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ガラスノカケラ  作者: せんのあすむ
17/18

ガラスノカケラ 「そして、これから」

 やっぱりものすごく長かった三年目の夏休みも、気がつけば過ぎている。わりにのんびりモードだったもーちゃんも、いよいよ目の色を変えて、

「ちょっとコーコ! これ! このアイドルいいよっ!」

…ないか。

「あのねえ、もーちゃん」

だから、昼休みごとにアイドル雑誌を広げる彼女へ、さすがに私も言うのだ。

「ちょっとは勉強したら?」

「いいのいいの。アタシが行くのはKタンプ。カシタニにだって、今のままでも全然OKって言われたわよ、おほほほほ」

 けど、こんな調子でいつでも「右から左」。

「ミーコだって頑張ってんじゃん」

「ま、ね。あの子はOタンプだかんねえ。それなりにベンキョ、しないとってヤツでしょ」

「やれやれ」

 もーちゃんが言うところのKタンプっていうのは、K女子短期大学付属高校。で、ミーコの希望のOタンプは、O女子大付属高校。どっちも私立で、二人はそれ一本、「専願」で行くらしい。専願だと偏差値も少々多めに見てもらえるし、合格する確率だって高くなるから、っていうんで、もーちゃんなんかは本当にマイペースだ。

「でも、大丈夫なわけ?」

「…アイツは、葦原、行くんだって」

「え」

すると私の言葉を遮って、もーちゃんは呟くように言う。

(葦原…)

ああ、やっぱりそうなっちゃったか、なんて、私はすごく失礼なことを切ない気分で思った。

「葦原にしか行けないようなオトコ、いい加減ふっきりな。同じオツムテンテンのほうだったら、ほら! こっちこっち。最近デビューしたこの子らのほうがよっぽどいいって!」

「…は、あはは、もうっ」

 もーちゃんが押し付けるアイドル雑誌には、アクロバットをやってるアイドルの男の子達が載ってる。確かにかっこいいけれど、世界が全然違うじゃない。

 葦原って、言うなれば「他に行くところのない中学生」が、一応進学するところだって、その近所に住んでる人からの評判も悪い。

 三年になってから、本当にいきなり勉強だって難しくなって、

(ついていけなかったんだろうな…)

 もしもまだ『友達』だったら、勉強を教えてあげられるくらいは出来たかもしれない、なんて思った時、

「…今、ヒマか? ここ、教えてくれ」

「あ? ああ、うん。いいよ」

金田が、赤本を広げて私達の席へ持ってきた。

(K県立高校過去問、か)

 表紙を見なくても分かる。金田が尋ねて来たのは、去年の入試問題で一番難しいところで、

「あー、目が回るから、アタシ、失礼するわ」

もーちゃんは言いながら、そそくさと自分の席へ戻って行く。苦笑しながら見送って、

「ここまで出来るんだ。だけど、あとが分からない」

「うん、えっと、これだったら」

…正五角形の角だから、なんて言いながら、私も筆箱から鉛筆を取り出してその問題を解き始めた。

「…ここでこの公式を使えば、なんとかなったと…うん、これでいいと思うよ」

何とか答えを導き出せて、ふと顔を上げたら、

「…金田?」

「…」

金田は、なんだかぼーっと私の顔を見ている。だから、

「こら、聞いてんのっ! 不意の目つぶしっ!」

三年前、よくやっていたみたいに、私はいきなり片手を広げて、彼の両目をふさいだ。

「わ、やられた!」

「やられた、はいいけど、聞いてるの? 生山、行くんでしょ?」

「…うん」

「だったら、ほら、頑張らなきゃ!」

「うん。さんきゅ。おかげでここは分かった。さっきの『技』も、すげえ懐かしかった」

「あはは、そうでしょ」

 金田は、本当に久しぶりに私に向かって笑う。それが私も本当に嬉しくて、

(ミーコ)

それは金田を男の子として好きっていうのともまた違うから、少し戸惑ってしまう。ミーコが今、ちょっと用事で先生に呼び出されていて良かった、なんて思いながら、

『中畑はね、きっと迷ってるんだよ。金田だって、人から好きって言われたのが初めてだって言ってた。

だから、どう答えたらいいか、自分の気持ちも分からないって』あの言葉を思い出したら、本当に、そうかもしれないって、今は素直に考えられる。中畑が本当に迷っているのかどうかは分からないけれど、今、もしも私が金田に面と向かって好きだなんて言われても、今の中畑みたいにシカトするか、曖昧な態度をとってしまうかもしれないってこと…だって、『友達』なんだもん。

 失いたくない、だけど友達から好きだって言われたら、友達としか思っていないと答えることで傷つけてしまうかもしれない。だから、何て言っていいか分からなくなる。

「お前さ。やっぱ、ヨユーなわけ? 生山」

「ま、ね。大丈夫だからこの調子で頑張れって」

「わ、憎たらしい答え。俺なんて、カシタニに厳しいこと、言われっぱなしだぜ」

…親は喜んでるけどさ、なんて、ブツブツ言いながら席に戻って行く金田を見ていたら、

(どうして皆、『友達』じゃいけないんだろう)

何度も思うことを、また思ってしまって、胸がちくちくする。

 私が女の子で、金田が男の子だった、ただそれだけの話で、男の子と女の子の間には、友情なんて成立しないって言い切れるものなんだろうか。カレシカノジョになれなければ、赤の他人。そうしなければ、

(いつかそういう関係になれるって、期待させちゃうから?)

どっちにしても、本当に「惚れたはれた」って、

「めんどくさいなあ」

私が思わず呟いたら、ちょうどそこへ「終わった?」なんて言いながら戻ってきたもーちゃんが、

「そうそう、めんどくさい受験勉強と、少しの間だけでもお別れするために、コーコにはぜひ、このアイドルをお勧めしますっ!」

「はいはい」

大きな音を立てて、また私の机の上へ雑誌を置いた。

(そうだよねえ。恋に恋するだけなら)

アイドルにするみたいに憧れてるだけ、なら、いっそそっちのほうが楽かもしれない。

 やがて少しずつ、吹いていく風が冷たくなって…気がつけば、三年目の文化祭は間近だった。


「いよっ、キマってるよ、孫悟空!」

「…ちょっとフクザツ」

三蔵法師の格好をしているもーちゃんの言葉に、私はムスッとしたまま答える。そう、今年のわれらが英語部の英語劇は、何故か分からないけど「孫悟空」なのだ。

 弁論組にも、最後だからっていうんで出番がもらえて、私が一応、一番台詞の多い主役。主役だとは言っても、

「孫悟空だもんね…」

「ほらほら、もうすぐ出番だよ!」

自分の格好を見下ろして、ちょっとため息をついた私へ、観音様の格好をしているミーコも、にこにこしながら促した。

「はあい。さて、行くか!」

私も、自分の頬を自分の両手で叩いて気合を入れる。

 皆が言うみたいに、灰色っていうほどじゃないけれど、やっぱり少し息が詰まるような受験生活の中で、部活動は格好の息抜きだったのだ。

(もう少しで、それもなくなる)

文化部所属の三年生は、この文化祭で引退。運動部の人たちはすでに夏休みで引退していたから、

私が今感じてるこの寂しさって、

(皆もきっと、感じてるんだろうな)

体育館の舞台でスポットライトを浴びながら、席をぐるりと見渡して見栄を切る。中学生活、最初で最後の『舞台』になってしまったけれど、

(あ…見てくれてる)

中畑が、その席にいる。それが嬉しくて、われながらゲンキンだとは思うけど、練習の時よりも熱が入った。

(どうせなら、シンデレラとか、そっちの格好のほうがよかったなあ。猿だもんね)

「たはは」なんて思いながら、それでも席から楽しそうな笑い声が上がるのは嬉しい。

「ナウ、レッツ ゴウ トゥ ガンダーラ!」

最後の締めの台詞を、もーちゃんや他の子たちと一緒に言うと、同時に音楽が流れる。ゆっくりゆっくり幕は下がって、

「お疲れ様! 着替えたら、各自体育館へ戻ること」

(終わっちゃった…)

新保ちゃんの声で、嫌でもそう思った。

 上映時間、二十分。ずっと続いて欲しいような、舞台の上でだけ時が止まったような、そんな不思議な感覚は、新保ちゃんが開けていてくれた部室に戻って、皆がまだちょっと興奮している風に着替えている間も私の心の中で続いていた。

「あー、絡まった!」

「はいはい、ちょっとじっとしてて!」

もーちゃんが、ちょっと複雑なミーコの衣装の紐を解くのを手伝ってあげているのを見ていたら、

「はいはい、終わった人はさっさと体育館に戻る!」

新保ちゃんが手を叩く。だから、

「先、行ってるね!」

「はいはいよー」

「気をつけてねー」

私が言うと、そんな風に答えを返してくれる二人へ手を振って、私は部室から出た。

 走っちゃいけない、なーんて言われてる廊下を、ほんの少しの駆け足で体育館へ戻ろうとしたら、

「…お疲れ。お前の孫悟空、面白かった。笑った」

「…うん、ありがとう」

体育館の二階に続く、今は誰もいない渡り廊下。そこで突然、私の前は遮られる。

(ひょっとして、私が戻るのを、待っててくれてた?)

嬉しくて、泣きたくて、複雑な思いで、

「それから、さ」

改めて見たら、背はまた伸びたらしい。それをかがめるみたいに、彼は…中畑は、

「お前にもらったアレ、大事にしてる。他のヤツらが言ってるみたいに、お前みたく頭が良くなる、なんて思わないけど、だけどちょっとくらいならマシになるかもって」

「うん…ふふ、ありがとう」

久しぶりに聞いた彼の、「私だけに向けられた声」。どれだけ聞きたいと思っていただろう。

「あの時の袋に入ってた紙、読んだ。ごめん、怒鳴って。それと、今までシカトして」

「…うん。こっちこそ、ごめん」

 メモ用紙を紙、って言うところがまた彼らしい、なんて思いながら、私の胸は一気に高鳴った。彼の顔、もう見ていられない。思わず俯いたら、廊下と一緒に、相変わらず薄汚れてる彼の上履きが目に入ってくる。

「俺…本当にアタマ、悪いから…なのに、お前は全然違う。だから、どうしてお前が俺のこと、

そんな風に思えるのか、ずっと分からなくて…正直、今でも分かんない。お前にどうやって返事したらいいのか、ずっと悩んでる。だってお前、女じゃ唯一、俺が普通に話せた『ダチ』だったから」

「…いいんだよお、そんなの」

 うん、そんなの、別にもういいんだ。こうやってまた話せた、ただそれだけで嬉しい。中畑のほうも、

ちゃんと私のことを『友達』だって思っていてくれていた、そのことが分っただけで、こんな風に…泣けてきそうなくらいに嬉しい。

「返事、したいけど、俺の気持ちもこんなだから、分らない。だから」

「…うん」

 廊下には、私達二人だけの声が響いている。この瞬間も、永遠に続けばいいのにとこっそり思ったら、

「卒業式には、返事、するから」

その声に、チャイムの音が重なった。途端に、体育館のほうから皆が一斉にざわめく声が聞こえてくる。休憩時間に入ったらしい。

「じゃあ」

「うん」

 短く言って、中畑も渡り廊下のほうへ歩いていく。

(おんなじ、だぁ)

どこかで見たと思っていた今の光景は、初めて出会った時と場所のそれとまるっきりおんなじで、気付いた途端にとうとう涙が零れた。

「コーコ! あれ? まだこんなところにいたの?」

 廊下の曲がり角から、もーちゃんの声が聞こえてきて、慌てて俯いて目を擦ったら、

(確か、あの時もここに)

あの時、廊下に落ちて欠けてしまった、中畑の眼鏡の欠片と同じような場所に、ぽとりと雫が一つ落ちた。舞台にまだいるような、夢の続きを見ているような私の中の時間は、そこでようやく終わりを告げたのだ。


(さあて、いよいよ本番か!)

 三年生最後の期末テストも終わった。受験生だから、クリスマスだってお正月だって関係ない。

二月になるのってあっという間だ。カシタニさんにだって、「このまま調子をキープして、頑張れ。大丈夫だ」なんて言われたし、後はこの、

(眠くてたまらないのを何とかしたいなあ、もう)

つくづく思う。私って、本当に寝なきゃダメな人間なんだよね、って、一緒の学校を志望してる子たちと一緒に、

「う、寒っ! でもここで寝たら死ぬ!」

「スカートはキツいねえ。ズボン、履きたいよねえ」

なんて言いながら、「寒風吹きつける中」を、オーテンと生山にそれぞれ願書を提出しに行ったりしていると、本当に受験生なんだっていう、ちょっと怖いような思いがひしひしと湧いて来る。

(もーちゃん、ミーコ)

 だけど当然、この中には私の友達の姿はなくて、

(お別れなんだなあ…)

変に、すこん、なんて言う感じで晴れてる冬の空を見上げて、私は巻いているマフラーの中で首をすくめた。

 小学校からの「持ち上がり」も、ここで終了。本当に皆がバラバラになって、それぞれの道を行くんだ…ものすごく寂しい。

 それでも学校へ戻ってきたら、やっぱり少しだけホッとする。教室に入ったら、同じように願書を提出しに行っていた子たちも戻ってきていて、

「で?」

早速、私の姿を認めて寄ってきたもーちゃんが、顎をしゃくって言った。

「で? って何」

「チョーシ、どう?」

「変わらないよぉ」

「そう?」

私が答えると、もーちゃんは少しだけ首をかしげて、つくづく私の顔を見る。

「ちょっと顔色、悪いような気がしてさ。ま、ムリしなさんな」

「大丈夫大丈夫。あと一ヶ月だけだもん」

「ま、ね」

バレンタインセールをやってたから安かった、なんて言って、私にチョコレートをくれながら、

「アンタなら大丈夫でしょ。けど」

もーちゃんは寂しそうに笑って、

「…マジ、友達で、いいの?」

 それが、中畑とのことを言ってるんだってすぐに分かった。答えようとした私を遮って、

「別々のガッコ、行くでしょ? 女の子同士だったら、連絡を取るのも気軽に出来るし、離れ離れになるって気、しない。だけど、オトコへ向かって、友達だから遊ぼうっていう連絡、アンタに取れる?」

「…そう、だね…」

「ブンソーオー?って? とにかくそんな言葉、あるっしょ。友達でいい、って言って、もしも葦原に行った中畑に、ケツの穴の小さいアイツに見合ったカノジョが出来たら、アンタ、それ聞いて平気?」

 …余計な形容詞はつくけど、恋愛方面でのもーちゃんの指摘はいつだって鋭くて、正しい。

「…うん…」 

 曖昧に私は頷く。本当は、今は受験のことだけを考えていなきゃいけない。だけど、好きな人と別々の高校へ行くってことが、これだけ重くのしかかってくるなんて、ギリギリになるまで分らなかったから、

「その時になるまで、分らない…かも」

「っかー、優しいねえ、アンタ! ていうか、これがベンキョばっかで恋したことのない乙女のシコーカイロ、ってヤツ?」

「もう、もーちゃんっ!」

 すぐ近くの席で、戻ってきた金田が私達に背中を向けてる。だけどきっと金田にも聞こえているに違いないし、

「初恋は実らないものよ? ああ、切ないわねえ。なんだったら、アイツに最後の情けってな風にチョコレート、渡す? 付き合うよ?」

「…ありがとうねっ」

最後の情け、だなんて、つくづく失礼な発言だ。入試まであと一週間だっていうのに、

「だーってアタシ、アンタと違ってただ『受けりゃいい』ガッコだもーん」

ってなわけで、もーちゃんはあっけらかんと笑ってる。

(そっかぁ)

 そのままなんだかミュージカル風に、他のクラスの子のところへ「アンタ、どうだった?」

なんておしゃべりしに行ってしまう彼女を見ながら、改めて思った。

 オーテンや生山に行ってしまえば、もうこんな個性的で素敵で、オシャレな友達はいないかもしれない、それが本当に…寂しいって。

 でも、なんだかんだで一週間後、一番目にやってきた私立高校の入試も、とりあえず無事には終わった。それでも公立高校との「併願組」にはまだ過酷な受験生活は続いていて、

「おい、川崎! お、浜田と後藤も一緒か!」

ほとんど自習ばっかりになってしまった学校へ、それでも皆は友達に会いにやってくる。私も同じように、もーちゃんやミーコと校門から下足室へ向かっていたら、二階の職員室の窓から声がして、

「あ、おはようございまーす」

「お前、オーテン受かったぞ! さっき電話が来た! 浜田も後藤も受かってる。よくやった!」

朝の挨拶もどこへやら、カシタニさんが雷の鳴るような声で私達に教えてくれた。

(そんなおっきな声で言わなくても)

「はぁい、ありがとうございまーす」

でも、カシタニさんだって本当に喜んでくれてるってことが分かる。カシタニさんは、何といっても、先生の中で一、二を争う生徒思いの先生だったのだ。私達が三人で、苦笑しながら周りをそっと見回したら、

(あ、中畑だ)

偶然、同じ時間に登校してきていたらしい彼が、私を見て同じように苦笑していた。

(受かったのか)

その顔が、どこか遠い物を見るみたいな表情をしてる。中畑にも気付いたカシタニさんは、おんなじように割れ鐘の響くような声で、彼の志望していた私立に受かったことを叫んで、

「…お疲れ」

「うん。中畑も受かったんだね」

下足室で上履きに履き替えながら、私達は短い言葉を交換し合った。

「だけどまだ、公立、残ってるもんね」

「そうだな」

「…ま、頑張ろ」

「うん。お前も。お前のが大変だろ?」

「大丈夫」

 かすかに笑って、私達はそこで別れる。ここで会えたし、今日は私のほうが少しだけ、登校時間が遅れたから、中畑はいつものようには私のクラスの前を通らないだろう。

(別々の道、か)

そう思うと、下足室でこうやって別れたことすら切ない。それに、

(金田)

見てたのかな、って思った。中畑が近くの階段を登るまで見送ってた私の横を、金田は黙ったまま通り過ぎていく。ミーコから聞いているんなら、金田は私が中畑を好きだった、ってことも知っているはずで、

(…結論、出さなきゃ)

公立高校の入試だけじゃない、色んなことに。曖昧なままじゃ、『卒業』できないような気がするから。

 公立高校の入試まで、一ヶ月を切った私立高校合格発表の日。朝からどんよりと曇っていたその日は、昼から雪になった。


 その雪は、やがて跡形もなく消えて、

(三年間なんて、あっという間だったな…)

卒業証書授与、そしてこういう時にしか滅多に見ない校長の挨拶、なんて『式次第』は、体育館の中で淡々と続いている。

(本当に、お別れなんだ)

 周りで、クラスの子たちが目をウルウルさせたりしているけれど、私にはいまいち実感が沸かない。なんとなく、ぼーっとしたまま式は終わって…ぼーっとしていたのは多分、受験勉強の寝不足のせいだと思うんだけれど…そのまま体育館へ出ようとした私を、

「コーコ、お母さん、ちょっと先生方に挨拶してくるから」

呼び止めたお母さんに頷いて、

「少しだけ、校舎の中、見てくるからさ。校門で待ち合わせでいい?」

「いいわよ」

私は体育館の外へ出た。

(わ、春だ)

 憎たらしいほどに、外は晴れている。これで中学の校舎も見納めだ、なんて、ガラにもない感傷に浸りながら、私はもーちゃんにもミーコにも内緒で、こっそりと校舎のほうへ続く渡り廊下を歩く。

「…よう」

「うん」

 私と中畑が初めて出会った場所。そこで、示し合わせたみたいに三回目、私達は出会った。

「…返事、するって言ったから。きっとここにお前、来ると思ったから」

「うん。ありがとう」

 私へ向かってぎこちなく片手を上げた中畑は、真っ赤になった顔を伏せながら言う。

「正直、今の今でも迷ってる。俺、お前には全然釣り合ってないんじゃないかって…高校だって、あんな…『テーヘン』だから、お前と難しい話だって出来ない」

「…うん」

「だけど、もしも」

そこで、彼は顔を上げて私を見る。瓶底の眼鏡はあの時のまま、フレームだけが黒から銀色に変わっていたけれど、その奥にある鋭くて、笑うと優しい感じになる目はそのままだった。

「もしも…今のままでよかったら、別々のガッコに行っても、ダチでいて欲しいって思ってる…俺を見てて欲しいって」

「…そう、だね」

「だって、そうしたらお前のこと、俺がオンナとして好きになれる可能性だってあるわけで、だから」

 ああ、やっぱり彼は優しかった。私って結構、人を見る目あるんじゃない?なんて思いながら、

「…ごめんね。ダメだ」

言った途端、涙が出た。

 迷うまでもなかった。もーちゃんに言われたからでもない。とっくの昔に、結論は出ていたのだ。

 私は、中畑の友達でいい、ただ話が出来るだけでいい、そう思った時から、これから中畑のことを本当に好きになってくれるかもしれない女の子に負けていた。

 それに中畑の言うとおり、別々の学校に行ったら…授業内容だって経験することだって、なに一つ共通点はなくなる。お互いの色んな『差』は開くばかりになって、話なんて全然合わなくなる…それは今よりもずっとずっと辛いから、

「ありがとう、一生懸命考えてくれたんだよね」

泣いちゃダメ、なんて思ったら、余計に涙が出る。目を擦りながら告げようとした言葉は震えて、

「だけど、ね。頭が悪いとかそういうこと、全然関係なしに、私のほうがもうダメ。中畑のこと、好きでいられる自信がなくなっちゃったんだ。ごめん」

「…そうか。俺のほうこそ、ごめん。もっと早く言えば良かった」

ついにしゃくりあげてしまった私へ、中畑はだけど私の大好きな顔で笑った。

「獣医になるんだよな、お前」

「…うん」

「頑張れ」

そう言って、中畑は大きな手を差し出す。その手をぎゅっと握り返して、

「さよなら。好きにならせてくれてありがとう」

私も泣きながら笑ったんだ。

 私と彼が初めて出会った場所。ずっとずっと忘れないでいようって思いながら。


 公立高校の入試は、中学校の卒業式の三日後っていう日程になっている。どうせなら、入試が終わってから卒業式とかにすればいいのに、なんて、どうでもいいことを思いながら、いよいよ本命の高校入試の日がやってきた。

「川崎さーん!」

「はーい、今行くよ!」

一緒に行こう、なんて約束をしていた、同じ高校を受験する子が、朝早くから私を誘いに来る。

吹く風にはほんの少しだけ春の匂いがして、

「お待たせ」

自転車に乗って待ってくれていた子に言って、私はその匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

 公立生山高校。私の家から自転車で三十分ほどの距離にある、

(中畑が入院していた病院の近く、か)

共学の高校。近づくにつれて、周りには同じような制服を着て自転車に乗った中学生がどんどん増えていって、

「…ドキドキしてきたよ」

「頑張ろう、ね?」

その子と話し合いながら、私は高校の教室へ向かおうとして、

(ミーコ…?)

 ふと、高校の校門へ目をやった。そこには、私の友達の一人の姿が見えて、

(私を応援しに来てくれたんじゃないんだ)

金田のためなんだ、って、分かった。だって私が到着したのは、ミーコが現れた少し前。金田はまだ来ていないのか、姿も見えない。専願だったミーコ自身の受験はもう終わっているはずだし、

(…本当に好きなんだね、金田のこと)

また、泣きたくなるくらいに切なくなる。

『友達でいいって言って、別々の学校に行った中畑が、アンタ以外の女の子をカノジョにしたとしたら、アンタ、平気?』

気付かなかったフリをして、教室へ続く階段を上りながら、私の頭の中に浮かんできたのはもーちゃんの言葉だった。

 もしも好きな人が別の高校へ行って、自分じゃないほかの女の子と彼女になって、それが自分の友達だったら? それとは別にしても、せっかく出来たカノジョが、アイツは女友達なんだって言う「カレ」の言葉を信じなくて、別れることになったら? それはそのまま、今の私とミーコにも当てはまることじゃないかって。

(…こっちも、か)

 学校単位で願書を出しに行ったから、私達は同じ教室で受験することになっている。二列横、教壇から数えて三番目の…私の斜め前の席に着いた金田の制服の背中を見て、

(私は、どうすればいい)

自分に問いかけて、こっちの答えもとっくに出ていたことに、やっと気付いた。

 だから私は、配られた真っ白な解答用紙に、自分の名前だけを書いたのだ。




to be continued…


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