第32話 Side桜子
八神君は結局私を抱きしめただけで、キスすらしてこなかった。
彼は恥ずかしそうに微笑むと「さ、そろそろ帰りましょうか」と言って、私から手を放したのだ。
諒一さんから強引に私を奪うくらいだから、それはもう激しく求められるものだと思っていたのに……。
きっと怖気づいてしまったのだろう。童貞をこじらせた八神君だもの、仕方ない。そういうところもピュアで可愛い。
じゃあ、ここは年上の私が、少しだけ彼の背中を押してあげよう……って、なにを言ってるんだ私……。
でも正直、期待している自分がいる。ちょっと試してみるくらい、いいよね?
私は八神君を連れて駅に向かうのだが、そこであえてホテル街を通る。
八神君は紳士だけど、諒一さんとの戦いと警察からの逃亡で、血が滾っていることだろうし、もう我慢の限界だろう。
今すぐ強引に私をホテルに連れ込んで、めちゃくちゃにしようとするはず。ドキドキ。
「ご休憩……? へえ、ホテルって2時間だけ利用することもできるんですね。知らなかったな。どういう目的で使うんだろ? 昼寝ですかね? でも一体誰が……?」
八神君が信じられない言葉を発する。
まさか、ここまでピュアとは思わなかった。
「えーと……」
きちんとした性教育を施すのも教師の務め。でも私は保健体育の先生じゃないし、私の口から説明するのは恥ずかしい。
「今度座間のオッサンに頼んで、ご休憩してみようかな。オッサン太っ腹だから、絶対奢ってくれるでしょ」
「それは絶対やめた方がいい!」
私は普段出さないような大声を出した。
八神君をそっちの世界に進ませる訳にはいかない。彼には年上女にオラつく男になって欲しいのだ。
「わ、分かりました。奢らせるのはよくないですよね……」
「まあ、そんな感じかな……」
結局私達は何もないまま、駅へとたどり着いてしまった。
「やべっ、もう終電過ぎてますよ。どうしましょうか?」
タクシーで帰ればいいだけだ。5千円くらいかかりそうだが、あいにく私はお金には困っていない。ここは私の財力を見せつけ……いや、そうじゃないだろ桜子。
男の人は女に奢られるのを嫌う。それはたとえ学生であっても同じはず。
それにこれは超特大のチャンスなのだ。できる女はわざと終電を逃し、狙った獲物を仕留めるという。私もそれに倣うべきだ。
「ん……始発まで時間潰せるようなとこないかな?」
「そうですねー、ジョースターはどうですか?」
24時間営業のファミレス……! それじゃダメ!
「ちょっと疲れたから、横になれるとこってない?」
「それでしたら、あそこのネットカフェがいいですね。シャワーもついてますし」
うんうん、それそれ! その答えを待ってたの!
「ん……じゃあそうしよ」
「分かりました。じゃあ行きましょうか」
私は八神君に連れられて、店に入る。
男の人にリードされるの好き。
「いらっしゃいませ、どのコースにしますか?」
「えーっと、6時間パックで」
「かしこまりました。お部屋はどれになされますか?」
「フラットを2部屋――」
「待って」
もう、何言ってるの!
「私、使い方が分からないから、一緒にいてくれないと困る」
大嘘だ。私はほとんどのネットカフェの会員証を持っている。
活活クラブのモーニングが大好きだ。
「わ、分かりました……じゃあフラット1部屋で」
八神君は「え? それはマズいでしょう。絶対ダメですよ」という表情をしているのだが、不思議と了承する。
キスしてきた時もそうだった。彼は仕草や表情と、実際の行動が伴わないことがある。
まあ何はともあれ作戦成功だ。私は彼と一緒に狭い個室に入る。
……今思ったけど、私ガツガツし過ぎだ。ちょっと自分にドン引きしてしまう。
瑠璃川桜子は、清楚で可憐な女だと思っていたのに……。
正直に告白すると、八神君が諒一さんを倒した時、体が熱くなるのを感じた。
火照りはまだ続いており、それが私から理性を奪い、本能の支配を高めてしまっている。
教師だ、姉だなんて言っているが、結局私はただの女ということだ。
本能の導くままに、強い男の子供を求めてしまっているのである。
「紬に始発までネットカフェにいることを伝えておきます。先生もそうしては?」
「しっ……生徒と教師の関係だとバレるのはマズい……桜子って呼んで?」
「わ、分かりました桜子。ひまりと紫乃に連絡した方がいいんじゃないですか?」
「う、うん、そうする」
桜子って呼ばれた! なんだか八神君の女になったって感じがする。ドキドキ。
とりあえず身を清めてこなくちゃ。
「シャワー浴びてくるね」
「分かりました」
ひまりと紫乃に連絡した後、私はシャワーを浴びる。
今日は諒一さんと初夜を過ごす予定だったから、綺麗な下着つけてて良かった。
私が個室に戻り、入れ替わりで八神君がシャワーを浴びに行く。
ああ……これから私、彼の女にされちゃうんだ……。
恐怖と期待が私の心を支配する。
もう何も考える余裕はない。私は緊張しながら彼の帰りを待つ。
「ただいまです」
「ん……おかえり」
私は何度も前髪を掻き上げてしまう。
八神君もなんだかソワソワしている。なんだかお互い落ち着かない。
「も、もう寝ようか」
「そ、そうですね」
私達はシートに横になる。狭い部屋だから、お互いが近い。
私が狸寝入りしてから30分が経過した。
八神君は何もしてこない。
おかしい……諒一さんから力ずくで私を奪ったのだ。それはもう、私にあんなことやこんなことをしたいはず。
童貞だから、多少奥手になってしまうのはあるだろう。
だが彼は、不良や諒一さん相手に臆することなく戦える度胸の持ち主である。ここで手をこまねくような男ではない。
私が嫌がると思っているのだろうか? だとしたら、私に受け入れる気持ちがあることを伝えなくてはいけない。
という訳で、本当は八神君から迫って欲しかったが、私からアクションを起こすことにする。
「ん……」
私は寝返りを打ち、彼の胸に顔を乗せた。もちろん寝ぼけた感じでだ。
演技力には自信がある。高校の頃は演劇部だったのだ。
八神君の心臓の鼓動が聞こえた。バクバクいってる。
やっぱり起きていた。それにちゃんと、私を女として意識してくれている。
ちょっとくらいなら触っていいよ?
そう彼に念を送ってみたが、八神君はびっくりするくらいのジェントルマン。
まったく微動だにしない。むー。
今日はお酒を飲んでいないから、先日のように酔った振りをして、キスさせることはできない。となれば……。
「うーん……」
私は寝ぼけた振りをして、八神君の左腕にしがみつく。
――さあ、これでどう?
30分後。
こない、まったくこない! むー!
私の頬が膨らみ始める。おっと、いけないいけない。これじゃ寝たふりなのがバレてしまう。
むー、これ以上私の方から迫るのは、女としての沽券にかかわる。
でも、八神君は鉄壁。安い女のプライドは捨てないとダメみたい。
私は恥を捨て、彼の左腕に自慢のEカップを押し当てる。
健全な男子高校生が、これに耐えられるはずない。
30分後。
結局何も起こらず。
頭に来た私は、それはもう普通に口を開いてしまった。
「……しないの?」
「あ、せん――桜子。起きてたんですね。……で、何を?」
何をって……この状況で考えられることなんて一つしかないでしょ!
「諒一さんから私を奪っておきながら、何もしないの?」
「い、いや! そういうつもりでは! ただ、あんな奴には取られてくなかったというだけでして……!」
慌ててる。可愛い。好き。
「最低でもキスくらいはすると思う」
「教師と生徒の関係ですから」
八神君が全然乗ってこなくて、何だかイライラしてきた。
「2回もしておいて、いまさらなこと言ってんじゃねーよ」
やばい。完全な失言だ。
「……え? まさか……あの時のこと覚えているんですか?」
やってしまった。どうにか誤魔化さなければ。
私が覚えているのは、八神君に軽くキスされた時からだ。
それまでの記憶は本当にない。
あの時の私はおかしかった。酔っていたせいなのだろうが、変なテンションになり、彼に5秒以上のキスを強要してしまう。――今思うと、なぜ5秒?
しかも簡単にディープキスを受け入れてしまったし、本当どうしようもないエロ女だ。……だが、あれは本当に燃えた。
「うっすら記憶は残ってるの。でもあれは、酔った別の私がやったことだから。勘違いしないで」
「そ、そうですか……分かりました」
エロ女だと思われたくないので、ついついツンツンしてしまった。これじゃあ八神君は退いてしまう。駄目だもっと素直にならないと。
痴女と思われない求め方って、どうすればいいんだろう? 頭とわずかな女子力を振り絞れ桜子!
「八神君……私、なんだか怖い……あんなことがあったからかな……?」
「桜子……」
「さっきみたいに、また抱きしめて欲しい。安心するから」
「……分かりました」
八神君はそっと私を抱きしめた。
こういう時の彼の決断の速さは、目を見張るものがある。男らしくてカッコいい。
「もういいですか?」
「ダメ……ずっとして……」
私は、ギリギリまで八神君に顔を近づける。
唇と唇の間は数センチもない。
私から動くのはここまで。ここから先は絶対に八神君からしてもらう。
彼が私の目を見つめる。
私の心臓は、狂っているかのような速度で鼓動を刻む。
八神君が私を抱きしめる手に力を込めた。
ちょっと痛いけどすごく嬉しい。凄く求められている感じがする。彼のような優しい人に、ちょっと乱暴に扱われるのは好き。
八神君が唇を近付けてきた。
うん、私の全部を奪っていいよ……。
コンコン!
「お客様、そういった行動はお控えくださいませ!」
「ひゃい! ごみんなしゃい!」
「す、すみません!」
真面目な店員さんに邪魔され、私達の夜は何事もなく過ぎていった。
桜子の本性が垣間見えた回でした。
次話で3章終了となります。




