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来訪者


 豊穣祭の余韻に包まれながら、ヴェル=ヴォーニ領は、春が言祝ぐ季節を迎えた。

 柔らかな日差しの下で陽気に騒ぐ領民とは対称的に、壮麗な領主城は慌ただしさを増していた。

 例年ならば領主一家は社交期のために王都入りをする時期ではあるが、今年は新しい家族のお披露目があるためその準備で忙しかった。


「やあ、これは…随分と(せわ)しないな!」


 突然、大広間に響き渡った軽やかな声に、飾り付けをしていた使用人たちの手が止まった。


「ゼ、ゼラクリウス様、お待ちくださいませ!」


 すらりとした背丈の青年に追いすがるように年若い従僕が声を上げるが、ゼラクリウスは意に介さずその場で頭を下げている使用人たちをぐるりと見回した。


「なんだ、いつもの祭りは終わったっていうのに、まるで舞踏会でも開くようじゃないか! 兄上もついに社交にお目覚めになったのかな」


 小首を傾げて一人ごちった彼は、奥から現れた燕尾服姿の初老の男性を見て目を輝かせた。


「ガラ!」

「ガウラです、坊ちゃま。……急な訪れはいつものことですが、先触れを、と何度申し上げれば……」

「まぁまぁ、生家へ戻るのになぜ知らせが必要なんだ? 僕は風が赴くままに旅をするさすらいの貴公子さ。行きたい場所に行き、去りたいときに去る。その信条は変わらないね!」


 兄であるグラウディウスとは似ても似つかぬ陽気な青年は、兄上はどちらに? と声をかけた。


「本日は何用です。旦那様もお忙しい身。私が用件をお伺いしますが」

「やだなぁ、ガラ。たかだか執事の分際で、なに言ってるの? あんまりでしゃばると、その口を塞いでしまうよ?」


 軽口を叩きながらもその目は笑っていない。

 銀がかった黄金の瞳を持つグラウディウスとは違い母である碧色の瞳を受け継いだ弟のゼラクリウスは、強張った顔の執事を見て、ゆるりと口の端を持ち上げた。


「これでも僕は現ヴェル=ヴォーニ公爵の弟にして、子爵なの。いくら父上の代から仕えているとはいえ、平民の使用人風情が貴族に意見しようなんて愚かなことをするんじゃないよ」

「……申し訳ありません」


 ぐっと返す言葉を飲み込んだ執事は絞り出すように謝罪の言葉を口にした。


「んん? まあ、僕は懐が広いから許そう。感謝するといいよ。僕だって長く仕えているお前を罰したいわけじゃないからね!」


 御年二十五。

 結婚もせず、受け継いだ財産を食いつぶしながらふらふらと遊び歩いている彼は、歳を重ねても天真爛漫さを失わなかった。

 年相応の落ち着きもみせず、自由気ままに人生を楽しんでいる様子に、執事は頭が痛いとばかりに嘆息した。


「叔父上……?」

「おお、ハルフィッド! なんだ、まだ居たのか! 珍しい!」


 側近候補や騎士を引き連れていたハルフィッドは、正面階段の上で足を止めると、にっこりと華やかな笑みを浮かべる挨拶をした。


「お久しぶりです、叔父上。お元気そうですね。便りもなく案じておりました」

「なんだ、見ない間に堅っ苦しく成長して! そう畏まられると、僕と可愛い甥っ子の間に分厚い壁が立ちはだかっているかのようだ。ほら、もっとよく顔を見せて、僕に挨拶をさせておくれ!」


 両手を広げ邪気なく笑うゼラクリウスに苦笑を零したハルフィッドは、側近候補の一人に何事かを耳打ちする。一礼して身を翻す彼を見送ったハルフィッドは、赤い絨毯の敷かれた階段をゆったりと下りた。


「今日という日に、古の女神へ感謝を!」

「……感謝を」


 目の前にやって来たハルフィッドをぎゅっと抱きしめたゼラクリウスは、嬉しそうに彼の頬へ唇を寄せた。


「ああ、兄上の小さい頃を思い出す。最も、お前のような柔らかさも微塵も感じさせない怜悧な美貌だったけれど、幼いながらも冴え冴えとした美しさに、妙齢の貴婦人さえも色めき立っていたなぁ。その点、お前は年頃の令嬢の心を惑わす麗しさだ。……ああ、僕も同じ色を受け継いでいたら良かったのに」

「……それで、叔父上。今日は何をしにいらしたんです?」

「なんだい、ハルフィッド。楽しい会話を切り上げようといるのはいけないな。先程も無礼なそこの執事にも訊かれたけれど……そうだな。ハルフィッドなら家族だからいいだろう」


 そのまま腰を屈め、ハルフィッドの耳に口元を寄せたゼラクリウスは、いたずらっ子のように碧色の双眸をきらめかして、小耳に挟んだのだけど……と切り出した。

 












   ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆












「当日は、こちらの胸飾りはどう? 大粒のサファイアの周りにダイヤモンドをあしらっていて、きらびやかではない?」

「では、耳飾りもお揃いにしましょう。花の形で可愛らしいですし、顔を動かす度に花びらが舞っているようですもの」


 お披露目の日のために公爵家御用達のヴェルダン商会を呼び寄せ、一級品を用意させただけあって、広げられた装飾品はどれも素晴らしかった。

 選ぶ使用人たちも迷うようにあれでもない、これでもないと唸っていたが、ようやくドレスに映える装飾品を見つけ、晴れやかな表情になった。


「お嬢様、ドレスは苦しくはございませんか?」


 全体的にフリルをレースをふんだんにあしらった白と金を基調としたドレスは、イルティアナの美しい瞳を引き立たせるようだった。


「ぅん、平気よ」


 編み上げ靴にドレスと同じ生地で作られたツバが大きめの帽子を被れば、まるでお人形のような愛らしさだった。


「まぁ! 白薔薇の妖精さんみたいですわ」

「やはり、髪の毛も編み上げた方が首元がすっきりしていいですけれど、お美しい御髪を隠してしまわれるのももったいないですわね」

「あら、領民へのお披露目のときは隠して、その後の晩餐会では下ろして差し上げればよろしいのでは? 二度美味しいですわね!」

「それはいい考えね!」


 鼻息も荒く賛同する使用人たちに、イルティアナの側で引きつった表情で見守っていたコニーは、ハッとしたように主人に声をかけた。


「お疲れではありませんか? 少し休憩しましょうか」

「だいじょうぶよ。だって、わたしのためにやってくれているのよ。だからね、へいきなの」


 えへへ、と嬉しそうに、どこか気恥ずかしそうに言うイルティアナ。

 自分の体調よりも使用人たちを気遣う姿にほんの少し眉を寄せたコニーは、思案するように唇を小さく尖らせると、次の瞬間、にっこりと笑った。 


「……わたしが少し疲れてしまいました。お嬢様、一緒に座りませんか?」

「! 具合がわるくなってしまったの?」

「い、いいえ。座ればよくなりますわ」


 イルティアナに身を案じられ、逆効果だったかと肩を落としたコニーは、それでもイルティアナを椅子の上に座らせることに成功すると、ホッと息を吐いた。


「靴が、窮屈ですか?」


 一緒にと言った手前立っているわけにもいかず、かといって使用人の身分で椅子に腰掛けることもできず、毛皮の敷かれた上に渋々と腰を下ろそうとしたコニーは、居心地悪そうに足をぷらぷらとさせているイルティアナに気づいた。

 イルティアナが驚いたように顔を上げ、コニーを見たが、困ったように視線を揺らすだけだった。


「座っていらっしゃるんですから、少しの間、靴を脱いだらよろしいですわ。失礼いたします。――――……まぁっ!」


 何も言わないイルティアナに気を回したコニーが、さっさと片方の靴を脱がせた途端、目を見開いた。


「どうし……きゃ、大変!」

「手当をしませんとっ」

「申し訳ございません、お嬢様っ」

「――――どうしました!?」


 悲鳴を聞きつけたアシロットが緊急事態と判断したのか、扉を開けると焦ったように駆け込んできた。


「アシロット様、わたし、お医者様を呼んで参りますっ」


 イルティアナの絹の靴下から血が滲んでいるのに動転したコニーは、お仕着せのスカートの端を軽く持ち上げると部屋から慌ただしく出ていった。

 残された使用人たちは顔を青ざめさせてすすり泣いたり、もう片方の靴を震える手で脱がせていた。


「アシロット……」

「ティア様!」


 困惑した様子のイルティアナに大股で近づいたアシロットは、すぐに手当をしますのでお待ちくださいと、優しく語りかけた。

 しかし、イルティアナは小さく首を振った。


「あのね、これくらいへいきなのよ……。痛くないのよ」

「靴擦れでしょう……。痛くないはずがありません」

「? だって、もっと痛いことがたくさんあったもの。……だからね、これくらいはへいきなの」


 ひゅっと息を呑んだのはアシロットだけではなかった。

 すすり泣いていた使用人も、聞いてはいけないことを聞いてしまったとばかりに顔色を変えた。


「我慢ね、できるのよ。でも、みんなが心配してくれるの……。そうするとね、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのよ」

「――――イルティアナ様が大事だから、心配するんですよ。全く、まだ子供なのに、周りに気を使いすぎです」

「アーヴィラ……」


 帽子付きの頭ごと豊かな胸に包まれたイルティアナは、いつの間に戻ってきたのかと驚いた。


「お話は、おわったの?」

「ええ」

 

 ハルフィッドの側近候補に呼び出されていたアーヴィラは、ちらりとアシロットに目を向け、難しそうに眉間に皺を寄せた。


「ゼラクリウス様がお戻りですよ」

「――――……」


 アシロットの目が一瞬鋭くなるが、すぐに柔らかな笑みを口元にたたえた。


「そうですか。騒がしくなるでしょうね」

「ゼラクリウスさま……? だあれ?」


 初めて聞く名に興味を惹かれたイルティアナが問いかければ、アーヴィラは吐き捨てるように言った。


「旦那様の弟君ですよ。全く、ふらふらとほっつき歩く方が格式高い公爵家の血を引かれているなんて信じがたいですね!」


 ゼラクリウスには思うところがあるようで、アーヴィラの回答は辛辣だ。


「おとうと……」

「イルティアナ様は近寄ってはいけませんよ。坊ちゃまもそれをお望みです」

「にぃさまが……?」

「ええ、純粋なイルティアナ様がゼラクリウス様に言いくるめられて(かどわ)かされないか心配なのでしょうね。……坊ちゃまも兄君らしくおなりになって、本当によろしいことですわ」


 ハルフィッドを語るときのアーヴィラは実の母のような慈愛に満ちた顔になる。

 イルティアナの胸もポカポカとしたが、新しい家族の存在にほんの少し瞳を曇らせた。


「とぅさまの……おとうとさん……」


 ぼんやりと呟くイルティアナをアシロットがじっと見つめているのだった。


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