をかじるのも悪くない。

 親と晩酌のビール、愚痴を肴に語り合うのも良いだろう。

 そうだ、あのちっぽけな夏祭りにでも顔を出してやろうか。級友達とも、ひょっとしたら会えるかもしれない。

 そう思ったら、明後日からの仕事が上手くいきそうな気がして、少しだけ肩が軽くなった。


 黒猫は、その様子を見る。

 彼はやっぱり、にゃあと鳴くのみだった。


end.

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