「教義や戒律がない」という言説
ではなぜ、神道には教義も戒律もないとか、それが神道、あるいはその他の自然宗教の特徴だとか言われるのかと言えば、一概には言えませんが、私としては主に二つの理由が考えられると思います。
一つには、自然宗教においてはこうした教義や戒律が明文化されることが少なく、また地方や集団によって異なる教義や戒律が、統一されることも少ないために、その拘束力が相対的に低い、または低く見られるということが考えられます。
例えば諏訪大社では、七年ごとに社殿の四隅の柱を建て替える神事が桓武天皇の時から行われているそうですが、これは諏訪大社での神事なので、全国各地の神社で一律に行うことが義務付けられているわけではありません。なので、諏訪大社の関係者でない者にとっては、このしきたりはしきたりとして意識されない、ということが考えられます。また日本書紀では、同じテーマの神話についても、本文の他に「一書にいわく……」の形で別伝がいくつか伝えられているところから、神話も統一されていなかったことが伺えます。こういうわけで、地方ごとや集団ごとには教義や戒律があっても、「神道」全体に共通のそれはない、ということになり、それが教義も戒律もないという言説につながっているように思えます。
一方、創唱宗教では、多く開祖かその弟子達が経典を明文化して残していますし、もともと一人の開祖のもとで統一されていた、また統一されるべきであるという意識があるので、教義や戒律を統一しようという動きがあります。そのため、その拘束力が相対的に強い、または強く見られるということが考えられます。
もう一つの理由としては、こちらの方が主体的な理由であるように思われますが、自然宗教を推す人々自身が、自らを「教義や戒律を持たない」「自然」なものだ、それが自分たちの特徴だ、と自己規定している場合がある、ということが考えられます。
主に欧米のキリスト教圏に、「復興異教主義」と呼ばれる諸宗教があるといいます。これについてはインターネット上でしか見ていないので不確かなところもあるでしょうが、このネオペイガニズムは、キリスト教以前の多神教を現代によみがえらせたものだと主張されており、「自然」の崇拝を志向し、その教義や戒律は拘束力が低く自由なものであるようです。
しかし、前述のように古代の宗教は、必ずしも自然なわけでも自由なわけでもないと思われるので、このネオペイガニズムは本当に古代の多神教をよみがえらせたものと言うよりは、その信者自身の意向に沿うような形で、ロマンチックに想定された多神教、であるように思えます。
このような、「異教」に対するロマンチックなイメージは、キリスト教圏の文学に時折見られるように思いますが、ネオペイガニズムはそれをイメージにとどめず、本当に新たな宗教として作り出したものであるように思います。つまり、それは本当に古代の多神教を復活させたものと言うよりは、従来のキリスト教への反発から、その教義や戒律にとらわれたくない、もっと自然で自由でありたい、という近代的な思想の産物であるように思われます。
神道の場合は一度滅んだわけではないのでこれとは違いますが、神道は教義や戒律がない「自然」なものであるという言説には、思考パターンとして似たものを感じます。
というのは、江戸時代の国学者の本居宣長や平田篤胤は、従来日本に影響を与えてきた儒教などの中国思想や仏教を排除して、神道に基づく本来の日本を取り戻すべきだ、と主張していますが、仏教や儒教については、それは「さかしら」な理論や戒律でもって人間の自然な性情を押さえつけ、ねじ曲げてしまうものだ、と言って非難しているからです。
また彼らは、このように人間の「さかしら」でもって自然な性情をねじ曲げ覆い隠してしまう仏教や儒教を「漢心」(外国の心)と呼び、一方で日本の心である「大和心」は自然で素直なものだと主張しています。
そして彼らの思想が後の日本に大きな影響を与えたために、神道は「自然」なものなのだというイメージが定着したのではないかと思われます。
しかし、自然宗教も必ずしもこのような「自然」を意識した自己規定をするわけではありません。道教やヒンドゥー教も自然宗教ですが、主に仏教の影響を受けてか、教義や経典を整理し教団を組織して、仏教に対抗しうるような一つの組織された宗教として確立することになりました。一方神道は、一部を除いては仏教と対立するような独立した宗教としては確立しなかったので、仏教や儒教と長い間習合し、言ってみれば一度漂白された後で見出されたので、それが現在の神道の在り方にもつながり、神道は「自然」なものなのだという自己規定につながったものであるように思われます。
そんなわけで、神道についてのこのような考えは、古来のものというよりは、一種の宗教改革のごときものであるように思われます。