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GO!!~氷上の剛腕番長~  作者: 渋谷直樹
第4巻:もう一つの闘い
27/33

第27エンド 俺のヒーロー(後)

『引退したアスリートなんて、言っちゃ悪いけど僕らからしたら、そこまで珍しいものじゃないじゃない?』


 そう、例えば長嶋とか、王とかイチローみたいな。

 羽生善治とか、武豊みたいな。

 そのジャンルの教科書に載るような、絶対的な選手なら、理解出来る。


 世界王者といえど、格闘技のジャンルも増えた今となっては、そこに入るかはいささか疑問だ。


『....そりゃあ、剛士は良いリアクションを取るからね!』


 まあねぇ、確かに、彼のリアクション芸は、そんじょそこらの芸人では太刀打ちできないだろうさ。

 話術やコントと言った別の手段、悪く言えば逃げ道がある人達と違って、剛士くんには、これしか無い。


 そう、育てたのだから。


 だからこそ。


『今はそうだけど、最初なんて酷いもんだったじゃない。藤原くん、面白くない人間はすぐ切っちゃうのに』


 オーディションで、部屋に入ってきた時の顔を見ただけで、ネタを観る前にボツにした。

 そんなの、珍しくもない。

 別番組で使ってみても、やはりイマイチだった。


 笑いに対して、そんな獣のような嗅覚を持つ男が、使い続けた。


『....んん、まぁほら....剛士の階級の日本人のチャンピオンは、まだ少ないからさ』


 いつも立板に水の如く話す藤原の、歯切れの悪い返答。


 ───防音のために密閉された編集室に、換気のためのファンの音が、単調に鳴り響く。

 キラキラと、切れかけの蛍光灯に照らされた埃が、静かに舞っていた。


『....篠山さん、あんた格闘技は好きかい?』


 藤原の声のトーンが、一段、低くなる。


『いいやぁ?観ないねぇ』


 運動だって、苦手なのだ。

 家で観るのはもっぱらナショナルジオグラフィックか、世界ふしぎ発見!位だ。

 あと、たまにガイアの夜明けとか。


『だよなぁ....俺もだよ。剛士以外は、知らん』


 俺はバラエティばっかりで、格闘技なんか全く知らん。

 畠中ぐらいじゃないかい?好きなのはさ。


『ふぅん、じゃあ、なんでまた剛士くんだけ?』


 ────ウォーン......


 編集用のパソコンが、ケースに溜まった熱を吐き出す。

 それを受けて、部屋の温度が、ほのかに温められた。

 藤原の額に、じわりと、汗が浮かんだ。


『────あいつは....桐原剛士は、俺のヒーローなんだよ』


 ぽつり、ぽつりと、彼は話し始めた。


『何年くらい前だったかなぁ、10年とか、もうちょっと前とかだったかな....。

 その時はもうテレビはネットに押されててさ、コンプラとかで俺のやり方も通用しないし、何より、飽きられてた。それで腐ってたんだよ』


 小さな小さな、ヤニ臭い編集室で、遠くを見るように、過去に遡るように、ぼんやりと視線を宙に向けた。

 同年代のテレビマン達が、誰もが直面したであろう、時代の流れ。

 それはこの、才能にあふれた、平成の視聴率男も、例外ではなかった。


『会場を埋めたいから来てくれって頼まれてさ、まぁ世話になってる人だったから、興味もないけど行ったわけよ。

 その時の剛士の相手がスペインの.....なんとかって言う、すかした色男でさ。

 こいつが、またすばしっこかったんだ。闘牛士みたいに、ヒラヒラ躱しやがるんだよ』

 肩をすくめて、へへっと、軽く笑う。


『最初はさ、こんだけ人がいたら視聴率は何%だろうなぁ、とか、ぼんやりみてたんだけどよ。

 剛士のやつ、タコ殴りになりながら、ずぅっと前に出てるんだよ』

 アーロンチェアにどっかりと腰掛けていた体が、いつの間にか、前のめりになってきている。


『段々、じっとしてらんなくなっちゃってさ、気が付いたら、いけぇ!そこだぁ!バカぁ!!なんて、野次飛ばしてたよ』

 彼はもう、この小さなヤニ臭い、窓際の象徴の虎ノ門の編集室にはいない。

 まるで、あの時の観客席にいるかのように。

 あの時の熱狂を、思い出すかのように。


『俺も、他の奴らも、もう負けたって思ったよ。スペイン野郎なんてもう、勝ったってツラしてやがったんだ。

 でもさ、この時にさ、剛士だけは、諦めてなかったんだよ!』

 グッと拳が握られ、その目には、試合の熱気が、一人のボクサーの戦いに心を動かされた、あの時の熱が、浮かんでいた。


『もう、どんどん前に出てさ、何度か良いのを入れたりしちゃってさ!

 そしたらやっこさん焦ってきたんだろなぁ、大振りなパンチになってきたんだ!


 ───そしたら、だよ?


 さっきまで殴られっぱなしだった剛士のストレートがさ!

 ガーン!!って、やつの顎にめり込んだんだよ!!

 あの、ほら!明日のジョーみたいに!クロスカウンターってやつ!!』


 ブンブンと、拳を振る。

 まるで、その時の試合を、再現するかのように。

 如何にその試合が凄かったかを、言葉では語りきれずに、思わず動いてしまったかのように。


『........だからよ、篠山さん。

 黙ってられるかい?

 じっとしてられるかい?

 俺のヒーローが、桐原剛士が、忘れられちまうなんて』


 ......一転、熱狂の過去から、非情な、冷たい現実へ。

 腐っていた、燻っていた自分の心に、もう一度火を点けてくれたヒーローが、世間から忘れ去られてしまう恐怖、哀しみ、悔しさ。


 いつも見てきた相棒の、初めて見る顔。

 初めて聞いた、心の内。

「平成の視聴率男」ではなく、「藤原義久」の。


 ふぅっと息を吐いた。


『.....じゃあ、頑張らないといけないねぇ。

 剛士くんが、もう1回チャンピオンになる所、カメラに収めないと、行けないもの』


「全く、最初から素直にそう言えば良いのにさぁ。

 本当に、不器用な奴だよ」


 目がチカチカするのは、きっと、この狭い部屋の埃のせいだね。

 きっと、そうさ。

 目薬でも、ささなきゃね。


 カチャリ、と。

 眼鏡をズラす音が、静かに響いた。

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