・秀慧と澪李(2)
清華国には、天宙楼を中心として主に八つ主要地区がある。
四方位に位置する東大路・西陵・南海・北岳。その外側を囲む、厳丘・陵風・水路・陽麓。文明の発達と共に、結界都市として機能するべく改善を施されてきた各地区は、放射状に走る大通りや、制限を設けた建築物で構成された街並みが広がり、蜘蛛の巣に似た規則的な光景を作り出してる。
霊帝の行う八方奉霊は確かに強力なものだが、妖魔を全て抑え切れる訳ではない。
法則性がなく予測が困難な妖魔出現に備えて、地区内を巡回しているのが、霊帝直属の実力者『八霊衆』率いる八霊課である。壱課から八課があり、各地区の守護を託されている。
秀慧と澪李が配属されたのは、八霊三課の管轄である南海地区だった。
「今日も遭遇なしかぁ。さっぱりだね」
対として配属されてからの数日間は、妖魔との遭遇がなく、平穏な日が続いていた。ベテランの対らと共に繁華街を巡回しながら、澪李は隣を歩く秀慧に話しかける。
「他の地区では何件か遭遇があったらしいがな。妖魔が現れないのは、この地区の結界が安定している証拠だ。良い事ではないかな」
「そうだけどさぁ」
「こらこら気ィ抜くな。仮にも勤務中なんだぞシャキッと歩け公務員」
退屈そうに両腕を上げて派手に伸びをした澪李の頭を、背後を歩く武術師の豪衛が軽く叩いて嗜めた。
「ふぁ、すいません」
「ま、こう平和だと、確かに緊張感が続かないけどなぁ。油断してるところをガリッ!……なぁんてコトもあり得るからなぁ。気をつけろよー」
豪衛の相棒である雷樹が、笑いながら両手を上げて襲い掛かる仕草でからかう。
「うわっ、縁起でもないっ! でも、早くコレの出番がこないと錆び付きそうですよ! せっかく破妖師になったんだから、活躍しなくっちゃ」
彼女は自分の腰に下げられた長刀を軽く叩く。
妖魔との戦闘は、被弾の危険を考慮して銃火器類は不可だ。その為、武術師が所持するのは長刀や鉄杖等に限定される。そして、破妖省が抱える専属鍛冶職人によって造られるのは、どれも見事な意匠を凝らした逸品である。
「お前、破妖師になれてよっぽど嬉しいんだなぁー。 やっぱり憧れてた?」
「えへへ。小さい頃、破妖師が戦ってるのを見たんですよ。凄く強くて、かっこよくて。だから武術師目指したんです。アタシも皆を守りたかったし」
「そうかそうか。俺らも頑張ってる甲斐があるってもんだなぁ」
雷樹が澪李の頭をくしゃくしゃと撫でまわす。
「ちょ、グッシャグシャにしないでください! もー!」
「嫌がるなよー。先輩からの愛情表現だぜぇ」
「そんな愛はいらないですっ!」
破妖師の勤めは、時として命掛けにもなる危険なものだが、並み外れた能力で妖魔と勇敢に渡り合う彼らは、憧れの的なのである。
「――ああもう。ねぇ慧、アンタはどうなの。封術師になったのって何で?」
「私は……」
問いかけに答えようとした秀慧が、不意に口を噤んで歩みを止めた。
「ん? どうしたの?」
「……瘴気だ」
「へっ? 何処!」
澪李が咄嗟に身構えて、腰の長刀に手をかける。
「そこだ」
静かな声と供に白い指が示したのは、これから通ろうとしていた薄暗い裏路地の奥で、真っ黒な靄が巨大な渦を巻いている。
「うわぁ、凄いな」
瘴気が発生するのは、不浄な空気や邪気が溜まる場所だ。人口密度が高く、人の情念や不浄な空気の澱みが出来やすい都の中央周辺に多い。人の血肉を好む凶暴な妖魔に加え、有害な毒素を含む瘴気も満ちた空間は、無差別に死を撒き散らす魔界と化す。
「……最近見たモノの中じゃ、大きい方だな。さて、実地訓練だぞお前ら、晩飯にされねぇように気合入れてかかれよ!」
豪衛が二人の背中を叩いて発破をかける。
「はい!」
澪李が低い姿勢で身構え、それに続いて秀慧が姿勢を正して両手で印を結ぶ。
『東小路に光を通し……』
複雑な印を目まぐるしい速さで次々と結びながら、謡う様に呪を唱え始めると、彼の全身から小さな電光が幾重も放たれ、瞬く間に広範囲に結界が展開していく。たちまちのうちに身の丈を遥かに超える大きさに膨らんだそれは、眼前の黒霧だけを封じるにしては広がり過ぎていた。
「秀慧! どこまで術めぐらしてんの!」
予想外の規模の結界に驚いた澪李が大声で叫ぶが、電光で構成された結界の膨張は続く一方で止まる気配を見せない。
『……四ッ御柱、結びて束ね……』
瞳を閉じたまま一心不乱に呪を唱え続ける身体から数多の電光が立て続けに放たれ、最後に金属を打ち鳴らすのに似た鋭い音と供に結界が完成された。
『ギッ、ギイィ!』
いつの間にか裏路地から這い出ていた妖魔が数匹、秀慧の張った結界に捕らえられ、あちこちで苦し気にもがいている。
「なっ、こいつら、いつの間に!」
「澪李、長くは持たない、早く仕留めてくれ」
印を結んだまま結界を維持している秀慧の身体が小刻みに震えている。
結界を張るためには膨大な霊力を短時間で消耗しなくてはならない。範囲が広く妖魔に対する拘束力が強い結界であれば尚更で、その消費量は尋常ではない。
「わ、わかってるよっ!」
澪李は素早い動きで刃抜き放つと、下段の構えをとりながら飛び出し、一番近い位置にいた妖魔のわき腹辺りから肩口にかけて一閃で天へ向けて斬り裂き、振り下ろす刀で二匹目を真っ二つにして叩き斬った。
『ギャアアァ!』
けたたましい悲鳴を上げながら、醜悪な妖魔が次々と崩れて塵となって消える。
「さぁ、次! 覚悟しな!」
荒れ狂う嵐の如く走り回り、目に入る全ての敵を容赦なく叩き斬る。
瞬く間に妖魔は全て切り伏せられ、結界によって封じられた瘴気も徐々に薄れて跡形も鳴く消えていった。
「はぁ、まさかこんなにいやがるなんて、思わなかった」
刀の汚れを懐紙で拭いながら、秀慧の元へと戻ってくる。
「助かったよ慧。あんなに広がってるなんて気付かなくて、怒鳴っちゃってごめん」
「なに、貴女が居てくれればこそだ。私だけでは……っ」
言いながら結界を解いた瞬間、彼の体が傾いだ。
「慧っ?」
「おい、大丈夫か!」
無防備に路面へ倒れ込む寸前、澪李は慌てて秀慧を抱き留めた。遠巻きに見ていたベテラン組も驚いて駆け寄ってくる。
「うっ、すまない……」
震えながら辛うじて澪李のしっかりとした腕にすがり、肩で息をして切れ切れに詫びの言葉を漏らす顔は、まるで死人の様に青ざめている。
「ちょっと! 慧っ、しっかりして!」
「……っ」
動揺しながらも必死に呼び掛ける相棒の腕の中で、秀慧はふっつりと意識を失う。
「慧!」
悲鳴に近い叫び声が、白昼の通りに響き渡った。