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ある結末

作者: 雉白書屋

 ここ、オームドランドは夏場は特に糞みたいな臭いがするが

私にはとっては都合が良い町と言える。

 創作意欲が刺激され、脳が震える。

いや、別に糞の臭いが好きとかそういうわけではない。断じて。

 実際、脳を震わせたい時にはドラッグも手に入れやすい上に

ここは狂人変人の見本市のような所であり事件

それも不可解なことがたまに起こるからだ。

 私自身は一応、普通人であり残念ながらそういった事件に遭遇したことはないが。

いや、『なかった』だ。



「どうして彼を殺したんですか?」


 その声がしたのは私がスーパーの茶色い紙袋を抱え、ドアに鍵を挿した瞬間だった。

私は『ドアが喋った』などとくだらないことを思いついた次に

袋の中の卵を潰してしまわないか気にした。

あのスーパーの店員の手際の悪さといったら腹立たしささえある。

帰り道を歩いている時もボトルの牛乳が

卵を押しつぶしているような感覚が終始、腕の中でしていたのだ。

 だが多分大丈夫だ。問題ない。卵も、背後の声も。

 そう信じ、私はゆっくりと振り返った。


 そこにいたのはひとりの青年だった。

ちょうど吹いた秋風が落ち葉と彼の前髪を弄んだ。

 彼は私を真っすぐ見据えたまま動かない。

質問の答えを待つ生徒というよりは教師のようだった。それも威圧的な。


「あー、彼とは……?」


「……先生が書いたお話に出てくるあの彼のことです。

なぜ……最後の最後で殺したんですか」


 私が書いた話のことを言っているのはわかったが、はて、どれのことだろうか。

人が死ぬ話は多い、いや、毎回必ず誰かが死ぬ。

しかし、物語とはそういうものだと私は考えている。バッドエンドだと尚良し。

そうではない者がいることは承知だし、抗議の手紙が編集部に届いたこともある。

彼もまたそれを送った一人かはわからないが驚きだ。

ここの住所はどこで知ったのか。

いや、人の口に戸は立てられない。調べようと思えば調べられるはずだ。

 しかし、実際に会いに来るその熱意。

それは彼がいかに本気であるかを表している。あるいは狂気に蝕まれているか。


『あの彼の死によって物語は完成……』


 駄目だな。このような言い分は。そもそもどの話の事だったか。

最後の最後で死? バッドエンドか?

あの口振り、危機から脱出したが結局死んだといったところか。


「君は、あの話の結末に不満なのかい?」


 わからない。で、あるならば私がすべきことは話を聞くことだ。

それで十分。少なからず私の本を好いて、作家の私に尊敬の念を持っているはずだ。

話せただけで満足。自分の意見を言えたのなら猶更だ。


「ええ、不満です。どうか書き直していただきたい」


 思わず「はぁ?」と言いそうになった。顔に出ていたかもしれない。

傲慢で無茶でクソッタレな願いだ。ケツを蹴られないうちに帰りやがれ。

……と、口走る前に私は彼を観察した。

 チャコールグレーの八分袖ジャケットに黒のUネックTシャツ。

青のジーンズに靴はスニーカー。髪は暗めの金髪。ただし根元は黒い。

どちらかと言えば短めか。肌は白い。やや不健康的だが平凡な青年と言えるだろう。


 なぜ彼を観察、目に焼き付けておこうと思ったのか。

それはこの話が後に小説に使えるような気がしたからだ。

作家の直感。というよりは癖だ。よくある事。

 狂気染みた人間を見た瞬間というのは

ちょっとしたお菓子の箱を開ける時のような気分になる。

 経験は宝。見聞きしたことは全て道具箱の中に仕舞っておくのさ。

尤も、出番がないまま埃をかぶることのほうが多いのだが。

 だが、観察して正解だった。後に必要になる。警察に伝える際に。


 青年の特徴に追加。

 手にリボルバー式の銃。古い型だ。鈍い光。所々、錆びついてもいそうだ。

父親、あるいは祖父の物でも持ち出したのだろうか。


「動くと撃ちますよ。そのドアを開けて中に逃げるより速くね」


 声は震えているが銃は真っすぐ私に向けている。

この距離だ。女でもない限り引き金を引けば当たるだろう。


「……本の結末を変えるのは難しい。すでに出版されているものを回収するとなるとな」


「そんなの不備があったとか言って回収すればいいでしょう。

それか新しい結末を書いてまた出せばいい、きっとファンは買うでしょう」


 どちらも飲み込めない話だ。金銭などの現実的な話と作家としてのプライド。

だが天秤の片方に命が載っているとなるとそうも言ってられない気がする。

 そして、未だにどの話のことか思い出せないのだから

私の作家としてのプライドなんてものは大したことないのかもしれない。


「……君の名前は?」


「……ジョン」


 ジョンね……ファミリーネームはスミスか? 

偽名であってほしい。そうなら彼は少しは冷静だということになるからだ。

冷静と狂気。良い組み合わせではないがまあ、仕方がない。狂気は黒色だな。


「ジョン……結末を変えるというのは、どんなふうに?」


 話を引き延ばすこと。それが今すべきことだ。

そのうち隣の家の世話焼き者のリンジーがこの状況に気づくかもしれない。

あるいは真向かいの家のゴードンか。

あいつとはそりが合わないが警察を呼ぶくらいしてくれるだろう。

 ……どうだろうか。奴のケツはズボンがはち切れそうなくらいデカいし重い。

せいぜい酒のつまみにされるかな。

私の葬式に忍び込んで蠅のように料理にたかる姿が目に浮かぶ。


 しかし、事態はそう悲観すべきでないかもしれない。

 ジョンは嬉々として語っていた。ようやく見せたあの笑顔。

よほど話したかったのだろう。彼には友人などいないのかもしれない。

独りよがりで、自分の行動を制御、客観視できていないのだ。


 しかし、ジョンの言う彼とは誰のことだろうか。銃を向けられているせいもあるだろうが

早口で彼の言っていることはよく耳に入ってこない。相槌だけは打っておくが。

 彼、彼……最近書いたものは……。短編。ああ、あれだろうか。



 トイレに閉じ込められた中年の男の話だ。

モデルはクソッタレのゴードン。本人には内緒だがな。

 閉じ込められてたと言っても、彼の尻が便器にハマったという話ではない。

(彼は巨漢で何度かハマったこともあったが)

便器に座りうたた寝し、目覚めた時になぜかドアが開かなくなったのだ。

 彼は汗まみれになりながらドアを叩き、息を切らす。季節は夏だ。それも猛暑日。

彼の白いブリーフとハーフパンツにランニングシャツはもう黄ばんできている。

そのうち彼はぜいぜい言いながら、また便器に座る。わざわざブリーフを下ろしてだ。

用は足し終えたが、つい癖で、だ。彼は自分のその行動を自嘲気味に笑う。

 しかし結局、彼はまた糞をした。

不安と疲労、緊張からだろうか、派手な音を響かせて。

ケツが鳴くのをやめたとき、戻ってきた静けさに何かがついていた。

 彼はその音を聞いた時、足先が冷たくなるのを感じた。

 蜂だ。蜂の羽音だ。

 彼はひどく怯えた。子供の頃、蜂に刺されたことがあったのだ。

恐れたのはその時の痛みの記憶からではない。大人になってから身に着けた知識。

アレルギーだ。もう一度蜂に刺されたら

いくら脂肪が厚かろうが心臓はパン! と破裂した風船のように

ただ虚しく萎れちまう。そう考えたのだ。

 彼は辺りを見回した。そして後悔した。

ああ、そうだ、神が嫌がらせでお創りになられたあの空飛ぶホモ野郎は

すぐケツを向けてきやがるんだ。吐き気を催すくらい醜くヒクつかせながらな。

(蜂は主に雌だったか?)と、考えたのだ。

 しかし、その心配は無用だった。蜂はトイレの中にはいなかった。小窓のその向こう。

ただし、そこにはびっしりと蜂の巣があったのだ。

 彼は小窓を閉めようと手を伸ばしたが遅かった。

蜂は下の隙間から一匹、また一匹と入り込んだ。


 犯人は彼の妻だ。彼に睡眠薬を盛り、トイレの中で眠ったこと確認すると

電動ドライバーでドアの周りにビスを打った。

そして家を出て、トイレの窓の外に回り込み、蜂の巣を設置。

あとはそのまま、アリバイ作りに買い物に出る。

鼻歌歌い、ゆっくりと。どうせ第一発見者になるのは自分だ。証拠も消せる。

 彼は悪戦苦闘の末に……と、そうだ。この話はボツにしたんだったかな。

どうにも、いい結末が思いつかなかったんだ。



「――で、僕はこう思うんですよ」


 ジョンは上機嫌に話している。ノッて来たようだ。結構結構。

 と、今ならこの買い物袋を下ろしてもいいだろうか?

大きめの缶詰を六個も買ったから重たくて仕方がない。

 ああ、そうだ。下ろすとき卵に気を付けないと。

 それにしてもよく喋るな。何かそう、ジョンが言う『彼』に感情移入しているようだ。

つまり、それは『彼』とは青年か? 

じゃあ、どちらにせよさっきの中年の男の話は違うわけだ。

青年が出てくる話……彼とは……。もしや、あれか?



 交通事故に遭った青年が目を覚ますとそこは病院のベッド。

 やがて、家族が病室に入ってくるが一人だけまったく知らない男。

だが、家族と親しげだ。真正面から誰かと尋ねると

妙ちくりんな名前を吐き、彼はそれを指摘する。

が、家族は記憶喪失だな、と青年を哀れむ。

 謎の男。それと仲良しな家族。異様な笑顔。

やがて青年は家族が、いや自分も含めて、その男に洗脳されていたのだと思う。

そして自分を轢いた車の運転手さえも。これは全て仕組まれた事なのでは、と。

 そう考えた青年は夜中、病室から抜け出し事故現場に向かい

完全に記憶を取り戻そうとするが、そこでヘッドライトが彼を刺す。

 その瞬間、青年は思い出した。

 全てはあの男の仕業。

 ……ではなかった。運転していたのは父親。

だが父親ではない。青年の家族そのものが全くの他人。

 確かに事故の後、洗脳は解けていた。

ただし事故の前、逃げ出す前と比べて一部のみ。

 最近、家族に加わった男。つまり新たな被害者に違和感を抱いただけで

長年、共に暮らし、青年を洗脳し続けていたあの一家のことは変に思わなかったのだ。

 再び車に轢かれた青年はまた気を失う。

そして目覚めるまでの間に彼の耳元で囁く声が。

家族、家族家族家族……私たちは家族……。


 と、そうだ、これもボツにしたのだったかな。これももう少し結末を……。



「――でね! 僕はね!」


 と、議論が大分熱を帯びてきたな。まあ私は相槌を打っているだけなんだが。 

 それにしても銃まで持ち出して結末を変えろだなんて……。

うん、ありきたりだ。これでは使えない。

 ではどうしようか? どう変えようか?

そうだ。『どうして彼を殺したんですか?』というのは

本の男のことではなく、実在する男ということにしよう。

 私が彼、ジョンの知り合いの青年を殺し、それを目撃されていた。

私はそれを記憶の奥底に封じ込め、本の青年の話をしているのだと勘違いするのだ。

台詞もそれとわからぬように少々、変えよう。うん、それなら銃を持ち出すのも納得だ。

 イカれた青年に見せかけた実は正当な復讐。創作話としてはいいんじゃないか。

 

 ……ん? あの青年、ジョンはどこだ? いないぞ。

おいおいまさか妄想、私の想像物か? それも悪くはないがすこしありがちな……。

 

 なんだ? リンジーが騒いでいる。

 何を……胸が熱いな。恋……ははっ馬鹿な。リンジーは老いぼれだ。

まあ、私も若くはないが……なんだ? ああ、卵を潰してしまったか。

この胸が濡れている感じはそれ……違う。血か。

 

 そうか……相槌を忘れていた。ああ、よくある癖だ。

集中すると他をないがしろにしてしまう。

 それで無視されていると思い、怒った彼が銃を……。

いないのはもう逃げた後ということか。

 しかし……この結末はいまいちだな。

 使えない。変えよう。


 何か他の……ほか……ほか……思いつ……

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