兄と妹
「ふわぁ、きれい……」
白いうさぎのぬいぐるみを胸に抱いたまま、感動したように呟いた。
灰色の空から白い結晶が舞い踊るかのように落ちてきた。
今が夜中だったら、さぞ雪の白さが映えただろう。
「お嬢様、これから酷くなるのでしょうか?」
雪が降りはじめると、一気に城内は慌ただしくなった。
備蓄を増やすことに越したことはなく、保存食作りのために世話役のアーヴィラも駆り出されるほどだった。
コニーは主人と二人きりの部屋で落ち着かなさそうに窓の外を見上げていた。
ふわふわのぬいぐるみを抱く手に力を込めたイルティアナは、コニーの問いかけにわからないと首を振った。
「ただ『視』るだけだから、いつ起こるのかも、この雪がそうなのかもわからないの……」
「い、いえ、私がいけないのです! 困らせてしまい申し訳ございません」
悲しげなイルティアナの姿に失言だったと気づいたコニーが慌てて頭を下げたそのとき、扉の外が騒がしくなった。
「失礼いたします。ただいま、若君がお見えでございます」
「まぁ…! お嬢様、お入りいただいてよろしいでしょうか?」
そんな約束などしていなかったはずと困惑しながらも、コニーはすぐさまイルティアナに確認をとった。
「にぃさまが? 会いたいっ」
コニーが中継ぎの使用人に了承の合図を送ると、彼女は一礼をしてから下がった。
そして時間を置かずに、両扉が使用人たちによって開かれる。
「ティア! 遊びに来たぞ」
「にぃさま!」
ぱあぁぁぁっと目を輝かせたイルティアナは、窓から離れると、ぬいぐるみを持ったままとてとてと近づいた。
フリルのついた白いシャツに臙脂色のリボン、濃紺の半ズボンから覗く白い靴下。黒い革靴はぴかぴかに磨き上げられ、幼いながらも美しい顔を縁取る白金の髪が輝いて見えた。
思わず見惚れてしまったイルティアナは、恥ずかしそうに頬を染め、ぬいぐるみに顔をうずめた。そして、そのまま上目遣いにハルフィッドを見上げた。
「ぬいぐるみ、ありがとうございます。とってもかわいいです。だいじにします」
そう、このぬいぐるみは、ハルフィッドからイルティアナが寂しくないようにと贈られた物だ。
うさぎの目の色はハルフィッドと同じ銀がかった黄金色だった。
「……ッ」
ハルフィッドは突然、口を押さえると俯いた。
「ハルヴィー様……?」
「どうしよう、アシロット……妹が可愛すぎるッ」
若干気味悪そうにハルフィッドを見下ろしていたアシロットに向かって、ハルフィッドが叫んだ。
「見ろ! まるで冬の訪れを告げるフィーアーの妖精のようではないか。……間違えられて冬の精に連れ去られないか心配だ」
真顔でそう力説するハルフィッドに、アシロットは何を馬鹿なことをと一笑に付した。
「私がおりますので、ご安心を。万が一にもそのようなことはございません」
「……はぁ? 僕が守る。なにしろ、兄だからな。妹を守るのは兄の役目に決まっているだろ」
一瞬、二人の間に火花散った。
ハルフィッドは、白うさぎと同じ色のドレスに身を包むイルティアナに視線を移すと、にっこり笑った。
「うん、可愛い。……ゼフィーは嘘つきだな。妹なんて、わがままで、生意気で、ちっとも可愛くないって言ってたけど、僕の妹はこんなに素直だし、可愛い! 僕だけの天使だ!」
そしてそのままイルティアナに抱きついた。
「ぴゃぁっ。に、にぃ、さま……?」
「父上にもこうしたのだろ? 父上が先なのはちょっと悔しい。だから僕はティアを抱きしめようって決めてたんだ。……父上にはやりたいとは思わないが、相手がお前だと、なかなかに良いものだな」
「! ぎゅっですね!」
「ぎゅ?」
「はぃっぎゅぅぅっです」
イルティアナも満面の笑みを浮かべて、ハルフィッドの背に手を回した。
細身ながらもしっかりとした体つきのグラウディウスとは違い、ハルフィッドの線はまだまだ細い。腰のあたりで、顔をぐりぐりと押し付けたイルティアナは、父のときと同じようにすんすん鼻を鳴らした。
ハルフィッドもいい匂いがした。
いつも持っきてくれていた温室に咲き誇る花と同じ香りがした。
「……アシロット。このままティアを部屋まで持って帰りたい」
「駄目に決まっているでしょ……」
呆れ果てるアシロットは、他に伝えるべきことがあるでしょう、と促した。
すると、ハルフィッドの口元が不服そうに下がった。
「久しぶりの兄妹の触れ合いを邪魔するな」
「事実を言ったまでです」
どこか冷ややかな雰囲気が流れる二人に挟まれたイルティアナは、おろおろと顔をさまよわせるばかりだ。
「あらまぁ、騒がしいですこと!」
「アーヴィラ様……!」
ハラハラと見守っていたコニーの顔が、救世主がいらしたとばかりに輝いた。
ハルフィッドたちの訪れを知ったアーヴィラは、わざわざ自分の手でお茶を運んできたのだ。
「ここはわたしに任せて。あなたは、わたしの代わりに厨房へ行って、補助をお願いね」
「畏まりました!」
そっちのほうが楽とばかりに大きく頷いたコニーは、一礼すると出ていった。
「さあさ、坊ちゃま。そろそろイルティアナ様をお離しくださいませ。息苦しいでしょうに」
「やだ。アーヴィラ、今日は、ずっと一緒にいるって決めたんだ」
ハルフィッドの言葉に、アーヴィラの眉が少し上がった。
元ハルフィッドの乳母である彼女は、彼の予定も把握していた。今日はいつものように午前は古の女神へ祈りを捧げたあと、司祭から聖書や歴史などを学び、午後は剣術やダンスの稽古が控えていたはずだ。
ちらりと雪が降りしきる窓の外へと視線をやったアーヴィラは、ハルフィッドがイルティアナを心配しているのだろうと当たりをつけた。一人でも準備のための人手が欲しい今、ハルフィッドのわがままというよりは、教育を後回しに、という公爵の意向も働いているのだろう。
ハルフィッドは、ひょいっとイルティアナを抱えあげると、長椅子に腰掛け、自らの膝の上に彼女を乗せた。
「まだティアは小さい。こっちのほうが安定するだろ?」
にこにことハルフィッドはご満悦であるが、イルティアナは恥ずかしいようで顔を真赤にさせていた。うるうると潤んだ目でアーヴィラに助けを求めるように見つめたが、二人の前にカップを置いたアーヴィラは無理ですとばかりに小さく首を振った。
「ティアはまだ紅茶は飲めないのか」
「栄養たっぷりのミルクの方がイルティアナ様のご成長にはよろしいのですよ」
「ふぅん。……ほら、お飲み」
ハルフィッドがイルティアナのためにカップを渡すと、戸惑いつつも受け取ったイルティアナは、カップを両手で持って、ふぅふぅと息を吹きかけながら、ちびちびと飲み始めた。喉が乾いていたらしい。
公爵家の令嬢としての作法はまだ学んでいない様子のイルティアナに、ハルフィッドは頬を緩めた。小さな子うさぎのようで可愛らしい。食事のときはそれほど見苦しくない食べ方なので、癖なのかもしれない。
「アーヴィラ……困ったぞ。公爵家の者として注意すべきかもしれないが、可愛いのでこのままでいい気もしてきた」
「イルティアナ様のお披露目の儀の前までには完璧にいたしますのでご安心を」
「なんだ、お披露目の儀を行うのか。父上のことだから、隠しておくと思っていたけど」
「ヴェル=ヴォーニ公爵家のご息女となられたのですから、当たり前でございましょう。春が言祝ぐ季節になれば、領民に向けて行うそうですわ」
「ふぅん。貴族は呼ばないのか。それなら、いい」
ハルフィッドは上機嫌に言った。
貴族にお目見えすることがなければ、イルティアナが目をつけられる危険性は少ない。
だが、とハルフィッドの眉が寄った。
「あいつには、来そうだな」
従兄弟である王太子を思い浮かべたハルフィッドは、嫌そうにため息を吐いたのだった。




