壱・際会 1
※ちょっと戦闘シーン含まれます。苦手な方はご遠慮ください。
見覚えのある光景が、目の前で繰り広げられていた。
「くそっ……」
幼い少年は、それを睨んで小声で呟いた。舌打ちだけは潜ませずに露骨だったが、しかし相手がこちらの存在に気付くことはなかった。
相手――黒い身体の悪鬼は、ただ高らかに笑っていた。
「ミサワ。落ち着きなさい」
隣から、美貌の少女の囁き声。落ち着きすぎている少女のその言葉に、
「……落ち着いてられるかよ」
声音を潜めつつ、苛立ちながらこちらも囁き返す。
少年の視線は、ただ一人の少女を見つめていた。それは、彼の隣にいる美貌の少女ではなく、悪鬼に頭を掴まれもがく、少年よりも少し年上くらいの少女であった。
あんまりのんびりしていると、手遅れになる。それは、この場の人間は皆、重々承知のことであった。
「ユズの言うとおりだ」
また声がした。今度は、青年の声。こちらもまた落ち着ききった声であったが、先の少女よりは人間味があるように感じられる声であった。
「焦りと動揺はミスを誘う。ミスをしたことで泣くのはお前だぞ」
しかし、言うことは厳しい。そして、まさにその通りであった。美貌の少女も、今の青年も、別にあの少女の死を哀しむことはないのであろう。そして、自分だけが哀しむのだ。少女を救えなかった、と。
「……っ」
反論はできなかった。しかし、焦る気持ちは止まらない。あの少女は何を思うのだろう。何を思って、あそこで――
助けて……っ、殺さ、ないで……!
「!」
じっとりと、脂汗が浮かんだ。それが自分でもよく解り、一瞬にして気分が悪くなった。
思えば、少女がその言葉を口にしていないのは奇跡に近かった。
「……」
いつの間にか荒くなった口調を整えにかかる。急がねばいけない、落ち着け、急がなければあの子はオチツケ――!!
ひんやりと、手が首筋に触れた。
「……ミサワ」
呼ばれる名に何も考えず振り向くと、すぐ傍に美貌の少女の顔。金の髪に瑠璃の瞳、そして白い肌。
自分に触れるこの手も少女のものだと思うと、条件反射で身が強ばった。
「今更考えても遅いわ。あなたはただ、落ち着くことだけを考えるの」
真剣なのかそうでないのか、その表情はいつもと大差ないのでよく解らない。
落ち着け。
自分に、言い聞かせる。目を閉じて、深く深呼吸。そして、目を開くと、
「!」
考えるより先に身体が動いた。肩を抱くように首筋に触れる金髪少女の手を振りほどき、焦るように駆け出した。
少女が、悪鬼の手の中でぐったり動かなくなっていた。
「ち、ちょっとミサワ! 待ちなさいよ!」
金髪少女の声がする。
「まだその子、気絶してるか解らないのよ!?」
――知るか。少年にとって、それは本当に知ったことではなかった。 手遅れになる前に。
ただそれだけを、考えていた。
「…………」
右手に集中。想像するのだ。手の周りを渦巻く雷。あの少女を救うことのできる、素早き刃。
バチッ。そんな音が確かに右手付近で発生した。わざわざ確認はしない。そこに確かに、雷はある。
左手では、ポケットから小型のナイフを取り出す。この間約数秒。慣れた手つきの自分に少し嫌悪を抱きつつ、こちらに気付かぬ悪鬼に素早く近付き、
ナイフで、少女を持ったその手に深い切り傷を入れた。
この世のものとは思えぬ絶叫が、笑い声の代わりに辺りに木霊する。悪鬼が手を自らへと引きつけると同時に少女の身体は地面へと崩れ落ちる。
今は、生存確認など後回しだ。
左手で、ナイフをきつく掴み直す。何かドロッとした液体が、確かに手に触れるが気に留めない。
再び駆け出す。悪鬼の懐へと。そして、それを阻止する右手へナイフを突き立てた。
再び絶叫、同時に、
バチッ
左手から肘までにかけてを、渦巻くように包んでいた雷が、大きく音を立てた。
少年は、その小さな右手を拳に握り、素早く悪鬼の腹部を殴打した。すると素早く、音を立てながら雷は悪鬼の身体へ流れていく。
叫びは、すでに声になってはいなかった。少年は再び想像。悪鬼に落ちる、巨大な雷。
轟いた。
悲鳴が、掻き消える。
辺りが光に照らされ、影が濃く地面に映し出され、
その光がやむとき、悪鬼は黒い焦げとなってその場に倒れた。
「!」
少年は、次に慌てて振り返る。そこには少女がいるのだ。生存確認を――
……すでに、する必要などなかった。
少女は、その場に座り込み、驚く瞳でこちらを見つめていた。
驚きと、恐れの含まれる瞳で。
そして、
「ちょっ、おい!」
少年と目があったその瞬間、ふらり、と倒れ込んだ。
「で、どうするの?」
「……宿まで運ぶ。それしかねえだろ」
金髪少女へ、少年は溜め息を吐きつつ返した。
「言うと思ったわ」
予測通りの返事が返り、再び溜め息を吐く。
「それで? そのあとはどうするの?」
二つ目となる、その少女の問いに、青年に抱え上げられた少女をちらりと見て、
「……着いてから、考える」
ぼそりと呟いた。情けなくて、顔が上げられなかった。
「……言うと、思ったわ」
少女が、先ほどよりもずっとずっと呆れた口調で、同じ言葉を繰り返した。