第6エンド 未来の微熱
負けた、完敗だ。
ヒンヤリとしたリングに大の字になって寝転ぶ。
アリーナの照明が、懐かしいリングライトにどこか似ているように思った。
しかし、気持ちがいい負けだ。
やれることは全てやりきって、今出来ることは出し尽くした。
最後の、泣きの1回で行ったゲームの3投目。
あれが良かった。
体が思い描いた通りに連動するあの感覚。
懐かしい、感覚。
『桐原さん、ありがとうございました』
先程まで、スイープ対決をしていた悠歩が、大の字になって寝ている俺に手を差し伸べる。
『やっぱり体の使い方、上手いですね』
顔合わせをしてからずっと、冷ややかな視線を送っていた青年から、初めて、どこか不器用な温かさを感じたように思う。
差し伸べられた手を取り、立ち上がる。
この、不器用な青年と少しだけ、理解し合えたような気がする。
―――――――――――――――
『青森アップルストーンズ、けっぱるべ〜!!』
という、やや安直なエンディングの撮影も終わり、藤原やアップルストーンズの面々が片付けをしている。
俺も手伝おうとしたが、「慣れない氷の上で、スイープ対決で疲れているだろうから」と、やんわりと断られた。
ベンチに座り、ぼんやりとリンクを眺める。
先程までの対決、久し振りにスポーツをした。
楽しかった。
さっきまで、ブラシを握っていた手に目を落とす。
あの感覚、最後のゲームの時のあの感覚。
随分と懐かしい感覚。
まだ微かに残る熱の残滓を反芻していると、視界の中ににゅうっと、温かいカフェオレの缶が現れた。
『剛士さん、お疲れ様でした』
カフェオレの缶の主は、パーマのかかった髪と丸眼鏡をかけた、スラリとした長身の痩せぎすな男だった。
(誰だっけ?)
と、記憶の中をガチャガチャと掻き分ける。
(間違いなく、確実に、自己紹介は受けているはず……重要人物だったはず……)
今朝方からの記憶を、超特急で遡る。
(……そうそう、青森アップルストーンズの為川晴信コーチだ)
そうだそうだ、今朝の顔合わせの時は申し訳ないが、緊張でそれどころではなかったのだ。
そのせいで、為川コーチの顔は望田の力強い挨拶で、記憶の彼方に消えてしまっていた。
忘れていた事を悟られないように、元気よく挨拶をする。
こういう時は藤原のように、元気と勢いで有耶無耶にすると、案外と乗り切れるものである。
しかし、為川コーチにはそんな過剰な演出が、逆に忘れていた事を雄弁に語っているように見えたらしい。
絵に描いたような苦笑いだ。
(すんません)
為川コーチはコホンと一つ咳払いをすると、口を開いた。
『流石ですね。最後の、あの3投目、良かったですよ』
ドキリとした。
自分でも唯一、確かな手応えを感じていた一投。
その感触が、自分だけの思い込みではなかったかもしれない、という言葉。
『いや、はは、本職の方に褒められると恐縮です』
(本当にそうだろうか。俺は今日、初めてリンクに立ったばかりの素人で、為川コーチからしてみればテレビ企画のお客さんだ)
『最後の1ゲーム、剛士さんの一投目を見たら、坂本くん、少し焦ってましたよ?』
意外な言葉に、俺は少し居住まいを正す。
(俺から見たら、今日一日、常に冷静沈着で落ち着いていたようにしか見えなかったがそうだったのか?)
『あいつ、ああ見えて結構負けず嫌いでしてね。もしかしたら、負けるかもと思ったんじゃないですかね?』
(……真剣にやっている、自分の競技に誇りと、積み重ねてきた時間に自負を持っている。アスリートなら、誰しも少なからずは負けず嫌いだ。負けたくはない。それが自分が人生をかけてやっている競技なら尚更だ。他人に、ましてや素人に負けるなどあり得ない、あってはならない。もしも俺が同じ立場なら、そう思っているだろう)
『たはは、流石にそれは褒めすぎですよ』
(人を乗せるのが上手いなぁ、その1ゲームも完敗だったというのに)
『どんどん動きが良くなっていきましたからね。もしかしたら、剛士さんがこのまま続けていったら……なんて、想像していたのかもしれませんよ?』
為川の言葉に、一瞬、呼吸が止まる。
(続けていたら……)
(もし、続けていたら……)
(あの、微かに感じた熱を、もう一度感じられたら……)
『まぁまぁまぁ、この企画、長いんでしょう? これからもお互いよろしくお願いしますね』
為川は和やかに結びの言葉を送る。
俺が返す言葉を失っている間に、ペコリとお辞儀をして去っていった。
続けていたら。
続けていたら、果たして何が待っているのだろうか。