宴
風が生温く髪を撫ぜる。夜道は点在する街灯に照らされていて、薄ぼんやりと町並みが分かる程度だった。
月光に雲がかかり、黄色い光が淡く空を彩る。帰宅の途中、どこかの学校の土地なのであろう金網のフェンスが高く連なる広いグラウンドに通りかかった。グラウンドには桜が並び、今を盛りとばかり枝を撓ませていた。
にわかに、一陣の風。満開の桜の枝はささやかに揺れた。
ほーぅ
声がした。それは男のかん高い声で、風に混じって微かに流れてきた。
ほぉー、ぅ
何か叫んでいるようにも聞こえたし、歌っているようにも聞こえた。辺りを見回したが、人の姿は見あたらない。しかし、男の声は闇に紛れてグラウンドに響いている。
かぽぉん。
かん。
かぽぉん。
かん。
今度は音がした。昔、近くの神社で行われていた奉納の祭りの際に聞いたような音。あの楽器は何と呼んだのだったか。
かぽぉん、かん。
ほぉーう。
かぽん、かん。
ほーぅ。
声と音とは呼応し、不思議と神妙な雰囲気が辺りを支配した。
ほぉー、う。
かぁん。
一際強く音が鳴る。それに合わせ、桜はざわざわと強く枝を揺らした。まるで、声と音に反応して舞を舞っているようだった。
ひりぃぃぃぃ…
遠くからか近くからか、笛の音が流れてきた。今度は笛の音に合わせて桜が舞った。枝がざわめき、擦れ合う数多の枝はしゃなりしゃなりと花弁を落とす。
ひりぃぃぃぃぃ…
ひらひらと、ゆらゆらと。桜は笛の音に合わせて散ってゆく。
舞う。
花びらが、枝が、桜が、風が。舞っている。
そうか、舞うとはこのことなのだ。
ひらひらと、ゆらゆらと。
無心にただひたすら揺れ動く美しさを、舞うと人々は表現したのだ。
桜の舞は美しかった。
それはさながら、天女の様だった。
ざんざんと舞い散る花びらはむしろ歓喜に満ちていて、それに加えて不思議な音達は妖しく枝葉を揺らしている。
ほーぅ。
かぽん。
ひりぃぃぃぃ…
かぽぉん。
ほーぅ。
ひりぃぃぃぃ…
ほぉーう。
ほおー、おう。
ほぉーおうぅぅ…
ひと際強く声が聞こえた。同時に、ざむと再び突風が吹いた。
その風を最後にそれきり桜はぴくりとも動かない。町は、耳が痛いほどしんと静まり返った。
何だったのだろう、兎に角不可思議な体験だった。春先の夜風が体を冷やしてしまい、私は前を開けていたジャケットのボタンを一つとめた。
ほぉーぉう
帰り道を歩きだそうとした私に、呼び掛けるように声。ちらりと後ろを振り向くと、黄色い満月がぽっかりと夜空を照らしていた。