第三章 会長の想い
陽気な性格をして、お人好しの彼。自分とは異なる世界に来ても、驚くことも無い、怯えることもない。それは鈍感じゃなく、揺るがぬ心を持っているから。
「お前」
「俺の魂があんたら妖怪にとってどういったものかは知らないけど。そうなんだろ?」
儚く笑う。その顔は決して愚か者の表情ではなく、全てを悟った顔。紫は目を瞠ってその姿を見ることしかできなかった。
「どうして」
そんなことがわかる?
問いかける言葉は途中で途切れる。それは彼が笑みを深くしたからだ。
言葉を投げかけることも躊躇ってしまう、その穏やかな表情。正直、紫は恐ろしくなった。全てを知りつつも、全てを悟りつつも、それでも妖怪を恨まず、それでも紫に笑いかける龍一が不思議でならない。
「なぁ、紫。はっきり言ってくれ」
ふざけた口調もない彼のその言葉に何故だか身を震わせた。にっこりと未だに笑ったまま龍一は言葉を繋げた。
「俺、ここにいるとヤバいんだろ?」
人間なんて、ただの餌だ。そう思っていたはずの紫は、餌であるはずの彼に心を揺らしていた。その様子に龍一は初めて表情を無にした。視線を落として湖の方に顔を向ける。
風が彼の黒髪を揺らす。
「何で俺がここに来れたんだろうな。まぁ、嬉しかったけど」
「それは………」
「紫。お願いがあるんだ」
振り返って龍一はまた元の笑顔を紫に向けた。びくり、と肩が震える。
この世界では見たことのないその表情。しかし、昔どこかで…。彼の記憶の中でこの顔と同じようなものを見たことがあった。
「な、んだ?」
「俺の魂、お前が喰ってくれないか?」
残酷な言葉。被害に遭う人が決して言わない言葉に紫は息が止まりそうになった。何もかも悟ったその微笑みは、死を受け入れた時の顔。愕然と立ち尽くして紫は龍一を凝視する。
その間にも森の方では妖怪達が我を忘れて共食いを始めている気配が感じられる。このまま龍一がここにいればおそらく人の姿を保てる妖怪以外は全てこの世界から消えてしまうだろう。
「俺がここにいるとこの世界の安定が崩れるんだろ?なら、俺は紫に殺されたい」
たとえ自分の魂を食べようとして助けたのだとしても、この世界で初めて会話をした、彼に。言葉が見つからない紫は口をただ開閉している。
「早くしないとっ、なぁ紫!」
そう叫んだ瞬間、森の方から物音が響いた。そちらに顔を向ければ緑色をしたスライム状態の妖怪が龍一に向かってきていた。
紫は咄嗟に右腕に炎を宿し、妖怪を燃やした。
「ここまで、妖怪が?」
「ほら、皆苦しんでる。紫、お願いだ。このままじゃここが危ない」
真っ直ぐな瞳が紫を射抜く。
「い、嫌だ」
はっとして口を塞いだ。自分でも思いがけない言葉に紫も驚愕を隠せない。龍一は最初目を見開いていたが、すぐに笑みを戻して龍一は紫に近付く。
「ありがとう。紫は、優しいな」
「───っ!おい!」
「紫」
真剣な話をしている時、彼は紫をちゃん付けするのをやめている。それが紫の口を開かなくさせていた。笑みを消して彼の顔は本当に強いものになる。
「お願いだ。お前しかいないんだ」
彼は今、この世界の妖怪のために命を絶とうとしている。やっぱりそれが不思議でならなくて…。
紫は初めて彼から視線を外して覚悟を決める。
「それで、本当にいいのか?」
「あぁ」
紫は右手に青い炎を宿す。真っ黒な龍一の瞳にその炎が綺麗に映っている。力を入れて一際大きくした炎を紫は思い切って龍一にぶつけた。
「ありがとう」
「そして俺は残った龍一の魂を喰って、力を強くした」
「………」
「最期にあいつは何を思ったのか初めて力を使ってその場所、湖の場所を消滅させた」
「え?」
思いがけない言葉に悠真は少し驚いた。確かにこの魔界に訪れてから湖などという場所を一度も見たことがない。
紫は目を閉じて言葉を切った。まるで昔の傷の痛みに耐えているかのように。その姿に悠真は表情を暗くして龍一という人物について思案する。
初めて紫ちゃんが心を揺らした相手。
一体彼が何を思い、何を考えて、その決断をしたのか。彼がいなくなった今となっては何もわからない。しかし、何故か悠真はわかるような気がして、思考を深いところまで落としていく。
「やっぱりわからないな。会長が何を思ってたかなんて」
「何を馬鹿なこと考えてるんだ」
「でも、幸せだったんだろうな」
思いがけない言葉に紫は目を剥いた。悠真はそんな紫に気付かず、言葉を繋げた。
「自分が望む死を、それでも送ることができたから」
「どうしてそんなことがわかる?」
「……多分会長はこの魔界に来た時点で自分がもう生きられないことは理解してたんだと思う。だから妖怪に自分の魂をあげようとした。だけど、そんな時に紫に救われた。たとえそれが魂を手に入れるためだったとしても、他の誰かに殺されるくらいなら魔界に来て初めて会話した紫に、殺されたかったんじゃないかな?」
魔界にいた時間は一時間弱。魔界のことも、自分のことも、何も理解しないうちに死だけを悟り、彼は紫に殺されることを選んだ。理不尽に得体の知れない妖怪に殺されるよりも、自分が選んだ人物に殺される方が幾分かマシだろう。
悠真は笑う。その顔があの時の龍一の表情にそっくりで紫は息を飲んだ。
「でも、一番の誤算は、紫が会長に心を許してしまったこと」
「───……!?」
「会長は紫に餌として見られているから、頼もうと思ったんだと、思う」
だけど、紫は拒否をした。龍一にとってそれが一番の誤算で、一番辛いこと。それでも彼はもう時間がないことを察して、必死に紫に頼んだ。
「本当は少しでも自分の存在を覚えててくれる人を作りたかったんだと思う。だけど、予想以上に紫に悲しみを与えてしまったから、だから…………その場所を、哀しい過去を残さないように消滅させた」
まるで全てを見てきたかのように、答えを知ってるかのように的を得たことを述べる悠真。ふと、何も考えずに適当なことを述べていたことに気付き、悠真は顔を赤くして必死に言い訳をしだした。
「だけど、まぁ、俺何にもわかんないからそうとは限ら………」
悠真は紫を見つめて硬直した。あの紫が今の悠真の言葉で涙を流していたからだ。悠真は驚いて慌てた。最初、自分が泣いていることに気が付いてなかったのか、紫は頬を濡らすそれに眉を寄せた。
「俺、泣いてるのか?」
「…」
あぁ、そうか。
やっぱりこの人は魔界にいるのはおかしいくらい、心が優しい人なんだ。
「伯凰様、今日の抜殻茶のお味はいかがですかぁ?」
「うーん、とってもコクがあっていいねぇ。あ、もしかして今回のは死にかけの妖怪かい?」
「はい、とっておきですよぉ〜」
お茶を飲みながら二人は呑気な会話を繰り返す。鵺は一口お茶を口に含んで、皿の上に置いた。綺麗な流れで顔を窓の方に向けて、そっと呟いた。
「伯凰様、今日の野暮用ってもしかして」
「あぁ、門をちょっとね」
意味深な言葉に暗黙の了承をして、彼女は目を細めた。綺麗に刻まれた笑みは少し薄れて、何かを思い出したかのように空を見上げる。
その視線の先には屋根の上にある二つの影。
「少しずつ、悠真さんは紫さんにとって特別な存在になりますね」
「………あぁ、それが逆に哀しい結末になることを知らずにね」
その部屋に流れる空気は何とも重く、冷たいものだった。
「あーぁ、俺もその会長に会ってみたかったな」
「生きてたとしてもあいつはおじんだぞ?」
「そんな現実言っちゃ駄目だよ」
苦笑しながら悠真は紫から視線を外している。無様にも泣いてしまった彼への心遣いだろう。それを心の奥で感謝しながら、紫はチラリと悠真を盗み見る。
黒い髪、黒い瞳、それは同じ国に住む特徴。しかし、悠真と龍一は見た目だけでなく、雰囲気も似たようなものを持っている。
「お前、もしかして龍一の生まれ変わりじゃないのか?」
「いやいやいや、どういう考えだよ?大体生まれ変わりは魂がないと出来ないだろ?」
「そうだな。魂は俺が喰ったしな」
本当、馬鹿なことを口走ったな。と思わず自嘲する。
「にしても、紫ちゃんの話を聞いてると、妙に会長の方が妖怪達への影響が強かったよね?俺の時はもう少し時間があったのに」
「!?」
確かに、と紫は難しい顔をして思案する。悠真はまぁ、でもそんなもんかな?と適当に自分の中で決着をつけて落ち着いてしまった。
人間の魂を好み、奪い合う妖怪。彼等にとってそれは人間の薬物と似たような存在。
「もしかして、力の差か?」
「ん?あぁ、そうか!会長の方が俺よりも魔力が強かったのか!なるほどね」
いや。
すっきりしている悠真の考えを心の中で軽く否定をして、紫は悠真を見つめた。初めてこの魔界と契約を交わした人間。波長が魔界と同じ、魔力も天力も合わせ持つ特別な存在。
龍一よりも、悠真の方が力が強いんだ。
魔力を持っているから、無意識に自分の力を内に秘めて、隠していた。今まで彼は自分の感情に反応して、咄嗟に力を出していた。それなら、自分の命の危険を本能的に察して、力を使っていたとしても不思議ではない。
おそらく、龍一とは比べ物にならないくらい、強く………確実な力。
計り知れない悠真の力に紫は少しだけ不安を持った。
強すぎる力はいつか、予想だにしない不幸を呼ぶ可能性があるから。
話が済んで二人はやっと屋根から降りてきた。窓から入るとそこにはレイズがちょこんと待っていた。
二人の顔を見てぱっと顔を輝かせた彼女に胸キュンして、悠真は思い切りレイズを抱き締めた。その姿を少し呆れながらも、紫は何も言わないことにした。
「あー、俺こんなにも女の子に触れるの初めてだぁ」
「お前、それちょっと問題発言だぞ」
悠真の変体発言には容赦なく突っ込みを入れて、紫は先にスタスタと伯凰達がいると思われる方へ歩き出した。遅れながらも二人も紫の後へ付いていく。
「悠真さんが来た日ってハロウィンだったんですよね?その日って何をする日なんですか?」
「うん?あぁ、それぞれ仮装をしてお菓子をくれなきゃイタズラするぞって言って楽しむお菓子パーティみたいなものだよ」
「そうなんですか」
「じゃぁ、もしかして悠真さんがするはずだった仮装って女装ですかぁ?」
的を得た問いにぎくりと顔を硬直させて、悠真は声がした方へ視線を向ける。そこには鵺がにこにこと可愛らしい笑みを作って立っていた。
「そ、そ、そんなわけないじゃないですかぁ!嫌だなぁ、お鵺さん!」
「悠真、それ逆に肯定しているようなもんだぞ?」
動揺し過ぎな彼を心配して、紫は溜め息をつきながら小声で言った。やっぱり?と乾いた笑みを作って悠真は少し泣きたい気分になった。
「何?悠真君は女装がやっぱり好きだったのか!安心したまえ!お鵺に頼めばいつでも出来るぞ!さぁ、早速」
「いぃやぁでぇすぅ!だから、俺は好んでこんな顔に生まれたわけじゃない!俳優並みとは言わないけど、せめて紫ちゃん並みに男らしい顔つきに生まれたかっ───あれ?それじゃぁ結局俳優並みか?とりあえず女装がしたくてこの顔に生まれたわけじゃない!そんなに女装が好きなら自分の身体でやって下さいよ!」
一息で全てを言った悠真の肺活量に思わず感心して、紫は溜め息をついた。しかし、やはり二人は引き下がるわけではなく、じりじりと悠真の方へ距離を縮めていく。
一歩、二歩、悠真は後退りして何とか二人との距離を保つが、捕まるのは時間の問題だろう。その様子を見やって紫はふと悟る。
この様子ならおそらく。
そう思った矢先、悠真の方へ一気に差を縮めようと動き出した二人を見て、悠真は身体を硬直させた。すると、彼の身体は光だし、色素が薄くなっていく。
「「あ!!」」
っと言う間に悠真はその場から姿を消した。
「残念ですぅ。もう少しだったのに」
「仕方ないよお鵺。門を通った時は彼の意志で戻れるんだから。今度来た時のお楽しみとして取って置こうではないか!」
「そうですわねぇ。そうしましょう!悠真さんに似合いそうな服をたぁっくさん探しておきますぅ☆」
二人の浮かれた会話を呆れながら聞いて、紫はそっと息をついた。
自分の秘めた過去を話したことで、悠真が仮にも答えを出してくれたお陰で、紫の心にあった重みは少しだけ軽くなった気がした。
またな。
穏やかな笑みを空に向けて、紫は彼に言葉を送った。
一気に書いたので間違いがあるかもしれません。
第三章です。ちょっと長めの一話です。会長の話なのでシリアス気味です。あまりギャグが入れられなかったことを深くお詫びします。