第14話 酒乱
ひまりが、教科書を持って戻って来た。
「お待たせー! ――あれ? 紫乃は?」
「ああ、俺がキモすぎたみたいで、部屋に逃げて行ったぞ」
「きゃははは! 何よそれ! でも良かったわ! あいつウザいのよね! なにかと、女子力高いアピールしてくるから!」
この家で暮らして初めて分かったが、桜子先生もひまりも料理がまったくできない。先生にいたっては、掃除洗濯すらできない。
一度紫乃に勧められ、先生の部屋をのぞいてみたのだが、中でゴリラでも飼っているのかと思うほどの荒れようだった。
桜子先生にちょっとだけ憧れをもっていた俺は、大変なるショックを受ける。
ちなみに、2人の部屋も見せてもらったのだが、ひまりの部屋はとても可愛い。
もっとケバそうな感じを想像していたのだが、ベッドにぬいぐるみが飾ってあるような、女の子らしい部屋だった。
意外なのは紫乃で、驚くほど質素だ。
個性を感じさせるものは、一切飾っていない。
で、その紫乃が、三姉妹で唯一まともに家事ができる女なのだ。
料理にお菓子作り、裁縫までできる。多分3人の中で一番しっかりしているのが彼女だ。
おそらくひまりは、そんな紫乃に何かと注意され、それがわずらわしいのだろう。
「お前達姉妹って、仲悪いのか?」
「別に悪くはないわよ! でも、いいともいえないわね! 桜子ってガキだし、紫乃は悪女じゃない? 大人で良い子のアタシとは、ウマが合わないのは当然よね?」
冗談で言っているのかと思ったが、ひまりは真顔だ。
「おう……そうだな……」
「でしょ! ――ところで、何から始めんのよ?」
「じゃあ、とりあえず九九からやっていこうか」
「はぁ!? 馬鹿にすんじゃないわよ! 九九なんて余裕に決まってんでしょ!」
ひまりはバンッと、両手をテーブルに叩きつける。
「……7かける8は?」
「7かける8……? 7、14、21、28……」
ひまりは指を折りながら数えている。
「……分かった。小学生レベルからやり直そう」
「――待って。脳に糖分が足りてないだけよ。クッキーを食べれば、できるようになるわ」
九九くらい、餓死寸前でもできてほしいのだが……。
俺が深いため息をつく中、ひまりはバクバクとクッキーを食べる。
そしてゴクンと飲み込んだあと、目をカッと見開いた。
「53よ!」
「どうして、九九で素数が出てくるんだよ!」
俺はドンッとテーブルを叩いた。
「な、何よ素数って……? アタシまだ高校生よ?」
「中学で習ってるよ! つうか、俺も高校生だし、タメだろうが!」
ひまりは「あっ!」と、開いた口を手で押さえる。
マジかよこいつ……ここまで馬鹿だったのか……。
上乃動物園のアニマルのうち、3割以上はこいつより賢いぞ。
「――ひまりの馬鹿さ、よく分かった?」
ストロンガーゼロを持って桜子先生がやって来た。
先生って酒飲むのか……意外だな。もっと厳格な人かと思っていたんだが。
「うっさいわよ! 別に勉強できなくても、お嫁にはいけるもん! アンタより絶対早く結婚してやるわ! 行き遅れる前にね!」
ひまりはニヤっと笑う。
「むー! むー! むー!」
桜子先生のほっぺたが、餌を詰め過ぎたリスのようにパンパンに膨らんでしまった。
先生、やっぱり気にしてるんだな。結婚のことは絶対触れないようにしよう。
桜子先生はストロンガーゼロをプシュッと開けると、グビグビと一気飲みする。
「あ! 八神、逃げた方が良いわよ! 桜子、すんごい酒癖悪いから!」
「え? マジで?」
俺は桜子先生を見る。
やばい。昔、自動販売機と喧嘩していたおじさんと同じ目をしている。
「んー……颯真、抱っこ」
「ちょっ!? 先生!?」
桜子先生が俺に抱き着いてきた。――わお!
「私のこと……好き……?」
桜子先生は、トロンとした目で俺を見てくる。――やばい。可愛い。
[1、「好きです!」]
[2、「嫌いです! さっさと離れろ、ブス!」桜子を突き飛ばす]
2が鬼畜すぎる。1を選ぶしかない。
「好きです!」
「ちょっと、八神! 桜子をこれ以上暴走させないでよ!」
「えへへ、嬉しい……」
先生はスリスリと俺の胸に顔をこすりつける。
なんという凄まじい体験をしてしまったんだ俺は……! これはもはや、童貞を卒業したと言ってもよいのではないか!?
「私、ひまり、紫乃……結婚するなら私だよね?」
[1、「はい!」]
[2、「いえ、馬鹿で扱い易そうなひまりです!」]
[3、「先生とは違って、家事のできる紫乃です!」]
先生以外を選ぼうとすると、誰かしらをディスらなくてはいけないのか。
じゃあ、先生を選ぶしかない。
「はい! 先生です!」
「いえい」
チュッ。
先生が俺の頬にキスしてきた。――わお!
「ちょっと、桜子!?」
やばい……俺、先生を妊娠させてしまったかもしれん。そうなったら責任取るか……。
「私の勝ち」
先生は俺に抱きつきながら、ひまりにVサインを出す。
「……いい加減にしなさいよ! この酔っ払い!」
ひまりが先生を引き離そうと引っ張る。
「シャーッ!」
先生は猫のように、ひまりを威嚇した。
「紫乃! 紫乃! ちょっと、手伝って!」
ひまりが紫乃の部屋に向かって叫ぶ。
ガララッ。ドアが開いた。
「……なんですかもう――って桜子ちゃん! 何やってるんですか!」
紫乃がダッシュでやって来て、ひまりに加勢する。
「フーッ! フーッ!」
「ちょ、やばっ!」
「危ないじゃないですか!」
先生が爪で眼球を引き裂こうとするので、2人は逃げるしかなかった。
「ただいまです兄上! 瑠璃川家のお嬢様方! 食材を買ってきたので、今から夕食の支度をいたしま――って兄上になにさらしとんのじゃ、この売女がっ!」
紬が先生にドロップキックをかまし、吹っ飛ばした。
「紬、やめろ! 俺に『それドロップやない、おはじきや』と言わせる気か!」
「はわわわわ……! 衰弱死はご勘弁を! それにしても、さすがは兄上! ドロップキックとドロップをかけたのですね! お見事でございます!」
やかましいわ! 狙ってないっての!
「先生! 大丈夫ですか!」
「うーん……? 何?」
良かった、大丈夫そうだ。
俺は先生を抱き起こし、ソファーに寝かせた。
「アンタの妹が武闘派で助かったわ……」
「もしかして先輩の家系って、戦闘民族なんですか……?」
「んな訳あるか! ……いや。俺のひいおじい様は、硫黄島の戦いで、軍刀一本持って、米国の戦艦に乗り込んだって言ってたな。『あと少しで沈められたのに』って悔やまれていたぞ」
「私、先輩の強さの理由が分かった気がします……」
紫乃は何とも言えない表情で、俺をじっと見た。
作者は、実際自動販売機と喧嘩した人を見た事があります。
クラスメイトの林君です。(見た目はギャル男なのに、誰に対しても敬語で優しい男)
研修先の打ち上げ後、酒に弱い林君は完全に酔っており、道にあった自動販売機に「なんで睨んでるんですか!?」と、ずっと怒っていました。
怒っても優しい口調だったのをよく憶えています。
 




