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002

 沈む寸前の夕焼けが城壁を赤く染め、街に長い影を落としていた。だが辻々ではこれから始まる長い夜を歓迎するかのように魔法灯がともり始め、行き交う人々を照らしている。

 大通りは活気に満ち、人々の賑わう声が絶え間なく響いていた。 軽やかな音楽を背に大道芸人が大技を披露するたびに歓声があがっている。高級そうな料理店の前にはいくつもの豪華な馬車が停まり、降り立った紳士たちが着飾った婦人の手を取り、店の中へと吸い込まれていく。


「いやぁ、わが帝国の首都、アーデンハイトは今日も盛況だな!」


 嬉しそうに石畳を踏むレオンの足は、踊るように軽かった。

 一方、彼の護衛兼家庭教師役であるセレスの気分は鉛のように重い。


「いつの間にこんな用意を・・・」


 セレスは嫌そうな顔で、身を覆う薄汚れたマントの端を摘まんだ。

 街を歩くには上質すぎる服装を隠すためと、レオンから渡されたものだった。


「それじゃ、とりあえず食事に行こっか。」


 渋い顔をしたままの護衛を放置スルーして、レオンは歩き出す。彼の足は大通りから外れ、裏通りを目指していた。

 そのことを不思議に思ったセレスはレオンに問いかける。


「食事をするのであれば、さきほどの大通りにあった料理店で良いのではありませんか?」

「いやぁ、僕のお小遣いじゃ、とてもあんなところには入れないよ。」


 次期皇帝陛下は苦笑いしながら、頭を掻いた。絹糸のような金髪がサラリと流れる。

 彼の父であり現皇帝のカール・ティハーンは、温厚で慈悲深い名君として知られている。

 外交で戦を避け、内政で産業を育てた――そんな評判の持ち主だ。

 ただ、そのせいか身内の節制にはとても厳しく、レオンの小遣いは月に大銅貨3枚、3,000リーンほどだった。安酒場で酒2、3杯とちょっといいおツマミを頼めば、それで消えてしまう程度の金額である。


「父上のヤツ、聖人になったつもりかしらないけど、“民から上がったものは、麦一粒、豆一粒とて無駄にしてはならん”とか真顔で言うんだよ?」

「それは良いことでしょう」

「その割には、“人の上に立つ者としての威厳を示さなければならん”とか言って、身だしなみにはうるさいしさ」

「当然でしょう」

「ああ、せめてあと月2枚、いや1枚、大銅貨が増えれば生活がぐっと楽に・・・」

「東方には、貴族は食わねど高楊枝という言葉があるそうですよ」


 とめどなく喋るレオンの言葉と、それにいちいち律義に突っ込みを入れ行くセレス。

 そのやりとりの間にも景色が変わり、どんどん建物が貧相で、ボロくなっていく。

 だが、目的地は決まっているのだろう、レオンの足取りには迷いがなかった。


「随分と慣れていらっしゃるようですが・・・街歩きは今日が初めてではないのですか?」


 セレスは大人しく後に従いながらも、主人の背中を苦虫を嚙み潰したような視線で睨みつける。


「まあね、誰かさんは行動パターンが決まってるから読み易い・・・。あっ隠れて!」


 レオンは体ごとセレスにぶつかり、そのまま近くの建物の壁に身を寄せる。

 そのままじっと息を潜める。

 彼らの前を槍を片手に持ち革製の鎧を着込んだ衛兵が、ゆっくりと通り過ぎていった。


「ふぅ・・・」

「・・・別に隠れる必要はないのでは?」


 いきなり壁に押し付けられたセレスが不機嫌そうにレオンを見遣る。


「万一、不審者として、捕まったらややこしいことになるだろ?こっちは身分を隠してのお忍びだからね。バレたら父上に怒られるし、正直に言ったところで、最悪、皇太子とその護衛を騙ったとして、吊るされる可能性だってある」

「やってることはしょうもないくせに、いちいち計算高いですね」

「いやぁ、先生がいいから」

「それはどういう意味・・・」


 嫌味を華麗に回避スルーされた、セレスが眉間に皺を寄せる。


「あ、ホラ。ついたよ?」


 だが、レオンがわざとらしく途中で言葉を挟み、とある店の前で足を止めた。


「ここは・・・いわゆる場末の飲み屋というところでは・・・」


 下級とはいえ、貴族出身のセレスが若干引いた目で建物を見上げた。

  木造二階建てのその建物は、一目で安普請と分かる造りだった。 入口の上にかかる看板は傾いており、おそらく店名が書かれていたであろう文字は擦れていて読めなかった。


「せめて看板ぐらい直せばいいのに・・・」

「店の名前なんか誰も気にしないから、別にいいんだよ」

「そういう問題ですか?」

「ここではそういう問題」


 そう言って片目を瞑ったレオンが、なんのためらいもなくドアノブに手をかけて引く。

 扉が開いた瞬間、意外なほどの照明の明るさと、安酒のキツイ匂いが流れ出してきた。酔った中年男性のダミ声と接客嬢の黄色く媚びた声も聞こえる。


「あらぁ、いらっしゃい若旦那。」


 店内に一歩足を踏み入れると、店主マスターが、大木がきしむような声と色っぽい笑みでレオンを迎えた。


「ひぃ、化け物っ!」

「ちょっと、失礼でしょ!」


 慌ててレオンが自分の家庭教師をたしなめる。


「確かにここの店主マスター・・・ママさんは体格はごつくて、山賊の親玉みたいな顔だよ?でもまつ毛はぱっちり、ムダ毛処理は忘れない。心意気だけは、れっきとした乙女なんだから!」

「・・・若旦那もたいがい失礼よぉ」


 店主マスターはそう言いながら、その大柄な肩を竦めて見せる。これで怒らないところを見ると、相当に心の広い人物らしい。言われ慣れている可能性も高いが。


「久しぶりねぇ、元気にしてたの?・・・んと、それでそちらの方は?若旦那のお連れさん?」


 職業柄か、店主がレオンの後ろに立っていたセレスに視線を送る。

 ただセレスが何か答えようとする前に、レオンが口を開いた。


「いやぁ、放蕩が過ぎて、親父にお目付け役を付けられちゃってさ。困っちゃったよ」

「へぇ・・・そりゃ若旦那も大変ねぇ」


 “大変ねぇ”と言いつつ、店主はにやにや笑っている。人の不幸は蜜の味というやつだ。

 それとも経験からもっと別の何かを感じ取ったのかもしれない。


「それじゃ、そこのテーブルを使ってくれるぅ?」


 丸めた語尾で店主が狭い店内に10ほども詰め込まれた丸テーブルから、空いた一つ指定した。

 レオンとセレスは言われるがままにテーブルへと向かう。

 腰を木製のきしむイスに下ろした途端、レオンはテーブルの上に身を乗り出し、セレスに手招きした。


「ちょっといい?」

「・・・なんでしょうか?」


 (一応は)上司に逆らえず顔を寄せるセレス。明らかに嫌そうに眉間にしわが寄っている。体からは早く帰りたいのオーラが発散されていた。

 が、そのオーラに気づいていないのか、あえてスルーしているのか、レオンが喋り始める。


「ここじゃ、僕は貴族向けの高級服屋に服を卸す、高級服問屋の若旦那ってことになってるから」

「相変わらず随分と芸が細かいですね・・・」

「それから侍女を孕ませて親父を怒らせ、半勘当状態。人はいいけど素寒貧の若旦那って設定もあるから」

「・・・恋の一つもしたことないくせに、えらく吹きましたね。」

「うるさいなぁ、そこは別にいいでしょ」


 痛いところを突かれたレオンが唇を尖らせ、悔し気に顔をゆがめる。

 宮殿を出てから振り回されっぱなしだったセレスが初めて表情を緩めた。


「とにかく、そういう訳でよろしくね」

「ふふっ、わかりました」


 くつくつと肩を揺らすセレスに、レオンがまったくしょうがないなと苦笑いを浮かべ、肩を竦めた。


「若旦那さん、ご注文はどうされますか?」


 話が落ち着いたと見たのか、店内を回っている給仕の女性が話しかけてきた。

 機嫌の良かったセレスの顔がまた渋くなる。

 栗色の髪を後ろでまとめた若い給仕は、その可愛らしい顔立ちに控えめな笑みを浮かべている。そこまではいいのだが---彼女の服装は肩が剥きだして、胸元もざっくりと開いており、そのボリュームのある乳房のほぼ上半分が出てしまっている。

 こういった場所にはむしろふさわしい恰好ではあるのだが、家庭教師おめつけやくとしては、眉を曇らせずにはいられなかった。

 だが、そんなセレスの様子に気づかないのか、給仕の女は楽し気にレオンに話しかける。


「若旦那さんは運がいいですねぇ。今日はまだ“アレ”が残ってますよ」


 給仕の女の提案に、レオンは嬉し気に目を輝かせる。


「え?“アレ”があるの?じゃ、さっそく2人前お願いっ!」

「かしこまりましたっ!」


 元気よくぺこりと一礼した給仕が、カウンターの中へと入り、すぐにお盆を2つそれぞれの手に持って戻ってきた。


「どうぞ今日の”スペシャルメニュー”です!」


 お盆の上にはパンと小ぶりのステーキが数枚、それとグラスに入ったワインが並べられている。

 レオンの大げさな喜びぶりに比べて、なんの変哲もないメニューだった。


「ごゆっくりどーぞ」


 再び一礼した給仕は、別のテーブルへと移っていく。


「うーお腹空いた!さ、食べよっか。」


 相変わらずレオンは期待に手をこすり合わせ、ウキウキしている。


(確かに皇宮の食事は質素ですが、この程度なら時々・・・)


 不審に思いながらもセレスは、慣れた手つきで肉片を切り取ると、口へと運んだ。


(!!!)


 思わず声が出そうになり、セレスは慌ててグラスで口元を隠した。

 肉は柔らかく噛むほどに肉汁が溢れ、かかったソースも複雑玄妙でいくつかの旨味が重なり奥深い味わいを作り出している。続けてワインを口に含むと、果実の甘みと渋みが絶妙に調和して広がり、まるで時間をそのまま封じ込めたかのような熟成ヴィンテージの香りが鼻腔をくすぐった。


「どう?美味しいでしょ?」


 自身も肉を頬張りながら、レオンはニコニコと驚くセレスを眺めている。

 悔しいながらも認めざるを得なかった。

 今まで貴族である自分ですら食べたことのない、いや過去に一度か二度、微かに記憶にある程度の、それほど素晴らしい味だった。


「しかし、なぜこんなところで・・・。この味わいは、大通りの高級店に勝るとも劣らない・・・」


 疑問を口にするセレスに対し、レオンがこともなげに言い放った。


「そりゃそうだよ、高級店あそこで出た残り物だからね」

「ぷぐっ!」


 正体を知ったセレスが、思わず噴き出しそうになる。ぎりぎりで口元を押さえ、かろうじて貴族の誇りだけは守られた。


「残り物って言っても、端材とか手を付けずに残ったやつだし、お酒だって壜に残ったやつだから、別に汚くないよ」

「そうかもしれませんが、しかし・・・」


 レオンに解説されても、残り物は残り物。セレスの躊躇いが消える訳ではなかった。


「質はいいから、美味しいでしょ?それに父上の“麦一粒、豆一粒”的にも正しいし」

「確かにそれはそうですが・・・・うん、うーーーん」


 理論的にはわかる。だが、自分の価値観とどう折り合いをつけていいのか、セレスは頭を抱えてしまった。

 そんな彼女を前にレオンは、付け合わせのカブのピクルスを小気味いい音を立てて噛んだ。


よろしければ、ブクマ&評価で応援していただけると喜びます!

どうぞよろしくお願いいたします。

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