第三章 契約
白い髮が腰まで伸びる紫と同じように美男とも呼べる男。呆然と悠真が見つめるのはその男の背中に生える白い翼。綺麗だと口に出してしまいそうなほどの美しさに言葉を失っていると紫が先に歩き出す。
「おい!お前何こんな所でのんびりとっ───────」
だが、また紫の言葉は途中で切れる。壁の穴から飛び出してきた生卵を咄嗟に避けたからだ。その姿に鵺はあっと声を上げて笑った。
「ごめんなさい、紫さん。入る時は要注意☆っていうのを言い忘れてましたわ」
見るからにわざとだと思うような作り物の笑みに紫は額の血管を浮き上がらせる。奇跡的に手に取った卵を鵺に向かって投げるが、それは難なくわかされてしまう。紫、鵺、そして魔王らしき白い翼を持つ男を見て、悠真は小首を傾げる。
「この人が魔王さん?」
「あ?あぁ、この魔界を取り締まってるのかわからんが、一応頂点に立つ魔王、伯凰だ」
白き翼は白ガラスの化身である証。人に近い姿は力が強い証拠。
伯凰という男はその翼を器用に背中にたたみ、礼儀正しく悠真に頭を下げた。紫より見た目は大人に見える彼は顔には似合わない陽気な声音で自己紹介をした。
「初めまして悠真君。私は伯凰。この魔界の魔王さ。年は二十八歳でよろしくお願いするよ」
「またまたぁ、伯凰様はもう百三十八歳でしょぉ?嘘はいけませんよぉ」
慣れない三桁の年に悠真は苦い顔をする。だらだらと汗を流して不機嫌そうな紫に顔を向ける。
「ここの人達って一体どれくらい長生きなのっ!?なななな、何でこんなに若そうなのにっ」
「人と一緒にするな!大体既に一回死んでるんだ!長生きをクソもねぇ!それに若いとか言うけど俺達にとってはこれが本当の姿じゃないんだ。仮にすぎない」
あ、そっか。とすぐに納得。四人は奥にあるテーブルに腰をかけた。出された紅茶をすすりながら悠真は三人を見回す。紫は黒ヒョウ、伯凰は白ガラス、では鵺は何なのかが気になるらしい。じっと彼女に視線を送る。
しばらく無言だったその間を悠真は躊躇なく壊した。
「ねぇ、伯凰さんが魔王なのにどうして鵺さんの方が強く見えるのかな?」
「はっ?」
唐突に、そして意味がよく理解できない台詞に紫は間の抜けた声しか出せなかった。そういったことに動じない二人は互いに顔を見合わせる。悠真は自分の中でもわかり難いことを説明しようと手を上下、左右に振った。
「えっと、俺にはここの妖怪達の姿が回りに何だろう、こう……空気?湯気?あ、オーラか!そういったのが見えるんだよ!で、そこら辺の雑魚の妖怪よりも紫ちゃんの方が濃度が濃いと言うか、はっきり見えるんだよ。もちろん伯凰さんも同じくらい強く見えるんだけど、鵺さんのはまとっているって言うよりもだだ漏れ?妖怪によって色がそれぞれ違うのに鵺さんだけ色んな色が見えるし」
三人顔色を変えた。未だに説明について唸る悠真を凝視して、伯凰は品定めをするような目つきで微笑んだ。
「どう見る?お鵺?」
「幼稚並の説明でしたけどぉ」
「幼稚っ!?」
「言っていることはなかなか鋭いですねぇ。自分の力をまだ使いこなしていないわりに難しいことを自然とやってみせています。かなりの逸材ですよ」
「はっ?何が?力?」
話についていけないのは当の本人。紫は大袈裟に溜め息をついたらゆっくりと悠真がわかるように説明を始めた。
魔界と波長が合う者は滅多に存在しない。波長とは人でたとえるとここでは力を示すほど重要なものなのだ。悠真が見たオーラとはその波長が体内で魔界の波長と干渉し合い、体外に出たものだ。
魔界ではその力を魔力と名付けた。魔界の波長と同じ波形の波長を持つ者ほど魔力は大きい。
「ちょ、ちょっと待って。ってことはその魔力っての俺にもあるってこと?」
「あぁ。さっき妖怪全部灰にしたのはお前だ。力が大き過ぎて記憶がとんでるみたいだけどな」
ぱちくりと瞬きを繰り返し、信じられないという表情を紫に向けた。魔界と波長と共鳴し合いこの魔界にやってきた悠真は少からずそこら辺の妖怪よりも強い魔力を持っていることになる。そして更に難しいと言われているオーラを読み取ることを無意識のうちに簡単にやって見せたのだ。これは三人が驚くわけだ。
「じゃぁ、鵺さんが強そうに見えるのは」
「あながち嘘じゃないってことさ」
ことさって貴方、魔王のプライド丸潰れだけどいいのか!?
伯凰にプライドという文字はない。悠真はそれに気付かず、顔をしかめた。鵺はにこにこと可愛らしい笑みをずっと悠真に向けている。
「でも、何でそんなにいろんな色が見えるんだろう?」
「それはですねぇ。力の性質を見ているからですよぉ☆」
「力の…………性質?」
またまたよくわからないことを言われて、内心面倒になってきた悠真。伯凰は妙にかっこつけて声を張り上げる。
「鵺という名前は私がつけたのさ。どういう意味だか知っているかい?」
「えっ?意味なんかあったの?」
「確か国語辞典によりますとぉ」
国語辞典!?この世界に何故そこにある?ここは魔界。日本もなければ出版社もないはず。それをどうやってこの人達は手に入れたんだ!?
悠真の疑問は他のことで募っていく。ぺらぺらとものすごく早いスピードでめくるのを何とも言えない心情で見つめて、悠真は次の言葉を待った。
「鵺とは伝説上の怪物ですね」
「頭は猿、手足は虎、身体は狸、尾は蛇、声は虎鶫と書かれているぞ!」
「何かすごい怪物ですねぇ。」
「そうですねぇ〜、とっても可愛らしい怪物ですわぁ☆うっとりしちゃいますぅ」
鵺の言葉が理解できなくて思わず表情を歪ませた。可愛い?と言うにしてはあまり想像力が働かない。そう、この悠真ですら想像できないややこしい形をした妖怪を鵺は可愛いと言うのだ。
「で?その怪物とこいつが言った質問とどう関係があるんだ?」
伯凰は人さし指を立てて左右に振った。ちっちっち、と響きのいい音を立てて、にっと形よい笑みを浮かべた。
「なかなか頭の働きが遅いねぇ。つまりだね、この怪物はいろんな所がいろんな動物の形をしていて、鵺はいろんな能力を持っているということ」
だから何なんだ?
未だに伯凰が言いたいことが理解できない紫は顔をしかめる(常だが)。悠真は微妙に意味が似ているんだなと少しだけ納得しながらも、やはり完全には理解できない。
「でも、それほど関係していない気が………」
「それは当たり前ですわ☆伯凰様が偶然そのページを見ていて、偶然目に入り、偶然気に入って、偶然本当に微妙に意味が似ていただけですものぉ〜」
偶然ばっか!!
話を聞いた意味があったのか、一気に脱力する。
「私の力についてはいつかわかる日がきますわ。今心配することは御自分の身の危険ではないですか?」
首を捻る悠真に紫は思わずどつきを入れた。頭をさすりながら紫に視線を送ると睨まれて身を小さくした。
「えっと、妖怪についてですか?」
「妖怪というよりもお前が元の世界に戻る方法だろ?」
「あ、そっか」
あまりにも危機感のない状態にしばらく置かれたものだから、悠真は本来の目的を忘れていた。悠真がこの魔王に会いにきた理由は元の世界に戻るための方法を聞くため。
この城にきてから帰る方法よりも他のことが気になって仕方なかった悠真は、もう数日間この世界に止まる気満々だった。魔界のこと、魔力のこと、妖怪のこと、紫のこと、魔王のこと、自分の世界とは異なる未知なるこの場所に疑問は尽きない。
「もうちょっとここにいることはできないの?」
「いたら死ぬぞ?」
「すみません、もう言いません」
素直に頭を下げる悠真に伯凰と鵺は楽しそうに見つめた。ほのぼのした空気を出しているのははっきり言ってこの三人。紫は頭が痛くてしょうがない。
「笑ってないで教えろ!こいつを元に戻す方法はないのか?」
「一生この世界と関わる勇気があるならないことはないよ?」
試すような物言い。紫はこのような言い方をする伯凰はいつも本気な時だと知っていた。表情を変えて、紫はその話に食いついた。
「どういうことだ?」
「今の私たちにある力では完全に悠真君をこの魔界から関係を無くす芸当はできない。できるとしたら一時的に帰すことだけさ」
「つまり、俺は一回元の世界に帰れるけど、またこの世界にくる時があるってこと?」
伯凰が言うには悠真を元の世界に戻すためには魔王との契約が必要らしい。契約を結ぶことで悠真は元の世界には戻れるが、今日みたくハロウィンといった魔力が放出される特別な日にまた魔界にくる可能性があるということだ。
「ふざけるな!それじゃぁ、意味がない!」
「だが、その契約を結ばない限り悠真君は元の世界に戻れないよ?」
「それに、この契約をするかどうかは悠真さんが決めることじゃないんですか?」
三人は同時に紅茶をすする悠真に視線を集めた。美青年、美少女の三人に見つめられると嫌でも緊張してしまう。カップを持ったまま戸惑っていると、お茶が振動でこぼれる。
「あららぁ、駄目ですよぉ。私の特製抜殻茶を無駄にしちゃぁ」
「あ、すみません。って、抜殻茶?ってなんですか?」
「私が開発した妖怪の抜殻で作るお茶のことですわ」
妖怪でも脱皮するのかな?
陽気なことを考える悠真に追い討ちを鵺がかける。
「生きている妖怪の血を抜き取って数日間も様々な方法でその皮を血染めさせた抜殻を使用してますのよ☆」
ぶっ
飲んでいた紅茶を思わず噴き出して、咳こんだ。
「ぬ、抜殻ってそう意味なのっ?ってか、それで何でこんな味するの!?」
悠真が普通に飲んでいたということは元の世界にある紅茶とさほど変わらない味がするからで、決して鉄の味がするわけではない。色も少し赤みのある普通の紅茶と同じ。それなのに、使われているのは葉ではなく、妖怪の血を染みこませた妖怪の皮。想像するだけでも恐ろしい。
また話がずれたことに紫は咳払いをする。
「で、お前はどうするんだ?」
「え?あ、そうだった。でも、それしか方法ないんだろ?なら、俺はそれでいいよ。もっとこの世界のこと知りたいし、紫ちゃん達に会うのもいいしね」
この世界で危険な目にあった者の言葉ではない。
「あ、でも俺がここに来ると妖怪が全滅の危機に陥るんだっけ?いいの?」
「心配無用さ。次に悠真君が来る時には君の魂の存在を気付かせないよう私達で手を打っておくよ」
「でも伯凰様ぁ、いくら何でも全ての妖怪達に気付かせないようにするのは無理がありますよぉ?」
鵺は計算機を片手に手の動きがわからないほどの速度でボタンを押している。その動きに目を回す悠真。
「そうだね。いくら魔王である私でも全ての妖怪を翻弄はできないね。だけど、今のこの状況よりはかなりマシにはなるだろう?」
最後のボタンを押して、かっこよく決めた鵺は数字を確認した次の瞬間景気よく計算機が音を立てて爆発した。あららぁと可愛らしく小首を傾げる鵺だが、もう怖いとしか言いようがない。
「とりあえず、今のこの状況よりも七割は無事な状態になりますわ」
「また計算機を壊したのかい?お鵺は困ったさんだねぇ」
「嫌ですわぁ〜そんなにお褒めにならないで下さいなぁ☆」
二人の会話についていける者はいない。紫についてはついていこうとも思ってはいない。
はぁっと力ない返事をする悠真に二人は視線を移す。冷たくなった紅茶の正体を聞いたためかもうお茶に口をつけようとはせず、ただ二人の会話を聞いている悠真。
「にしても、本当にいい性格をしているね?」
「はいぃ。なかなか面白い方ですわ☆私の想像では腕が十二本あって、目が一個!身体がぶよぶよの足が三本っていうとても格好のいい人を想像してたんですけどぉ、少し残念ですぅ」
「それはなかなかランクが高いねぇ」
腕が十三本…、目が一個…、身体がぶよぶよ…、足が三本…。全く想像できない。
いつも鵺は難題な姿を悠真にしいる。頭をフル回転させるが、どうしてもスライムみたいのが完成してしまう。だが、これは格好いいと言えるものなのだろうか。
「おい!いい加減にしろよ!こうしてる間にも雑魚妖怪はこの城に入ってるんだろう?やるならさっさと契約しろ!」
「でも紫君、わかってるのかい?後三割は危険のままなんだよ」
「そんなの俺達が守ればいい。お前等だって妖怪が絶滅するのは避けたいだろ?なら、協力しろ」
偉そうに言った紫に伯凰は軽い笑い声を上げて肩をすくめた。悠真は申し訳なさそうに伯凰と鵺に頭を下げた。
「迷惑かけてすみません。だけど、俺にもどうしようもできないから、もし魔界に来た時はよろしくお願いします」
初めてのクラスに挨拶するようなそんな軽い声で言った。すっかりこの世界に馴染んでいる悠真はある意味で強者と言えるだろう。
「ふむ、可愛い悠真君のお願いならば仕方ない。こちらもできる限りの力をお貸ししよう!それでは早速契約を」
「あ、待って下さい伯凰様!悠真さんに抜殻茶の原料をお土産に見せておきたいのです!」
ルンルンと部屋から姿を消した鵺が言い捨てた言葉に悠真は顔を青くした。伯凰の着物を引っ張って必死にお願いした。
「早く!早くその契約というのをやって下さい!じゃないと、今にもあの人が得体の知れないものをぉぉぉぉぉ!!」
揺れながらも伯凰は歯切れのよい笑いを立てる。明らかにこの状況を楽しんでいる。あまり関わりたくない紫は言葉すらかけない。
「はっはっは、見とくのもいいかもよ?」
「嫌です!」
きっぱりと拒否すると仕方なく伯凰は契約の手順を説明し始める。
契約は簡単だ。伯凰が自分の魔力を使って悠真の身体に契約の印をつけるだけだ。それだけでも他の妖怪が近寄る確率が減り、悠真の身の危険が減る。
「どこがいい?私は目立つところがいいなぁ。おでことかはどうだい?」
「わぁ!待って待って!そんな所俺が困ります!えっと、せめて首筋は?」
「うぅむ、少し地味だけど仕方ないね。じゃぁ行くよ」
悠真の首に手をかざして、伯凰は小さく聞き取れない言葉を呟き始めた。殺那、鋭い痛みを感じて表情を歪ませる。その痛いは頭にまで響いて、彼の意識はそこで途切れてしまった。
それと同時に悠真の存在は魔界から無くなった。先ほどまで悠真がいた場所を見つめて、紫は大きく息を吐いた。
「あれれぇ〜、もう帰っちゃいましたか。残念ですぅ」
元が妖怪とは思えない薄い姿になった変な殻を引きずってきた鵺を一瞥して、紫は頭を抱えた。
あんな物見たらあいつは失神するだろうな。
臆病だが、妙な好奇心がある魔界と波長を合わせる人間。とても強力な魔力を持つとは思えない。だが、紫は目の前でその力を見た。臆病だが、人を助けようとするその良心が魔力と共鳴したのだろう。
「お人好しが。あいつと一緒だな」
苦しそうに表情をしかめる彼は一体誰を思い浮かべているのか。それは誰にもわからない。
本当は殺そうと思ったんだがな………。
彼が抱える想いを悠真が知るのはいつのことなのか。
魔界と波長が一番合う人間。それは魔界の妖怪にとって美味しい存在であり、恐ろしい存在。
魔界の者達はその人間のことをこう呼んだ。
Night-mare
ナイトメアと
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三亜野雪子