第一章 魔界
シンと静まりかえるその場所。冷たい感触が背中から伝わり、悠真は目を開けた。真っ暗で何も見えない。全身にじわじわとくる痛みを感じながら起き上がる。
「……………何処だここ?」
寝ぼけているのかあまり危機感がない。しばらくボーっとしていると、うっすらとその場所が見えてくる。どうやら洞窟の中のようだ。崖か何かの穴なのか、壁は岩のような物質でできている。天井には氷柱のような突起物が悠真に向かって伸びていた。
「俺、どうしたんだっけ?」
頭痛のせいかこの場所にきた経過が思い出せない。と、いうか全く覚えのない場所なのだ。
「もしかして…………………誘拐!俺、誘拐されたの?いつの間に!?はっ、アリスの服がない!そうか、犯人はきっと女装趣味が!あ、いや、待てよ。男とは限らないか。なら、コスプレ趣味が!そうか、そして邪魔な俺をこんな洞窟の中にっ!くっ、なんて卑劣な!」
どこからそんな想像が出てくるのか、勝手に一人で盛り上がっている。
ぐるぅ
悠真は勝手な想像を止める。かすかに響いてきた獣の唸りのようなものを聞いたからだ。じわりと嫌な汗が滲み出た。
「狼………って、いないか。うさぎ、は唸るのか?犬!洞窟に?じゃぁ、熊!って、怖いし!」
見えない獣に焦る。目を凝らすが、うっすらとしか道の先が見えない。聞こえるのは自分の吐息と心臓の音。感じるものは床から伝わる冷たい温度。五感が何もきかないこの状況が彼に恐怖を与える一番の要因だった。
どのくらい時間がたっただろうか。近づいて来てる…………っと、直感で悟る。唾を飲み込んだ。長時間の緊張は悠真には酷だったようで、頭痛を覚え始めている。
「だぁ!もう嫌だぁぁぁ!いるなら出て来いよ!いや、できればどっか違う所に………。だぁ!もぅ!とりあえずこの場を明るくしてくれぇぇぇ!!!」
壊れた。
その時だった、悠真の言葉に反応したかのようにその場を紫がかった青い炎が照らした。火の玉のようにそこら中に浮かぶ炎を気にする余裕はない。何故なら目の前には見たこともない生物がいるからだ。
骨と皮しかない赤黒いものだった。ひん曲がった手足はクモのように地につけて、その身体には似合わない大きな顔には骨が突きだしたような角があり、瞳を光らせている。
「な、何だこいつ?」
声が震えていた。残念ながらその怪物は悠真が状況を理解する時間をくれはしなかった。
突然明るくなったことに驚いたのか、その異様な形状の生物は四本の足を奇妙に動かして悠真に突進して来た。最早、声も出せず悠真は走り出す。追ってくる怪物に気を取られていて、青い炎が彼が向かう場所に狙って出ていることに気付かない。
何だよ!あの怪物!しかもここは何処なんだよ!こんな所日本に存在するのかっ!?そうか!これは夢だ!そうに違いない!っと、思わず現実逃避してしまう程に怖いらしい。
「誰か助けてくれぇぇぇ!こんな所で死にたくないぃ!大体何なんだよっ!暗いし怖いし気持ち悪いしっ!!俺が一体何したんだよっ!怖くて後ろ振り向けないしぃぃぃ!!あわわわわわわ!」
走りながらここまで叫べると言うことはまだ一応余裕があるらしい。それともこれが彼の全力なのかはわからない。少し頭の血が下がったのか、落ち着きを取りもどしてきた悠真は速度を変えずに状況を把握する。
「さっきの怪物見て思い出した。俺がここにくる前、丁度あいつと似たような手に街灯に引きずり込まれたんだ!」
思い出してスッキリしたのか思わずガッツポーズ。しばらく無言で走り、冷や汗をかいた。これを思い出してもここが何処だかわからないことに気付いたからだ。追われている状態で色々と思考を巡らせるこの男はある意味すごい。
足音を感じさせない怪物は未だに悠真の背後をピッタリとついていく。
『魂………』
「えっ?」
くぐもった声音が悠真の背筋に寒けを走らせた。咄嗟に身を返すと怪物は静止して悠真を睨んでいた。
どくん
どくん
額から浮き出た汗が頬を伝い落ちる。走ったせいで息は上がり、肩は上下する。直視してしまったのが悪いのか、怪物と目があってから彼の落ち着いた心は一瞬で乱れた。がちがちと歯が震えて音を鳴らす。
俺…………死ぬのかな?
その時初めて死の恐怖を味わう。今、彼の頭の中にあるのは死という一文字だけ。
「─────────!!」
悠真と怪物の間に割って入ってきたのは身を踊らせる青い炎。近くにあっても熱くないそれは悠真の周りをゆっくりと回り続けている。この時やっと炎の存在に気付いた。不思議そうにそちらに目線を動かして、ついていく。怪物の存在をすっかりと忘れて、ゆらゆらと変則的に、しかしまっすぐと動く青い炎を追っていく。
不思議なことに疲れは一向に感じなかった。何も考えずにただ本能的に走る。
「出口?」
くっきりと丸い形の白い光が漏れるそこが出口だと悟り、悠真は速度を早める。そして、白い世界へと飛びこんだ。そこは見るからに日本とはかけ離れた場所だった。どんよりと暗い空、不気味に生え立つ木々、それを更に不気味にさせるカラスの鳴き声。
その光景に思わず立ち止まった。力尽きた陸上の選手のように肩で息をしながら立ち尽くす。
「ここは?」
「へぇ、ここまで来たか。でも、外に出たのは吉と出るか凶と出るかはわからないけどな」
真上から声音が聞こえ、振り返る。悠真が出て来た大きな岩の洞窟の上に佇み、彼を見下ろすのは長身の男。腰まで伸びる綺麗な紫がかった青い髮を三つ編みにし、着物と似た服をまとう不思議な雰囲気を出す男だった。悠真は美男とも呼べる男に思わず見とれてしまう。
「まぁ、ここに来た時点で凶かな?」
「貴方は…?」
風で髮が揺れた。その時、男の髮が悠真の視界に入る。
「あ、炎と同じ色?それに…………人じゃ、ない?」
悠真が追って来た炎の色と全く同じ髮の色。そこから出ているのは真っ黒な毛で覆われた耳。それは彼が人ではない証拠。受け入れ難いことだが、先程見た怪物を思えば簡単に頷けた。
「あんた、一体何なんだ?それからここは一体何処なんだ?お願いだ!教えてくれ!」
少しでも彼に近づくため洞窟の方に走ろうとしたが、その動きはすぐに止まった。悠真の後ろをめげずにつけて来たのは先程の怪物。未だに目を光らせて悠真を睨んでいたのだ。
『ご飯…………魂………人間……旨い…』
「来るな」
近づく怪物と同じ歩調で後ろに下がる。その様子を見兼ねて青年は声をかけた。
「それ以上後ろにも行かない方が身の為だぞ?」
「え?」
後ろを振り返ればそこには異なる人ではない存在がいた。数匹、数十匹、そんな数ではない。数え切れない程の怪物がご飯とか魂とかを呟きながら近づいて来る。その場から動けなくなった悠真は不意に上を向く。だが、そこにはもう謎の男の姿は無かった。
「─────────っ!!!!」
この状況で何かできる程悠真は強くない。だからこそずっと走って逃げていたのだ。どうしようもない所まで追いつめられ、ついに彼は諦めた。
嫌だ…
「死ぬのは嫌だぁぁぁぁぁ!!!」
一瞬悠真の身体から蒼白い光が漏れる。それは悠真に触れそうな程近づいていた怪物を照らし、そして灰にした。その力を自分で見ることなく、気を失ってしまった。
光に照らされなかった怪物は倒れた悠真に近づく。
『魂…………』
「それ以上近づくなら燃やすぞ?」
手をかけようとした怪物が青い炎に包まれ消える。いつの間にか悠真の脇に移動していた男は分身を操るように炎を扱い、その場を焼いた。
湿った風が鼻をくすぐる。目を開ければその場には雲に覆われた空。背中がくすぐったいと思ったら、そこには長さがばらばらな草が生えていた。
「俺…………どうしたんだっけ?」
貧血のように頭がフラフラする。上体を起こして、見渡せば硬直。その場は草原から怪物の海に変わっていた。ぴくりともしないそれに囲まれて寝ていたのかと思うと鳥肌が立った。顔を青くして立ち上がる。めまいが起きて足元が覚束無い。
「何でこいつら丸焦げになって死んでるんだ?」
「それは俺が倒したからだ」
びくりと肩を震わせて振り返る。そこには洞窟の上に立っていた長身の美男。
「あんた…………どうして?こいつらの仲間じゃないのか?」
「はん、この世界に仲間という奴はいない。まぁ、魔王はいるけどな」
「は?」
魔王という聞き慣れない単語に眉をひそめた。冷たい雰囲気を出すこの男に悠真は怯むことなく話しかけた。
「なぁ、助けてくれたのかどうかはわからないけど、ついでに教えてくんない?ここは何処?こいつらは何?魔王って何さ?どうして俺はここに来たのさ?」
遠慮を知らない質問に男は面倒臭そうに顔をしかめた。間近で見てみると、耳以外はやはり人そっくりの容姿をしている。だが、人ではないんだよなぁっと残念に思う悠真。
「仕方ない。理解できるか知らないが、話してやる」
ここは人ではない生物が後悔して死んだ者が集まる魔界。
猫や犬はもちろん、ある時は心を持ってしまった机や鏡などといった物までもが違う姿になってこの魔界にやって来る。
つまり人で言うならば地獄のような場所だ。
人以外しか来ないこの魔界に何故人である悠真が来てしまったのか。
それは彼が魔界と特別波長が合った者だったからだ。
魔界と波長が合ってしまった悠真はたまたま魔界の入口である街灯を見つけて入ってしまった。
ここにいる者は主に妖怪と称せられている。
その者のほとんどが人の魂を好む。
以前にも一回だけ人が魔界に来たことがあった。
その者は悠真と違いかなりこの世界に興味津々だったが、人の魂に魅了された妖怪が互いに殺し合い、壊滅直前まで至った。
「ちょっと待って!え?つまり、俺は偶然にも魔界に好まれ」
「波長が合ったんだ」
「妖怪のおやつとしてここに引きずり込まれて、追われていて、そしてこのまま俺がここにいると俺のために皆殺し合いを?」
「自分が魂を食べたいがために殺し合うんだ!二十年前のあの出来事では魔界の半分の妖怪が死んだ」
死んだ者がここにいるのにここでいなくなることを素直に死んだと言っていいものなのか。とよくわからないことで悩む。
「ん?待てよ。二十年前って貴方一体何歳なの!?」
「忘れた。五十までは覚えてたが面倒になって数えていない」
「五十ぅぅぅぅ!!!じ、爺さんだったのか」
その反応が気に入らなかったのか、男は悠真の顎を思わず掴んだ。
「待った待った待った!紫ちゃん!」
更に強く握る。紫とはこの男の名前だ。黒ヒョウの化身らしい。何故他の妖怪と違い人と似た姿でいるのかと言うと、それだけ他の妖怪と比べて能力が高いらしい。
「ちゃん付けなんてするな!」
「何でぇ!いいじゃないかぁ!だってだって、見た目そんなにかっこいいのに名前までかっこいいなんてずるいし!」
人の姿に似ていると言ってもやはり妖怪。なのだが、悠真は恐怖など微塵もなかった。それは紫からは殺気が感じられないからだ。
「お前…………そんなのんきなこと言っていていいのか?こうしているうちにまた妖怪が集まって来るぞ?」
「はっ!それはいけない!って、今思ったら紫ちゃんはどうして俺を襲わないの?」
「人の魂を全員が好むわけじゃない」
甘いものが嫌いなのかぁ。っと完全に自分の魂は甘いおやつだと思っているらしい。
「でもさぁ、俺どうすればいいわけ?帰り方なんて知らないぜ?」
「……………仕方ないな。魔王に聞いてみるか」
魔王、それはこの世界の妖怪を一応取り締まる存在。
紫が向いた方に視線を動かせばそこには怪しい森に囲まれた大きな城。この世界にあるのはかなり異様だった。
「あそこに………魔王が?」
第一章です。えっと、一応魔界の説明を含めた話です。紫ちゃん出ました。この人は一応重要キャラでもあります。そして唯一の突っ込みキャラでもあります。
二章では惚けキャラ二人増える予定です。どうか、続きもよろしくお願いします。できれば感想もくれると嬉しいです。
三亜野 雪子