第二話「食堂『ねこじゃらし』の影の支援者」
男主人公の登場です。
夕刻。
食堂「ねこじゃらし」は食材切れのため夜営業を休業としていた。
木製の引き戸には〈本日夜休〉の札。
窓辺には空になった寸胴が三つ並び、湯気の名残りがガラスをうっすら曇らせている。
油を吸った木の床はところどころ艶が出て、厨房からは鰹と醤の香りがまだ漂っていた。
「いやーしかし、今朝の嬢ちゃん半端じゃない食いっぷりだったな。あんな華奢だってのに、どこに胃袋が繋がってんだか」
「本当に絶句しましたよ……でも、お店の売り上げにも貢献頂けましたし、ぜひとも贔屓にして頂きたいですね」
「いやいや、毎日来るってなったら夜の営業が出来なくなるぞ……困り始める冒険者が出る」
「ふふ、確かにそうですね」
チリンチリン、と扉の鈴が鳴る。
暮れ色の路地から、夜商いの提灯が一つ、店内の壁に赤い楕円を落とす。
黒髪の青年が立っていた。
旅装の上着は埃を薄く拾い、肩と袖口に白い塩粉のような粒がこびりついている。
耳の下で緩く束ねられた長い髪が、灯りに細い影を落とした。
目は笑っているのに、歩き方は無駄がない。
「よっ」
「おう、戻って来てたのか」
「……! いらしてたのですね!」
青年は片手を軽く上げ、空席の長椅子に腰を落とす。
「んやーちょうどこの街に用があってさ……てか、夜の営業はどうしたよ?」
「えーとな、それがよ――」
「……も、もしかして、もう潰れた?」
「違うわい!」
「今朝、凄い女の子がいらしてたんですよ」
「すごい女の子?」
アーシェはレジ脇の伝票束をめくり、信じがたい数字の列を指先で叩く。
「和風ハンバーグ二人前にタイの煮付け丸ごと一匹、肉じゃがに串二十……細かいのは省きますが、締めにラーメン四丁」
「……そ、それを一人でか」
「はい、一人で。その子のあまりの食べっぷりに、他の冒険者さんたちが負けじと次々注文が殺到して……」
「……はぇーーこの世界にもそんな大食いがいるんだな」
「きっと、レンさん直伝の異界のレシピがさぞ気に入ったんでしょう!」
「違いねぇ。レンのおかげで、俺は料理人の道を諦めずに済んだ。そして、ありがたいことに店は毎日繁盛してる!」
レンと呼ばれた青年は肩の鞄をほどき、布袋を一つ取り出す。
袋口がほどけ、粒の大きな塩が灯りを受けて霜の欠片みたいに光った。
指で髪を高くまとめ、手首の紐でひと結いする。
道具に触れる時は、邪魔をしないのが流儀だ。
「やっぱ日本食は最強だからな……おっと、こうしちゃいられねぇ。今日はこれを届けたかったんだよ」
「これは……塩、ですか」
「なかなか上等な塩だな……どこで見つけたんだ」
レンは片目を細め、唇の端だけ上げる。
「んー……ちょっとナイショ」
「……またそれですか」
「またそれかよ……」
「ふっふっふ、まあいいじゃないか諸君。俺は定期的に良質な調味料や一風変わった食材を届けに来る。そして俺考案のレシピや提供した食材たちで売り上げを生む。売り上げの五パーセントを俺が頂く。お互いwin-winだろ」
ライアンはひとつまみを舌先で確かめ、アーシェは指先で塩の角をすり潰して粒立ちを観る。
「それはそうだけどよぉ……危ない橋は渡ってほしくないんだよな」
「そうですよ……心配になっちゃいます」
ライアンとアーシェの心配をよそに、青年は自信に満ちた表情で
「看板を増やす。空腹で倒れる奴が、また一人減る。だからこそ、俺は頑張れんだわ」
そう言ってケラケラと笑う。
「まあそうだけどよぉ……お前さん、最近鋼鉄の国にも出入りしてるって本当か」
「え……鋼鉄の国って、バレルドルフのことですか……」
「ん、そうだけど」
青年は机上の塩粒を指で二度、軽く弾く。
塩は星みたいに跳ねて、すぐ静かになった。
「もしかしてとは思うが……そこで新店舗を計画してたりしないよな」
「さすがだねライアン君ッ! その通り、亜人の首都・バレルドルフに新店舗『いぬかき』が先日開業したッ!」
「……はぁ」
「レンさん……どこまで販路を広げるおつもりですか……」
「どこまでも、だ。百都市の看板を灯す。そして——」
異界から来た青年――帷野 簾は、ひそかに闘志を燃やしていた。
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