第五章 脱走
「う〜ん……………」
一体既に何百冊の本を捲ったのか。それらしき文章は見当たらなくて、皆、気力を使い切ってしまっていた。特に悠真と紫はこの素直じゃない本に未だに慣れず目と精神に多大な負荷をかけていく。
「どうしよう………。見つからなぁい!」
「おやおやぁ、もうギブアップですかぁ?根性ないですねぇ」
「まぁまぁ、皆お鵺みたいに読む度にお肌つやつやぁというわけにはいかないのだよ」
確かに鵺は一冊一冊読む度に肌の艶が増していく。それだけではない。声のトーンが上がっていくのだ。それとは対照的に紫は一冊一冊読む度に顔が憔悴していく。
レイズは日本語が読めないので応援するしかなかった。
「ってか何でこの世界の本は全て日本語なんだ?」
それは小説の都合上。っと言ってはいけないだろうか。
ともかく、謎は解かれることなどなく、更に彼らの捜索作業は続く。
作業は三日三晩続き、彼らの体力は限界に近づいてきた。
そして、ついに最後の一冊を読みきった。
「どうなってるんだぁ!!なぁんにも出てこないぞぉ!!」
全部で何千冊あったのかわからないが、悠真の頭は既に爆発していた。レイズは冷たい水を彼に渡して、うちわで風を送る。
「もういいですよ。私はこの世界に来て、仕事をしながら命尽きるのが宿命となっているんです。だから、そこまで貴方が頑張らなくても」
「命を簡単に捨てる奴は俺、嫌いって言っただろ?」
聞きなれない彼の低い声音にレイズは息を飲む。本に埋もれかけていた紫は、身を起こして隈のついた目を悠真に向ける。
今、微かに彼の周りの空気が揺れ動いた気がした。ふと、隣りに視線を向ければ伯凰の不敵な笑みが覗く。
やはり
しかし、彼はその顔を規則的に揺らしていた。紫は額に青筋を浮かべて彼の頭を鷲掴みする。ミシ、っと嫌な音が聞こえた気がしたが、そこはあえてスルー。
「無駄ですよぉ。伯凰様は一度寝てしまったら気が済むまで起きませんからぁ」
「知っているからやっているんだ!寝ている間に逝け!!」
流石の悠真も止める体力と気力が残っていなかった。
とりあえず今日は疲れを癒すために睡眠を取ることにした。レイズが言うにはまだ少し時間があるらしい。その間に何とか方法を見つければいい、と紫が悠真を説得したのだ。
ぼーっとした頭で考えても仕方なかったので、悠真も納得するしかなかった。
辺りは真っ白だった。身体が浮くような感覚に襲われて、悠真は首を傾げる。
白い靄の中に浮いているようだった。目を凝らしてみれば、奥に人影が見えた。ゆっくりと近づく。一歩、歩く度に足に地面とは違う感覚が走る。
「紫ちゃん?」
そこにいたのは見たことのある三つ編みの青年。悠真が呼びかけても何の反応も示さない。
突然景色は一変して、靄は消えて暗闇に包まれた。真っ暗になるはずなのに悠真と紫の身体だけ綺麗に見える。
「ねぇ、紫ちゃん?」
何故か妙な不安に襲われた。紫の手を掴んで、叫ぶ。しかし、彼の手は簡単に抜けていき、そのまま遠ざかって行く。一度も悠真の方へ顔を向けずに。
「ちょ、待って!!」
追いかけようとしたが、何故か足が氷のように冷たくなり、動けなかった。手だけを懸命に延ばし、呼び止める。
「待って!何で行っちゃうんだよ!」
不安が押し寄せる。小さくなる彼の背中を凝視して、声を震わせる。
置いてかれる、捨てられてしまう、そんな味わったこともない未知なる恐怖に背筋が凍る。
「行くなっ!紫!!」
彼の名を張り叫んだその時、紫は突然足を止める。やっと振り返って、見せた顔は冷たく感情もない顔。心臓が大きく鳴った。思わず言葉を失って、茫然としてしまう。
「お前には力がある。……………それを忘れるな」
「え?」
「それって、どういう……………」
突然、感覚が戻る。視界に入る景色も変わり、紫の姿はなくなった。見覚えのある天井は悠真に与えられた寝室のもの。しばらくそれをぼんやりと見やって、息をついた。
「夢、か」
起き上がってベットから腰を浮かせる。意味深な夢に思わず苦笑する。あれが夢でよかったと心から安堵したのと、紫が言った意味が理解できないもどかしさが入り混じって。
たかが夢にそこまで気にしていても仕方ないので悠真はすぐに考えるのをやめた。
「レイズ、大丈夫かぁ?」
レイズの部屋の扉をノックして、悠真は部屋に入る。レイズはベットに寝ていた。彼の声に何の反応も示さず、静かに横たわっていた。
「レイズ?」
小声で呼びかけて彼女の顔を覗く。彼女は真っ青な顔で苦しそうに胸を押さえつけていた。
「レイズ!!」
すぐに彼女の身体を起こして、悠真は呼びかける。この前のと同じように悠真が触れた途端、すぐに顔色はよくなった。しばらくして彼女はゆっくりと目を開ける。
「悠真さん?」
「もう、無理だよ。いくら俺に触れれば少しだけ楽になったって、それはほんの一時にしか過ぎないんだろ?そんなの、何にも意味ない!」
荒い息を整えながらも、彼女は必死に笑顔を作る。声はまだ辛くて出せない代わりにその顔で悠真に訴えた。まだ、大丈夫と。
「駄目だ。一日でもいい。力を一切使わないようにしろ!」
「………でも、そんなことしたら」
「その間、俺がレイズを抱えて妖怪から、他の人達から逃げてやるから」
それはそこらにいる妖怪だけではなく、それを反対している紫達からも逃げるということ。強く握られている手の痛みより、その方が衝撃的で目を見開いた。
今まで信じてきた者を裏切ってまでも、レイズのために逃げると彼は言い張るのだ。
「どうして、そこまで?」
「そんなの、ほっとけないからに決まってるのだろ?」
悠真は有無を言わさずにレイズを背負う。全く音がない、それは皆がまだ寝ていると判断して悠真は自分の部屋に連れて行く。
どうしてこの人は………こんなに優しいの?
この世界に来て初めて味わう優しさに、レイズは彼の小さな肩で涙する。
鵺は今カップに注いだばかりの抜殻茶を口にして、動きを止めた。可愛らしい大きな目を細めて、耳を澄ますように気を集中させていた。その様子に伯凰も視線だけ彼女に向ける。
「何だ?どうかしたのか?」
寝起きで機嫌が悪いのか、寝癖の残る頭を掻き毟りながら紫は問う。鵺は一つ盛大な溜め息をついて、珍しく真剣な面持ちで答える。
「悠真さんとレイズがこの城から気配を消しました。同時にこの世界の魔力を中和させていた天力の気配もなくなりました」
「なっ!!」
「やれやれ、いつかやるとは思っていたが、こんなにも行動が早いとは思わなかったな」
妙にお気楽に呟く伯凰に苛つきながらも、紫はそれどころではない。鵺に向かって声を荒げる。
「おい!何処だ?あいつ等は何処に行った?」
普通なら彼の怖い顔に臆するところだが、相手は鵺。彼女は何故か頬を染めて、身体をしならせる。そして、演技臭い言い方で高い声音を出した。
「紫さんにこんなに積極的に近付かれるなんて初めてですわ☆」
「むむ!ずるいぞお鵺!私だってまだそんなドキドキな経験は味わったことがないのだ!」
「ふぅざぁけぇてぇるぅばぁあぁいぃかぁ!!」
伯凰相手なら飛び掛った紫も、相手が鵺だと叫ぶだけで終わる。彼の怒りは最もなのだが、鵺はふざけた顔のまま彼を説得する。
「落ち着いて下さいな。今、紫さんが向かっても悠真さんの気持ちは変わりませんよぉ。逆に悪い結果にしかならないと思いますぅ」
「だが、どうするんだ?」
「ここはあちらから助けを求めに来るまで待つしかないのでは?」
諦めて紫も椅子に腰掛ける。軋む音を聞きながら、深く息を吐いた。
誰よりも悠真を心配している紫はいつも置いてきぼりになっている気がした。
わかってるのか?この城から出るということは、自分の身を危険に晒すということなんだぞ?
一方、そんな紫の気持ちを知らない悠真はレイズを抱えて、必死に走っていた。やはり彼女の身体はやばかったらしく、外に出た瞬間、ぐったりと気を失ってしまった。
そうだった。この森には瘴気が漂ってるんだった。とりあえずこの付近を抜け出さないとな。
途中現れる妖怪などまるっきり無視をして、彼はそのまま森を突っ走る。徐々に気持ち悪さが薄れていることに気付いて、安堵した。しかし、違う理由で不安が過ぎった。
このまま森を出てしまったら、もしかして俺妖怪の餌食になるのか?
今頃気付いた彼。やはり馬鹿なのだろう。さーっと顔が青くなる。だが、今更引き返すわけにも行かず、足はそのまま森の外に向かっている。
後ろを振り返れば城は初めて見た時と同じくらいに遠のいていた。
「あ、抜けた!」
瘴気からも、薄暗い森からも抜け出した瞬間、彼の身体に感じたこともない負荷がかかった。その力の大きさに膝が砕けて、地面につく。
「何だ…………、これ!?」
彼の視界に入ったものは、いろんな色の空気が入り混じった異様な光景だった。
「いけませんわ。悠真さんが森を抜けました」
「それがどういけないんだい?お鵺」
「この城の周りには妖怪が少ないからあまり気がつきませんでしたけど、森の外の妖怪から漏れた魔力があそこには充満しているはずです」
つまり、レイズが力を失い始めた影響は既に森の外の妖怪には出始めていて、更に彼女が気を失ったことで更に魔力の濃度が増しているのだ。そんな所に悠真が飛び込んだ。
「やばいな。あいつが食われる」
魔力が充満した世界にいる妖怪はその力に酔って、力が倍増する。そんな中に餌が飛び込んだのだ、悠真がどんな運命を辿るか容易に想像できる。
「仕方ないなぁ。行くとするかお鵺」
「はい、伯凰様」
二人が立ち上がった瞬間、紫は一足先に城から飛び出してしまった。予想通りの行動に二人は驚くわけもない。
「行っちゃいましたねぇ」
「悠真君も紫君も本当に鈍感だよねぇ。あの子を生かして、この世界の安定も保てる方法が一つだけあることに気付かないんだからね」
二人は紫が向かったことに安心したのか、それともあまりやる気がしないのかはわからないが、ゆっくりとした足取りで部屋を出て行った。
悠真はレイズを抱き締めたまま後退りする。しかし、後ろから感じる気配を察して、その足を止める。辺りは魔力が充満して、心なしか気持ちが悪くなっていく。
内心で舌打ちしながら今の状況を呪う。すっかり二人は魔力に酔った妖怪達に囲まれていた。
「来るな」
いつもと様子が違う。変な言葉も言わないし、すぐに襲ってこない。フラフラと覚束ない足取りで………。
ことの異変に気付いて、悠真は冷静に考えようと努力する。だが、彼に打つ手など存在しない。
「でも、これは自分で招いたことだ。他の奴を巻き込むわけにはいかない」
魔力がこんなに充満してるなんて。もしかして、こいつ等、これのせいで変になってるのか?
『ぐ、わ………ぁぎゃあああぁぁぁ!!!』
「─────!!」
突然一匹の妖怪がもがき出す。地面をのた打ち回り、ぴくぴくと痙攣を始めた。そして連鎖のように他の妖怪達にそれが移っていく。
「何だ!?」
「魔力が多すぎてそいつ等の容量をオーバーしてんだな」
上から悠真の前に紫が着地した。風に靡くその姿が恰好いいと茫然と考えてしまった。紫は何も怪我をしていない二人を見て、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「ま、これなら悠真を襲うこともないだろう」
「だけど、このままじゃこいつ等全員死んじまうよ!!」
紫の裾を引っ張って、必死に訴える。だが、彼は冷たい瞳を向けて、低い声音を言い放つ。
「お前、何言ってんだ?こいつ等はお前を殺そうとした奴だぞ?それに、俺にこいつ等を助ける義理なんてない」
「─────っ!!じゃぁ、紫は俺を義理があって助けたのかよ!」
その言葉に一瞬彼は怯んだ。悠真はもがき苦しむ妖怪に近寄って、片膝をつく。目を細めて、拳を作る。
「ゆ、うま…さん?」
「レイズ!!」
いつの間にか起きていたレイズは酷く苦しそうに胸を押さえて、見えない彼を呼ぶ。悠真は慌てて彼女の傍に行って、身体を起してあげた。
「………っ、ここは、駄目です」
「レイズ?」
「魔力があり過ぎるな。そいつには毒そのものでしかないだろう。純粋な天族だから。やっぱりこれ以上生かすのは無理じゃないか?」
息も切れ切れで、苦しむ彼女に悠真は歯噛みする。
その瞬間、彼の中で何かがぶち切れた。
「いくら負の感情を持ってこの世界に来た者だからって、人の命を大事にしない。人が苦しんでるのに、義理はないとか言う理由でほっとく」
「悠真?」
「そんな腐った根性、俺は認めない!!」
薄暗いこの世界をこの瞬間、眩い光が照らし出した。
「あ、伯凰様、どうやら魔力の充満の件は解決したみたいですよぉ〜」
「あぁ、見事にやって見せたね」
まだ森の中をのんびりと歩いていた二人は森の外側かわ天に延びる光を見つめて、微笑する。全てを見透かしたように、怪しく。
最初の方と最近の悠真の台詞を見ていくと、明らかに変な台詞が少なくなってきていますね。それを楽しみにしていた方、すみません。少しずつ元に戻していこうと思います。