第九劇 神の選別
「あ...アストさん...」
赤髪の男の名前がルキナの口から零れ落ちた。アストと呼ばれた男はおちゃらけた様子でルキナに近づこうとする。
「まーまーそんな怯えた顔しないでさ、大人しく俺の言うこと聞いて欲しいなー...あれ?ルキナさんその後ろの...お友達は一体───?」
アストが煉華達を見回す、その目が煉華の顔で止まった。
「君は、確か...どっかで見たな...う〜ん全然思い出せない!!」
「...アストさん、一体何しにここへ来たんでしょうか?」
「え、やだなぁルキナさん分かってるんでしょ?連れ戻しに来たんだよ、貴方をね」
そう言うやいなやアストはルキナに詰め寄る。ルキナもそれに合わせて距離をとった。その時、二人の間に割り込んだ者達が、
「止まれ、何処の誰だか知らないが、レンカ様の命の恩人を渡す訳にはいかない」
「アキラ殿の言う通りでゴザル、それにお主はどうにも胡散臭い匂いが漂っているでゴザル」
「アキラがルキナさんを信用してくれたようで何よりだ、これが女神ックパワーってやつなのかもな」
「ナンパにしては強引すぎます、強引過ぎる人は嫌われますよ」
四人の行動が意外だったのか、ルキナは慌てる。
「なっ...逃げてください!アストさんが狙っているのは私です!私に構わず早く!」
「陽...ルキナさんを連れてさっきの街へ行ってくれ、あの人気だ、オリオンの知り合いだ、とでも言えば無下にはされないだろ」
「レンカさん!何を───!」
「...分かった、煉華、早く帰って来てね」
自分が戦力にならない事を理解しているのか、陽は抵抗するルキナの手を取り元来た道を走って戻っていった。
「お〜まるで昔の俺を見てるみたいだよ、あんまり君達みたいな人を傷付けたくないんだけどなぁ」
嫌そうに頭を搔くアスト。
「一応聞いておくけど、どうして無理やりルキナさんを連れていこうとしているんだ?」
「無理矢理だなんて!!そりゃルキナさんは言う事聞いてくれないけど俺はルキナさんの為を思って行動しているだけなのに...」
心外だ、とでも言わんばかりの表情。
「...ルキナさんから手を引く気はあるのか?」
「それはないなー、ルキナさん僕の計画にすぐ気付いちゃうだろうし」
「...?その、あんたの計画ってのは何だ?」
「それは言えないな、それよりもさ、君達...」
いきなりアストが土を蹴り上げ煉華達の視界を遮らせる。思わず煉華は腕で顔をガードし、目潰しを防ぐ。
アキラはアストがそのまま突っ込んでくると考え、土ごと目の前に正拳突きを放った。しかし拳に手応えはない。
「...ッ!」
「んー惜しい、もうちょい右だ」
アキラの拳は姿勢を低くしたアストの左耳を掠めた程度だった。お返しとばかりにアストはアキラの腹へと正拳突きをねじ込む。
木々を薙ぎ倒しながらアキラは吹き飛ばされる。
次、と呟きながら、アストはアキラの隣にいたスケさんを振り向きざまに蹴る。
「あれ?」
今度はアストの足が空を切った。
それもそのはず、スケさんはアストが土を蹴り上げた瞬間に能力〈空挺監督〉と〈光学迷彩〉を使い透明化した状態で空中に浮いていた。
蹴りを空振りした隙だらけのアストに向かってスケさんは〈空挺監督〉の最高速度で空中から蹴りを放つ!!
しかし、その渾身の一撃すらもヒョイと避けられる。更にその足をアストに掴まれてしまう。
「なっ!何故バレたでゴザル?!」
「やっぱり透明化か、いくら透明になっても空気を切る音があんなに聞こえてたら大体の攻撃のタイミングは分かるよ」
アストは掴んだ足を振り回しながら2度3度スケさんを地面に叩きつけると、アキラが倒れている方向へぶん投げた。
丁度立ち上がろうとしていたアキラを巻き込み、二人は更に木々を薙ぎ倒していく。
「さて...最後は君かな」
パンパンと手を払いながら煉華に向き直る。ここまで、始めにアストが土を飛ばしてから10数秒足らずである。
煉華は負けを認めたのかその場を動かない。いや、動けないのかも知れない、圧倒的な力の差を前にして本能が身体の動きを止めているのだろう。
「別に君が僕と敵対しないって言うなら、僕は君に何もしないよ」
その言葉に触発されたのか煉華はゆっくりとアストに近付く。そして彼はアストの30cm程先で止まる。勿論両者共に完全に間合いだった。
アストより少し背の低い煉華はゆっくりと顔を上げる。そこでアストは見た。煉華の瞳を、敗北を認めた者が決して出す事のないオーラを。
「俺がよ、アキラやスケさんがボコボコにされている時に何もしないかと思ったか?割り込めないからってただつっ立ってただけだと思った訳じゃねえよな?」
「...」
何かがまずいと思ったのか、はたまたこれ以上時間を稼がれ、ルキナが遠くへ行く事を不味いと思ったのか、アストは煉華の問いに答える事無く拳を無抵抗の煉華の腹にねじ込んだ。
鮮血が飛び散る。
しかし、それは煉華の血ではなく、アストが口から吐いた血だった。
「ガハァッ!!グ...ブ...な、何が...?」
腹にダメージを負ったのか思わず腹を抱えるアスト。対する煉華はさっきと変わらない姿でアストを見下ろしていた。
「聞こえなかったか?攻撃反転、って言ったんだよ。どうやら発動条件は声に出して言う事みたいだな。勿論これだけじゃない、俺が準備してたって言うのはなぁ!!」
次の瞬間アストの視界がブレ、空を向いていた。違う、空中へと投げ出されていた。続いて襲いかかる顎への痛み。理解するのに時間は要らなかった。煉華がアストの顎を高速で蹴ったのである。
「ッッ!!」
しかし、ただの高校生である煉華にそんな芸当はできるわけがない。答え合わせのように煉華は呟いた。
「触れた所にってのが条件なら、足で触れた所にだって極性制御は使えるんじゃねえか?」
煉華はその事実を試すべく、アストがアキラやスケさんに注意を向けている間に靴を脱ぎ裸足になっていた。
そして極性制御で右足と地面を反発させる力を付与し、その力を一気に強くする事で、高速での蹴りを繰り出したのだった。
地面へと背中から落ちるアスト、煉華が足で追撃を行おうとするが、アストは地面を転がりその勢いで立ち上がる。
ペッと口の中に溜まった血を吐く。
「相手の攻撃をそのまま相手に返す能力に、反発を操る能力か...いいね」
アストはそう呟くと、煉華に向かって走り出す。
攻撃反転についてだが、万能に聞こえるこの能力、実は弱点がある。煉華の中の煉華が言っていたように、ダメージのない攻撃には無力という点だ。
拳が煉華に当たる直前、
「攻撃反転!!」
「そう来ると思ったよ」
攻撃されても大丈夫だと思っていた煉華の期待を裏切る様に、アストは煉華の腹へと伸ばした拳を寸前で止め、触る。
触るだけである。煉華にダメージはない。
煉華は困惑する。それもそのはず、てっきり攻撃してくると思った敵が何もしてこないのだから。しかし、嫌な予感がしたので、アストの腹めがけて蹴る。
ズドンッと鈍い音が響く。蹴りは確かにクリーンヒットした。崩れ落ちる。
決着が着いた。
立っていたのはアスト、彼の能力は〈神の選別〉、他者や自分の魂を切り分けたり、他者の魂を自分のモノにしたりする能力である。
ルキナは煉華にこう言っていた。能力とは魂に刻み込まれる物であると、
そう、彼の能力は他者の能力を奪うことが出来る能力である。
煉華から奪った能力は攻撃反転。蹴りが直撃する寸前に発動させ、煉華の自滅を誘った。
「ごォブ...」
崩れ落ちた煉華を横目にアストはルキナを追いかける為に転移魔法を発動させる。ルキナを追いかける為にここへ来た時と同じものだ。
光を残してアストは消えた。
後には敗北者が残されるのみである。
「ヒ...ッカリさん!止まって!止まってください!」
「え?」
息を切らしながら懇願するルキナに、その手を掴みながら走っていた陽は足を止めた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ッハァー...ッハァー...だっ大丈夫です。こう見えても私、女神ですから」
膝に手をつき肩で大きく呼吸をするルキナに女神要素は全くない。
「ルキナさん早く逃げましょう、取り敢えずこの先にある街まで」
陽がルキナを急かす。ルキナは一度祈るように後ろを振り向いてから陽と走り始めた。
「そういえばヒカリさんとレンカさんは一体どういうご関係なんですか?もしかして恋人なんですか?」
「なっ...!ちっ違いますよ!いえまあ違うというかそのー...っそ、そう!幼馴染です!」
顔をボッと真っ赤する陽、ルキナが少しの間呆気に取られるがしばらくすると笑みがこぼれた。
「フフッ...そうですか、頑張って下さい、女神ルキナ精一杯応援させて頂きます!」
「ッ〜〜!あーもう!ありがとうございます!!」
何故かドヤ顔でガッツポーズをするルキナに半ばやけくそ気味の陽が叫ぶ。
「でも...そうですね、煉華は...私の─」
陽が独り言の様に呟いたその時だった、木々の間を走る二人の前の方の地面が光始める。
思わず立ち止まる二人、嫌な汗が流れる。
「ま、まさかさっきの人じゃ、ないですよね?」
「...恐らくそのまさかです、ヒカリさんこっちへ───」「どこ行くの♡」
ルキナが陽の手を掴んだのと同時に、光の中からアストが現れる。アストがここへ現れたということは、煉華らが倒されたということである。緊迫した空気が流れた。
「...レンカさん達は...?」
「ん〜死んではないんじゃないかな」
ルキナの顔は後悔するような表情になる。あの時自分が大人しく捕まっていれば、煉華達が傷付くことは無かったと。
チラリとルキナは陽の方を見る。彼女の顔には不安、恐怖、焦りなどが見えた。信頼していた煉華達が倒されてしまった事が理由だろう。
それに、陽はただの女子高生である。人と戦う経験なんてないに等しい。今からボコボコにしますと言われて平然とするのは無理な話だ。
(ここまで...ですね、始めから私が捕まっていれば...っ!)
歯噛みするも過ぎてしまったことは仕方がない。それに、ルキナが自ら捕まりに行くような事を煉華達は許さなかっただろう。
「アストさん、もう私は逃げも隠れもしません、なのでレンカさん達やヒカリさんにはもう手を出さないでください」
「あっ、ル...ルキナさん...」
アストへと歩き始めたルキナを慌ててヒカリが慌てて呼び止める。ルキナは振り返りヒカリに頭を下げた。
「ヒカリさん、こんな事に巻き込んでしまってすみませんでした。レンカさん達にも申し訳なかったと、伝えてください」
「...」
陽は声が出なかった。本当にこれで終わってしまうのか、それでいいのか、葛藤に葛藤を重ねる。
勿論それで何かが解決するはずもなくルキナはまたアストへと歩き始め。アストの目の前で止まった。
「ルキナさんがそこまで言うなら勿論手なんか出さないよ、まあ言われなくても僕には無抵抗の女の子をいたぶる趣味なんてないしね」
ルキナは顔を少し俯かせ目を閉じ、その時を静かに待つ。アストが転移魔法を発動させるとルキナの足元が光始める。
(これで...これで終わり...?本当にこれでいいの?でも私にできることなんか何にもない...煉華、煉華ならどうする...?)
その時ルキナが振り向いた。ルキナの目はヒカリを見ていた。そしてルキナが寂しそうに笑う。
(違う!私が煉華の行動をするんじゃない!!私は私!私が行動して、それで煉華がどうするのかを───)
考えた。コンマ1ミリにも満たないその時間、考えるまでも無かったのかもしれない。自分が何をすれば煉華は何をしてくれるのか。陽しかできない事だった。煉華とずっと一緒にいた陽にしか。
陽は突然駆け出し、ルキナに飛び付いた。その瞬間転移魔法が発動し、ルキナと二人で光に包まれる。突然の出来事に驚くルキナに陽は笑いながら、言いかけていた言葉を言う
「ルキナさん、煉華は一番信頼できる私の大好きな人です!」
煉華なら...あの時の約束を───
残されたアストは独り言をつぶやく。
「うっわビックリしたぁ、凄いことするなあの子、あ~どうしよっかな、まぁとりあえず僕も帰り───」
「おい」
背後から声が聞こえた。怒気の混じった低く重い声。緊迫した空気が流れた。アストの額に冷や汗が垂れる。
緊張からか振り向く事の出来ないアストにその声の主は更に続ける。
「陽をどこにやった」






