Only an hour
気がついた時にはいつも側にいて。
「これ、やっといてよ。今年の部活動収支決算」
「またかよ」
「いいじゃん、アンタのほうがアタマがいいんだからさ」
「しょうがないなあ」
私が押し付けた雑用に、貴方はいつも苦笑した。
私は生徒会長で、貴方は副会長。一年の時に正副の書記として生徒会に入ってからの見慣れた光景。
だからいつも私達は一緒にいるのが当たり前で。
だから私は気づかなかったんだ…私の気持ちに。貴方と一緒にじゃれあっていられる…
それは知り合った一年の時からずっと変わらなくて、三年に進級しても、それだけで本当に楽しかったから。それだけで十分だと思っていたから。
そして三年目の春。
もうすぐ私達の高校で催される新入生歓迎祭がやってくる。その打ち合わせで生徒会は大忙しで、
「あ、秋山!」
「おお、大橋か。何?」
昼休み。クラブ室のあるプレハブへ続く渡り廊下で、私も知っているけれど、直接話したことは無いある女の子(確か茶道部のコだったかな)と何かをしゃべってた貴方に、
「運動部でトラブル。クラブ紹介の時間が合わないんだって」
私はいつものように声をかける。
「分かった。じゃあ」
それに続いた後の言葉は、私じゃない女の子にかける言葉。
「じゃあ、また」
「うん、いいわよ」
(へえ…)
貴方と彼女の会話と、貴方が彼女へ向ける優しい目に、その時初めて気づいた。
(こんな目も、するんだ)
そして、柄にもなくドキドキした。
「仲よさそうじゃん、ええ?」
「よせよ」
生徒会室へ一緒に戻りながら、冗談のつもりで私が冷やかすと、貴方は赤くなりながら、
「ま、お前になら話しても大丈夫かな。アイツのこと、大事にしたいと思ってるけど」
嬉しそうに言った。
途端に、胸がずきりと痛んだ…貴方はそんな目をして彼女のことを話すんだ。
「へえ…」
聞いちゃいけないような気がしたけれど、やっぱり聞きたい。胸の鼓動は何故か一気に早くなって、私は震えそうな声をなるだけ普通になるように努力しながら、
「彼女のこと、好きなんだ?」
…貴方はただ、黙って頷く。
「そっかそっか。大事にしなよ? ほら、急いで! それとこっちの用事とは別だからね!」
「はいはい」
いつもみたいに…うん、「友達」みたいにざれ口を叩きながら、涙が出そうになって私はやっと気づいた。本当に今頃になって。
(迂闊だったなあ)
こんなにも貴方のことが好きになっていたんだ…涙が出るくらい。
だけど、他に好きな女の子がいる貴方を悩ませたくない。私に対しては憎まれ口を叩いているけれど、それはあくまで気心が知れてるからであって貴方が優しいのは知っているから、私が貴方を好きだというと、きっと貴方は困るだろう。
だから、表面上は私も平気なフリをして、三ヶ月。
「もうすぐ花火大会だねえ」
大学受験にもいよいよ本腰を入れなくちゃならない。生徒会の仕事もそろそろ引継ぎばかりになって、それでもやっぱり忙しくて、いつも帰るのが遅くなる。
夏の日は長いから、六時になってもまだ明るいけれど、
「独りで帰れるよ。心配しないで」
「馬鹿、お前だって女だろ?」
そんな時、私の隣にいる貴方はいつだって私を送っていってくれたんだ。今もそう。
それはこの二年半、ずっと変わらない光景で、これからも変わらないでいられると思っていたけれど…
(中途半端に優しいヤツ)
だから私みたいなのにも期待をかけられるんだって、私は思わず苦笑した。好き(LOVE)じゃない相手にはもっと事務的でいいのに。社交辞令で済ませちゃえばいいのに。
バカだね……
「ところでお前、花火大会、行くの?」
「ま…行ってもいいかなぁ。でも、大学の推薦が取れないと辛いなあ」
一回り背の高い貴方を見上げて、
「アタマがいいと、色々便利だねえ」
「はは、そうだろ、そうだろ」
「こら、調子に乗るなって」
「ははは」
「…ふっ。あははは」
いつもこんな調子で笑いあっていた。3年間、楽しくて楽しくて…それが貴方のおかげだったって分かった時には遅かったんだなぁ。
「ここまででいいか? 気をつけて帰りなよ」
「はは、私に手を出してくる男なんていないってば」
「そりゃそうだ」
「何を!?」
私が殴る真似をして突き出したゲンコツを、貴方の大きな手のひらが受け止める。
そこでやっぱり笑い合いになって、アタシ達は手を振る。
…ああ、つなぎたかったな。いつかつなぎあってどこかを歩きたかった、その手と。
(ねえ、秋山)
背の高い貴方の後姿を見送りながら、視界がぼやけた。
(貴方の好きな女の子は…背も高くて頭も良くて、茶道部の大和撫子で、立ち居振舞いってヤツにも上品さみたいなのがあって…私とは正反対だよねえ)
家の階段を上がりながら、心の中で貴方に話しかけて、
(苦しいな)
思わず、胸の辺りを鷲づかみにしてた。
ガラじゃない、私が恋に苦しんでる図なんて。いつも他の男子とも冗談を言って笑い飛ばして、女らしさの欠片も無いやつって言われてて、だけどそれでも良くて、髪の毛だって長くするとクセっ毛だから大変でいつもショートカットにしてる私の、全然ガラじゃない。
だけど…。
(花火大会、アンタも行くのか)
だったら…だったら。
私はカレンダーを見上げて決心した。あと三日。
そして当日。海辺の花火大会会場まで行ったら、なんだか周りは浴衣で着飾ったヤツらであふれてた。
何度か同じ学校の子たちともすれちがったけど、どうやら私とは気づかないらしい。
私も済ました顔でその子たちとすれ違ったりして。
この日のために、それこそガラじゃない浴衣で、髪の毛だっていつもはあまり手入れしないのを綺麗にセットして飾りだってお母さんにつけてもらって…当の私でさえ別人かと思って苦笑した。
(馬子にも衣裳ってこのことだよね)
夜店の入口から中へ入ったら、もっとたくさん同じ学校の子がいたけれど、やっぱり誰も私だって気づかない。で、さすがに思う。
(ちょっとアンタら、普段私をなんだと思ってんのよ全く)
ってね。
だけど…だけどさ。
「あ、大橋!」
貴方には…秋山にはすぐに分かっちゃうんだ…?
「誰ですか貴方? 人違いです…!」
咄嗟にそう言っちゃったけど、
「あはは、なんだそれ!」
って彼は笑う。だから私も、
「…なーんてね」
いつもみたいに軽口を叩きながら、入口近くの金魚すくいの屋台の前で、貴方に手を振る。そんな貴方の隣には、<彼女>。
…何で。
何で分かってしまうんだろう、そして、どうして会ってしまったんだろう…悔しいなあ。
嬉しさと、すぐにその場で泣きたくなってしまうような悲しさで、私の心はなんだかぐちゃぐちゃになってる。会えたらな、会いたいな、なんて思いながらここに来たはずなのに。
「すぐ分かるよ、あはは。だっていつも一緒にいるじゃんか」
「そう…そうか。はは、やっぱり分かっちゃうんだ?」
だけど私は、そんな心を抑えて笑うんだ。
「あ、ホントに大橋さんなんだ? 綺麗、見違えちゃった!」
茶道部の彼女(貴方が好きな女の子で、彼女だって貴方が大好きなんだって、見ればすぐに分かる)も、私を見てびっくりした声を上げた。
「なあ、びっくりしたよな。ちゃんと女の子に見える!」
「あ、こら、それは失礼でしょ!」
…私の目の前で、二人して仲良さそうに笑わないでよ…ねえ。
「あの、ね」
私はだけど、そこで気を取り直して、ぐっと腹を据えて、彼女を見る。
「秋山を、ね…一時間だけでいいんだ。私に貸してくれない、かな…?」
すると彼女は一瞬目をまん丸にして、怒った顔をして、でもそれからふっとその顔を緩めた。私の言葉の意味を悟って、そして承諾してくれたのが分かった。
「…どうぞ」
なるほどこれが、<正妻の余裕>ってやつか…
「え? おい?」
貴方はきょとんとした顔で、私達から離れていく彼女を見送る。
ああ、ほんっと、鈍いヤツ。鈍くて人が自分のことを好きだってことにも気づかなくて、そして…いいヤツ。
「ね、一時間だけでいいんだ」
私は、必死で俯こうとする顔を上げて、貴方を見上げながら言う。
「一時間だけ、私と付き合って?」
そこでようやく、彼にも意味が分かったみたい。やっとかよ…
「…いいよ」
貴方も、彼女と同じ表情をして、それから優しい目をして笑った。
海面を染めて、花火は何度も上がった。
「綺麗だなあ」
「うん」
一時間だけなんていっても、きっと本当は彼女とずっと一緒に見たかったろう。
なのに、
「喉、渇いたろ? ほら」
なんて、貴方は私に缶ジュースをくれたりする。
ああ、かっこいいなあ…悔しくてたまらないくらい。
「あ、大橋。どうしたんだよ?」
その声に慌てて目をこする。ほんっと、私らしくない。
「ちょっと…うん、花火に感動しただけ」
「とにかく、こっちに」
貴方はさりげなく、私を少し人の少ない砂浜へ連れていく。
ああ、星が綺麗だなあ。
「はい、ハンカチ」
まったく、私と同じまだ高校生のガキのくせして、どうしてそういう気遣いができるかなあ。それなのに、どうして気付いてくれなかったのかなあ。
「要らない…ごめんね」
そう。もうそれは受け取れない。遅すぎたんだ。
「ごめん」
そして私がぽつりと言った言葉に、彼は少し目を逸らす。
「…彼女のこと、大事にしてあげてね」
なんて言いながらアタシが笑顔を作ったら、こいつは照れて頭を掻く。
「あ、ああ…。はは、なんだよ。今日はホントにしおらしいな。らしくない」
ああ、これでいい。
そんな貴方だから、好きになったんだ。
…さて。
「私、そろそろ帰る。彼女のとこ、行ってあげなよ」
「え? でもさ。まだ一時間経ってないぜ?」
私が言うと、貴方は少しだけ戸惑いを見せる。
そうだな、ちょっとだけ困らせてやってもいいか。
「ねえ、じゃさ、あっち、向いてよ」
「へ?」
不思議がりながら、それでも貴方は私の言う通りにしてくれた。
その背中に、私はそっと抱きつく。
一瞬だけ、貴方の背中はびくっと動いて、それからじっと動かなくなる。
…この瞬間を、忘れないようにしよう。
「ほら、行きなって!」
うん、もう十分。しばらくして私はいきなりその背中を突き飛ばした。
「いてえなあ」って苦笑しながら、貴方は屋台のほうへ消えていった。
まだ花火は続いてる…どんどおんと、お腹の底へ響いてくるような、大きな大きな音。
そして私は、鳴り続けてる花火の音と、夜空に散ってる綺麗な色へ背中を向けて、家に帰った。
(ありがとう)
心の中で繰り返しそう呟きながら、私は独り。
(ありがとう)
恋を知らなかった私に、人を好きになるっていうことを気づかせてくれた、大好きな貴方へ。
FIN~