005
舗装された石畳が途切れ、地面に変わっている。そして雨も降っていないのに、表面はわずかにぬかるんでいた。崩れかかった木造の家々がひしめき合うように並び、細い路地には悪臭が立ち込めていた。
建物にガラスの嵌った窓など一つもなく、吹きっ晒しがほとんどで、布が垂らしてあればましな方だった。明かりを買う金もないのか、どの建物も真っ暗だった。
そんな貧民街の一角、潰れた酒場跡の奥に薄暗明かりが一つ灯されていた。そのわずかな明かりを頼りに、人相の悪い男たちが輪を作り、カードゲームに興じている。
「だぁぁ!また負けた!!」
「くそっ!イカサマじゃねーだろーな!」
「いやぁ、悪いねぇ。またいただきだ」
嘆く男たちを尻目に一人の男が両手で抱えるようにして、場に出された銅貨の小山を浚って行った。
「・・・・・・」
隅の方では、攫われたのであろう少女たちが、両手両足を縛られて座らされている。涙跡の残る瞳には何の光も残っておらず、彼女たちは暗い目で、ただじっと虚空を見つめていた。
獣人種らしい頭頂の横に生えた獣耳もすっかりしおれてしまっており、元気の良い時には盛んに振り回される尻尾も、地面に投げ出されたロープのように撓んでいた。
その側には比較的身なりの良い服装の二人の男が立って、声を潜めて会話をしていた。
一人は商人然とした太った男でそのたるんだ顎を撫で、もう一人の八の字髭の男は髭が自慢らしく、しきりに親指と人差し指でしごいていた。
「オズワルト様。どうやら最近、帝都の憲兵隊が目を付け始めたようでございます。そろそろ潮時かと・・・」
「ふぅむ。もう少し数を揃えたいたところだったが、仕方がないな。ところでマルコーネ、例のアストラ王国の奴隷商人に話はついておるのであろうな?」
「もちろんでございます。3日後に国境付近の村で取引をする手筈になっております」
「わかった。しかし、獣人族の娘一匹につき大金貨1枚、1億リーンとは、奴らも随分な値をつけたものだ」
「どうやら、王国の更に南方で愛玩用として高値で売れるらしく、2倍、3倍にもなるとか・・・」
「わからんなぁ。こんな劣等種どものどこが良いのか」
手近にいた娘の髪を掴み上げ、無理やりに上を向かせた。
「・・・うぅ」
娘には抵抗する気力もなく、微かなうめき声を上げただけだった。
獣人種は体が頑健で力も強いのだが、魔剣が使えないせいで、帝国内では他の人種と比べて、一段低い劣等種と見做されていた。
レオンの父であり現皇帝カールが、十数年前に獣人種の国との外交上の都合から、法律上は差別を撤廃したのだが、当時は反発も大きかった。いまでも人々の中にも差別意識が根強く残っており、特に保守的な貴族には、獣人を劣等種と蔑む者も少なくない。
「まったく貴族のワシがこんなことをしなければならんとはな」
「オズワルト様。今後は賭け事の方は少し控えられた方がよろしいかと・・・」
「何を言う!この仕事が済めば、借金を返し、新しく資金が手に入るのだ!今度こそ勝ってみせる!」
「そもそもその賭け事が原因で、このような危ない橋を・・・」
「なに心配はいらん。たとえ負けたところで、虫のように湧いてくる獣人らをまた攫えばいいだけのこと」
「ふぅ・・・」
まったく付き合いきれぬとばかりにマルコーネは首を振った。
彼の家系は、代々オズワルト男爵家に御用商人として出入りしており、オズワルトがギャンブルで作った借金の返済と自身の貸付金の貸し倒れを防ぐため、今回の悪事を手伝わざるを得なかった。
ただし、誘拐の計画を書いたのはマルコーネ自身であり、獣人の娘を売り飛ばすことについて罪悪感を感じている訳でない。
「明日は、日が昇る前にここを出発するぞ。マルコーネ 、娘どもを運び出す用意はいいのだろうな?」
「はい。部下がもうすぐ幌馬車を回してくることになっております。ところで、城門での荷の検査は本当に大丈夫でしょうな?」
「ワシはれっきとした帝国貴族だぞ?オズワルト男爵家の紋章を掲げ、ワシが一言いえば簡単に通れるわ!ワハハ!!!」
オズワルトが計画の成功を確信し、高笑いを上げる。
その時──
《ドォンッ!!》
酒場の扉が、轟音とともに弾け飛んだ。
喧騒が一瞬にして収まり、室内の視線が一斉に入口へと集まった。
薄汚れた外套を纏った二つの影が、ゆっくりと中へ入ってくる。
「ほらぁ、言ったじゃない。危ないところだった。今日中に解決しておいて良かったでしょ?」
先頭に立っていた方が白い歯を見せて笑っている。
「・・・・・・」
後ろに従うもう一つの影は無言だった。だが、不機嫌そうに唇をへの字に曲げている。
「誰だ貴様らっ!」
闖入者に対して、オズワルトが叫ぶ。
カードゲームに興じていた人相の悪い男たちが立ち上がり、剣やナイフの鞘を払っている。
だが、ニコニコと笑っている男の余裕は少しも揺らがなかった。
「久しぶりだね、オズワルト男爵。半年前の宮中晩餐会以来だね。もしかして僕の顔、忘れちゃったかな?」
「なに?顔だとぉ・・・?」
しばらく侵入者の顔をじっと見つめるオズワルト。
「ひぃっ!」
途中で何かに気づき一気に青ざめた。
「おっ、おい!お前ら!頭が高いっ!今すぐ跪けっ!いや、土下座だっ!土下座しろ!」
そう言ったオズワルトが真っ先に膝を揃えて土下座する。
言われた男たちは、困惑した表情でしばらく顔を見合わせていたが、やがてしぶしぶと膝をついた。
オズワルトの横で土下座したマルコーネが問いかける。
「オズワルト様、どうしていきなり土下座を?このお方は一体、どなたなんです?」
「バカ者!知らんのか!このお方こそ、現皇帝カール様の第一子にして、皇太子殿下のレオンハルト・ティハーン様だ!」
「げぇっ!皇太子殿下?!」
マルコーネ達の反応を見たレオンが満足そうに頷いた。
「そう。そして、こちらにおわすのが我が家庭教師兼護衛役のセレスティア・ベルモンドだ。短い付き合いになると思うけど、どうぞお見知りおきを」
レオンは舞台挨拶のように体の前で右手を曲げて礼をし、茶目っ気たっぷり片目を閉じてみせる。
「し、しかし皇太子殿下がなぜこのようなところに・・・?」
マルコーネがわずかに顔を上げ、上目遣いで尋ねる。
「この貧民街の顔役にツテがあってね。ここに来る前に寄って聞いて見たら、あっさりと教えてくれたよ。礼儀のなってない新参者は、煙たがれるの常らしいよ?」
(まったくいつの間にそんな知り合いを・・・)
皇太子の後ろに立つセレスは、額に手を当てやれやれと首を振った。自分の知らぬ間に、ゴロツキの親玉と親しくなっているとは、やりきれない思いであった。
「そ、それでレオンハルト殿下におかれましては、このような夜分に何用で・・・?」
オズワルトが張り付いた笑顔で声を震わせながら尋ねる。
「ああ、それそれ」
レオンは、コホンと咳ばらいを一つすると、緩んでいた表情を一変させる。外套の下からスラリと剣を引き抜き、オズワルトの鼻先に突き付けた。
審判者が厳かな顔つきで宣言する。
「若い娘を攫い、他国に売り飛ばそうなど貴族にあるまじき振る舞い!このことは皇帝陛下に報告する。追って厳しい罰が下るだろう。屋敷にて謹慎し、神妙に沙汰を待て!また、商人マルコーネ、貴様も同罪である。貴様にも帝国法に従い罰を下す。少なくとも財産没収のうえ、奴隷堕ちは免れぬからそう思え!」
財産没収のうえ、奴隷堕ち、そう聞いたマルコーネの顔が真っ青になる。
「そんな・・・。たかが獣人の娘を攫ったぐらいで・・・」
悪夢でも見ているかのようにブツブツとつぶやいた。
その横で---
「くく、くくく・・・」
オズワルトが黒く笑い、肩を細かく震わせていた。
蛇のように首をもたげ、ゆっくりと立ち上がる。
「いやぁ、危ない危ない。危うく騙されるところだった」
先ほどまでの怯えはなくなり、不敵な笑みを浮かべている。
「よくよく考えれば、こんな薄汚いところに皇太子殿下がいらっしゃるハズがないではないか。なあ、マルコーネ?」
マルコーネは、一瞬、驚いた顔をしていたが、オズワルトの言葉を意味を悟ったのか、同じように不気味に笑った。
余裕げに立ち上がって、膝についた埃を払う。
「おっしゃる通りですな、オズワルト様。皇太子様であれば、皇城の奥深くで綺羅に飾られているはず。このようなところに、いらっしゃる訳がない・・・」
「だろう?ならば、ここに居るのは、皇太子殿下を騙る“ニセモノ”ということだ。忠義に篤き、帝国貴族としては・・・」
オズワルトは腰の剣を抜き放ち、
「その“ニセモノ”を打ち取らねばならん」
そう言って、レオンに向かって構える。
「さすがは オズワルト様 。このマルコーネ、及ばずながらお手伝いいたしますぞ」
マルコーネが目で合図をすると、一斉に人相の悪い男たちが立ち上がった。
続けて酒場の奥に向かって口を開け---
「先生っ!先生方っ!お願いいたしますっ!」
と大声で叫んだ。
その声に応え、奥の部屋からのっそりと2人の男が姿を見せる。
「やれやれ、ようやくか。忘れられてるのかと思ったぜ」
「・・・」
一人は禿頭の巨漢であり、肩に身長ほどもある大剣を担いでいる。頬に深い傷があり、人を威圧する笑みをためている。
もう一人は真っ黒な服を着た暗い印象の男で、存在自体が闇に溶け込みそうだった。沈黙を保ったまま、目だけが刺すように鋭く光っている。
「へぇ、意外と使えそうなのを雇ってるじゃないか。これは困ったな」
困ったと言いながら、レオンの口元は明らかに笑っていた。
「どうしようか、セレス先生?」
「・・・都合のいいときだけ、先生呼ばわりしないでください」
セレスが呆れたように肩を竦める。
「とはいえ、せっかくですし剣闘訓練の課外授業といたしましょう。そちらの黒い方の男を3分以内に無傷で倒してください。できなければ罰を与えます」
「え?ちょっと厳しくない?」
「厳しくなければ、訓練にならないでしょう」
「えー、あれ、結構強そうだよ?さすがに5分は欲しいんだけど」
「ダメです。3分です」
「てめぇら、何をくっちゃべってやがる!」
自分たちを課外授業と言われ、しかもその“課題”からすら外された大男が怒りに任せて、大剣を振るう。
いくら大剣とはいえ、二人の位置はまだ遠くはなれている。通常なら絶対に届くことのない間合い。だが刀身は蛇のように伸び、まる意志を持つかのごとく、レオンの喉元に襲い掛かる。
「・・・」
だが、レオンはほんのわずかに首を傾げ、いとも簡単に刃を躱して見せた。
「ちぃぃぃっ!」
舌を打った大男が手元をわずかに動かす。剣先は自在に目標を変え、今度はセレスの首元へと迫ってみせる。
だが、こちらも少し首を傾けただけで、躱されてしまった。
「少しはやるじゃねぇか!」
倒せると思っていたのだろう。奇襲をあっさりと回避された大男が、意外そうに目を見開き、眉を寄せて唸った。
そんな大男に向かってセレスは無表情のまま、腰から剣を抜き放つ。
刃渡り1メートル20センチほど、幅広で肉厚なそれは、剛剣と呼ぶにふさわしい代物だった。純度の高い魔法銀製の刃が、暗緑に薄く光っている。
「では、殿下。私はこのバカと残りを相手をしますので」
「なにぃ、この俺がバカだと?許せねぇっ!」
簡単に挑発に乗り、顔を赤くした大男が剣を大きく振るう。
うねる刃が大蛇のように、室内を縦横無尽に這いまわり、酒場の中に残されていたイスやテーブルを切り刻み、壁に穴を開けていく。
そして---
「ひぇぇ!!!」
「ダッ、ダイン?!お前、何を!うぎゃぁっ!」
仲間であるはずの悪党たちを切り裂いていた。
「ふはははっ!俺の魔剣は《蛇鞭剣》ッ!刃が鞭のようにしなり、蛇のようにどこまでも追って行く!今まで俺の魔剣から逃れられた奴は一人もいねぇんだよ!」
調子乗った大男、ダインというらしい---が操る大蛇は、セレスをその大牙にかけんと迫っていく。
一方のセレスは無表情のまま、最小限のステップで刃を交わしていく。
「本当に愚かな・・・。今、目の前で逃げているでしょうに」
「クソがっ!ちょこまかと・・・」
「ギャァァァッ!」
セレスは踊るように酒場の中を動き続ける。攫われた娘たちに被害が出ないようにしつつ、悪党の仲間に被害が出るように。
(相変わらず、セレスの戦い方は舞姫のように美しいなぁ。まるで高山に咲く、優雅で気高き一輪の花。『騎士の華』出てくる女騎士そのものだよ)
もう一人の男を相手しなければならないはずのレオンは、先生の戦う姿にすっかり魂を奪われていた。
(皇太子として縛られるだけの人形みたいなつまらない日々。僕は彼女に出会って初めて生きる意味を知ったんだ。いつか必ず振り向かせて見せるさ)
そして、セレスに対する思いを改めて決意していたとき--
「ところで殿下、そこで見学していてよろしいのですか?もうカウントは始まっていますよ」
セレスが懐に手を入れ、丸い懐中時計をかざして見せる。
「ええ?!それを早く言ってよ!」
セレスがダインをあしらう様を、愉しそうに眺めていたレオンに焦りの表情が浮かぶ。
もう戦闘が始まってから20秒は経過している。
レオンは相手となる黒ずくめの男に顔を向けた。
「悪いんだけどさ、外に出て闘らない?ここ狭いし、ダインさんだっけ?かなり盛り上がってるみたいだし」
「オラオラオラァッ!」
雄たけびを上げるダインの《蛇鞭剣》は、一層激しく酒場の中を暴れまわっている。
悪党仲間たちは、刃に切り裂かれぬよう、必死に身を縮め、頭を低くしていた。
「・・・」
黒ずくめの男はレオンに同意を示すように、無言のままゆっくりと顎を引いた。
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