・霊帝翔麒(1)
――秀慧が倒れた一件によって、秀慧と澪李の間にわだかまりが出来ることはなく、逆に互いが打ち解ける切っ掛けとなり、精神的な距離は少しずつ縮まっていた。
そうして二人が破妖師となってから、季節がふたつほど移り変わった頃。
「澪、無茶を止めろ。今度はもう少し強い結界を張るからな」
南海署内にある治療室で澪李の腕に手当てを施しながら、秀慧は彼女に言った。
「いらない! アンタの方が無茶してる時が多いよ。倒れたアンタを抱えて帰るのはアタシなんだぞ」
「……だったらこの怪我はなんだ。もっと自分を愛って欲しいものだな」
「こんなの怪我に入らないって、イテテ! もうちょっと優しく薬ぬってくんない? しみるよ!」
澪李は塗りつけられた薬の刺激に顔をしかめながら、秀慧の小言に噛み付く。
「怪我に入らないのなら、痛みなどないだろうに……」
「もうっ! そんなの屁理屈だよっ!」
「お前は少しばかり、向こう見ず過ぎる」
「うるさいなーもう、小言ばっかり言ってると禿げるよ」
次から次へと飛び出す言葉は、どれも実も蓋もないものだったが、それは彼らにとってはマイナスになるものではない。
「毎度声が大きい。もう少し自重してくれないか」
いつの間にか治療室の入り口に立ち、苦笑混じりにそう言ったのは、参課長朱明だった。彼女の言葉に反応し、同時に振り向いた二人は各々の主張を繰り出す。
「だって、こいつったら無理ばっかりなんですよ」
「澪李が怪我ばかりするからです。気が抜けません」
まるで兄妹か喧嘩友達の様な言い草に、朱明は思わず噴き出す。
「君等はまったく仲が良いね。最初はどうなることかと思ったが、今は安心しているよ」
微笑まし気に秀慧と澪李を見ながら、クスクスと艶やかに笑った。
「朱明課長……!」
「まあまあ。そうムキにならなくても良いだろう」
更に何か言い募ろうとした澪李の肩を叩いてなだめ、朱明は秀慧の方へと目を向ける。
「さて秀慧、この後の都合は良いか?」
「はい。構いません」
生真面目に朱明に返事をした秀慧の顔には、心なしか嬉し気な表情が浮かんでいた。
「……少しばかり用がある。今日のところはこれまでだな」
秀慧は、消毒を終えた澪李の腕にそっと包帯を巻きつけて手早く止めた後、ゆっくりと椅子から腰を上げながら彼女に告げる。
「ん、ありがと。わかったよ。でもまだ納得してないんだからね!」
「幾らでも話す時間はある。また明日にでも」
澪李に頷いてから、秀慧は朱明に伴われその場を立ち去った。
「慧、なんだか嬉しそうな感じがしたなぁ…。なんだろ?」
医務室に残された澪李は腕の具合を確かめながら、秀慧のわずかな変化を思い返した。朱明が自ら呼びにきたという事は、業務的で重要な呼び出しだったのだろうが、普段の生真面目な彼とは反応が違って見えたのだ。
眉根を寄せて考え込んでみたものの答えが出てくることはなく、ぐうっと腹の虫が元気良く鳴いただけだった。
「ま、いいか」
深く考えるのを得意としない性分である澪李は、解らない事は何時までもこね回さずにバッサリと切り捨てた。それよりも空腹を満たす方が優先だ。
「んじゃ、夕飯といこうかな」
巡回の疲れを感じさせない軽やかな足取りで、彼女は医務室から出て行った。