剣客! 橘ウコンのバカンス
風がピュウゥと吹き抜ける。
昔の忍者漫画に出てくるような草原。
ややカレーのいい匂いが風に混じっている。
浪人、嵐山権兵衛左衛門は、目の前の相手に内心たじろいでいた。これが噂のアイツかと──
それでも威勢よく、己の名を口にした。
「拙者の名は嵐山権兵衛左衛門! 18歳の浪人だ!」
「ふゥん……」
相手の男はのんきな口調で言った。
「浪人なの? 来年こそ大学、受かるといいね」
「意味がわからぬ! 貴様も名乗れッ!」
着流しに鍔のない剣を一本手にしただけの男は、トントンと自分の肩を叩くと、指先についたフケをフッと吹き、名乗った。
「それがしの名は橘ウコン。カレー剣の使い手だよん」
「やはり……。貴様が橘ウンコか」
浪人はいきなり刀を振り上げ、襲いかかった。
「貴様を倒して名を上げさせてもらうッ!」
「ウンコっていうなあーーー!!!」
名前を言い間違えられ、橘ウコンの形相が鬼のように変わっていた。
刀を鞘から抜くと、真っ黄色の刀身がスパイシーな輝きを放つ。
橘ウコンは優しく歌った。
「おうち、はちみつ、カレーだよ……」
歌が終わるなり、嵐山権兵衛左衛門は斬られていた。いつ剣が振られたのか、まったく見えなかった。
橘ウコンは目を瞑り、カッコをつけて、言った。
「これぞカレー剣奥義、『にんじんじゃがいもたまねぎおにく』……」
斬られた嵐山権兵衛左衛門の体じゅうから、どばーっ! とカレー汁が噴きあがる。
嵐山権兵衛左衛門はその場に倒れ、あっという間に美味しそうなカレーになっていた。
「このそれがしに決闘を挑むとは、ばかな子!」
立ち去ろうとするウコンの背後から、女性の声が呼び止める。
「ウンコさま!」
ウコンは一瞬、額に青筋を浮かべた。しかし声の主が恋しいひとだとすぐに悟ると、カッコをつけながら振り返った。
「おくみん殿か……」
美しいカレー色の着物を身にまとった美女がそこに立っていた。
「ウンコさま! また決闘をなさったのね?」
「それがしの名はウンコではない……。ウンコではないのだ」
「あら? こんなところに美味しそうなカレーが!」
おくみんはしゃがみ込み、カレーになった嵐山権兵衛左衛門を指先につけ、ペロッと舐めた。
「おいしいわ! 二日酔いに効きそうなウンコの味がする!」
「それもウンコではなく、ウコンだよ!」
「ねえっ、ウンコさま。決闘なんてしてないで、あたしとプールへ行きましょう」
「剣の道に女はいらぬ」
「近くの市営プールのレストランのカレーがとってもおいしいの。マンゴーとパイナップルが溶け込んだシャバシャバのトロピカルカレーなのよ」
ウキウキしながら出かけた。
プールサイドで白いリゾートチェアに寝そべりながら、青い飲み物の入ったおおきなグラスを傍らに、ウコンはカレーを食った。
「ウンコさまぁ!」
遠くで水着姿のおくみんが手を振る。
「あたしの泳ぐとこ、見ててねー!」
「極楽やん……」
ウコンは嬉しいほどの甘みと酸味の混じった辛口カレーを食べながら、おおきなグラスを手に取り、青い飲み物をストローで啜った。
「剣の道とかアホらしゅうなったわ」
「貴様が橘ウコンか」
二本の刀を刺した剣豪が、ぬうっと姿を現した。
「これはこれは……。あんたが有名な宮本の……?」
「いかにも。わしがあの有名な宮本の……うっ」
宮本は既に、自分の体に二本の刀をブッ刺していたので、その場に倒れた。
「介錯いたっすー」
橘ウコンが愛刀『華麗剣』を抜くと、宮本を斬った。斬られた宮本はじゃがいもとなり、カレー汁を迸らせて息絶えた。
「平和が一番だよなぁ」
遠くでこっちを見ながら笑顔で手を振る恋しい女を眺めながら、橘ウコンは飲み物をまた啜った。口の中で天国のような冷たさとシュワシュワが踊った。