第12エンド 抜けない棘
『おう!剛士ぃ!!久し振りやねぇ!!』
バリバリの博多弁。
アディダスのジャージ、黒革のセカンドバッグに短く刈り込んだ髪。
巻内寛二。
通称「鬼の巻内」は、かつて俺のいたジムの大先輩で、日本人初のミドル級世界王者だ。
鬼というのは性格や人柄ではない。普段から気さくで豪快な、みんなの兄貴分だ。
ではなぜ「鬼」などとあだ名がついたのか?
それは、相手の心をへし折るまで一切手を緩めない、鬼神のような戦いぶりから取られている。
現役時代のビデオを見たことがあるが、戦慄した。
同じ時代の同じ階級に生まれなくて本当に良かったと、心の底から思ったのを覚えている。
そんな巻内も、今では飲食店を数店舗経営していて多忙な実業家だが、たまたまテレビを観ていたら俺を見つけて。
「久しぶりに飯でもどうだ?」とのことだった。
無論、大先輩からの誘いだ、断るはずもない。
現役を引退してからもう20年以上は経つのに、あの時のようなギラつき、鋭い闘志は今も変わらない。
いや、むしろより研ぎ澄まされていっているように思える。
高円寺にある年季の入った店。
赤と黄色の背景に、筆で書いたような荒々しい店名。
居酒屋「ぼでいぶろう」。
ミドル級の、世界の猛者たちを何人もリングに沈めてきた、巻内の必殺技が由来の店名だ。
現役の頃、巻内にスパーをしてもらった時にこのボディブローをモロに叩き込まれた事がある。
まるで砲弾がめり込んだのかと思う程の衝撃が走り、完全に呼吸ができなくなったのを覚えてる。
確か、あの時は生意気にも意地を張って「まぁまぁっすね」なんて、脂汗を流しながら強がったものだ。
それを見て巻内がケタケタと笑っていた懐かしい記憶が、まるで昨日の事のように蘇る。
店内には「最強」「爆弾」「激ウマ」などといった強気な文字が、赤や黄色に緑など、目にチカチカする位に散りばめられている。
『俺の店やけん好きなだけ食えや!』
『ウスッ!ご馳走になります!!』
巻内の中では俺はまだ、いつも腹を空かせた駆け出しの若造に映っているのだろう。
何より、腹いっぱい食わせるというのが、昔から変わらない、彼なりの愛情表現なのだ。
金のない頃は随分と奢ってもらったのが懐かしい。
久し振りの再会に、昔話に花が咲く。
そうして、巻内が静かに切り出した。
頑張っとるみたいやね
……ヒーヒー言いながらですけど何とか
で、どうや?
え?
色々やっとるんやろ?どうや?
....
山盛りに盛られたもつ鍋が立てる、グツグツとした音が、やけにはっきりと聴こえた。
『俺も昔はテレビとかよぉやっとったけん分かる』
回りくどいことが嫌いな男からの、精一杯の配慮。
巻内が何を言いたいのか、何を聞きたいのか。
分かる。
───お前、リングに立っとるんか?
口にはしない。
それでも伝わる。
何を言いたいのか。
どういう意味なのか。
嘘は吐けない。
誤魔化しも出来ない。
俺を射抜く、真っすぐな目。
俺は、いままでずっと、あの日から。
俺の視線をあの白いタオルが横切った日から。
深く、深く、突き刺さった、抜けない棘に手を触れた。
『...........俺は、世界王者なんすかね?』
惨めだ。
『......ベルト巻いたんやけん、チャンピオンに決まっとっちゃろ』
正しい、勝負の論理。
『....でも、タオルですよ?』
相手の、マルコの目は全く死んでいなかった。もしもあのまま続けてたら、わからなかった。
『お前のほうが強かったけん、向こうもタオル投げたっちゃん』
もっともだ。そこまで追い詰めたのは紛れも無く俺の力だ。
誰だって、タオルなど投げたくはない。ギブアップなどしたくはない。チャンピオンのベルトを手放すなんて、したいはずもない。
だから、マルコの目は死んでいなかった。
マルコのセコンドも、それは良く分かっていた。それでも、タオルを投げざるを得なかった。
そこまで、追い詰めた。
……そう、今まで何度も、そうやって自分を納得させようとしてきた。
『なんちゃあ、そのしけたツラは。ええか剛士、俺たちの世界にはな、“だって”とか、“もしも”なんて無い。お前もよぉくわかっとぉやろ?』
『........』
巻内が大きく息を吐く。
『お前、カーリングやっとっちゃろ?そいつらに聞いてみろ。「相手が途中で棄権して、勝った。それは勝ちなのか?」って』
勝ちだ。
間違いなく、そう答えるだろう。
全員が、人生を賭けている。いつかの打ち上げの時の、為川コーチの熱が脳裏を過る。
あれほどに人生を賭けているならば、どんな勝ち方でも死に物狂いで獲りにいくだろう。
『勝ったもんが強い。それが俺たちの、勝負の世界やろが』
返せる言葉が無かった。
巻内が言うことは全て、事実だ。
スーパーライト級世界王者決定戦、桐原剛士VSマルコ・アレハンドロ・マルケスは、マルコのタオル投入で桐原剛士が勝った。
それが、事実だ。
誰の目にも映る、事実だ。
俺の様子を見ていた巻内が、ボリボリと頭を掻く。
『はぁ〜、お前の変に真面目な所は変わっとらんなぁ。相変わらず面倒くさい性分しとる』
パッと、店の空気が変わる。
『こっからは飲むぞ!久し振りなんやけん、最後まで付き合え!』
『....ウッス!!』
煮詰まったもつ鍋の、スープが塩辛かった。




