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僕はこの家から逃げ出したい

【平成31年4月1日】


 監禁から1年以上が過ぎた。

 当然だけど、やっぱり「エイプリルフールでした」とはいかないみたいで、今日もまたK子ちゃんと一緒に過ごしていた。


 逃げる隙を探っていることを、彼女に悟られてはいけない。僕は表面上、いつも通り彼女と接することにした。


 逃げようと思いながら欲情をぶつけることには、かなり後ろめたさがあったけど。でも、何もしなければ不審がられるだろうし。そういうことをいちいち気にしていたら、いつまでも逃げることはできない。




【平成31年4月15日】


 K子ちゃんは屈託のない笑みを向けてくる。

 僕の劣情を全て受け止めてくれる。


 なんだか、逃げるべきではないような気がしてきた。だって、逃げたところで今後恋人ができる予定もない。K子ちゃんより可愛くて、僕を愛してくれて、こんなにも尽くしてくれる子なんて……まぁ、そうそう現れないだろう。

 それに、働かなくても養ってもらえるのなら、そういう人生に甘んじるのも悪くないような気がする。


 この家は普通じゃない。

 じゃあ、普通ってなんだろう。


 この居心地のいいぬるま湯から出てまで、努力して手に入れるべき「普通」ってあるのかな。




【平成31年5月1日】


 なんか体がダルい。

 頭がぼんやりしている気がする。


 K子ちゃんは今日も優しい。




【平成31年6月7日】


 記念すべき日だ!

 K子への愛が無限に溢れてくる。




【平成31年6月14日】


 あれから1週間か。

 K子との仲は深まるばかりだけど……これでもう本格的に逃げられなくなったような気がする。ここで逃げたら、昔話に出てきた最低のヤリ捨て男と同じになってしまうから。それは避けたい。


 だけど、ひとつだけ。


 なんだろうな。

 もう二度と母さんのコロッケを食べられないんだと思うと、涙が止まらなくなった。




【平成31年7月1日】


 K子はやっぱりおかしい。

 早くこの家から逃げないと、まずいことになる。




【平成31年7月2日】


 K子のお母さんは、数年前に亡くなっているらしい。


 じゃあ今まで話に出てきたお母さんは?

 僕の行動を制限しようとしてきたのは誰?


 意味がわからなくて問い詰めると、K子は微笑みながら言ったんだ。


「お母さんは言いました。大切な人は、死んでも心の中に生き続けると。だから、お母さんは今もこの胸の中にいるんです。M男さんのわがままにどう対処すればいいかも、心の中に問かければお母さんが答えてくれますから」


 そうやってニッコリと、いつものように笑うんだ。


 僕は早く逃げなきゃいけない。

 彼女の理屈でいくと、たぶん、物理的に彼女の腹に子種さえ残せれば、僕の肉体は死んでも彼女の心に生き続けるから※※※※※(判読不能)


 彼女を妊娠させた時点できっと僕は終わりだ。




【平成31年7月3日】


 助けて




【平成31年7月15日】


 ようやく気持ちも落ち着いてきた。


 K子と過ごすうちに、考え直したことがある。

 彼女の中には確かに狂気がある。でもそれは、家庭環境や孤独から来るものではないだろうか。


 ベッドの上で小さな体を抱きしめているうちに、逃げようという気はすっかり失せてしまった。このままここで朽ち果てるのも悪くないかもしれない。


 仮にここを逃げられたとしても、彼女を犯罪者にしてしまうようなことは避けたい。ふと、そんなことを思ってしまう。




【平成31年7月16日】


 昨日の件でひとつ学んだ。

 賢者タイムは正常な思考を妨げることもある。




【平成31年8月20日】


 K子の夏休みも残りわずか。

 正気と狂気の間を行き来しながら、逃げるための努力を続けている。


 まず今は、白骨死体のあった地面を掘っている。

 秘密の屋根裏に置いてあった小さなスコップを使って、少しずつだが作業は進んでいる。掘った土は、風呂場の排水口に少量ずつ流すことにした。地道な作業だ。


 何年かかるかは正直わからない。報われるかどうかも不明だ。頑張って掘り進めた先がただのコンクリート壁だって可能性も十分にある。


 だから、別の手を打つことにした。博打要素が大きすぎるが、わずかでも可能性があるのなら掛けてみたい。

 ただ、これを実行するには、いつも餌をやっている野良犬を上手く調教する必要があって……そこが最初にして最大の難関かもしれない。




【平成31年9月1日】


 ずっと考えていたんだけど、もしも掘っている穴から抜け出せたとしたら、僕はどう行動するべきだろうか。


 実家に直帰するのは危険だ。僕がいないことに気がついたK子は、まず間違いなく実家を張るだろう。近づけば簡単に捕まって監禁生活に逆戻りだ。


 警察に駆け込むのも危ないかもしれない。K子の家は古い名家で、警察の上層部とも強いパイプがあるらしい。頼ったところですぐ握りつぶされる、なんて可能性も否定できない。


 マスコミに駆け込む?

 怪しげな失踪大学生の話に、そう都合よく付き合ってくれるだろうか。


 ネットで動画配信?

 機材の入手から撮影・投稿まで、時間もお金もない中で逃走しながらやれるとは思えない。


 信頼できる友人?

 K子の家には、人が簡単に寝返ってしまうほどの財産がある。


 いろいろと考えてみたけれど、ほとぼりが冷めるまでは遠くに逃げるのが正解のような気がする。逃走中は日雇いの仕事なんかもする必要があるだろう。それってかなり大変だよな。


 考えるほど、このまま大人しく監禁されているのがベストな選択に思えてくる。心が挫ける前に、とにかく今は無心で掘り続けよう。




【平成31年9月12日】


 この犬、思ったより賢いかもしれない。

 オカルトは好みじゃないけど、亡くなったK子の父親が僕を逃がすために遣わした存在のように思えてきた。


 気のせいかもしれないけど、僕が言うことをちゃんと理解している気がする。穴掘りよりこっちの方が可能性があるのかな。


 ただ、油断は禁物だ。

 失敗すれば、僕の立場は一気に悪くなるだろう。




【平成31年9月28日】


 僕はなんのために生きているんだろう。

 そんな疑問がふつふつと湧いてくる。


 こんなところに閉じ込められて一生を終えるのは嫌だ。僕自身が生きた「証」が白骨死体ひとつだなんてことにはしたくない。


 自由になって、僕は何かを成すんだ。

 小さくてもいい、僕が生きた証を残したい。




【平成31年10月10日】


 犬を使った予行は、たぶん上手く行った。

 あとは本番のみ。




【平成31年10月12日】


 酷い雨風だ。たぶん台風だろうけど、けっこう記録的な規模なんじゃないだろうか。


 掘っている穴には既に水が溜まっている。しばらく掘削は休みだろう。最近は穴を掘ることで正気を保っていたから、自分のメンタルが心配だ。


 犬は無事だろうか。



【平成31年10月20日】


 犬が来ない。




【平成31年10月29日】


 犬が来た。明日、作戦を決行する。

 泣いても笑っても、これが最後の日記になるだろう。


 手順はこうだ。

 まず、クリスマスにK子からもらった手編みのマフラーを解いて毛糸にする。また、トイレットペーパーを使って紐を作る。日記帳をビニール袋に入れ、ペーパー紐で毛糸とつなげる。これで準備は完了だ。


 あとは毛糸を犬に縛り付け、日記帳を外に運ばせるだけ。

 この野良犬は水浴びが好きらしいので、どこかの川原でトイレットペーパーが濡れて溶ければ、ビニール袋に入った日記帳が野に放たれる。それを、誰かに拾ってもらって……まぁ、そういう算段だ。


 成功率が低すぎる?

 あぁ、知ってるよ。でも、僕には他に思いつく手がないんだ。




 できれば、善良な人がこの日記を拾ってくれることを願う。そしてどうか、僕を助けるためにこの日記を公開してほしい。


 僕は穴を掘りながら、助けを待っている。

 ずっとずっと、この家で待っている。


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