第2エンド 氷上への招待状
『カーリング?』
思わず間の抜けた声が出てしまった。
『そ!カーリングだよ!カーリング!!
おまえも聞いたことぐらいはあるだろ?
ほら、あのストーンを滑らせるあれだよあれ!』
都内にあるテレビ局、先日の電話を受けて果たして一体どんな無茶なことをやらされるのかと思っていので思わず。
『はぁ.....』
気の抜けた返事が出てしまう。
そんな俺の様子をみて焦ったらしく、如何に今回の企画が素晴らしいのか、如何に可能性に満ちた企画なのか、藤原はまるで大観衆の前で演説する大総統のように、芝居がかった身振り手振りと大きな声で捲し立てる。
藤原の言葉を浴びていると、まるで猛ラッシュを仕掛けられて、今やロープ際に追い込まれてサンドバッグ状態になっているような気分だった。
(東洋太平洋戦の時のあいつ、なんて名前だったっけ?)
丁度その時にそんなような状況になったのを思い出して苦笑する。
『鹿児島の剛腕番長、氷上に立つってな!リングに立ってた男が今度はリンクに立つって中々シャレが効いてるだろ?』
藤原が会議室の簡素な机から身を乗り出して自信満々の顔でこちらを見つめる。
リングとリンク、まるで世紀の大発見でもしたかのような勢いだ。
『まぁ、アフリカよりは遥かにマシですけど、それよりも俺は鹿児島出身ですよ?
雪だって東京で降ったやつしか見たことないし、大丈夫ですか?』
そうなのだ。
自分は鹿児島の中でも南端。
本州というよりむしろ沖縄の方が近いのでは?
とすら思える南大隈町の出身なのだ。
上京するまで雪などというものはニュースで聞く縁の遠い出来事だったのだ。
『コケたらコケたで撮れ高が出来ていいじゃねぇか、それにカーリングは靴でリン
クに立つらしいし多分大丈夫だろ!』
多分、らしい、きっと、藤原らしい何とも無責任な説得ではないか。
とはいえ確かに国内の企画ではあるし、そんなに無茶な事をするような感じはしない、ただ、企画の趣旨的に青森と東京を行ったり来たりすることになる。
それはつまり、家族との時間がかなり減ってしまうことになる。
最近、娘の、千春の寝顔もろくにみれていない。
ママという言葉はすぐに覚えた。
天才だと思った。
しかし、パパと自分の事を言ってくれたのは随分経ってからだった。
一緒にいてあげられる時間は確かに少なかった。
だからこそ、家族の為に精一杯働いてきたつもりだ。
「見返りを求めてはいけないよ」と、娘が生まれた事を報告した際に、珍しく真剣な顔をした藤原からポツリと言われたことを思い出したが、それでも堪えた。
受けるつもりではいるが、迷う。
そんな逡巡を感じ取ったのか、それまでのんびりと企画書を眺めていた人物が口を開く。
『良いんじゃないかなぁ?』
まくしたてるように熱弁を振るう藤原とは対照的に、ゆったりとした、まるで午後の授業をする大学教授のような、穏やかな声が間に入る。
『ジャンルは違うけどさ、剛士くんも久し振りのスポーツ企画だから、激辛ラーメンよりは楽しめるんじゃあ無いかな?』
声の主は藤原とコンビを組むディレクターの篠山貴幸だった。
先程まで、熱のこもった藤原の演説を浴びていたせいか、不思議と考えさせられる。
そう言われると、そうかも知れない。
確かにここ数年はドッキリだったりバンジージャンプだったり、スポーツとは無縁の、体を張ったような企画ばかりだった。
なによりも、娘にピカピカのランドセルを買ってやりたい。
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鹿児島から上京してきた時は家庭や、ましてや子供なんて邪魔でしかないと思っていた。
けれど、たまたま伊勢丹の新学期コーナーに立ち寄った際に、娘が指さして「これ可愛いね」と緑色のランドセルに目を輝かせていた。
あの時に何とも言えない、どう表したらいいのかわからない気持ちになった。
もしかしたら、ここは踏ん張りどころなのかもしれないな。
娘が伊勢丹で買った緑色のランドセルを背負って、紙の花で彩られた入学式の看板を横に緊張した顔で立っているさまが思い浮かび、目頭が熱くなる。
すぅっと大きく息を吸い。
『わかりました。シベリアでクマと相撲とってこい、なんてような企画じゃないですし、やりますよ』
久し振りのスポーツ企画だ、篠山の言ったように激辛ラーメンよりは遥かに良い。
『おぉ!流石は剛士!!やっぱり俺の企画にはお前しかいない!!先方にはもう了承を取ってあるからな! 明日には青森だ!』
目を爛々と輝かせ言い放つ。
『明日!?』
あまりにも唐突な宣言に目を白黒させる。
文句の一つでも言おうかと口を開きかけると
『移動だけでも一苦労だよね〜、腰をやらないように気を付けなくちゃ』
篠山の何とも気の抜けたボヤキに、初めてメキシカンボクサーと戦った時のように、リズムを崩され出鼻を挫かれる。
それでもせめてもの抵抗はしなければいけない。
『流石に明日はいきなりすぎじゃないですか?』
無抵抗のまま王者・藤原のラッシュにノックアウトされる訳にはいかないのだ。
『ん?どうした?何か予定でもあったのか?』
王者からの強烈なカウンター。
『いやぁ、特に無いですけど....』
挑戦者は呆気なくK.Oされてリングに倒れ伏す。
悲しいくらいに空白の目立つスケジュール表が、頭に浮かんだ。10カウントどころか、プロレスの3カウントで十分だ。
そんな空白をどうやってなのかは分からないが、藤原は知っていたのだろう。
気が付くといつも藤原のペースに巻き込まれている。
電話に出た時点で、どうせこうなる事は予感していたのだ。
諦めとともに、大きくため息をつき。
『伊能忠敬 をやってみよう、の時みたいに録画してなかったとかはやめてくださいよ?』
散々歩いて笑いを取ろうにも、何にも無い海岸線で無理くりボケ倒した苦い経験を思い出す。
そんな心情を知ってか知らずか
『流石にそんな事はやらないよぉ、僕らはベテランだからねぇ』
録画ボタンを押し忘れた張本人が、飄々と答える。
そう言いながら、篠山は腕時計をチラリと見るや、先程ののんびりとした態度からは打って変わって、企画書を素早く鞄にしまい帰り支度を始めている。
『もう帰るんですか?』
腐れ縁とはいえ、こうして顔を突き合わせて会うのは久し振りなのだ。
話がまとまるや、いそいそと帰り支度をする篠山を見て、少しさみしい気持ちになる。
『うん、今日はもう定時だからね』
そうだった。
篠山とは、こういう男だった。