・天宙楼(2)
天宙楼の地下には、代々の霊帝が眠る霊廟がある。
精緻な彫刻を施された白い石棺が放射状に安置されているのは、最上階の陣で行われる八方奉霊の力を増幅させるためだ。人柱に似た様相を呈した仕組みによって、都の守護者たる霊帝は、死後も役目から離れる事無く結界の礎として在り続ける。
――己の亡骸すら奉じて国を護る帝。
妖魔の脅威に晒され続けてきた民にとって、霊帝は現人神といっても過言ではない。天宙楼の周囲には、何時の時代からか民の手によって歴代の帝を奉る寺院が其処此処に建立されており、日々参拝客が絶えない。彼らの根強い信仰心や、日々のささやかな安寧を願う心もまた、妖魔の出現を抑える結界を補う力となる。
広大な霊廟を支える石柱の合間を、白い花を手にした宗啓と赤陽が静かに歩む。
幾つも並ぶ石棺の中で、最も新しい棺の前に膝を突いて花を供えると、二人は静かに両手を合わせて印を作り、頭を垂れた。
「翔麒……」
赤陽が先帝の名を口にした。
「先代が身罷られてから今年で5年目か。早いものだな、赤陽」
祈りを終えた宗啓が、立ち上がりながら言った。
「うむ……。本当にそうだな」
「お前が、ここに来てからはもう何年になる?」
「丁度、五十年になる」
石棺の前に膝を着いたまま言葉を零す赤陽の表情は、黒髪に覆われていて窺えない。
齢三十を越えている宗啓よりも、五、六歳は若い姿をしている様に見えるが、彼は見かけからは想像の出来ない年月を生きている。
「そうか……」
赤陽と出逢ったのは、霊帝となるべく天宙楼に召された二十年程前の事だ。
その頃は、此処に眠る翔麒――つまりは先帝である人物――も当然ながらまだ健在であり、赤陽は彼の傍らに寄り添っていた。人としての温もりを感じさせない人形の様な青年。初対面こそ外見から受ける無機質で冷たい印象に戸惑いはしたものの、その内面の優しさを知るにつれて、宗啓は赤陽に随分と懐き、今でも兄の様に慕っている。
自らの宿命に不安を抱えながらも、必死に霊帝としての道を歩んでいた幼少の頃から今に至るまで、幾度となく宗啓を精神的に救ってくれてきた青年の姿は、微塵も変ってはいない。
――翔麒と同様に己もまた、赤陽を遺して逝く日がくるのだろうか。
時折、言い様のない哀しさを感じはするが、赤陽の前でそれに関して口にする事は無い。只管に吐露したところで、優しい青年の抱える某かを取り除けはせず、自身の感傷を幾ばくか紛らわせるだけに過ぎないからだ。
「お前に渡す物がある。先帝から託されたものだ」
取り留めの無い想いを胸に隠したまま、宗啓はおもむろに告げた。
「翔麒が?」
顔を上げた赤陽の眼前で、石棺に施された彫刻の一部が宗啓の手によってずらされ、隠されていた板状の物を取り出される。
赤陽は立ち上がってそれを受け取り、繁々と見つめた。
「随分と、古い物だな」
劣化を防ぐために丁寧に補強された、一枚の色褪せた写真。
仲睦まじい様子で穏やかに微笑む男女が写っていた。眉と目が釣りあがり気味で、キリリとした凛々しい顔立ちをした女性が、端正で清楚な雰囲気を持つ黒髪の青年を、背後から抱きしめている。彼らの表情は、眩しいばかりの幸せに満ち溢れていた。
言葉には出来ない何かが、赤陽の熱を帯びる事の無い胸の奥から湧き出した。
「何故であろうな、なにやら不思議な……、温かい様な、よく分からないが、とても……、不思議な心地がする」
何処の誰とも知らぬ人間だというのに。どうして、こんなにも心を動かされるのか。赤陽は、己の心が温かく満たされ、大きくうねる様な感覚に戸惑った。
「赤陽、お前は二人の名さえ知らないが、懐かしいと感じるのは当然なのかもしれないな」
「――それは、どういう意味だ?」
彼らが生きていたのは、今となっては遠い昔の事。宗啓はまだ生まれてもいず、赤陽ですらも存在していなかった時代だ。