第5エンド 熱の片鱗
『桐原さん、これ、見てください』
バラエティのノリでボケ倒す時間が終わり、今度はちゃんとカーリングの時間だ。
リンクの移動に四苦八苦している俺を見かねて、キャプテン・坂本悠歩がレクチャーをしに来た。
恐らく、これは藤原かコーチ辺りの差配だろう。
なぜなら、この坂本という青年はルックスが良い。整った顔立ち、涼やかな目元に一点の泣きぼくろ。青森の生まれだからか、キメの細かい色白の肌、伸びた背筋は、まるで氷上の王子と言ったような佇まいで、実に華がある。
(リーゼントの中年と氷上の王子、か。これほど面白い画はないだろうな)
このコントラストを、彼らは狙っているのだろう。引きのある、アイドル的な存在が、チームを分かりやすく注目させる為の、強力な武器になると知っているのだ。
最初は立っているだけで精一杯だったものの、悠歩から立ち方のコツをレクチャーしてもらったお陰で、何とか歩ける位にはなってきた。
なるほど、カーリングで使われるシューズというのは、片側の靴底に滑り止めが付いていて、こちら側で歩くのか。わけも分からず滑り止めのついていない方で踏ん張ろうとしていたのだから、そりゃあ難儀して当然だ。
おっかなびっくりと、滑り止めのある方で歩いてみる。一歩、二歩……。
ふむふむ、理解してみると、中々どうして楽しいじゃないか。
今度は滑り止めのついていない方で、スーッと氷の上を滑ってみる。
(ほほぅ、これこれは、悪くないね)
まだまだふらつくものの、自分の意志で動くことが出来る。そういえば、リングに初めて上がった時も、あの独特な感触に慣れるまで難儀したっけな。
遠くでは、何やら若者二人が談笑しているのが見えた。
『へぇ〜、あのおっさん、もう滑れるようになってるじゃん。いよっ! 名コーチ!』
この企画が決まった時からピリついている悠歩の肩の力を抜く為か、海至が大袈裟に囃し立てるが、
『いえ、俺は滑り止めが付いてることを教えただけですよ』
プイッとそっぽを向いて、悠歩が答える。
『おいおい、素直に褒められとけって』
リンクをぐるりと一周してきた俺に、不意に悠歩が声を掛けてきた。
『……体の使い方が、上手いですね』
(どこかぎこちないながらも、彼なりに気遣ってくれているのかもしれないな)
『いやいや、教え方が上手かったからだよ』
俺がそう返すと、悠歩は気恥ずかしそうに視線をそらした。
『……これ、映えますよ?』
いつの間にやら近くに来ていた佐山が、グイッとブラシを差し出す。思わず「おわぁ」と声が出た。
彼が言うには、カーリングといえばこのブラシを使ったスイープとのこと。
『対決しましょう』
―――――――――――――――
『いよぉ~~~~~!!!』
『鹿児島の剛腕番長VS氷上の王子!!』
『激闘!! スイープ対決〜〜〜〜!!』
藤原が声高らかに宣言をする。静謐なカーリング場に不釣り合いなダミ声が、響き渡った。
『さぁさぁさぁ!! リンクの氷を溶かす位にぃ! 二人には擦って、こすって、擦りまくってもらうぞぉ!!』
ゲーム前に望田から、スイープについてレクチャーをされたが、どうやら見た目に反して非常に繊細な技術が必要らしい。
そのはずなのだが、今回、藤原が提案したのは「とにかく擦れ!」。
一投三回勝負を三セット行い、投げられたストーンの飛距離を、スイープでどこまで遠くに運べるかという対決だ。
なんとも安直なゲームだが、ともすると、素人の俺にも勝ちの目はあるのかもしれない。曲芸のようにストーンの軌道を変えるような芸当は出来ないが、確かにリンクを擦るだけならば、単純明快だ。
(剛腕番長として鳴らした腕が伊達ではないというところ、見せてやろうじゃないか)
―――――――――――――――
負けた。
驚くほど分かりやすいくらいに、負けた。
ここは相手のリングの上、もといリンクの上だ。負けたって何も恥じることはない。
恥じることはないが……一矢も報いずに負けるというのは、やはり気に入らない。
『もう一回!』
リベンジマッチ。当然、負ける。
『もう一回!!』
少しは食らいつけるようになってきた。
『もう一回!!!』
(考える)
俺と悠歩のスイープの違いはどこだ?
対決に際して、望田が「スイープによって2〜3メートルの違いが出る」と言っていたが、ただブラシで擦るだけのはずなのに、何故こんなにも飛距離に違いが出るのだろうか?
悠歩のスイープを観察する。
(静かだ……)
ブラシの動きは激しいのに、静かだ。
(脱力か? 腕からじゃないな、肩からか? 重心の違いだろうか?)
今回も勿論負けたが、さっきよりは良い負けだ。
後少しで、何か手応えを掴めそうな感じがしたのだが、これで終わりにしてしまうと、どうにもムズムズしたものが残る。
どうしても、この感覚を確かめてみたい。
しかし、ここまでで既に撮れ高は十分あるし、リンクを借りれる時間も迫っている。このままでは撮影が終わってしまう。
終わってしまえば、この後もう一回など付き合ってはくれないかもしれない。明日になれば、この感覚はどこかへ行ってしまうかもしれない。篠山に至っては、今にもエンディングの一幕の撮影に移りそうな雰囲気を漂わせている。
どうしても、確かめたい。
何か、何かしなければ。
『……もう一回!! やらせちゃくれんでしょうかぁ!!』
俺は、氷の上に、両膝と両手をついていた。
さっきまで汗ばんできて、もう終わりたそうにしていた悠歩は、驚き困惑している。当然だ。自分よりも遥かに年上の男が、リンクで土下座をしているのだから。
この最高の画を、藤原が見逃すはずはない。
『まぁまぁまぁまぁ!』と二人の間に割り込み、強引に「泣きのもう一回」を成立させる。
その時だった。
それまでストーンの投擲をしていた海至が、俺のそばに近づいてくる。
『ゴウちゃん! どんどん良くなってんじゃん! マジで芸人じゃなかったんだ!』
と、まるで期待せずに読み始めたマンガの第一話が予想外に面白かった時のように、興奮した顔で捲し立てた。
『ゴウちゃん、このゲームは実際の試合と違って単純に擦るだけだけど、それでもコツがあるんだぜ?』
先程まで離れた位置からは、どのように見えていたのか。俺と悠歩の間に、どのような違いがあったのかを話し始める。
なるほど、俺は最初から兎に角がむしゃらに擦って、その結果、中盤からバテて失速していた。対して、悠歩は時に均一に、時に力強く、そして氷の状態によって強く擦る必要のない時には緩めていた、と。
ブラシで擦ることによって氷が溶けて発生した水分が膜を張り、その上をストーンが通る事で飛距離や軌道が変化する。三投とも同じラインを走るのだから、一投するごとに氷の状態は当然変化していく。
単純に真っ直ぐ進むストーンを運ぶだけなのに、それだけでもこれだけの駆け引きや戦略性があるのか。
あの坂本という青年は、この短いゲームの中にも、それを織り込んできていたのだ。
しかし、軽いノリのせいで隠れていたが、この海至という青年は教えるのが実に上手い。
人懐っこい雰囲気で、ジョークや比喩を交えて説明するので、ストンと腑に落ちてくる。
引退後にオヤジのジムでトレーナーをした時に、厳つい見た目と感覚でしか伝えられなかった自分とは大違いだ。
さっきまで薄モヤの中で手を伸ばしているようだった頭の中に、一筋の光が差してくる。
(よぅし、これで、これで、さっき感じた何かが掴めるかもしれない)
(もう一度、微かな熱に、触れられるかもしれない)