第23エンド 周縁の熱狂
青色のカーテン。
パイプ椅子と長机。
何の変哲もない、簡素な会議室。
『えぇ~、みなさん、最近こんな人がバズっているのはご存知でしょうか?』
良く通る声の、小太りの男が問いかける。
彼が、漫才コンビ「馬、走る」のツッコミ担当、森野昌幸。ネットミームになった張本人だ。
その隣には、相方の高島航大がニコニコと、人の良さそうな笑顔で立っている。
佐山はこっちの方がヤバいと言っていたが....
そうなのか?真面目そうな好青年にしか見えないが。
『カーリングおじさん!!どうぞ!!』
セリフを一区切りをすると、森野がサーカスのショーマンのように大袈裟な身振りで招き入れる。
この俺、カーリングおじさんを。
『ヤー!ヤー!ヤー!どうも!カーリングおじさんです!!』
三脚に立てられたスマホ、スタッフが持っている撮影機材も手持ちのスマホだ。
撮影と言うには随分と小ぢんまりしているが、藤原の企画も篠山と俺との三人で行うのが殆どで、機材もみんながイメージするようなテレビのカメラではなく、家庭用のハンディカムだから大した違いは無いかも知れない。
後半なんて「スマホでも良いんじゃないかなぁ、軽いし」などと良くボヤいていたものだ。
『いやぁ、ご本人登場!キレッキレですねぇ!』
まるでここがテレビの、キー局の立派な収録スタジオで行っているかのような、熱のこもった声が、小さな会議室いっぱいに響き渡った。
───────
『では、今回のコラボゲストはカーリングおじさんこと、桐原剛士さんでした!!』
汗ばんで、若干息を切らした森野が、高々と動画の終了を宣言する。
「はい...おっけーです!!」
堀の深い顔に知的な光を目に宿したスタッフが、撮影終了の声をかけた。
緩い、ホッとしたような空気が流れ出した。
『いやぁ、お疲れ様です!今回は本当にオファーを受けていただいてありがとうございました!』
差し出された手を握る。
グッと力強く。
『いやぁうん、ほんと、びっくりしたもんなぁ、断られると思ってたもん』
高島がほーっと、安堵の声を漏らす。
なんとなく、佐山の言っていたことが理解できるかも知れない。
笑顔....というよりも、顔の筋肉が、コミュニケーションを取るうえで最適な笑顔のカタチをとっている。
そんな、まるで精巧なアンドロイドが社会に紛れ込んでいるような違和感。
俺の右フックを自然と森野が受けるように仕向けていた男から、初めて見ることが出来た、人間らしい感情。
『いやいや、こちらこそ』
彼らの所属する事務所の中でも隅っこにある、以前までは倉庫として使われていたという簡素な会議室。
自由に使っていいからと、半ば掃除を押し付けられるように与えられた小部屋。
普段収録をしているバラエティのスタジオに比べれば、遥かにチンケな、小さな小さな会議室。
しかし、本物の熱が、ここにはあった。
『いやしかし、最初にカーリングおじさんを知った時はびっくりしましたよ!これゴウちゃんじゃん!って!』
森野は撮影中とはまた違ったテンションで、興奮気味に話し始めた。
『あのほら、伊能忠敬のやつ、僕あれめっちゃ好きなんですよ!』
「篠山さんの録画して無かった事件とか、旅館で責任のなすりつけ合いしてたのとか!」
屈託の無い、純粋なファンの笑顔で、かつての苦々しい思い出を、キラキラとした顔で「最高だった」と語っている。
あの企画はすぐに打ち切りになったのだが、そうかぁ....
観てる人がちゃんと、いたのか。
『でも、あれですね、ボクサーのパンチって本当に危ないんですねぇ』
「マーちゃん受け身取れるか分からないから怖かったよ」
「でも本当に漫画みたいに首ってギュンってなるんだねぇ」
と、俺の右フックを受けるのを上手いことなすりつけた本人が、いけしゃあしゃあと笑っている。
『お前!絶対に分かっててやっただろ!?マジでトラックとぶつかったと思ったぞ!チャンピオンのフィニッシュブローなんて危ないに決まってるだろ!』
「当たり前だろ!?俺はただのデブだぞ!?」
幼馴染で組んだコンビらしい歯に衣着せぬ、微笑ましいやり取り。
そうやって、もう撮影も終わったというのにぎゃあぎゃあと、丁々発止のやり取りを続けている。
何とも仲のいい奴らだ。
何より、彼らは、俺をカーリングおじさんでも、テレビタレント・ゴウちゃんでもなく、元ボクシング・スーパーライト級世界王者として扱ってくれた。
だからこそ、俺の右フックを受けるなんて流れを用意してくれた。
『そりゃあこれでも一応、世界を獲った右ですからね』
30歳になったばかりの彼らからしたら、俺が世界王者になった試合なんて、遠い過去の出来事だろう。
9年もあれば、小学生だって高校生になるほどの時間だ。
....千春が、高校生か。
もしも彼氏なんて連れてきたら.......
俺は、この右フックを、抑えられるだろうか。
『いやいや!!一応じゃないんですって!マジで!意識飛びましたよ!』
実際に俺の右フックを受けた森野が、思い出したように喚く。
芸人ならば体を張るのは美味しい撮れ高の一つではあるが、それでも嫌なものは嫌なのである。
強力ゴムや逆バンジーのような、何となく威力が予想できるものならまだしも、ボクサーの、しかも世界を獲ったフィニッシュブローなら尚更だ。
『あのほら、ペレイラ戦の動画の打ち合いなんて、思いっきりストレート受けてたじゃないですか。あれで逆転しちゃうんだもん。マーちゃんだったら死んでるよね?』
このオファーをするにあたって、彼らは、俺のデビュー戦まで遡って、ボクサーとしての桐原剛士を調べてくれた。
ありがたい。
巻内さん、友利さん、そして彩夏。
俺は人に恵まれている。
やっと、俺は世界王者だと、胸を張れている。
そして、この目の前の2人が、わざわざ俺の過去を調べてくれていた。
ありがとう。
本当に、ありがとう。




