君のための玉座
顔良し、頭良し、家柄良しの三拍子そろった公爵令嬢メリージュアンナ・バーバリア・ド・ラッフェルリンネはマルソレーユ王国の次期王妃である。家柄と教養が完璧な彼女はまさに国母に相応しく、また心が広かった。彼女は婚約者の王太子が何かをやらかしてもけして見放さなかった。勉強が遅れていれば必死に教え、乗馬ができぬと分かれば調教された良い馬をわざわざ買い付けて丁寧に指導した。
愚王間違いなしと評価されるリューアン王太子であるが、5人いた上の兄たちは王座をめぐって共倒れになっているので彼の地位は確約されている。
これに面白くないのは王妃を夢見て兄王子たちの婚約者に納まった令嬢たちだ。婚約破棄をして身を守った強かな彼女らはメリージュアンナの失脚を日々狙っている。
あるときはドレスが破かれ、あるときは飲み物に下剤を入れられた。だが、メリージュアンナはスペアのドレスを纏って舞踏会に出席し、下剤が入ったグラスは「手元が狂った」と叩き落とした。しかし、ドレスを破いた令嬢の家は汚職がばれて一族壊滅、下剤を入れた令嬢の家は領地で反乱がおき、たまたま避暑で訪れていた場所で一家もろとも怒り狂った農奴に惨殺された。証拠はないものの、ほかの令嬢たちはメリージュアンナを恐れて手を出さなくなった。
日々の公務に加えて政敵との戦いに明け暮れたメリージュアンナであるが、ひっそりとした楽しみがある。それは小さいころに遊んだ子爵令嬢との文通だ。一時的に公爵家が行儀見習いとして預かった少女なのだが、すぐに姉妹のように仲良くなった。
リーネの手紙はメリージュアンナの健康を気遣うものと、諸国の動向や貴族間のパワーバランスが記載されている。彼女の母が商家出身なので内部事情もわかるらしい。彼女の手紙のおかげで政敵の弱みを握れるし、また止めを刺す武器にもなるのだ。
リーネはメリージュアンナの意図をくんで様々な情報をくれるが、あるとき手紙の末尾にこう書かれていた。
『ジュナは王太子殿下のことが好きなの?』
それにメリージュアンナは本音で返した。
『いいえ。王妃になれるならだれでもいいのよ』
メリージュアンナが愚鈍な王太子を助けるのはけして彼が好きだからではなく、王妃の座を得るためであった。
これにはちゃんとした理由がある。
彼女の高祖父は賢王間違いないとうたわれたフィリップ王太子であった。ところがフィリップ王太子が魔物討伐に遠征中に父王が病に倒れ、玉座を空にはできないと一部の大臣が騒ぎ出し腹違いの第二王子が玉座についた。
重傷を負いながらも国民のため命がけで魔物を討伐したフィリップだが、国に帰還した頃にはすでに新体制ができあがり、辺境の土地と公爵の身分だけが渡された。明らかに追放だったがフィリップは騒ぎ立てることもなく、妻となった婚約者とともに地方に引っ込みひっそりと暮らしたのである。
高祖父母は権力欲に無縁で、不満を言わずにつつましく暮らしたが彼らの娘はそうではなかった。魔物の爪の跡が顔に残る父、それをかいがいしく世話する母を見るたび、娘は玉座に安穏と居座る叔父を憎んだ。それがメリージュアンナの祖母である。
「世が世ならお前はマルソレーユ王国の女王になるはずだったのよ!」と祖母から耳にタコができるほど聞かされ、現王家の悪辣さを涙を流して語るのだ。メリージュアンナは「安心しておばあ様。わたくしが必ず玉座を手に入れて見せるから」と慰めた。
祖母の悲願を叶えるため、メリージュアンナは日々頑張った。しかし、ある日突然彼女の夢はついえた。
なぜなら王太子が突然、メリージュアンナとの婚約破棄を宣言したからだ。
「君との婚約を破棄して子爵令嬢リーネと婚約する」
王と王妃がなだめても王太子はガンとして譲らなかった。どうにもならないと悟った国王はなんとメリージュアンナに「王家の子供はリューアンしかおらなんだ。しかし世が世ならそなたが王統を継いでいたゆえ、そなたを王太女にしたい」と宣言した。
もともとリューアン王太子の不出来とメリージュアンナの献身を大臣も民草もよく知っていたため、皆が諸手を挙げて賛成した。
こうしてメリージュアンナは次期王妃ではなく次期女王になった。メリージュアンナの祖母は涙を流して喜び、よく笑うようになった。
■
王都の外れに諸外国の香辛料を扱う小料理屋がある。常連で回っている小さな店は入口か奥まっていて初見では入りづらい。営業は午後からなので今は閉まっているのだが、そんなことはお構いなしに一人の女が扉を殴りつけるように叩いた。
「すみません。今は支度中で…………ジュナ?」
店主である男が目を丸くして呆然と女を見る。女は憤怒に染まった顔で怒鳴りつけた。
「ばかばかばか!わたくしを騙し通せるなんて本気で思ってたの?!気づくに決まってるでしょ!何が『リーネと結婚する!』よ。同一人物のくせに!一人で何でもできるくせに!ていうかいまさらジュナなんて言うな!その呼び名はリーネだけしか許してないんだからね!」
「ご、ごめん。でも僕は君が好きな人と結ばれればいいなって思ったんだ。君が王太子を好いていないならこうするのが一番いいと思った」
「顔は好きだったわよ!だってリーネによく似てたし優しい性格も好きだったし!ただ出来が悪すぎたから嫌気がさしたの!」
「あれはその……」
「わたくしに王位を譲るために演技してたんでしょ?それくらい理解してるわよ!気付いたのはあなたがいなくなってからだったけど!一番腹が立ってるのはね!わたくしは一度も嫌いって言ってないの!嫌気はさすわよ人間だもの。でもね。初恋の人に裏切られた私の気持ちわかる?しかも親友に奪われたのよ?さらには同一人物……!知った時の私がどれだけ悔しかったことか……!」
メリージュアンナの剣幕は衰えることはなかったが、その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。子供のように泣く彼女を前にリューアンはおろおろするばかりだった。
リューアンにとってメリージュアンナは太陽だった。
平民出身の母は宮廷で煙たがれ、その子供であるリューアンは兄や女官からもいじめられていた。側室の嫉妬で母が毒殺されたのをきっかけに交流のあった公爵家が偽りの身分を用意して一時的に引き取ってくれたのだ。
話し相手としてメリージュアンナに引き合わされたとき、なんて美しい少女なんだろうとリューアンは見ほれた。その時に恋に落ち、どうせ捨てられたのだから、彼女のために生きようとリューアンは決意した。
それは兄たちが廃嫡されて王太子になっても変わらなかった。
彼女の悲願を知ってからいつか彼女に王位を渡そうと考えていた。
そうすればメリージュアンナが笑ってくれると思ったのだが、愚かな自分は逆に苦しめている。
リューアンは後悔した。
「メリージュアンナ。僕が浅はかなばかりに君を悲しませて本当にごめん。僕は君が好きだよ。君のためならなんでもする。永遠の愛を君に捧げるよ」
リューアンが震える声でメリージュアンナに愛を告げた。
しかし、強烈な痛みが頬を走る。最初何が起きたのかわからなかった。殴られたと悟ったのは彼女が真っ赤になった拳を痛そうに摩っているのを見た時だ。呻くリューアンにメリージュアンナは鼻を鳴らした。
「痛い?そりゃあ痛いでしょうよ。わたくしの渾身の一撃なんだもの。でもね。その痛みよりもーっとわたくしの胸は痛かったんだからね!」
「ごめん……」
「もう謝らなくていいわよ。さっきのでチャラにしてあげる。それとね。永遠の愛を捧げるっていうんなら女王の私に相応しい男になってきなさい。王配にするから」
それだけ言うとメリージュアンナはリューアンの店から去った。残されたリューアンは痛む頬をさすりながら、店の奥へと消えた。
その店は二日後には空き家になってしまい、常連客は項垂れた。
マルソレーユ王国はメリージュアンナ女王の治世で大いに繁栄した。なにしろ女王は王太女のときから頭脳明晰で知られ、公明正大な政は民草に安心をもたらした。また、魔物討伐で名をはせた英雄が女王に求婚し王配となったことで外患の心配もなくなった。火傷の傷があるため、英雄は常に仮面を被っていたが、女官たちは『素晴らしい美男子』と噂した。
なお、前王のもとで私腹を肥やしていた高官はメリージュアンナの統治に不満を抱き、廃嫡された王太子を一生懸命探したがついぞ見つかることはなかった。あるものは偽者を担ぎ上げたが、元々愚かで定評のあるリューアンに人望が集まることはなく、クーデターも未遂に終わった。
ちなみに女王主催の舞踏会に乗り込み、
「メリージュアンナ。すまなかった!リーネに騙されていただけなんだ!俺が愛するのはお前だけ!俺と結婚してともにこの国を導こう!」
と騒ぎ立てた自称リューアン王子がいた。偽者とはわかりきっているが、連発する『自称リューアン王子事件』に辟易したので、メリージュアンナは一芝居打った。
「お会いできてよかったですわ。あなたには軍事機密流出事件の首謀者の疑いがかかってますの。しっかりと償ってくださいね」
と言うと、すぐさま「私は偽者です。エレンバル伯爵にそそのかされました」と平謝りだった。
リューアン王子に売国奴の疑惑があるといううわさが広まり、『自称リューアン事件』の再発はなくなった。
「にしてもお芝居とはいえリューアンの名前を貶めるのはいい気分じゃないわね。私の初恋の人の名前だもの」
夜に女王が王配に愚痴ると、英雄である彼は笑った。
「偽者のリューアンに翻弄されるよりはマシじゃないかな?それに名前は違っても君の初恋の男は傍にいるよ」
「それはそうだけど……ねえ、二人きりのときはリューアンと呼んでもいいかしら?」
「もちろん構わないよ。僕の愛するメリージュアンナ」
くすくすと微笑みながら英雄となったリューアンはメリージュアンナを抱きしめた。