その他の自然宗教における教義と戒律
また、世界の他の自然宗教にも同じように教義や戒律があったことが資料から見いだせます。
例えば古代ギリシャの宗教にも義務や禁忌があったことについては、ヘーシオドス(紀元前8~7世紀頃)の「仕事と日」に次のような記述があります。
“明け方に、きらめく酒を注いでゼウスに献げる時には、手を洗わずにしてはならぬ。他の神々についても同様じゃ。
さもなくば祈るとも、神々は祈願を聴かず、吐き出してしまわれる。
陽に向かい、立ったままで放尿してはならぬ。……また前をはだけてしてもならぬ。夜は至福なる神々のものであるからな。
……また家の中で、婬水に汚れた陰部を炉の傍らであらわしてはならぬ。
……また縁起の悪い葬式から帰った後で、子種を蒔いてはならぬ。それは神々の祭りの宴から帰った時にせよ。
……河々の清らかな水を歩いて渡る時には、必ずまず美しい流れに目をやって祈り、白く輝く澄んだ水で手を浄めてからにせよ。
心の汚れと手の汚れとを、ともに洗い浄めずに河を渡る者は、神々の怒りを買い、神々は後に苦難を降される。
神々を祀る宴の折りには、「五つ叉の生木」から、枯れたところを切り取ってはならぬ。(爪を切ること)
酒宴の折りに、酒を汲む壺を混酒器の上に置いてはならぬ、凶運がそれに付く。
……あらかじめお供えもせずに、脚付き鍋から出して食べたり、またはその鍋の湯で湯浴みしてはならぬ、こういうことにも神罰は下る。
生まれて十二日目の赤子を、「動かしてはならぬもの」(墓とも祭壇とも炉とも云われる)の上に座らせてはならぬ……子供は男の機能を失うことになる。
……男は、女の使った水で肌を洗ってはならぬ、これにもしばらくは厳しい報いが来る。
供物を焼いている場に行き会わせて、神事をあざけるがごとき振る舞いがあってはならぬ、神はかかる行いも憎みたもう……”
また同書ではこうした儀礼的な禁忌のみならず、いわば道徳的な教えも述べられています。
“善からぬ暴力をこととし、けしからぬ所業のある者には、
クロノスの御子、広く見はるかすゼウスがしかるべき罰を下される。
しばしば、ただ一人の悪人が、罪を犯し不逞のたくらみをめぐらしたために、町全体が連座して苦しむこともある。
このような輩にはクロノスの御子(ゼウス)が、天上から大いなる災禍──
飢餓と疫病を下し、民は死に絶える。
……されば(裁判を行う)殿様方よ、このたびの裁きに、あなた方も思いをいたされよ。
神々は人間界の、しかもあなた方のすぐ身近にあって、神罰も顧みず正義を曲げた裁きによって、同胞互いに苦しめあう者たちを
一人も逃さず見届けておられる。
……されば賄賂を貪る殿様方よ、心して裁決を下し、裁きを曲げることは、今後は一切忘れなさるがよい。
他人に悪事を働く者は、我が身に悪事を働くことになり、善からぬたくらみは、たくらんだ者にもっとも善からぬ結果となる。
あらゆるものを見、あらゆるものを知るゼウスの眼は、その気になれば今このありさまをもご覧なされようし、今この国に行われているかかる裁きがどのようなものか、見落とされることもない。
……ペルセースよ、これらのことを胸に刻み、「正義」の声に耳を傾け、暴力は一切忘れ去れ。
……財貨は無理やりに掴み取るべきものではない。神の授けられたものが、遙かに良い。
暴力をふるって無理やりに財を築いたり、あるいは舌を用いて奪い取る者があるにせよ──
欲が人間の心を迷わせ、「恥知らず」の心が「恥じらい」を追いやる時には、よくあることだが──
その者を神々はいともたやすく抹殺し、その資産を削っておしまいになる、かくして富が彼とともにあるのもつかの間にすぎぬのだ。
また、保護を求めて訪れた者や迎えた客に非道の仕打ちを加えた者、
己の兄弟の臥床に上り、その妻と人目を忍ぶ仲となって、不義を犯した者、
親を失ったどこぞの子らに、分別を忘れて非情な扱いをした者、
苦しみの老いの閾に立つ年老いた父を、口汚く罵っては言い争う者、
かかる者たちには、必ずやゼウスおん自ら憤激なされて、最後にはその悪行に苛酷な報いをお下しになる。
お前はしかし、……これらの悪事を一切慎み、
身も心も清く汚れを去って、お前の力に応じた生贄を、
不死なる神々に捧げ、つややかな腿の骨を焼いて献ずるがよい。
また別の折りには、寝所に向かう時、また浄らかな朝の光の訪れる時に、
神酒をそそぎ供物をそなえて、神々の御心をお慰めせよ……”
また同書には、
“しばしば、ただ一人の悪人が、罪を犯し不逞のたくらみをめぐらしたために、町全体が連座して苦しむこともある。
(ゼウスが)飢餓と疫病を下し、民は死に絶える”
といったように、飢餓や疫病が天罰であることや、それには罪人でない者の巻き添えも伴い得るという観念が出てきますが、これと同じような観念は前述の「サイキス・タスク」や、旧約聖書や中国の古典にも見出されます。
例えば、サイキス・タスクでは次のように述べられています。
「……同じような見解が、ボルネオの多くの部族の間にも広く行われている。例えば、海ダイヤク人について、副総督パーハムは次のように言っている。『未婚の男女間の不道徳は、ペタラ(神?)のもたらす罰として、地上に雨の災害を降らすと信じられている。……それで、ペタラがなだめられ、罪人たちがその家庭から放逐されると悪い天気は回復すると言われている。姦淫者の通って行った地方はどこでも、適当な犠牲が捧げられるまでは、神々の呪詛をうけるものと信じられている』来る日も来る日も雨が盆を覆すように降って、作物が畑で腐ってしまうようなことがあると、このダイヤク人は誰かが肉の欲に耽り続けているとの結論に達する。そして長老たちは鳩首凝議して、近親不倫や重婚を悉く審判処罰し、豚の血をもって地を清める。……その昔は、全地方を危機に陥れるような淫蕩の罪を犯した者は、死刑に処せられるか、軽くても奴隷におとされて罰を受けねばならなかった」
「西アフリカのロアンゴの黒人たちは、まだ幼い少女との性的関係は神によって罰せられ、旱魃とそれに続く饑饉とがもたらされると信じ……その罪を贖うまでは続いて起こると信じている。……1898年には長い間旱魃が続いた。……占いを依頼せられた聖なる森の祭司たちは、神と国との伝統と律法を守っていなかったある不明の人々の不道徳のゆえに、神がその地に怒りを降しているのである事を発見した。……三人の娘たちが国の慣習を破っていたことが発見せられた。即ちその三人は、彩られた家と呼ばれているものを出ない前に妊娠したのである。この彩られた家と言うのは、年頃に達したしるしとして、ある期間のうち赤く塗られて隔離せられることを意味するものである。人々は激昂して、三人の娘たちの懲罰を要求し、死刑を主張する者すらあった。この事件を記した英国の記者は、犯人たちが長官の前に連れて行かれたその朝になって雨が降ったということは、付け加えておく価値が十分にあると考えている」
「また、ローマ皇帝クラウディアスの治世、あるローマの貴族がその妹と(近親相姦の)不倫関係を結んだかどで訴えられた。貴族は自殺し、その妹は逃亡してしまったが、皇帝はサアヴィウス・ツウリウス王の律法から伝承したある古式の儀典を執り行うべきことを命じ、そしてこの贖罪はダイアナの聖森の祭司たちによって行われなければならないと命じた。ダイアナはすべてのことにおいて多産豊穣の女神であり、特に児授けの女神であったようである。それ故、この女神の聖所で執り行われた贖罪の儀典は、他の民族と同じようにローマ人もまた、性的不道徳が土地と腹の実を萎ませてしまう傾向を持っていると考えた証拠とみられるのである」
この他、人を殺した者はある種の霊的な汚れを受けるので一定期間隔離されたり、清めの儀式を受けなければならないという観念も世界各地に見られる等とも述べられています。
旧約聖書には次のようにあります。
“もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い……仕えるならば、わたし(神)は、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。……あなたたちは、心変わりして主を離れ、他の神々に仕えないよう注意しなさい。さもないと……雨は降らず、大地は実りをもたらさず、あなたたちは主が与えられる良い土地から直ちに滅び去る”(申命記)
“(神の命令に背いて)あくまでエジプトに行って寄留しようとする人々をわたし(神)は取り除く……すでにエルサレムを剣(戦渦)、饑饉、疫病をもって罰したように、わたしはエジプトに住む者を罰する”(エレミヤ書)
“主の憤りは極まり
主は燃える怒りを注がれた。
……これはエルサレムの預言者らの罪のゆえ
祭司らの悪のゆえだ。
エルサレムのただ中に
正しい人々の血を注ぎ出したからだ。
……父祖は罪を犯したが、今は亡く
その咎をわたしたちが負わされている。
……飢えは熱病をもたらし
皮膚は炉のように焼けただれている
……いかに災いなことか
わたしたちは罪を犯したのだ”(哀歌)
中国では、例えば「書経」に次のようにあります。
“古、夏王国の先君たちはあまねくその徳を励行されたので、天災が下ることもなく、山川の鬼神も安らかにしていないものはなく、鳥や獣や魚や鼈までも従順にしていました。しかしその子孫になると徳に従いませんでしたので、皇天は災害を下し、我が商国の手を仮りて征伐されました”(伊訓)
“めでたい徴とは、『王の行為が厳粛であれば、時節にあった雨が降る』『王の言説が篤論であれば、時節にあった日差しが照らす』『王の監視が明智であれば、時節にあった温かさが来る』『王の聴聞が深謀であれば、時節にあった寒さが来る』『王の思慮が聖通であれば、時宜にかなった風が吹く』ということです。
これに反して、災いの徴とは、『王が五事に背いてわがまま勝手であれば長雨が続く』『王が道理に外れていれば長く旱が続く』『王がなまけ怠っていれば長く暑さが続く』『王が偏狭であれば長く寒さが続く』『王が暗愚であればいつでも風が吹きまくる』ということです”(洪範)
また「墨子」、「呂氏春秋」には、湯王の雨乞いの祈りとして次のような言葉が引用されています。「論語」、「書経」にも、雨乞いとはされていませんが同じような文句があります。
“わたくし履(湯王)は黒い牛の犠牲を捧げて上帝に告げます。今、大旱で苦しんでいます。これは私の罪です。私はどんな罪を上下の神々に対して犯しているのかわかりませんが、天下に善人がいるならそれを覆い隠すことはせず、悪人がいるなら許すことはしません。上帝の御心のままにお任せします。もし万方の民に罪があるならその罰を私に当ててください。もし私に罪があるならその罰を万方に及ぼさないで下さい”
また、「詩経」には次のようにあります。
“今の世にあっては
すすんで政治を惑わせて
その身の徳をくつがえし
荒んで酒に耽るばかり
そなたは楽しみに耽るとも
先祖に継ぐのを念わぬのか
あまねく先王の道を求め
よくその明法を執ろうとせぬのか
かくては天も助けたまわず
泉の水の流れるように
もろともに亡びゆかずにおれようか
……天はいま艱難を世に降し
いまその国を失うのだ”(抑)
“国運救うすべもなく
天も我らを助けたまわず
……上に立つ人こそまことに
心してつとめるべきだ
誰か災いのもとをおこして
今になって民を苦しめる
……わが国土の行く末を思う
よからぬ星の下に生まれて
天の厚い怒りに逢うことよ”(桑柔)
“……王のたまわく、ああ
何の罪あるぞ今の人
天は死亡禍乱を降し
饑饉はしきりにあらわれる
……旱はかくも甚だしく
これを沮むすべもない
……天命変わる世の兆しか”(雲漢)
日本にもこれと似たような観念があったことは、菅原道真の没後に起こった災害がその怨霊によるものだとみなされたことや、類似のいわゆる「御霊信仰」からわかります。
また、イスラム以前のアラビアにもなにがしか宗教上の禁忌があったことが知られており、それはコーランの文章からも読み取れます。
例えば、一年のうち神殿に巡礼する四カ月を神聖月として、その間は戦闘行為が禁止されていたということが知られており、コーランでは例えば次のように述べられています。
“神聖月について、その期間中に戦争することはどうかとみんながお前(ムハンマド)に訊きに来ることであろう。こう答えるがよい。神聖月に戦ったりするのは重い罪だ。しかし、神の道から離脱し、アッラーやメッカの聖殿に対して不敬な態度をとり、そこから会衆を追い出したりすることの方が、アッラーの御眼から見ればもっと重い罪になる(だから戦ってもよい、の意味か)”(雌牛章)
また家畜について、食べてはならないものや労役に使ってはならないものの禁忌があり、また人身御供もあり、こうしたことは神の定めによるものだと考えられていたようです。
“「耳裂き」とか「神聖ラクダ」とか「兄妹羊」とか「背禁」とかいうような(労役に使ってはならない)ものを神が定め給うたことはない。ただ無信仰者どもがありもせぬことをアッラーにおしつけてしまっただけのこと。彼らの大部分はまったくわけのわからん者どもじゃ”(食卓章)
“彼ら(偶像信者)のあのお仲間様(邪神)は、多くの偶像信者を誘惑して我が子を殺すようにしむけ、それで人々を滅亡させ、人々の宗教をかき乱そうとした。
……彼ら(偶像信者)は「これこれの家畜と畑の作物は神聖物(神に捧げたもの)だから、我々の許す者以外は絶対に食ってはならんぞ」などと勝手に決め込んだり、背中が禁忌になっている(荷を積んだり乗ったりしてはならない)家畜や、また屠殺するときアッラーの御名を唱えない(偶像用の)家畜をつくったりする。みな根も葉もない作りごと。このようないい加減な嘘を言った罰としていまに(アッラーが)充分にご褒美(天罰)を下さろう。
彼らはまた、「この家畜の胎内のものは男子専用で、女どもには御法度である。だがもし死んで(生まれた)場合は、誰でも皆一緒にあずかってよろしい」などと言う。(勝手なことを)述べ立てた罰で、いまに(アッラーから)充分にご褒美を頂戴することであろう。賢明で一切を知り給う神様だから。
……ここに八組のつがいがある。まず羊が二組、山羊が二組。(異教徒どもに)言ってやるがよい、「牡が二匹禁忌なのか、それとも牝二匹なのか。それともまた牝二匹の胎内にあるものがそうなのか……」次にラクダが二組、牛が二組。言ってやるがよい、「牡が二匹禁忌なのか、それとも牝が二匹なのか。それともまた牝の胎内にあるものがそうなのか。一体お前達、アッラーがそのようなことを命令なさるところに居合わせたのか。アッラーいわくと称していい加減なでたらめを言い、何も知りもしないくせに人々を迷わそうとかかる、それほど性の悪い者はない。まことにアッラーは、不義の輩など絶対に導いては下さらぬ」
……偶像信者どもは今にきっと「もしアッラーの御心ならば我々にしても、また我々の父祖にしても多神教徒にはならなかったろうし、何もこんなに禁忌をつくりもしなかったろう」などと言い出すに決まっている……”(家畜章)
なお人身御供については、旧約聖書でも異教徒の悪しき習慣として出てきます。
“「これらの国々の民はどのように神々に仕えていたのだろう。わたしも同じようにしよう」と言って、彼らの神々を尋ね求めることのないようにしなさい。……彼らと同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである”(申命記)
またこのようなことも言われています。
“あなたが……主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。……これらの国々の民は卜者や占い師に尋ねるが……主はあなたがそうすることをお許しにならない”(申命記)
(ここでは「易者」と言われていますが、中国の易のことではなく、単に「占い」の意味でしょう)
こうした点からして、創唱宗教以前の自然宗教にも教義とそれに基づく戒律があったと言ってよいでしょう。