一話 廃校へ
興味をもっていただきありがとうございます。
7月4日。
ニュースで新種ウィルスの世界規模の発生を確認。直後、テレビが電波を受信しなくなり、感染者二名の襲撃を受ける。当時の心境は覚えていない。
7月8日
前日までの記憶がないため、この日から記す。街の喧騒に紛れて避難所を示す放送が聞こえた。 何年も前から廃校になっていた高校を一路目指すことにする。
隠れていた同級生の佐藤恵理と遭遇。赤い部屋、とだけ書かれたメモを持っていた。本人いわく「いつ手に入れたか分からない。でも、捨てたらいけない気がする」
7月9日
逃げ込んだ家屋で、妙な感染者(女)と遭遇。後ろを向いて動く気配がなかった。追いかけてきた他の感染者に気を取られ、もう一度見たときにはいなくなっていた。佐藤恵理が震えていたように思う。
7月10日
高校まであと少
「なに書いてるの?」
夏。じりじりと照りつける太陽が容赦ない。
大通りに面した家屋の二階に、佐藤恵理の声が木霊した。質素な小机に向かっていた俺は手を休め、隣にぺたんと座っていた佐藤恵理を見る。畳の敷かれた六畳ほどのスペースには、俺と彼女のふたりしかいない。この家の元の主は、いまは畳と壁にこびりつく血に姿を変えていた。この部屋から血の足跡が玄関まで続いていたため、外出中であるとも言える。
「日記みたいなもんだよ」
俺はどこぞの家から避難させてもらったついでにいただいた、B5サイズのノートを掲げる。ありふれたデザインのそれは、おれのポケットに丸められて収納されていたため、ぼろ雑巾としわの数が同じだ。
「見せて」
おれは黙ってノートを彼女に渡し、状況確認の大義のもと、窓の外に目をやる。
大通りというのはもっぱら、自然と人の集まる場所である。であるからして、それは例え人が人でなくなった時も例外ではなく、そこにはそれらが蠢いているのだ。俺達二人にとっては慣れきった、腐敗臭を纏った動く死者どもが。もちろんそれとは逆に、人通りの少ない路地裏ではちらほらとふらつくやつらがいるだけで、実際のところ、数が少ないとあまり驚異ではない。
形のいい胸をおっぴろげにした女を見つけお得感に浸っていると(ただし腹部から臓器露出)、佐藤恵理が、
「最初のゾンビはどんなやつだったの?」
俺は目を戻し、
「親」
とだけ答えてまた外へ目をやった。
「ごめーふくを」
平坦な声でいう彼女は、口調通りに同情などしていないのがわかる。社交辞令のかけらというやつだろうか。いまどきそんなことを口にするやつも珍しい。そういうのは秩序のある世界にだけ存在するものだ。
「なんで廃校なんだろう。おんぼろだし、わたしたちの学校のがいいよね。っていうかよく聞こえたね。わたし放送に気付かなかった」
体育座りをして背中を壁に預けた佐藤恵理が、ノートから目を離さず言った。独り言のようなものなので、俺は無視した。
しばらく死者どもの大行進を見ていると、俺はあるひとりの人物を見つけた。
「田口だ」
服装が俺達の着ている南高の制服と同じだったため、すぐ分かった。白目で、肩から首にかけての出血が顔をほとんど覆い隠していたが、それでも俺にはわかった。なんせ中学の時から同じクラスだったからね。
「うそ、ほんと!? お〜い、田口〜!」
いつの間にか窓から身を乗り出していた佐藤恵理が、腕を前にだしてふらつく田口に手を振っていた。横から彼女の表情を見ると、懐かしさに笑顔は舞っていたが、目は決して、黒くよどんだ泥水から変わることはなかった。
「あは、死んでる、ね」
「ああ」
「でも、動いてる」
「見ればわかる」
「……」
その時、玄関のガラスが割れる音がした。あの薄っぺらな引き戸では、やつらの侵入を5秒も阻むことなどできない。そんなことはわかっていた。
「大声だすなよ、馬鹿」
「休憩が終わりってことでいいでしょ」
俺は彼女からノートを受けとり、再びポケットのなかに押し込んだ。続きは廃校に着いてからにしよう。
「屋根伝いに行こう」
俺はそういうと彼女には目もくれず、血で色の変わった金属バットを手にして、さっきまで覗いていた窓から外へ出た。足元には一メートルほどの幅で、黒い瓦が広がる。
「ね、あの時の女ゾンビのことだけど」
階段から不規則なリズムの足音が迫ってきても、俺達はそれを気にしない。彼女は俺に続いて屋根の上に降り立った。
「それがなんだ?」
慎重に足を進めながら、俺は廃校までの道のりを思い描いていた。小学生の頃、近道を通るときに毎回見ていたので、なにかで調べるような必要もなかった。ここから路地に降りてしばらくすれば着く。
「なんか……普通じゃなかったよね。焦げくさかったような気がしたもん」
「ああ。あと、右腕の肘から先がなかった。でもそこから血は流れていなかった」
彼女があとを続けるように、
「そして、ちょっと目を離したらいなくなっていた」
即席の逃げ道に指定された屋根を何度か曲がるうちに、俺たちは大通りの向い側に着いた。心のなかで田口のご冥福をお祈りすると、屋根から飛び降りる。車一台がやっと通れるほどの狭い路地は、電柱に張り付けてあるデリヘル広告のほかには、両腕のない20代ほどの男の死体が一匹突っ立っているだけの静けさに満ちていた。
「行こうか」
俺達二人はすたすたと、一人すったもんだしている無力なゾンビの横を通り過ぎた。倒れがけに噛みつこうとしてきた男をひょいとよけた佐藤恵理は、
「ひとつ聞きたいんだけど」
俺が黙って歩くだけなので、彼女はそのまま言葉を続けた。
「記憶がなかったのは、なんで?」
はて、なんでだろう。俺は何度も繰り返した自問自答をもう一度掘り返した。そして、その果てにあった結論だけを、彼女に述べた。
「ショックだったんじゃない?」
俺が他人事のように話すので、彼女は笑った。しかし、これが妥当な結論だと思う。正常な人間の、正常な反応じゃないか。
「じゃ、記憶のない三日間はどうやって過ごしてたの? よくあいつらに殺されなかったね」
顔がにやけたままの彼女に、これまた俺は、
「泣いてた。それ以外は覚えてない」
結論だけを述べた。
それからしばらくは、誰も話さなかった。いくらかやつらの襲撃を受けたが、まあ、言うほどのものでもない。ただ、汗が止まらなかった。今年の夏を感じさせる風情の蝉の鳴き声は、腐った人間の唸り声にバトンタッチしている。
「ヘリコプターとか飛んでないね」
俺は近いうちに来んだろ、と楽観した意見を述べると、田園地帯の先に一角を現した廃校を見つめた。
読んでいただきありがとうございました。
ちなみに、この小説とタイトルが同じ映画がありますが、それとはまったく関係がありません。タイトルを変えようかとも思ったのですが、僕は〜〜オブ・ザ・デッド、という響きが大好きなので、このようなタイトルにしました。それでは。