第二章 天使
気付けばそこは真っ暗で何も見えない空間だった。頭を打ったのか、後頭部に激痛が走る。最近よく気を失っている気がして、悠真は何とも自分が情けなく思えてならなかった。
窓も何もない所を見ると、ここはおそらく地下なのだろう。ひんやりと冷たい空気が滞留している。埃っぽいその場所に眉を寄せて、彼は立ち上がる。
しばらくして、目が次第に暗闇に慣れてくる。ぼんやりと見えてきたのはこの部屋の輪郭。しかし、隅は闇にまぎれてよく見えないため、あまり意味はない。
「何なんだここ?」
部屋ということは明かりの代わりになるものが一つや二つあってもおかしくはない。しかし、それらしい物は見当たらない。仕方なく、少しずつ奥に足を踏み入れてみる。ガラスの靴のせいで、足音が無駄に大きく響く。首元に感じる長い髪に目は半開きになっていく。
「早く着替えたい…………」
そう思うのは当然だろう。普通の男性は女性物の、しかもビラビラとした乙女ちっくなドレスを好んで着ていたいとは思わない。
突然立ち止まった悠真の目の前は更に深い闇に支配されていた。おそらくここを区切りに空間が広くなったのだろう。そう、直感で読み、慎重に一歩前に進む。
途端、空間は一気に光を満たす。見えない所に設置されたランプに自然と炎が灯り、部屋が照らされる。闇に慣れた目には眩し過ぎるそれは、彼の後ろの道にも延びていく。
「何だぁ?今の」
「鵺の仕掛けですよ」
幼い声音に体が震えた。まさかここに生存者(?)がいるとは思わなかった悠真は視界を広くして、声の主を探す。白っぽかった視界は次第に色味を帯びていく。
彼女は部屋の真ん中にいた。純白のワンピースに身を包ませた、天使。汚れ一つ無い白過ぎる翼を持つ少女は金髪の髪を揺らして微笑んでいた。
「えっと、君は…………伯凰さんの隠し子?」
言って悠真は恐ろしくなる。隠し子と思ったのは、少女の背中に伯凰と似た白い翼があったからだ。だが、誰に隠す必要があるのだろうか。答えはすぐに出た。紫だ。
悠真の中の伯凰の性格がかなり曲がっているような気がするのは気のせいではないだろう。
「面白いことを言いますね。違いますよ。私はレイズと言います。貴方は?」
「レイズ?珍しい、カタカナ文字なんだ。俺は鷹崎悠真」
「えっと、女性では………なさそうですね」
悠真の姿を見て、戸惑いがちに言った。見事に女性に化けた彼の姿を見れば戸惑うのは仕方がないことだろう。乾いた笑みを浮かべて、悠真は間違えられる前に名乗ってよかったと心から思った。
「えっと、レイズはここで何してるの?一人?」
「はい。あ、いえ。ここには鵺が好きなこの子がいますよ。悠真さんが来てくれたからきっと喜んでますね」
にっこりと無邪気な笑顔を向けて、レイズはある場所を指差す。そこには牢屋と思われる鉄格子が張られていた。その中で蠢くものを認めて、彼は硬直した。
「何であいつはじっとできないんだ?」
「仕方ありませんよぉ。何しろ悠真さんですから」
「そうだよ。悠真君なんだから」
隣でついて来るうざい二人に軽く眉を顰めながらも、紫は城を颯爽と早足で歩いていく。そんな紫の後を涼しい顔でついていく二人はかなり状況を楽しんでいるようだ。
硬い石畳の上を一定の速度で歩き、階段を下りる。下に行くとひんやりとした空気が肌をついた。暗い空間に紫色の明かりを灯して彼は奥に進んだ。
「これじゃぁ、まともに落ち着いて話もできない」
その呟きは口の中で放ったもので、二人にはおそらく聞こえていないだろう。悠真の考えなしの行動は面白いが、今は悩みの種でもあった。
この物体は何だろう。思わず半目になって彼が見つめているものは毛の塊。ばっさばっさとした長い毛がもぞもぞと動いている。物体の下には藁みたいな物が敷き詰められている。じっとそれを見つめて、悠真は目を細める。
動いているところを見ると、これはおそらく生物なのだろう。
「生物っていうか、妖怪…………?」
「はい。それは」
「ペ・ヨピジュンですわ☆」
後ろから聞こえた声に振り返る。そこにはいつの間にか紫、伯凰、鵺の三人が立っていた。紫は何か壮絶なものを見ているかのように顔を青くしている。対して鵺はとても輝かしい顔でこちらを見つめている。
「ペ・ヨピジュン?何だそのある俳優の名前を恐れながらも頂いちゃった的な名前は!」
「寿命はたったの五年、三歳になってからはその長い毛が一歩歩くごとに五十本抜けていくという役立たずな妖怪ですの☆女好きで、女を鑑賞する以外何もできないんですよ!可愛らしいでしょう?」
「いや、俺にはお鵺さんの好みは理解できません」
よく見てみれば、下に敷かれている藁だと思っていたものはこの大量な抜け毛だった。もぞもぞと身じろぎしてペ・ヨピジュンは毛で隠れかけているつぶらな瞳を悠真に向けた。
「るるる〜」
「は?」
「るるるる〜」
この声はペ・ヨピジュンの鳴き声なのだろうか。か細くて何とも可愛らしい声音だ。幾分かテンションの上がった声に悠真は首を捻る。
「よかったですねぇ、悠真さん。ペ・ヨピジュンに気に入られましたよ」
気に入られた。それは光栄…………?なのか?
っていうか、女好きのペ・ヨピジュンが俺を気に入ったということは俺を女と勘違いしているということで?
「って、嬉しくないわ!女好きなら女装も見破れ!」
「ってか、お前は何でそんな恰好してるんだ!そんな趣味があったのか?」
「ちっがぁぅう!!これはお鵺さんが!!」
「まぁまぁ、似合っているからそこまで気にしなくてもいいのでは?悠真君の男でも女でも何でもOK的なその顔は私は好きだよ」
「何おぞましいことを口走っているんだてめぇは!」
はっはっはと高らかな笑い声を上げて伯凰は悠真を手で差す。ふっくらとした輪郭と、柔らかな髪、少し骨ぼったいか細い体にふっくらとしたドレス。女でも感嘆を上げてしまうほど似合っている。ペ・ヨピジュンが女と間違えてしまっても仕方が無い。
「こんなに美しいのに、妄想しないなんて損だよ紫君!」
「気色悪いこと言わないで下さい!」
「何を言うか!君はこんなにも美しいのに、それを口にしたら気色悪いということになってしまうのかね?」
自分の台詞に酔っている伯凰は無意味なポーズをする。悠真は顔を青くしてふらついた。それを咄嗟に紫が支える。
その様子を黙って見つめていたレイズは目を細めて俯いた。
「おやおや、これは禁断の愛ですかねぇ?」
「見た目的には別に禁断でも何でもないんだがねぇ」
「ちょっと待った!それは俺と悠真のことを言ってるんじゃないだろうな」
「え!?」
「他に誰がいるんだね!」
「そうですよ、紫さん」
どいつもこいつもからかいやがって!!
紫の額に青筋が浮かび上がる。二人がおちょくるのも無理はない。紫はいつも悠真の心配ばかりしているし、悠真はいつも紫を頼っている。しかも彼は今女の姿をしているのでお似合いのカップルと言えるかもしれない。
「ちょっと、お鵺さんも伯凰さんも変なこと言わないで下さいよ!俺は男です!っていうか服返してください!」
ムキになって否定してもあまり様にならない。
おずおずと忘れられし存在のレイズが口を挟む。
「あの、悠真さん?」
「あ、ごめんレイズ!忘れてた!そういえば君はどうしてこんな所にいるの?」
四人の視線が彼女に注がれる。この部屋にこんなにも人が集まることはない。だからなのか、少し落ち着かない様子でレイズは顔を伏せた。
「悠真さん、その人はこの魔界の支持力ですよ」
「支持力?」
聞きなれない言葉に悠真は眉間に皺を寄せる。
三人を順序良く見回せば、意味深な表情をしていた。特に紫だ。レイズに視線を向けたまま苦い顔をしている。
「私は、この魔界の安定を司る者です」
純白の翼をはためかせて、レイズは澄んだ声音で述べた。エメラルドグリーンの彼女の瞳が深まる。見れば見るほど人に近い存在。けれどどこか皆人とは違うところがあって。
「君は何処の誰?この世界の人じゃないよね?」
「「「「!?」」」」
恐らくただの直感から出た言葉だろう。それとも鵺と同じ時の原理か。
レイズは一瞬息をするのも忘れて、驚愕に満ちた表情をしていた。悠真は首を傾げて、じっと彼女だけを見つめる。
白い、そして綺麗な光。
鵺さんのような禍々しさは微塵もない。
「君は何処から来たの?」
「私、は」
「そいつは魔界ではなくて天界から来た者だ」
今まで妖怪、魔界、魔王と聞きなれない言葉に仰天してきた悠真だが、案の定この言葉にも硬直した。
天の世界。人間が極楽浄土や神がいる世界などと考えてきたあの夢の世界。彼女はそこから来たという。
「天界?って、やっぱりレイズって天使?へ?じゃぁ、俺天国に行ける?」
かなり混乱している。紫は面倒臭そうに頭を掻き回して、伯凰と鵺を順に見やる。もちろん二人はムカつくほど綺麗な笑みを紫に向けていた。つまり、紫に説明を願い出ているのだ。
いや、願い出ているのではなく、命令しているの域に近い。
「はぁ。悠真、よく聞け」
紫は男なのか疑いたくなるような恰好をしている悠真と向かい合って、天界と支持力について説明し始めた。
魔界には後悔をして死んだ人以外の者が違う形になって現れる地獄みたいなもの。
天界はその逆。後悔もなく、快く逝った人以外の者が違う形で現れる天国のようなものだ。
死ぬ時に違う気持ちを抱いて違う世界に行った者はそれぞれ違う力を手にする。
負の世界、魔界に行った者は魔力。
正の世界、天界に行った者は天力。
天力は正の気持ちが力として具現化したもの。
それに比べて魔力は負の気持ちが力として具現化したものだ。
負の力、それは互いに互いを飲み込む打ち消し合う力だ。
妖怪になった者は誰もがそれを使う。そのため、この世界にはその負の力が充満してしまう。
世界と同じ負の力が充満すれば、世界の安定は無くなり、崩れる。
「ちょっと待って!じゃぁ、レイズがここにいる理由って…………天力でその魔力を相殺するため?」
「お、今回は飲み込み早いな。魔力が一定以上にならないために天界から一人だけ住人を呼んで、消してもらうんだ。だから、魔界の安定を司る者」
あっさりと述べられたそれは考えてみればかなり残酷なこと。悔いなく死んだ彼等に自分達とは次元が違う世界で生きろと言っているのだ。しかも、こんな真っ暗で何もない所に閉じ込めて。
「話は理解できたけど、レイズがここにいた理由にはなってないよ?どうしてこんなに暗くて淋しい所に閉じ込めておくんだ?」
「淋しくないですよぉ。だって、この子がいますものぉ☆」
鵺の能天気な声が響く。この子とはもちろん先ほどから毛をふさふさと揺り動かしているペ・ヨピジュンのことだ。一瞬、口元を引きつらせながらも、鵺の反応が怖くて文句は言えない。
悠真はレイズに視線を移して、優しい笑みを作る。
「ねぇ、レイズはここで淋しくないの?怖くないの?」
「それは………」
不安な表情で悠真の後ろにいる三人を見つめる。彼女はこの世界の住人ではない。だから、自分自身が外に出ることはいけないことだと思っているのだ。
「気にしなくていいんだ。本音を言って?」
「────っ、出たいです。こんな所、もう」
泣き出してしまったレイズの頭を優しく撫でて、悠真は微笑んだ。見た目は十二、三歳くらいの女の子。けれど、この姿は死ぬ前の姿とは違う。
一体彼女が何だったかは悠真は気にしない。今、ここにいる者がどう思っているのかが、彼にとって重要なのだ。
「いいよね?伯凰さん、お鵺さん、紫ちゃん」
だからなんで俺だけちゃん付けなんだ………
「悠真君のお願いなら私は断れないよ」
「この子が淋しがりますけどぉ、仕方ありませんねぇ。その代わり悠真さん時々その恰好で会ってあげてくださいよぉ」
鵺の言葉で自分の恰好を思い出す。だぁぁぁ、とまた訳のわからない叫び声を上げる。落ち着きのない悠真の行動に微笑して、レイズは涙を止めた。
目を細めて、瞳を揺らす。この世界の妖怪と同じだが、違う力を持つ人間。正でも負でもない特殊な力を。
「無意識に呼んでしまったのですね………」
天界と魔界を結ぶ
天力と魔力を持つ者を
えっと、ちょっと悪い癖が出てきてますね。実はこの第二シリーズ、設定なしで書いてます。ですから、矛盾が生じてくる場合があるので、もし気付いた方は突っ込んで下さるとありがたいです(;・∀・)
すみません。出来る限り話が矛盾しないよう、かつわかりやすくなるよう頑張ります。