第一章 柳龍一
薄暗い部屋の中。埋もれそうなほどの本が綺麗に整頓されて棚に並べられた部屋に彼女はいた。綺麗な金髪を揺らして床から天井まである大きな窓に近付いて森を覗いた。
いつまでも晴れることのない空の下、不気味なほど色の濃い木々が生い茂っている。そこに住むカラスが絶え間なく掠れた泣き声を発していた。
「来る」
彼女の背中が淡く光を発した。それは何かを形取り、次第に実体化していく。瞬く間に光は純白の翼へと姿を変えた。
「ゲートを見つけたんですね。悠真さん」
形良い顔が微笑んで、澄んだ声音で呟いた。
一方、同じ建物の地下では人とは違う者の悲鳴が木霊していた。
「うふふ、とぉっても美味しそうですわぁ☆」
全身に返り血を浴びた彼女は清楚な顔を綺麗に笑みに変えた。しかし、綺麗過ぎるその顔は逆に恐ろしく、誰も近寄りたくはない。彼女にとって大切な作業の途中、不意に動きを止めた。
息絶えた者から悲鳴は既に聞こえず、その場に響くのは彼女の持つ長いナイフのような赤い爪から滴り落ちる赤い水滴の音だけだった。
「来ましたわ。しかもゲートを通って」
霧の深い森の中、紫がかった髪を三つ編みにした男は何もせずに突っ立っていた。ただ、ある場所をじっと見つめながら。無表情である彼の顔は少し哀しみの感情を醸し出していた。
「あの時お前はどんな気持ちで俺に頼んだんだろうな」
低く、苦い声音で呟いた。強く握られた拳からは紅い滴が零れ、地面に落ちる。淋しそうに向けられた瞳は微かに揺れていた。
「なぁ、りゅうい──────っっ!!」
何かを感じて振り返る。周囲に視線を流して彼は神経を研ぎ澄ましていく。感じるものは少し懐かしい気配。見逃してはいけない存在。
来る、悠真が!
そう思い、走り出そうとした瞬間だった。上から思いがけない荷重がかかり体勢を崩した。無様にも顔から地面に突っ込んだ彼はしばらく何が起こったのか理解できなかった。
だが、あるものを聞いてすぐに察しがついた。
「いたたたた。うわっ!やっぱり魔界へドビューん?!あ、今回初めて来た時に気絶してない!奇跡だ!ってか下が柔らかい……………………ぎゃー!!紫ちゃん!!大丈夫?」
不気味な森には似合わない陽気な声が響く。紫は口を引きつらせながら起き上がり、悠真の顔を確認した。
自分のいる場所とは異なる世界に平然として来る彼、そこらは彼が思うものとよく似ている。
「久々!紫ちゃん!」
「ちゃん付けするなって何度言ったらわかるんだ」
久々の再会にそれぞれ挨拶を済ませて二人は魔王のいる城に向かった。途中形状のわからない妖怪に襲われたが紫が燃えつくしてしまった。
「やっぱりここは変わらないなぁ」
「そんなに簡単に変わるかっ!ここはあくまでも負の感情を持って死んでいった者達が来る世界だ」
魔界、それは人以外の者が負の感情を持って最期を迎えた人達の世界。そんな世界に人間であり、生きているはずの悠真が来れるのはそれなりの事情がある。
それは彼がナイトメアだということ。
彼の魔力が魔界の波長と同じこと。
「なぁ、紫ちゃん、俺どうして今回こっちに来たんだ?」
「さぁな。そのことについては伯凰とかに聞いた方がいいな」
いつものように罠だらけの廊下を渡り、暗い中無言で進んでいく。城というだけあってかなり目的の部屋まで距離がある。
「うーん、よくこんな所に三人で暮らせるよなぁ。淋しくないのか?」
「そんな感情あいつ等にあると思うか?」
一瞬悩んでしまった悠真。しかし、すぐに思い直して口を開こうとした瞬間、地下に通じる階段から短い緑色の髪をした女性が姿を現した。
「あららぁ〜結構お早いお着きでしたわね☆久しぶりですぅ」
「お、お鵺さん!そ、そ、そ、それはっっ!!」
悠真が震える手で指差すのは点々と彼女の服についている赤い染み。鵺はにっこりと無邪気な笑顔を向けて明るい声で言った。
「何って返り血に決まってるじゃないですかぁ!安心してください、私の血ではありませんからぁ〜」
陽気な声でそんなことを言う彼女。おそらくここに伯凰がいたらお茶目だと言うだろう。想像しただけで貧血を起こし、悠真はふらつく。一歩、足を踏み入れたその場所は不自然に傾き、彼の目の前に矢が飛んできた。
「あ、あっぶねー!」
「そろそろ学習しろ。この城で迂闊な行動は命取りだぞ」
悠真は肝をすっかり冷やして二人と一緒に二階へ上がる。暫く歩くとパタパタと可愛らしい足音を響かせて金髪の天使は彼等に笑顔を向けた。
「悠真さん」
「レイズ!久しぶり!」
抱きつかれて悠真は倒れそうになるのを必死に堪えた。瞬間、周囲の空気が浄化されたような気がして悠真は目を丸くする。流石天族というだけあって正の力が強い。
悠真はゆっくりとレイズを下に降ろす。見た目はほとんど変わらない彼女だが、一つだけ変わったことがあった。
「羽しまったのか?」
「うん。出している意味はなかったから。それよりも悠真さん、ゲートを見つけたんですね」
聞き慣れない言葉に悠真は首を捻った。ゲート、つまり門を彼は見つけたのだと彼女は言った。それは一体何の門なのか。
悩んでいる間にやっと理解した紫が目を瞠ってレイズに食いついた。
「そうか、今回はゲートを通ってきたのか!」
「はい。悠真さんは今日、ここに通じるゲートを見つけたんです」
「ここって、魔界の?」
「そうですよ、悠真さん!これでその気になればいつでもここに来れますわぁ」
思いがけない言葉に悠真は口をあんぐりと開けて、顔を真っ青にした。ゲートとは、この魔界と悠真の世界を唯一常に結ぶ限られた門のこと。
「うそぉぉぉぉおお!!!」
魔界に行く。
それができるのは悠真みたいな特殊な存在だけ。
その存在がこの世界に行く方法は三つある。
一つ、魔の力が作用する特別な日、特別な門を通る。
一つ、魔界を支持する者が呼び寄せる。
一つ、ゲートを見つける。
ゲートとは魔界に行くための門の事。
今まで悠真みたいに契約までこじつけたナイトメアの存在は無かったため、定かではないが、そのゲートはよっぽどの理由がない限り場所を動くことはないという。
門と言ってもやはりナイトメアしか通すことはない。
「はぁ、そんな迷惑な物が俺の世界にあるなんて」
うんざりした表情で悠真は入れられた紅茶をすする。既にそれが抜殻茶ということは頭の中から消し去っている。
「その代わり、ゲートから来たら時間の経過はなく元の場所に戻ることができますよ」
「あぁ、そこだけいいことね。何かこんなにファンタジー的な世界に何度も行くと伝説の生徒会長に申し訳ない気がしてきた」
生徒会長という名前に紫が珍しく反応を見せて、身を浮かした。きょとんとしているレイズを見て、悠真は素早く説明を付け足す。
「あぁ、生徒会長ってのは俺の学校のハロウィンパーティーを無理やりに作らせたことで有名な人のことだよ」
「へぇ、すごいことですねぇ。なかなかその人は見込みのある人なんですね」
そうだなぁ、本当に俺よりもその人がここに来た方が良かったんじゃないのかなぁ?
そう思ってしまうところが何だか切ない。レイズは未だに首を傾げて聞いている。何かに違和感を感じているのかと思い、悠真を同じく首を傾げた。
「その人の名前ってなんていうんですか?」
「あぁ、生徒会長?えーと、確か………………柳…龍一だっけかな?」
聞き覚えのある名前に紫が目を瞠った。三人がその龍一の話に花を咲かせている間、紫は思わず部屋の扉に向かう。しかし、その行く手は新たに現れた者に塞がれてしまった。
「それは一番最初にこの魔界へ現れた人間だね!」
「伯凰さん!」
「あ、伯凰さまぁ、一体どちらに行かれてたんですかぁ?」
「ん?ちょっと野暮用でね。それにしても一番最初にこの魔界へ訪れた人間と悠真君が関係していたとは驚きだね」
ふと、その言葉の意味を理解して、悠真は目を丸くした。
一番最初に来た人間が会長。
自分に似ていて、似ていない存在が自分の知る人物。
はっと何かを思い出して悠真は紫の姿を探す。しかし既に部屋には姿はなく、レイズ、鵺、伯凰の三人しかいなかった。
「紫ちゃん!!」
他の皆のことは一切無視して、悠真は部屋から出て行った。既に影のない紫を追って走り続ける。
「あーぁ、行っちゃった」
「わかってるんでしょうかねぇ?」
「何がですか?」
二人の言葉の意味が良く理解できないレイズは不思議そうに問う。伯凰はにっこりと紳士的な笑顔を向けてあっさりと答えた。
「この城には沢山の罠があることをだよ」
「ゆぅかぁりぃちゃぁんんんんんん!!」
森の果てまでも聞こえそうなほど大きな声で人の名前を呼ぶ。しかし、何の反応も返ってこない。高速で足を動かしていたため、自分の足に引っかかり、廊下に転がった。
刹那、重い音と共に床が動く。床は壁に吸い込まれていく。
「待て待て待てぇぇぇえ!!何だこのエスカレーターで転んで吸い込まれそうになっている状況!!」
立とうにも床の動きが急激過ぎて、バランスがとれない。そろそろ本気でやばく感じ始めて、悠真は青い顔でさらに大きな声で叫んだ。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってぇぇぇええ!!こんな展開は嫌だぁぁ!俺はなぁ、できる限り長生きして、隠居して畳の上で後悔はなかったと笑って死ぬのが夢なんだぁ!」
「何でお前は毎回毎回よくわからないことに巻き込まれてるんだ!」
間一髪のところで紫が登場し、悠真の襟を掴んで動く床から逃げ切った。茫然とそれを見やりながら悠真は苦笑いをする。
「どうやったらあんな罠ができるんだ」
「そんなこと追求してもいいことは何もないぞ」
そうだなと納得して頷き、また何処かに行こうとした紫の服を掴んで止めた。紫は無理やりに逃げることはしないが、悠真を見る目は何かを訴えていた。
「柳、龍一」
「……………」
「変なところで接点あったんだね。ねぇ、聞いちゃ…駄目なの?その人と何があったのか」
暫く無言の見つめ合い。
人の過去を追求することはあまりしてはいけないと悠真も理解している。だけど、紫に対してはそう割り切れるものではなかった。
「何で、お前に」
「俺は、紫ちゃんにとって…………紫にとってただの荷物?紫が俺を助けるのはその人と何かあったからじゃないの?」
意外な言葉に紫は驚いた。
何もわかっていなそうで、肝心な部分は的確についてくる。
こういうところが似てるのかもな。
一回、目を閉じて考える。ここまできて逃げ切れるとは思わなかったのか、紫は一回深く息を吐いた。
「仕方ないな。教えてやるよ」
「俺の闇を」
少し文章的な間違いが多いかもしれません。
生徒会長=最初のナイトメア。皆さんの頭の中ではこの公式が描かれていたでしょうか?
次はやっと紫の過去に迫ります。