第二廻: 集合的Φ
:(
ふと気がつくと、慣れ親しんだ部屋に一人ぽつりと立っていた。
見慣れた天井、雑多できらびやかな小物、利便性などかなぐり捨てたかのような巨大な家具……。
……目眩がした。
「……夢か」
言い、静かに息を吐く。胸のいらいらが次第に存在を主張し、今すぐここから逃げるよう進言してくる。
だが、夢だからだろうか。身体が妙にふわふわして上手く動かせない。明晰夢というものを初めて体験するため、勝手がわからずただ部屋の真ん中で立ち尽くすしかない。
動かない身体に悪戦苦闘していると、ドアの方から人の気配がした。間もなくノッカーが三回打ち鳴らされ、返事も待たずにドアが開かれる。
「──シモンですか」
入室してきたのは幼少の頃からよくしてくれた叔父だった。
「邪魔するよ、アリシア。元気そうでなによりだ」
私は彼のその言葉に少し混乱する。彼とは先日会ったばかりだ。それなのにその物言いは──と思考をめぐらせたところで、ここは夢の世界であったと思い出す。ここでの発言の整合性など、為政者の「確約する」という言葉よりもあやふやなのだ。
……妙に考えが纏まらない。明晰夢とはいえ夢ならばこういったものなのだろうか。
「アリシア──君のことだ。また何かしでかしたのだろう?」
「……随分と私を信頼してくださっているのですね」
皮肉げに返す。
「当然だとも。……長老らはいい顔をしていない。私としても、あの『囀り』は今すぐ取り辞めたいくらいだ」
『囀り』……?
「ふぅん……」
気のない返事を返した私は──「暫定」私は、シモンに対しこれ以上ないほどの不快感を覚えていた。
肉親同然に育ててくれた彼に対して、だ。あまりに普段の私と乖離している気がしてならない。
「……貴方も、私の名を穢そうとするんでしょ? ならいっそのこと、って思っただけ」
「買いかぶりだよ。……『狂姫』様には分からないかもしれないがね」
「私としては、そっちの名前の方が好きではあるのだけど」
「ああ、じゃあこう言おうか。『乱国の目』、と」
……気持ち悪い。
自分の態度も、シモンの未だかつて見たことも無い表情も、奥底に渦巻く得体の知れない感情も。
今、この場にある全てが私にとって劇薬になりうる。
そんな錯覚すら感じた。
(私はこんなの知らない)
でも私は私だ。だけど、今ここでは私じゃない私が動き、部屋の隅に飾ってあった金色の小さな彫刻を手に取る。昔庭師が彫ってくれた、少し歪な猫の像だ。
私はそれを手で弄び、シモンに投げ渡す。
「まぁ、どうだっていいけど。『囀り』は止めないよ。折角『筒』『刃』が上手くいったのに、ここで止める道理がないもの」
「今の君は不安定だ。もう少し落ち着いてからでもいいだろう」
シモンが私の傍に詰め寄り、肩を掴む。感覚は無いが、強く握られた痛みだけが伝播し、神経を無遠慮に触られたかのような不気味な感覚に支配される。
「……もう、いいだろうに」
そのシモンの顔には、何かを悔やむような色が見て取れた。
「嫌。今まで失敗続きだったんだから」
「君は道を見誤っただけだ。引き返すことは容易な……」
「嫌って言ってるでしょ? それに勘違いは止めて。私は間違ったことなんてしていないもの」
傲岸不遜に、支離滅裂に、そう言い放つ。
……視界が滲み、ぼやけた。
世界が壊れていく。
どうしようもなく気持ちの悪い世界が。
「……ん?」
ぼんやりした意識が現界に浮上し、急速に世界の鮮明さが増していくのを感じる。
どうやら眠ってしまっていたようだ。太陽はまだ顔を覗かせておらず、辺りは闇に支配されたままである。
……なんの夢を見てたんだっけ?
取り留めのない考えが浮かび、だが必要な事じゃないと思い切り捨てる。
ちょっとしたうたた寝だったが、喉の乾きが尋常ではない。喉が張り付いて、全身が気だるく手足を動かすのにも一苦労だ。
「脱水症状……さっさと水沸かそう」
簡単に言うが、原始生活における水の沸騰というものはそう易々とできるものではない。
もし水が漏れず融点が100℃以上の容器があるなら別だが、そんなもの常備しているわけも無い。樹皮でとりあえずの器を作ることにする。
幸い、火種はまだ死んでいなかった。少し火勢が弱まっていたので、適当に薪をくべ息をふきかけ、就寝前のものと同程度の勢いに調整しておく。ついでに石を何個か放り込んでおいた。
そして樹皮の縄を作った時に剥がした、外側の硬い方を持ち出し、火で炙りつつ石器を打ち付け、器の形に整形していく。
意外と難しいが、最悪水が入るだけの機能があれば良いので満足のいくところでやめにしておく。器というよりは小さなボウルのような容器が完成した。
テストがてら川の水を掬ってみる。
「……まぁ、及第点かな」
ぽつぽつと漏れ出てはいるが、致命的ではない程度だ。水の沸騰程度ならばその役目を十全に果たしてくれるだろう。
「漏れ出ないように、ってどうするんだっけな……」
確か……木炭を塗って、火で炙り天日干しをするのだったか。どちらにせよ時間的余裕がないのでスルーしておく。そこまでするなら粘土を探した方が早い気もするが。
当然直火では作業ができないので、先程同時に焼いていた石を枝で掴み取り、器の中に放り込む。けたたましい音でもって、熱された石に蓄えられた熱が放出されたことが理解出来た。
待つこと数瞬。時間が惜しいために食べ物確保と、シェルターのための枝を取りに行っていた間に沸いていたらしく、帰ってきた時には少しだけ器の水が減っていた。
「これでいいかな……」
いくら「狂気の森」といえど、煮沸した水を飲んで死ぬことはあるまい。
そう自分に言い聞かせ、石をつまみ出し器を呷る。
一日ぶりの水に喉が驚き、拒否反応を起こして思わず噎せてしまう。咳き込みつつも水を流し込み、身体を満たす。
コップ一杯あるかないか程の水だったが、五臓六腑に染み渡るとはこういうことを言うのだろう。身体が久方ぶりの水に歓喜し、充足感が脳内に広がっていく。
「……はぁ」
私は、ここに来て初めての、満足からのため息を吐いた。
多分続きます。




