第47話 真夜中の悲劇
まだ夜も明けぬ時間、俺は桜子先生と紫乃と共に、早乙女医院の手術室の前にいた。
深夜一人家を抜け出したひまりが、飲酒運転の車に撥ねられて、生死の境を彷徨っているのだ。
俺達はひたすら無言で、ひまりの無事を祈っていた。
待合室のドアが開き、担当医がやって来る。
表情を見たが、どちらかまったく読み取れない。
俺はゴクリと唾を飲み込む。
「手術は無事終わりました……命に支障はないと思われますが……」
その一言に一瞬胸をなでおろしたが、担当医の言い方からして、何か大きな問題があるのは明らかだ。
「後遺症……ですか?」
俺が口を開く前に、紫乃が医師に問い掛けた。
「はい……それもあるのですが、そもそも意識が戻るかどうか……」
そんな……。いわゆる植物状態ってやつかよ……。
俺は、桜子先生と紫乃が泣きながら抱き合うのを、ただ茫然と眺めていることしかできなかった。
あの時、ひまりを誘わなければと後悔しながら、憂鬱な日々を送る。
まだ容体が安定していないため、面会は不可能。ひまりが今、どんな状態なのかすらも分からない。
先生と紫乃は、急遽帰国した両親が滞在している超高級ホテルにたびたび向かい、色々と話し合っているようだ。
特に紫乃が呼び出さされることが多く、ほぼ毎日出掛け、暗い顔をして戻って来る。良い話ではないのだろう。
彼女に一度尋ねてみたが、教えてはくれなかった。
それから1週間後、ひまりはICUから個室の病室へと移される。
ようやく面会可能だ。
まずは家族、次に俺がひまりの病室を訪れた。
頭に巻かれた包帯、繋がれた点滴チューブ、胸元からのぞかせる心電図の電極、指先に取り付けられたパルスオキシメーターが、とても痛々しい。思わず目を背けたくなってしまう。
「ひまり……大丈夫か……?」
やはり、まったく反応がない。
覚悟はしていたが、いざ現実を突きつけられると、そのショックはあまりにも大きかった。
その後は、クラスの連中が続々と見舞いにやって来る。
北原と小松が涙ながらに話しかけていたが、ひまりはピクリとも動かない。
親友のこの二人なら、何か反応があるかもと期待していたのだが、残念だ。
それからさらに1週間後、俺は一人で、ひまりの病室へとやって来た。
当然、彼女の意識は戻っていない。
「ひまり……早く目を覚ましてくれよ?」
ひまりは何も言わない。
と言うより、反応がまったくない。
ずっとこのままだったら、どうするんだ……?
ひまりは辛くないのだろうか?
[1、ひまりの点滴チューブに空気を入れ、彼女を解放してあげる]
[2、ひまりの点滴チューブに薬品を入れ、彼女を楽にしてあげる]
……は? どういうことだ……?
ひまりが回復しないのは、確定しているとでも……?
「神に近い存在だろうから、それが分かるのか……」
もし、絶対に回復しないと分かったら、ひまりはどう思うだろう?
このまま生かされるより、死を望むだろうか?
「ひまり……俺にどうして欲しい?」
ひまりは何も言わない。
俺はどうすべきなのだろうか?
「――八神君、来てたんだ」
俺はビクッと後ろに振り返る。
先生と紫乃だ。
「ええ、まあ……」
先生は俺の顔をじっと見る。
「ひどい顔……また自分を責めてるでしょ? 何度も言ってるけど、悪いのは飲酒運転をしたドライバー。八神君はまったく悪くない」
「しかし、俺が誘わなければ……! ひまりはこんなことに……!」
情けないことに、俺は涙を流してしまう。
「先輩、大丈夫です! ひまりちゃんは絶対復活しますよ!」
いつも見舞いのたびに泣いてしまっている紫乃が、俺を励ましてくれている。
そこまで気を遣わせるほど、今の俺はみっともないのだろう。
「……八神君、陸上部は無理しなくていいからね?」
「ありがとうございます」
先生から退部の許可が出た。
これで、ようやく陸上部を辞めることができる。
事故の後、「今は極力ひまりのそばにいてやりたい。それに、どのみち今の俺では、結果を出せそうにない」と、先生に相談していたのだ。
なおボクシングは、会長や迫田さん、座間のオッサンが退会を勧めてくれたので、すでに辞めている。
「先輩! 陸上部、辞めちゃダメです!」
紫乃が大きな声で怒る。
彼女がこれほどの気迫で怒るのは、初めてかもしれない。
「紫乃……八神君を休ませてあげよ?」
「これ、見てください!」
紫乃はバッグの中から缶箱を取り出し、サイドテーブルの上に置く。
「これは何だ?」
「ひまりちゃんの思い出の物を探したんです。見せたら反応があるかと思って。そしたら、これが見つかりました。――先輩、見てください」
俺は蓋を開けて、中身を取り出した。
中にあったのは1枚の紙と石。
「あの石ころじゃないか……」
プレゼントとしてあげた、気色悪い笑顔が描かれた石だ。
こんなものを大事にしまっておいたのか……。
俺は石を箱の中に戻し、1枚の紙を手に取り読み始めた。
アタシのやりたいことリスト!
1、赤点を減らす!
2、数学ができるようになる!
3、お料理上手の家事上手になる!
4、黒髪ロングになる!
5、マネージャーになって、●●(黒く塗りつぶされている)を応援する!
6、●●をインターハイで優勝させる!
7、【黒鉄の武士】の世界大会に●●と出場して、優勝する!
8、●●と、どんぶりパフェを完食する!
9、●●とデートする!
その他、桜子に素敵な男を見つけてあげる!(多分ムリね!)
紫乃に自由な人生を歩かせる!
これ見たやつ、絶対殺すから!
もし八神だった場合は、絶対叶えてよね! そしたら許してあげるから! 約束よ!
俺の涙が紙の上に落ち、インクが滲む。
「ああ……絶対叶えてやるからな……!」
俺はひまりの手を握る。
「先生、退部の話は無しでお願いします。――紫乃、ありがとうな」
「八神君……」
「さすが先輩です! 先輩はやっぱり、そうでなくっちゃ!」
2人が涙を拭う。
必ずインターハイで優勝してみせる。
だからお前も必ず、目を覚ましてくれ。信じて待っているからな。
俺は存在しない選択肢[3、意識が戻るのを信じて待つ]を選んだ。
ここから物語は大きく動き出し、颯真の真の強さが問われていきます。




