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ガラスノカケラ  作者: せんのあすむ
7/18

…でも、言いたかったんだ。 1

「わ、寒いっ!」

「大丈夫!?」

(また、来てくれた)

彼女が原付バイクから降りて叫ぶのへ、店員の俺はいつもみたいに声をかけた。

「はい、大丈夫です」

膝丈までのフードつきオーバーを着て、ぐるぐる巻きのマフラーに首を埋めるみたいにしながら、真っ青な顔をした彼女は僕を見て微笑う。

「原チャリでこの寒さはきついよね。もう大丈夫?」

「…あは、確かに」

いつもみたいに彼女からキーを受け取って、いつもみたいにガソリンを入れながら…いつもなら、

「ガソリンスタンド店員」と、「客」の、俺と彼女の会話はそこでおしまい。

そう。それが本来のはずだった。普通に考えたらこんなのきっと迷惑だと思う。金髪のいかにもDQNって感じの店員になんて、気持ち悪がられて、もう二度とここには来てくれないかもしれない。

でも、店には申し訳ないけどそれでもいいと思った。どうせここは前の国道を通る、一度に百リットルとか余裕で給油していくトラック狙いのスタンドだから原チャリ一台の売上なんて有っても無くても大差ないはずだし、悶々とした気持ちを抱えたまま毎日を過ごすのに比べれば、ダメならダメとはっきりさせた方がいいって。だから今日は勇気を振り絞って、

「あの、今度の日曜日、もしも時間があったら、一緒にどこかへ行かないかな?」

バイクにまたがった彼女へ俺は声をかける。

すると切れ長の綺麗な目が大きく見開かれて、それから……

というのは、俺のいつもの妄想。でも、今日は―――――


俺が彼女に「出会った」のは、今年の春のことだった。

(あれ? 見かけないお客だな)

国道とはいっても山沿いにある、大きさだけは立派にも見えるガソリンスタンド。中卒で、しがないアルバイトでしかない俺は、彼女が原付バイクにまたがってやってきたのを見て椅子から立ち上がり、

「いらっしゃいませ。ご新規様ですか?」

マニュアルどおりに言いながら、彼女の白い手からバイクのキーを受け取った。

「カードとか、お持ちじゃありませんか? ガソリンもお安くなりますよ」

「そうですねえ」

赤紫色のメットを取りながら、彼女は少し首を傾げて笑った。

…照明代節約とかで最近交換されたばかりのLEDの明かりに照らされて、少し茶色く見える長い髪の毛。化粧っ気のまるでない、少しふっくらとした頬。「美人」って感じの整った顔立ちというよりかは、「愛らしい」って感じかな。見てるだけであったかい気持ちになれる顔っていうか。

男にしちゃ一六五センチと、背の低い俺と同じくらいの背の高さで、

「そういうの、まだ持ってないんです。今年、これの免許をとったばかりで」

握ったハンドルを片手でそっと叩きながら、ちろりと舌を出して屈託なく「えへへ」なんて彼女は笑った。演技でやられるとむしろ冷めてしまうような「あざとい」仕草なのに、そういう嘘臭さを全く感じさせない。それが彼女の「素」なんだろうなって何故か分かってしまう。

「また来ることになると思うんで、その時に」

「はい、お待ちしております。ありがとうございました!」

帽子を取って頭を下げて、俺は他の客にするみたいに彼女の背中を見送った…何故かいつまでもいつまでも、見送りたい気分になりながら。

それからというもの、彼女はたびたび、俺の勤めているガソリンスタンドへ寄ってくれた。いつも通る道だからって。

「今日は遅かったですねえ」

「研究が長くなっちゃったんです」

夏の夜。もう午後の十時過ぎだっていうのに、山の方から走ってきた彼女は疲れた感じもしつつ、でもやっぱりほんわかする感じのする顔で笑った。

「研究、ですか?」

「はい。私、O大の大学院に通ってるものですから。大学は地方だったんですけど、卒業したこの春からO大の修士の一年になったんです」

…ということは、俺より一つ年下か。

「へえ…すごいな。大学院って、博士とか目指す人が行くところでしたっけ? お客さんも博士になるんですか?」

「あはは、そんな偉いものじゃありませんよぉ」

こんな会話も、ごく自然に交わすようになって、

(おいおい、しっかりしろよ)

今年で二十四にもなりながら、胸がドキドキしたのを自覚した。手の震えと一緒に、彼女のバイクに入れてる注入筒の先が震えてる。

今までだって、女の子と付き合ったことがないわけじゃない。最終学歴が中学で、それからすぐに「社会人」になったわけだから、多分、他のヤツより付き合ったコの数はそれなりなんじゃないかと思う。だから女の子との接し方も扱いもそこそこ普通にはできるはずじゃないかな。

なのに、どうして、彼女と会ってこんな短い会話を交わすだけで「そう」なるのか。

(初めて恋したガキみたいだな)

「ありがとうございました!」

いつものように帽子を取って、手を振ってくれる彼女を見送って、その日の業務はこれで終了。

(寂しいな)

従業員室で着替えながらふと、そう思った。

一人暮らしをしていたワンルームへ帰りながら、彼女は今頃どうしているんだろうとか、夏の夜空を見上げて考えて…ガラじゃないって一人、俺は顔を赤らめていた。

中卒じゃどこも雇ってくれない。なんてのは学歴しか自慢するもののない奴の寝言で、実際にはそうでもない。それどころか店長とかは、「今時の大学生なんて口ばっかりで仕事を舐め切ってて使い物にならん」とか言ってたりする。早くから社会を知ってる人間の方が真面目だって言ってくれたりもする。それでもやっぱり贅沢は言えなくて、仕方なくって言ったら店に失礼かなと思いつつ始めたガソリンスタンドのアルバイト…いわゆるフリーターだけど、それでも明日もガソリンスタンドに行けば、彼女が前の道路を通り過ぎるのは見られる。

そんな小さなことが、いつの間にかとても楽しみになっていた。


ともかく彼女は、俺が今まで付き合ってきた女の子…分厚い化粧に団扇みたいな付け睫、「香害」って言いたくなるくらい香水がどぎついほどに匂って、ぜんぜん太ってもないのにダイエットダイエットで手足が折れちゃうんじゃないかって心配になるほどに細い…そんな女の子とはまるきり正反対だった。

その女の子達には悪いんだけど、俺も健康な男だから、「据え膳食わぬは」で肌を重ねたことだって何度もある。だけど正直、骨が当たったりして痛かったりしてそれが嫌で、しばらく「女なんてもういいかな」とか思って過ごそうとすら決めていたんだけれど、そんな俺へ、

「四年間、田舎の大学だったから下宿生活だったんです。こっちがもともとは実家だったんですよ。親が心配して、大学院へ行くなら戻って来いって」

言って笑うその顔は、どんどん涼しくなっていく今もやっぱり化粧っ気がなくて、ごく自然。一応、化粧水くらいはつけてるのかなって程度。

「へえ。だけど毎日通うの、大変じゃない?」

その大学の「研究所」は、近くの山のトンネルを抜けた先にある。

「冬になるともっと大変だよ。凍結することもあるし。気をつけて」

「ふふ。ありがとうございます」

そしていつの間にか、俺が彼女へ利く口は「タメ」になっていて、けれどそれを彼女が全然気にしていない風なのがとても嬉しい。

彼女がここに来るのは二週間にほぼ一回。彼女のバイクの両サイドのミラーを拭いて、そこに映る俺の顔はいつだって、

(金髪で不真面目そうで、絵に描いたみたいなDQN…)

とか自分でも思うのに、今さら真面目ぶった格好したらそれまでの俺を知ってる連中に舐められるんじゃないかっていうのが怖くてやめられない、実はイキってるだけの小心者。

それに比べて、彼女はきっと両親が揃っててまともで、だから大学院にまで行けて、幸せだからあんなにも屈託なく笑えて、きっと化粧っ気がないのを母親にも嘆かれて…っていう、そんな人生を送ってきたに違いないから、俺が彼女と並ぶには、全然似つかわしくないんじゃないか、って思ってしまう。

ちょっと俯いてため息をついてしまった俺に、

「どうかしました? 疲れてるんじゃないですか?」

俺の顔を覗きこむみたいにして、彼女はいつだって笑ってくれる。それが眩しい……

両親がロクでもない奴らで、高校くらいは行ってもいいかなと自分では思ってたのに「そんな金あるか! 行きたいんなら家を出てって自分で仕事して行け!」とか言って行かせてもらえなくて、それに反発したのもあって中学卒業と同時に家を出て働き始めて…だから、学歴っていうのにものすごいコンプレックスを抱いてて、なのに大検とかを受けるアタマもない、自分に価値がないからと死ぬ勇気もなく、ただ生きて…拗ねてるだけの俺に。

「ありがとうございました!」

いつもと変わらず手を振って去っていく彼女に向かって帽子を取ってお辞儀をしながら、

(だけど、俺は)

いつの間にか、彼女の笑顔で頭の中が一杯になっていたことにやっと気付いて、思った。

(俺は、彼女がこうやって来てくれているだけでもいい)

当たり前だけど、ただガソリンを入れるためだけ…たとえ俺に会いに来てくれているんじゃなくても、彼女という人に出会えた、彼女を知った。それだけで生きていて良かったと、大げさでなくその時はそう思ったのだ。


そして、とある冬の日。

(彼女、大丈夫なのかな)

その日は本当に寒くて、木枯らしがものすごい音を立てていた。

原付で山越えをしなきゃならない彼女は、この風に吹かれてバイクごと転倒したりしていないだろうか、とか、もしも怪我をしていたらどうしよう、とか、役にも立たない心配をしていたら、

「わー、寒い寒いっ!」

言う、というよりもむしろ叫びながら、すっかり日が沈んだ闇の中、彼女がガソリンスタンドへ入ってくるのが見えて、

「大丈夫!?」

暖房の効いている部屋にいた俺は、飛び立つみたいにして彼女のところへ走っていった。

「はー…なんとか」

鼻水をすすり上げながらメットを取った彼女の顔は、

「なんとか、どころじゃないよ。ほら、こっちへ来なって」

真っ青を通り越して、真っ黒といったほうが近い色をしている。

「時間、大丈夫?」

「はい…まだ大丈夫…」

彼女のバイクを押しながら、俺は彼女を店の中へ入るように促した。

(時間は大丈夫なのかもしれないけど…大丈夫、じゃないよ)

とそんな俺達に向かって、

「よ~、兄ちゃん! ベッピンさんには随分とサービスいいじゃないか! 俺達にもせめてその半分くらいの愛想振りまいてくれたって罰当たらないんじゃないか?」

ってダミ声で冷やかしてくる声が。常連ですっかり顔なじみになったトラック運転手のオッサンだ。一度に給油する量が半端なく多くて時間がかかるからって運転席で弁当を食べながらニヤニヤと笑ってる。

「うっさいわ! ムサいオッサンと一緒にできるか! だいたいあんたは暑いくらい暖房効いた車内にいるんだろ! 酒飲んだみたいな真っ赤な顔しやがって!」

もうほとんど友達みたいに慣れた相手だったから、俺も遠慮なく返してやった。

するとそのやり取りを見てた彼女は「あはは…」って感じで苦笑い。

「あ、ご、ごめん! ホントここの常連客のオッサンってガラ悪くてさあ」

とかなんとか取り繕いながら休憩スペースの自動ドアの前へ彼女のバイクを止めて、先に店の中に入った彼女に続いて俺も中へ入る。

「ほら、そこへ座ってて。今、コーヒー淹れてあげるから。俺の奢り」

「いいですよぉ、そんな」

「いいからいいから。ほら、オーバーも脱いで。でないと、また外へ出たとき、もっと寒いよ」

「はぁい」

俺が言うと、彼女は素直に客用の椅子に腰掛けて、春にも着ていた黒くて長いオーバーを脱いだ。

「熱いから、気をつけて」

「ありがとうございます」

自販機から戻ってきて、俺が紙コップを置くと、彼女はぺこりと頭を下げて両手を出す。

その手は限り無く震えていて、彼女の両目も風に吹かれたせいなのか充血して真っ赤だ。

「…はい、これ」

「あ、すみません…」

気がついて、俺が差し出したティッシュボックスを、彼女は照れたみたいに笑って受け取る。

何枚かティッシュを取って、盛大に鼻を噛む彼女の姿も、

(自然で、気取らなくて、いいな)

何故か全然不快に思えなくて、それどころかなんだかとても微笑ましくて、俺の口元は自然に緩んでいた。すると、

「わ…みっともないですよね。恥ずかしい」

「いやいや、仕方ないよ。寒いところからあったかいところへ来たんだから。どうぞ遠慮なく」

俺が言うと彼女はまた照れたみたいに苦笑して、ティッシュへ手を伸ばす。

「ガソリン、入れてくるから。十分にあったまったら出てきなよ」

見ているうちに何となく俺も照れくさくなって、言いながら外に出た。

(う、寒っ!)

たちまち冷たい風が俺を襲う。ガソリンを入れる手がまた震えたけれど、なんとか入れ終わる頃に、

「兄ちゃん、あんた、あの子に惚れてるだろ?」

ってさっきのオッサンが。その瞬間、あんなに寒かったのに顔が熱くなるのが分かった。

「な…なに言ってんだ! お客さんだぞ!? そんなこと……!」

「はっはっは。隠すな隠すな。ってか全然隠せてねえよ。けど、それでいいじゃねえか。人を好きになるのってのは素晴らしいことなんだからよ」

「……なんだ? ドラマか何かのセリフかよ?」

「違えよ。一般ロッテってやつだ」

「それを言うなら<一般論>じゃないのか?」

「おうおう、それだそれ。とにかく、俺だって惚れた女房と子供のためにこうやって仕事頑張れてるんだからよ。兄ちゃんも頑張んな」

「…言われなくても……」

(そうだ。言われなくたって頑張るつもりだよ。いいかげん、はっきりさせなきゃな……)

給油を終えて出ていったそのトラックに向かって頭を下げながら俺は思った。でも、悪い気はしなかった。親に恵まれなかった俺だけど、さっきのオッサンみたいな人らが気にかけてくれてて、それがなんだか親みたいにも思えてた。

そこへ、

「ありがとうございました。おかげで生き返りました」

体があったまったのかすっかり赤みが戻った顔をして、大きく息をつきながら、彼女が中から出てきた。

「もう大丈夫なの?」

「はい。ごちそうさまでした! 本当にありがとうございます」

言うなり、バイクにまたがって出発しようとする彼女を、

「待って、あの」

俺は引き止めていた。本当は、彼女がここへ来るたびにいつだって言いたかったのに、勇気がなくて言えなかったこと。もしかするとさっきのオッサンの言葉が背中を押してくれたのかも。

「今度の日曜日、俺でよかったら一緒にどこかへ行かないかなー、って、思ってるんだけど」

突然の俺の言葉に、彼女は一瞬だけ目を丸くして、それから笑って、

「いいですよ。それじゃ、また明日、ここに来ます」

彼女は言い、いつもみたいに「じゃあ」なんて手を振りながら帰って行った。

(マジか……? やった!)

いつもみたいにその後姿を見送って、俺は飛び上がりたいのを一生懸命堪えていた。

OKしてもらえるなんて思ってなかった。励ましてくれたオッサンには悪いけど、フられるつもりで言ったのに……

風は相変わらず冷たいけれど、心の中はあったかい、なーんて、本とか漫画とかの中でしか起こらない、ばかげた現象だと思っていたのに……

「牧田、お前、風邪でも引いたのか?」

事務所に戻った時に主任にそう言われるくらいに顔が熱くて、俺の心の中まであったかくなっていたんだ。




…TO BE CONTINUED…



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