第10エンド 遠いリンク
『剛士さん、ボクシングの元世界王者は、流石ですね。身体操作の理解力が全然違います』
練習試合が終わり、後片付けが始まったリンク。
その喧騒を少し離れた場所で、為川はリンクサイドに座る藤原にぽつりと話しかけた。
『確か、スーパーライト級....でしたっけ?』
すみません、格闘技は疎いもので、と為川は苦笑いをする。
その言葉に、藤原は待ってましたとばかりに胸を張った。
『そうそう!そうでしょう!!あいつのパワーと体幹は本物ですよ!!』
自慢のタレントを褒められ、藤原はご機嫌だ。
だが、すぐに目の前のコーチの表情が、単なる称賛だけではないことに気づく。
長年、人の心の機微を撮り続けてきたプロデューサーの勘が、そう告げていた。
『……それだけじゃないんでしょ?』
藤原の真っ直ぐな視線に、為川は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに諦めたようにふっと笑みをこぼした。
『たはは……お見通しですか』
為川はぽりぽりと頭を掻きながら、言葉を続ける。
『おっしゃる通り、彼のスイープは既に初心者のレベルは超えています。東京でも、相当練習をしているのが良く分かります。ですが……』
そこで一度、言葉を切る。
為川の視線が、リンクの向こう側へと向けられた。
藤原も、その視線を追う。
視線の先には、勝利を喜ぶチームの輪から少しだけ離れ、一人佇む剛士の姿があった。
彼は、ただじっと自分の手のひらを見つめている。
『……カーリングは、腕力だけではどうにもならないんです。特に、ストーンを投げるデリバリーは、何千、何万回と氷の上で繰り返すことでしか身につかない、繊細な感覚が全て。あればかりは……どうすることもできない』
コーチの静かな声が、リンクの冷気と混じり合う。
それは、褒め言葉の裏に隠された、あまりにも「現実的」な課題の提示だった。
そして、拳を握りしめる剛士の姿が、その課題の重さを何よりも雄弁に物語っていた。
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津軽スーパーミッキーズ。
地元の主婦などの趣味の人達で構成された、男女混合の地元カーリングチームだ。
しかし、趣味といえども決して侮るなかれ。
全員が最低でも10年以上はカーリングを続けている手練れのチームだ。
それに、何人かは悠歩と海至の出身である、ちびっこカーリング教室でコーチをやっていた人達だ。
悠歩達からしてみれば師匠である。
今回は、初心者の俺が参加することもあり、胸を貸してくれた。
途中までは良かった。
氷の上での移動も、スイープも。
しかし、ストーンの投擲、デリバリーがどうにもならなかった。
結局、アップルストーンズのメンバーのリカバリーのお陰で何とか勝てたようなものだ。
東京でも練習を積んでいる事をチームのメンバーは認めてくれているが、自分の中に沸き立つ感情だけはどうにもできない。
足を引っ張っている。
言い訳なんて幾らでもできる。
東京に住んでるから、初心者だから、企画で来ているだけだから。
違う。
そんなんじゃあない。
そんな気持ちでリンクに立っているのではない。
やれる事は出来る限りやっているつもりだ。
それでも、どうにもならない。
片付けも終わり、スーパーミッキーズの面々とアップルストーンズのメンバーが和気藹々と談笑している。
その中に、どうしても混じれない。
そんな資格が無いように思えて。
ポンと肩が叩かれた。
振り向くと、初老の男がそこにいた。
スーパーミッキーズのキャプテンの那須野清だった。
『あんたやるねぇ!さっき、かいくん達から聞いたけどさ、まだ半年も経ってないんだって?』
ニコニコと労いの言葉をかけられた。
『いやぁ、はは....まだまだっす』
そう、まだまだだ。
『東京なんでしょ?デリバリーは難しいもんね~』
僕も苦手なんだよね~、と苦笑する。
聞けばこの那須野はカーリングを始めてもう20年近くなのだという。
そんなベテランでも難しいのだとボヤくのだ、始めたばかりの俺には、那須野の感じる難しさの爪の先ほども分からないだろう。
『桐原さん』
急に名前で呼ばれてドキリとした。
『あの子達、本気なんだよ。本気でやってるんだ。だからさ、頼んだよ?』
小さい頃から教えてきた、身内のような子供が本気で競技に打ち込んでいる。
那須野にとって親のような気持ちなのだろう。
すぐに言葉が出てこなかった。
『まぁ、もし青森に引っ越すんだったら声かけてよ!僕ね、顔は広いからさ!!』
バンバンと励ますように俺の背中を叩き、大きく笑う。
明日にはまた、東京に帰る。
まだ、帰りたくないと思った。




