第28エンド 伏魔殿の主
『やぁやぁ、済まないね、待たせちゃって』
東京東都テレビの会議室。
俺の上司、そして、お互いのやり方を知り尽くしている男。
編成部長の古室茂明 (こむろ しげあき)が、この会議室に現れたのは、約束した時間から既に30分も経過していた。
随分忙しい.....いや、優先順位の違いか。
今の俺の立場が、改めて良く分かった。
『いえいえ、こちらこそ、お忙しい中ご無理を聞いていていただいて、ありがとうございます』
さて、この今では算盤の上で踊る合理主義の男を、どのように口説き落とそうか。
どうやって、主導権を握るか、俺のペースに持ち込むか....
────今まさに、口を開きかけた。
『それで....何だっけ?話って』
やられた。
雑談から空気を作って、そこから本題に持っていこうとしたが、席に着くなり先手を打たれてしまった。
俺がペーペーの新人で、古室がディレクターとして現場に立っていたときからの付き合いだ。
この古室という男の記憶力を、俺は良く知っている。
覚えていないわけがない。恐ろしく細かい事まで記憶しているようなやつだ。
つまりは、こういうことだ。
「昔の誼だから時間は作ったが、聞くつもりはないぞ?」
そんな言外の言葉が込められた古室のその一言に、高い、高い壁を感じた。
時計の秒針の音が、やけにはっきりと響き渡る。
ゴクリ、と唾を飲み込む音よりも、はっきりと聴こえた。
『....この前終わったカーリングの奴なんですがね。ドキュメンタリーとして、追わしちゃもらえないでしょうか?』
さぁ、どう来る?
どう反応する?
断る、それは当たり前だ。問題は、その断り方だ。
『藤原くん、それは無理だよ?』
柔和な顔から繰り出される、苦笑い。
「君の気持は分かるけど、それは無理だよ?」と、気遣いを装った仮面。
この苦笑いは、表情ではない。
彼の心は、微塵も揺さぶられていない。
突破口は.....どこだ。
『ややや!そこをなんとか!!』
机を挟んで向かい合う古室に、大げさな身振りと表情で頼み込む。
筋論も論理もへったくれもないような、めちゃくちゃな頼み方。
あえて、ツッコむ隙を与える。
向こうから、きっかけを引き出すんだ。
『藤原くん、君はずっとバラエティだったろ?今更ドキュメンタリーだなんて、出来るのかい?』
───ほら、来た。
取り付く島が、出来た。
『いやほら、そこは私には、篠山さんという強力な相棒がいますから!』
俺はバラエティのノウハウしか持っていない。それも、今や時代遅れになっている。
であれば、餅は餅屋だ。
篠山さん、頼んだよ。
『うぅん、確かに、篠山くんは昔ドキュメンタリーとか歴史物を作ってたけどさぁ....』
古室が腕を組み、苦々しげに口を開く。
『「うなぎの稚魚の謎」とか「幕末の床屋事情」みたいなのばっかりだったからなぁ』
「イルカとかマヤ文明とかなら、もう少し良かったんだけどねぇ」
やれやれと言った顔でボヤき、「あぁ、僕は好きだったよ?」と、フォローにもなっていないフォローをする。
(....篠山さん、あんたそんなの作ってたのか)
そりゃあ数字は出ないよと、俺があてにしていた餅屋は、どうやら見当違いだったらしい。
何にしても、このままではマズイ。
この古室もまた、百戦錬磨のテレビマンだ。
それに加えて、伏魔殿のような厳しい社内政治を生き抜いてきた古狸。
いつものような、熱と勢いに任せたやり方なんて、到底通じないだろう。
さっきみたいに、ビシッと痛いところを突かれてしまうのがオチだ。
......ここは一つ。
篠山さんみたいに、引いてみるか.....
『....古室さん。我々が輝いてた平成は、本当にもう、終わっちまったんですね』
しんみりとした空気になる。
目の前にいる、現実的で、数字にこだわるこの男もまた、同じ時代を駆け抜けた仲間なのだ。
根っこは同じ、面白いものを追い求める、テレビマンなのだ。
『青森で、若い奴らと話した時にはビックリしましたよ。家にテレビを置いてないなんて、もう珍しくも無いんですって。
テレビを観てるのはじいさんばあさんくらいだって、青森のド田舎なのに、ですよ?』
古室も、俺も、とっくに分かっていた。
それでも、なんとかして認めたくなくて、目を逸らしていた現実に、彼は静かに目を伏せる。
自分達が死に物狂いで生きてきた世界が、テレビが、俺たちの黄金時代が、遠い過去の遺物になってしまったのだ。
『....でも、本当にそうですか?テレビは、俺達は、本当に終わっちまったんですか?』
つい、熱くなってきた。
『もう一度....もう一度見せてやりましょうよ!テレビは凄えんだって!俺達は、凄えんだって!!』
拳に力が入る。
目頭が、熱くなってきた。
それまで腕を組み、沈黙していた古室が、口を開く。
『....ドキュメンタリーはね、時間がかかる。結果が出るまで追わないといけない。
.....つまり、金がかかる』
.....駄目か。
唇をギュッと噛む。
すまん、剛士。
沈黙が、重い。
『....あんまり、出せないよ?』
ハッと、顔を上げる。
組んでいた腕が、だらりと下がり、会議室の後方、いや、昔を思い出すように、あの日を思い出すように、俺達の、黄金時代を思い出すように、遠い目をしている。
『「猛烈コイントスダービー」、あれは良かったねぇ』
『みんな必死でさぁ、予算もクソも関係なくて、兎に角終わらせるのに必死でさぁ』
「イカサマすりゃあいいのに何でか、みんなそこは律儀にやってさぁ....」
「本当に馬鹿だったよねぇ」と、くっくっと苦笑する。
「あの時のほら、畠中くんには、未だに恨み言を言われるよ」と、ぽつりとこぼした。
懐かしい、栄光の記憶。
俺達が駆け抜けた、黄金の記憶。
『もう、あんな楽しいのは、僕は出来ないよ』
その目の奥に、深く、深く、諦めがきざまれている。
遠い昔に、捨ててしまったもの。
出世と引き換えに、蓋をしたもの。
それを未だに、後生大事に持ち続けている。
青臭い情熱を、未だに持ち続けてる。
かつて共に同じ現場を駆け抜けてきた、仲間が。
ふぅっと、息を吐きだした。
だからさ。
『.....良いじゃない。元ボクシング世界王者が、今度はカーリングで王者になったら、素敵じゃない』
───首の皮一枚。
薄皮一枚で、繋がった。
「あぁ、勿論。何も起きなかったら、その時は考えておいてくれよ?」
と、古室が付け足したことは、聞かなかったことにしておこう。
うん、そうしよう。




