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桜の下で逢いましょう。

まる。さんからのお題「トランキライザー」で書きました。

春の宵のことであった。


夜桜がほろほろと月光に舞う。

白とも桃ともつかぬ色合いの仄かな花弁は、音もなくしづしづと地へ呑まれていった。



黒猫が一匹、桜の木の下でにゃあと鳴いた。どうやら私を案内してくれるらしい。

さも「付いてきなさい」と言わんばかりに私に背を向け、尾をゆらゆらとさせながら猫は闇に呑み込まれていった。



さてどうしたものか、と一人立ちすくんでいると、黒猫が消えた辺りの闇から


「にゃあ」


と声がした。




息を呑むほど美しい今宵は、人外とて浮かれるのであろう。私は、浮かれ烏ならぬ浮かれ猫に誘われてみるのも面白い、と思って、自らを闇の中へ持っていった。







気が付くと、そこは公園のベンチであった。錆びたブランコの金具が、きぃきぃと音をたてていた。

こんな夜は、一人満月を愛でるのも良いだろう。私はベンチに腰を落とし、ぐぅと背を伸ばし空を見上げた。



「にゃあん」


少し遠くから、猫の声が聞こえた。あの黒猫だろうか。どうやら私に話しかけているのではないようだった。


「あら、クロちゃん。今晩は。今日は一人でお散歩かしら?」



人の声がした。

穏やかな声であった。

公園の入り口を見ると、小さな老婆が先ほどの黒猫と戯れていた。



「今日は良い晩ねぇ。お月様があんなにまん丸。」


「にゃお」


「あの丘の桜の木は、今頃綺麗に咲いてるかしらね。」


「にゃあお」


「…あの人も、何もあんなに早く逝かなくてもよかったのにねぇ。

あの約束だって、三回しか守らなかったじゃない。狡いひと。」


「にゃうん」




老婆は、まるで猫と会話するようにぼそぼそと喋り始めた。黒猫も、まるで老婆の言葉が分かっているかのように相槌を打つ。


「さぁ、クロちゃん。私は用事があるから行かなくちゃ。」



そう言って、老婆はすっくと立ち上がって公園を後にした。



老婆が去ると、黒猫は、私に向かって


にゃおん


と鳴いた。


また付いてこいと言っているのだろう。

やれやれ、まだ月を十分に楽しんでいないのだが。


黒猫はもう一度強く、「にゃおん」と鳴いた。








黒猫に案内されるままに歩いてゆくと、先刻の、夜桜が美しい丘へと戻ってきてしまった。


ただ、先刻と違うのは、桜の木の下にあの老婆がいたことだ。



「今年も綺麗な桜ね…」



ぽつりと呟いた言葉は、独り言だろうか。老婆は私が来たことにも黒猫が来たことにも気が付いていない。


ぎゅう、と大木の桜にしがみついていたのだ。






「また、来年、来ますからね。…………陽介さん。」



老婆が私の名前を口にしたとき、私はようやく思い至った。



今日は、私の命日だったか。





 妻とは、多恵とは20年前に死別した。早くに多恵を一人にさせることがとても悲しかった。

まあ、彼女のことだからもっと良い伴侶を探すだろうとは思っていた。娘もいたのだ。やがてきっと、私を失った寂しさも彼女なら乗り越えてくれるだろう。


多恵には、私より長い長い人生が待っているのだから。





 およそ20年ぶりの再会なのだろうか。妻は、昔よりも遥かにやせ衰えて小さくなっていた。


多恵は私に背を向け、ただじっと桜に縋っている。


私はそっと彼女に近づいて、その小さく節榑立った右手に私の手を重ねた。その温かさに、私は寂しさと切なさがこみ上げる。


後ろからぎゅうと彼女を抱きしめ、そっと囁くように、呟くように、多恵の耳に言葉を残した。



四回目の彼女との約束を果たした私は、惜しみながら彼女の元を離れ、

月の光に身を委ね、融けて消えていった。












 多恵が桜を抱きしめながら陽介との思い出にふけっていたときである。一瞬、右手と背中に温もりを感じた。懐かしい温かさであった。


驚いて、目をうっすらと開けようとしたとき。



風に揺らめき舞い落ちる花弁のようにほんの僅か、せせらぎのような声が聞こえた。




「貴方に会えて、僕は幸せでした。」




陽介だ、と思った瞬間、温もりも気配も、何もかもが消えてしまった。


かさり。


音がした。


振り向けば、黒猫が緑の双眸をこちらに向けている。



「クロちゃん…。ね、聞いて。今ね、一瞬だけね、私、陽介さんに会えたかもしれないの。」


黒猫は、得たり、とばかりに


にゃあお


と一声、短く鳴いた。





end.


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