慈善晩餐会
いつもは落ち着いた雰囲気の漂う大広間が、今日ばかりは華やかに彩られていた。
「まあ、壮観ですこと!」
ほぅと溜息を吐いたオイフィシアは、頬に手を当てた。
彼女が見つめる先には、壁際に佇むひと際華やかな二人がいた。礼装を身にまとった彼らは、この上ない高貴さをまとい他を圧倒していた。
そのせいか、真剣な顔で言葉を交わす彼らに、周囲もおいそれと声をかけることができないようで、チラチラと視線を送るだけに留めていた。
「お兄様も大層な美男子ですけれど、公爵様もまた趣きが違った美しさがありますわね」
オイフィシアは、被災した領民への救援がひと段落したところで、イルティアナたちのために、ささやかな晩餐会を城内で開こうとしていた。
けれど、どこからか聞きつけたアルシオン地方の貴族から招待してくれてと懇願する声が鳴りやまず、どうしようかと頭を悩ませていたら、宰相子息であるベンジャミンが慈善晩餐会を開けばいいと提案してくれたのだ。
初めての経験であるオイフィシアに、アレトゥオーサ侯爵夫人が社交期というのに駆けつけて手を貸してくれた。
最後まで面倒をみてくれるようで、中央では多くの貴婦人に囲まれていた。社交界の華である彼女に滅多に会う機会がないためか、だれもが名前を覚えてもらおうと必死だ。
「寄付金もたくさん集まりましたし……本当に、アレトゥオーサ侯爵夫人に感謝申し上げませんと」
ベンジャミンは、本来、イルティアナのいる公爵領で社交期を過ごす予定だったのだが、イルティアナが急遽、侯爵領へ向かったと知り、色々調べたようだ。急を要することと判断した彼は、父である宰相に至急職人や物資を派遣するよう訴えてくれたという。
『――すべては、姫君のために』
イルティアナに多大なる恩があるらしいベンジャミンは、まだ子供ながらに有能さを発揮し、作業に当たる人たちを指揮していた。
ベンジャミンの的確な指示のお陰で格段に修繕の速度も上がり、魔物の襲撃によって無残に崩れ落ちていた城壁もあっという間に元通りとなった。それだけでなく、魔物の脅威がなくなり、商人や旅人が出入りするようになると、領内も少しずつ活気が戻り始めたのだ。
(フィーが楽しそうで良かった)
イルティアナもにっこりと微笑んだ。
『こちらが大変なときには見て見ぬふりをしていたのに、高貴な方々がいらした途端、手のひらを返すなんて、卑劣ですわ!』
オイフィシアが悔しそうに目を潤ませていたのを思い出したイルティアナは、優雅な晩餐会をじっと見つめた。
その双眸は、七色ではなく、灰色だった頃と同じ空色だった。
心配したレナが目の色を変えることを提案し、グラウディウスが了承したのだ。
きっと、珍しいこの目を見て、イルティアナが気味悪がられないよう気を遣ってくれたのだろう。
(お父さまも、お兄さまも、アシロットも……みんな、みんな……きれいだって言っていくれていたから忘れてた)
――汚い髪、汚い目、悪魔の血が混じったあんたとわたしは違うわ!
ふっと脳裏を過ぎった声に、どきりとする。
姉の声だ。
ここにはいないというのに、背筋に冷たい汗が流れ落ちるようだった。
「ティア様? どうなさいましたか? 顔色が優れないようですが、お部屋にお戻りになりますか?」
「公女様、わたくしが付き合わせてしまい申し訳ありません。侍医をすぐに……」
片膝ついて顔色を窺っているアシロットとオロオロと狼狽えるオイフィシアに小さく首を振ったイルティアナは、にこっと笑った。
「なんでも、ないの……」
「もし気分が悪くなったら、すぐにおっしゃってくださいませね」
「ティア様、温かい飲み物をお持ちしますので、こちらでお待ちください」
近くの給仕が持っているのは、冷たい飲み物ばかりだ。
白の騎士服姿のアシロットの背中をうっとりと見つめていたオイフィシアは、イルティアナに言った。
「グロッシウム様も素敵ですわね……。先ほどの公女様を案じるお姿も、まるで物語に出てくる王子様のようで……わたくしだけでなく、ご令嬢方が見惚れておりましたわ。……公女様、ご覧になって。あちらのご令嬢方が、熱い視線を送っておりますわ。グロッシウム家のご子息と懇意になりたいご令嬢が数多おりますが、社交界にはお出でになりませんもの。……あら、やはり、捕まってしまいましたわね」
給仕から飲み物を受け取ったアシロットを、好機とばかりに令嬢が取り囲んだ。
乱暴に突き放すことも、輪から抜け出すこともできず、困ったように眉を寄せていた。
「アシロット、人気者ね」
「それはそうですわ。見目麗しいですもの。それにお優しいだけでなく、強くあられますでしょ。お兄様とどちらがお強いのか、とても興味ありますわね。それに、グロッシウム家といえば、ヴェル=ヴォーニ公爵家の忠臣にして、信頼も篤いでしょ。公爵家との縁を結びたい家門ならば、見逃さないでしょうね」
「フィーも……?」
「ふふっ。公女様、わたくし、美しい殿方は大好きですが、グロッシウム様は、公女様しか見ておりませんもの。それに、あちらの貴公子の皆様も……あら、怖い」
ぎゅっとオイフィシアから抱き着かれたイルティアナは、目をぱちくりとさせた。
オイフィシアの視線の先を辿ると、同じ年頃の令嬢に囲まれたベンジャミンやハルフィッドたちの姿があった。
ダナントゥワ家主催の晩餐会ということもあり、礼儀正しく相手をしているようだが、その顔はどこか不機嫌だ。
「怖い……?」
イルティアナと目があった彼らは、にこっと笑ってくれた。
それに対して、令嬢方が黄色い悲鳴を上げ、ふらりとよろめいていた。
「狭量な男は嫌われますのに」
くすっと笑ったオイフィシアは、周囲を見渡すと、こちらへとイルティアナの手を引っ張った。
ああ~、とどこか残念そうな声がいたるところから聞こえた。
びくっとしてイルティアナが顔を向けると、イルティアナと年の近い令息たちが肩を落としているのが見えた。
オイフィシアと話したかったのかもしれない。
女主人でもあるオイフィシアは、最低限の会話だけ済ませ、社交は兄に任せたとばかりにイルティアナの側から離れなかった。
「虫除け……いえ、グロッシウム様がいらっしゃるまで、ここにいた方が安全ですわ」
「ぅん、ありがとう」
吹き抜けていく風が涼しい。
長椅子に座ったイルティアナは、その心地よさに思わず目を瞑った。
思っていた以上に疲れていたのだろうか。
「公女様」
先ほどまでのはしゃいだ声ではなく、とても落ち着いた声に、イルティアナはゆっくりと瞼を持ち上げた。
「わたくし、公女様のお陰で前を向くことができましたの。本当に感謝してもし足りませんわ。……公女様には救われてばかりで、今日も……」
オイフィシアの視線は、招待客たちに向けられている。
神秘的な灰色の双眸が、光に反射して青みが強くなった。
「ダナントゥワ侯爵家は由緒ある家柄ですけれど、剣ばかりに秀で、そのほかの才能はありませんでした。だからでしょうか。令嬢の集まるお茶会では、遠巻きにされておりましたのよ。お兄様目当ての方なんて、こちらから願い下げでしたし」
そこで言葉を飲んだオイフィシアは、ほんの少し唇を震わせた。
「――でも、公女様が新しい道を示してくださったのです。……お茶会の招待状がたくさん届きましたのよ。寄宿学校にいた頃だって、招待されたことなんてないのに」
「フィー……」
「公女様にとっては何気ない光景でしょうけれど、第二王子殿下を始め、公子様や宰相のご子息様が辺境の地で一堂に会するのは、稀なことですのよ。それだけではなく、公爵様や侯爵夫人、グロッシウム様まで……王都の貴族たちが、この晩餐会に参席したいとどれだけ願ったでしょうね」
ベンジャミンが侯爵領にいることを知ったハルフィッドと第二王子のディオニュクシスは、本来なら公爵領で社交に勤しむはずだったが新たな支援物資を持ってやって来たのだ。
公子だけでなく、王族の訪問に、オイフィシアとヴィルシュフォンは恐縮するよりも前に顔を引きつらせていた。
「公女様がこの先、困難に遭われた際には、わたくしが……いいえ、ダナントゥワ侯爵領の民総出で駆けつけますわ。――公女様……いいえ、御遣い様のためなら、死も厭いませんもの」
イルティアナと視線を合わせたオイフィシアは華やかな笑みを浮かべると、そう真摯に誓ったのだった。