チェーンソーガール・アンチェイン
逃れられない運命っていうのは、きっと、僕らのすぐ側に潜んでいる。工事現場の足場から見下ろしてたり、下水道から睨みあげてたり、トラックの助手席に座ってハンドルに手をかけていたりするんだ。
細い僕らのこの手では、運命ってやつの悪意を止められない。だから、僕らはヒーローを待ち望んでる。
負け試合だとか、命の危険だとかさ。そういうときに、颯爽と飛び出して、運命をぶっ飛ばしてくれるヒーローを待ってるんだ。
日曜日の朝八時半。いつものように、最高にかっこいいヒーローものの、子ども向け番組を観た僕は、テレビを消した。放り投げたリモコンが、ソファで情けない音を立てる。
お気に入りの赤いパーカーを着て、外に出た。五月の空は、道路の先に見えるくらい、低くて近い。きっと、赤いパーカーと素敵なコントラストを描いている。
さっき、魔法少女☆リリカルクロアも言っていた。「透き通る瞳はブルー! 情熱を宿した髪はレッド! マジ外人に抱かれたいのほおおおおおお」って。赤と青のコントラストは、魔法少女を惹き付ける。……きっとな。
そんな、人類の行く末に関わる重大かつ緊急を要する命題に、蒼海のように深く、泰山のように崇高な、ソクラテスも感嘆する思惟を巡らせていたからだろうか。
僕は、迫り来るそれに、気づくのが遅れた。
「そこのぼく! 危ない!」
どうでもいい熟女の声に、ぼんやりと、やる気なく空を見上げた。
――なんという天気なんだ。空から、ロードローラーが降ってきやがった。
足が竦む。何も思いつかない。ただ、運命が、僕の体にしがみついて離さない。
ああ、死んだな。そう思った。
迫り来る鉄の塊に、一条の火線が走ったように見えた。
降り注ぐ、オレンジの火花。その美しさに見とれた次の瞬間には、ロードローラーは幾つものブロックに切り分けられ、僕の周りに轟音とともに落っこちた。一拍遅れて、ギャリギャリギャリッとけたたましい金属音が耳に届く。
切り裂かれ、ひしゃげた、かつてロードローラーだったもの。それらに囲まれ、僕はぼんやりと立ち竦んでいた。アスファルトから巻き上がる粉塵の中に、一つの人影が現れる。
「あの、すいません」
申し訳なさそうな顔で出てきたのは。
両腕の肘から先が、チェーンソーになった美少女だった。ドッドッドと鳴り響くのは、僕の心臓だろうか。それとも、チェーンソーのエンジン音だろうか。残像を見せつける、高速回転する刃は、まるで、手が届かない高嶺の美しさを誇る、美少女そのもののようだ。
「間違って、あなたのことも斬り付けてしまいました!」
頭を下げた彼女の前に跪き、下から視線を合わせる。
ばっくりと切り裂かれた胸元から流れる血で、股間が生暖かい。
「気にしないで欲しい。僕は助けられたんだ。それに――今日のパーカーは、赤色なんだ。ほら、目立たないだろ?」
「……はい!」
「それにしても、君のチェーンソー、可愛いね」
「そんな……可愛いだなんて……」
彼女は頬を染めた。
僕と同い年の、高校生くらいだろうか。
運命ってやつは、案外憎いことをする。ヒーローと出会うまでが運命、か。
とても真面目に書きました。
極めて真面目です。
ノーベル文学賞を狙った作品です。