第9エンド レンズ越しのボヤキ
ストック無しでライブ感で書いているので前書きの存在をすっかり忘れていました。
初めての執筆故に拙い部分もあるかと思いますが、引き続き剛士の挑戦を見守っていただけたら幸いです。
『ふぅん、なんか違うんだよね~』
薄暗い編集室。
外はとっくに真っ暗な時間だが、街灯やビルの大きな立て看板のライトに照らされる虎ノ門の空は明るかった。
東京東都テレビは数年前に社屋を新橋に移動したが、一部の編集所やら何やらなどは、旧社屋のあった虎ノ門に存在する。
新進気鋭の若手やノリにノッているような中堅やベテランならば、本社に誂えられた広くて綺麗で、快適な編集所を利用できる。
だが、とうの昔に勢いを失い、窓際となった藤原や篠山が使えるのは、旧社屋の残骸のような、小さな、薄暗く微かにヤニの臭いの残る編集所だ。
『おん?何がだい?』
20時。普段は真っ先に定時で帰っている篠山が、こんな遅い時間まで編集作業をしている。
篠山とて会社員だ、流石にいつでも定時退社というわけにもいかない。こうやって、遅い時間まで働く事だってたまにはある。
それに付き合う形で藤原もまた残業をしていた。
『いやぁ、気のせいかなぁ?』
煌々と光るモニター画面を睨みながら、おやぁ?ふぅん、などと、ぽろぽろと呟きながら首を捻っている。
『おいおい、変なところで終わんないでよ、篠山さん』
休憩の為にソファに寝っ転がってぼんやりとしていたが、先ほどからぽつぽつと聴こえる篠山のボヤキがだんだんと気になってきた。
まるで、何か言いたい事があると遠回しに言っているようだった。
『....畠中くんの所の番組でさ?剛士くんでてただろ?』
初めて青森で収録をしてから、既に4か月程の時間が経っていた。
その間に、剛士は幾つかのバラエティ番組に出演しており、今こうやって篠山が編集しているのは、藤原と年の近いプロデューサー畠中の担当する番組だ。
しかし、当の畠中はこの収録の日に体調を崩し、急遽若手がピンチヒッターとして代わりを務めていた。
篠山がなぜ気楽に定時退社をするのが受け入れられているのか?
ただ、窓際おじさんなだからというわけじゃあない。
今、篠山が編集しているものは、カメラワークや音声などの素材がイマイチなのだ。それで、若手達が篠山に泣きついてきた形になる。
篠山の編集は言うなれば「可もなく不可もなく」。
どんなに微妙な、まぁつまりは「使えない」「面白くない」素材でも、一先ずは放送に耐えうる「可もなく不可もない」出来に仕上げてしまうのだ。
どうにもならなさそうな素材を、放送までに何とかしないといけない時の「駆け込み寺」。それが、今の彼の立ち位置だった。
その貸しがあるから、普段のらりくらりと定時で上がっても黙認されている。要するに、篠山にヘソを曲げられたら困る人間が、この局にはそれなりに存在するのだ。
『あぁ、出てたねぇ。なんか罰ゲームでクソまずい茶を飲まされてたやつかい?』
ソファに寝転がったまま、億劫そうに藤原が応える。
篠山がこんな風に遠回しに何かを切り出してくるときは、大抵面倒ごとか、あるいは彼の琴線に触れた何かがあった時だ。
『そうそう、その時のセンブリ茶一気飲み対決のやつを編集してるんだけどさぁ、どうも剛士くんのリアクション、イマイチじゃないかなぁ』
う~ん、と唸りながら、カチ、とケンジントンのトラックボールマウスのボタンを押す。
モニターの中の剛士が、苦悶の表情で固まった。
『ほら、タイミングも表情もあってるんだけどさぁ』
篠山はそう言うと、再生と一時停止を繰り返す。
目が笑ってないんだよね。
『……そりゃ罰ゲームなんだから笑わねえだろ』
あいつそもそも甘党だし、と藤原は付け足す。苦いものなんて大っ嫌いだったはずだ。
『そういうことじゃあないんだよなぁ』
もう一度、カチカチと映像を戻す。
『ほら、あってるんだけどさぁ』
やっぱり目が笑ってないんだよね。
『....まぁ、青森と行ったり来たりしてるから流石に疲れてるんだろ?あいつもおっさんだからな』
最年少の剛士でも37歳。
43歳の自分も随分と疲れが溜まる。というか疲れなんて抜けきらないのがもう当たり前だ。
『そうかなぁ?まぁそうかもねぇ、僕だって辛いもん、あの移動は』
苦々し気な顔で、ガタの来始めた首をコキコキ鳴らす
『篠山さんなんてもう50歳が見えてるんだからもっとだよな』
ガハハと藤原は笑う。
だが、その後の言葉が続かない。
『でもこれさぁ、見てもらっていいかい?』
篠山がキーボードを巧みに操作する。
画面が左右に二分割され、それぞれに違う番組の剛士が映し出された。
『青森に行く前のやつと、この前のやつ。比べてみてよ』
左の画面には、ドッキリ企画で本気で驚き、ネタバラしに本気で悔しがり床を転げ回る剛士がいた。
その目は活き活きとしている。
右の画面には、センブリ茶の苦さに顔をしかめる、先ほどの剛士。
表情は作っているが、その目は、どこか遠くを見ているように虚ろだ。
「……」
それまで寝そべっていた藤原が、無言で体を起こす。
ソファの軋む音が、やけに大きく部屋に響いた。
顔から、だらしのない笑みは消えていた。
その沈黙を破ったのは、やはり篠山だった。
彼はモニターから目を離さずに、静かに、しかし確信を持って問いかける。
『きみは剛士くんのこと、気に入ってるだろ?』
『何か聞かされてないのかい?』
静まり返った編集室に、篠山の静かな声が響く。
それは問いかけでありながら、藤原の急所を的確に刺す、鋭い刃のようでもあった。
藤原は、何も答えない。
答えないのではなく、答えられなかった。
ソファから起こした体勢のまま、モニターに映る二人の剛士をただ睨みつけている。
分かってる。
青森から帰ってきてから、剛士の目が、今までみてきたゴウちゃんの目ではない事になんて。
分かってる。
そんなの、よぅく分かっている。
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その頃、多摩川河川敷
夜の闇が辺りを支配する中、等間隔に並ぶ街灯だけが、ぼんやりとコンクリートの遊歩道を照らしている。
ぬるっとした温度の川風が草の匂いを運び、都会の喧騒が嘘のような静寂がそこにはあった。
その一つの光の輪の中に、ジャージ姿の男が一人、立っていた。
桐原剛士だった。
右手に握られているのは、アリーナで使っていたような専用のブラシではない。
どこにでも売っている、ごく普通の家庭用の箒だ。
ザッ……ザッ……。
まるでそこに氷があるかのように、低い姿勢で、黙々と箒を左右に振っていた。
スイープの練習だ。
履き古したランニングシューズの底をすり減らしながら、ひたすらに、同じ動きを繰り返している。
止まっては、コーチから送られてきた動画をスマホで確認し、また素振りを再開する。
その額には玉の汗が浮かび、吐く息は熱を帯びている。
テレビモニターの中で虚ろな目をしていた男の姿は、どこにもなかった。
そこにいたのは、失ったはずの「熱」の欠片を必死に手繰り寄せようとする、一人のアスリートだった。