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ガラスノカケラ  作者: せんのあすむ
16/18

ガラスノカケラ 「それでも、やっぱり」

 放課後の英語部の部室は、文化部なのにいつになく慌しい。

 あれから一ヶ月。熱かった日差しもやっと柔らかくなって、

「ジョカントク! ほら、ぼーっとしない!」

「はいはい」

もーちゃんのがなり声に(秋なんだなあ)なんて思いながら校庭を眺めていた私はハッとする。止めていた手をまた慌てて動かして、カボチャの馬車へポスターカラーの絵の具を塗っていく。

 英語部の今年の出し物は、ミュージカル英語劇のシンデレラ。台本は新保ちゃんが担当して英訳されたもの。途中で踊りが入る、最初から最後まで英語の台詞で演じる二十分足らずの劇だけど、毎年割りと好評で、

「アタシらの見せ場だかんね。新保ちゃんが来られない時に、ジョカントクのアンタがしっかりしてくれなきゃ、どうすんの」

魔法使いのおばあさん役をやるもーちゃんは、自分のクラスからもらってきた壊れた箒の柄を握ってる。魔法の杖にするつもりらしいその先につける予定の星の板を、糸ノコで切るのに忙しいんだって、ぶうぶう文句を言った。

「うん、ごめん」

 苦笑いしながら謝って、

(そうだよねえ)

私は思う。私ごときの一人や二人、失恋しようがしまいが、普通にガッコはあるし、季節だって変わらずやってくる。

(シンデレラ、かあ)

「はい、舞台装置の作成はそこまで! 最初から通し稽古を始めるよ!」

 丸めた台本を片手へ打ち付けて、吹っ切るみたいに私は叫んだ。運動部みたいに大会のない私達文化部の、一年に一度の見せ所。

(去年は赤ずきんちゃんだった)

 私はだけど、去年も体育館にある『舞台』には立っていない。そこにいたのは三年生だった先輩達で、私達下級生は裏方だった。今年は私も何かの役をもらえるかな、なんて思っていたんだけれど、弁論大会組にはそっちへ集中しなきゃいけないからって、役をもらえなかった。

(出たかったけどなあ…来年はどうなんだろう)

 …今年は、三年生の先輩達がいない。だから、私達二年生が英語部の「最上級生」。弁論組はそれでもナレーターとか、私みたいに助監督とか、裏方に回されてしまったけれど、

(中畑に見てもらえないんなら、別にいいや)

つたないけれど、一生懸命皆が作った衣装。それを着て一生懸命、たどたどしい英語の台詞をしゃべって…、

(私、まだアイツのこと、考えてる)

「はい、一旦休憩!」

 一通り稽古は終わったところで、私はこっそり苦笑しながら号令をかけた。もうそろそろ出張に出ていた新保ちゃんもクラブに来るだろう。

「十分後にまた、それぞれの小道具の製作を開始すること! 以上」

私が続けると、後輩達や同輩達はそれぞれホッとしたような息を吐いて、三々五々、散っていく。私もカバンに入れておいた水筒を取って、窓際にぽつんと置いてある椅子へ座ったら、

「コーコ」

「ん? なあに、もーちゃん」

やけに深刻な顔をして、もーちゃんがそばの椅子へ同じように腰を下ろして、

「ごめんね」

「へっ。なんで?」

「アタシがさあ、アンタの恋、めちゃくちゃにしちゃったんじゃないかってさ。ずっと悩んでたんだ」

「ど、どうして」

「ちょっとちょうだい」なんて言いながら、もーちゃんは私の手からひょいと水筒を取り上げた。そのフタを空けてお茶を一口飲んで、

「だってアンタ、あの日からずっとおかしいもん。アタシがあの時、見舞いに行こうなんて言い出さなきゃ、あんな風にケッテーテキに」

「そんなこと、ないよぉ」

返された水筒のお茶を、私も一口飲んで慌てて手を振る。

「遅かれ早かれ、ああなる流れだったんだよ…多分ね」

「そう、かな…」

「そうだよ。だから、気にしないで。ねっ!」

もーちゃんへ頷き返しながら、

(まだやっぱりふっきれてないんだなぁ、私)

でも、思い出すのはあの雨の日のこと。私達の教室で、こんな風に二人だけで雨のグラウンドを眺めてたあの日。思い返すとガラスみたいに壊れて、その欠片が心に突き刺さってしまいそうな気がして、私はそのたびに慌ててその日のことを心の底へ閉じ込める。

「だけど」

「もーちゃんてさ」

 言い掛けたもーちゃんを遮って、私は笑って続けた。

「魔法使いのおばあさんみたい」

「へえっ? 何それっ!」

「うん、本当。魔法使いのおばあさん」

「繰り返すなっての! アタシがバアさんみたいだってか?」

「あはは、違う違う、そういう意味じゃないよ!」

「どういう意味だっつの」

たちまち真に受けて怒り出す私の友達をにこにこしながら見上げて、

「私にとって、もーちゃんは魔法使いのおばあさんだったってこと。本当に感謝してるってこと。ありがとう」

私が言ったことは、本当。だって、女の子が可愛くなれる魔法、もーちゃんが教えて…かけてくれた。きっとそれは、私が忘れなければ(髪の毛を毎日梳いて、リップクリームを毎晩塗って、爪を磨いて、かかとの角質に一週間に一回は気をつけて…)ずっと続く素敵な魔法。ただ違うのは、

(私はシンデレラじゃないってこと)

「なっ…もう、いいよっ! とにかく、アンタが元気ならそれでいいっ」

照れて顔を赤くして、怒ったみたいに言って、もーちゃんは私から離れて行く。むすっとした顔のまま、板を星型に切る作業に戻った彼女を見送った後、私は手の中で丸めた台本へ目を落とした。

 シンデレラ。英語での原題は「灰かぶり姫」。

(私はシンデレラじゃない、そういうこと)

 …素敵な女の子になれる魔法をかけてもらったのは、私もシンデレラも同じ。ただ違うのは、私には王子様がいなかった、それだけの話なのだ。

 変わらなく続く、退屈な日常。そこにまだ中畑がいない…退院してきていない。何度教室の彼の席へ目をやっても、そこに彼がまだいないってことがわずかな救いで、

(会いたい。嫌われてしまったけれど、やっぱりせめて見ていたいな)

心がちぎれそうなほどに辛かった。

 それに、

(ミーコ、どうしたんだろう)

もう一人の友達の様子も、最近おかしい。もーちゃんには普通に笑顔で話をしている風なのに、

「ミーコ! これ、ここんとこ、ちょっとほつけてるよ」

「…うん。分かってる。私も気になってたんだ」

ほら、私へは何だかものすごくぎこちない笑顔しか返してこないんだもの。裁縫やお料理っていう、「女の子のこと」が得意で、いつかデザイナーになるんだって言ってる彼女。

「直しておくね」

「うん、助かる」

何気ない風に会話をしながら、ミーコの返事が素っ気無いことに少しだけ私は傷ついてた。

 最近は、お弁当も同じクラスの子達と食べるから、って言って、私のクラスに食べに来ない。思い当たる節が全然ないんだけれど、ひょっとしたら私、彼女を傷つけることを無意識にしていたのかも。強いて言うなら中畑のお見舞いについて来てもらったことだけど、

(謝る…のも変だしなあ)

どっちかっていうとあれは、もーちゃんが強引に誘ったっぽい、っていうのもあるし。

(友達、だもんね)

 私の気のせいかもしれない。文化祭前で忙しくて、ピリピリしてるだけかもしれない。だから、またいつかミーコが普通に、笑顔で話しかけてきてくれる時だって来る…そう思って、四ヶ月。


 結局、文化祭が終わっても、クリスマスがきてもお正月が終わって三学期が始まっても、ミーコの私への態度も相変わらずだったし、中畑は学校に帰ってこなかった。

(よっぽど体の具合が悪いのかな…)

やっぱり心配で、そしてそんな風に思っても中畑には迷惑なんだって自分に言い聞かせながら過ごしていたら、いつの間にかもう三学期になっていた。そのしょっぱなにある実力テスト。先生達も言ってたけれど、これが高校への進路を決める大事なテストの一つなんだってことで、皆の顔も少しだけいつもと違って見える。なのにその日になっても中畑は学校へやってこなくて、

「なっかん、大丈夫なのかなあ。進級できんの、アイツ? ねえ、モモコちゃん」

(なっかん…中畑のこと?)

一科目めは英語。終わったテストを集める時、モモコちゃんに尋ねてるクラスメイトの声を聞いて、思わず胸がドキドキした。男子が普段彼をそう呼んでいることくらい、私だって知っている。

「四ヶ月近くもガッコ、休んでさあ。いくらギムキョーイクだからって出席日数とか、成績のほうとか大丈夫なわけ?」

 関係ないんだから聞くまいと思っていても、自然に私は聞き耳を立てていた。

「大丈夫よ。病院のほうへちゃんと、PTAからお話が行ってるし、そういった子専門の先生が、病院のほうで授業をして下さってるから。でも、もうそろそろ帰ってくるって私は聞いてるけど」

「そうなんだ?」

 モモコちゃんが言うのへ、そのクラスメイトは少しだけ安心したみたいに言ったけど、

(大丈夫じゃないよ、ねえ?)

中畑の成績、悪いけど私、知ってた。もーちゃんが言うように、テストではいつも九十点以上は取っていた私の、せいぜい六割か七割がいいところで、二学期まるまる休んじゃったらそれこそ成績はガタ落ちなはずで、

(葛居寺や白鳥どころじゃなくて、ひょっとするともう)

彼が行きたい、なんて漏らしていた『地元四校』にすら行けない成績になっているんじゃないだろうか。

 なんて考えて、

(それこそ、余計なお世話じゃん)

テスト用紙を集めて黒板の前の教卓へ置きながら、私はため息を着いた。

 最初から分かりすぎるくらい分かりきっていたことなのだ。私と中畑が全然違う高校へ行くはずだってこと。中学で…会えるのはこれっきりになる可能性のほうが高いってこと。

(『動物のお医者さん』になるっていう夢を、「たかが」恋のために諦めるなんて、それこそ馬鹿みたいな話だって思うところが、私が普通の女の子とは違うっていう何よりの「証拠」かもね)

 もーちゃんは「アンタよかアイツのほうがよっぽど変人だよ」なんて言ってたけど、私がクラスの

「女子側の変人」であることには変わりないわけで、その変人と噂になったっていったら、そりゃ嫌だったろう、なんて今では私自身も思ってる。それに、なによりも中畑にフラれてしまった私が、中畑と同じ高校へ無理に行くなんて、彼にとっては迷惑な話以外の何物でもないじゃない。

(中畑と同じ高校へ行ってもいい、なんて馬鹿じゃん)

 自分で自分に呆れながら席に戻りかけたところで、

「お、なっかん! 帰ってきたんじゃん!」

「おお、お帰りー!」

クラスメイト達がざわめき出した。…思わず顔を伏せて、私は足早に自分の席へ戻る。

「あら、中畑君! お帰りなさい」

 教室の扉が開く音がする。モモコちゃんが懐かしそうに言う。

「もう具合、いいの? 学校に来て大丈夫?」

「…うん。昨日、退院した。テストだけでも受けてこいって言われて」

 ああ、顔を上げたい。上げて彼の顔を見たい。だけど、見ちゃったらきっと泣いてしまう。

「じゃあ、英語だけは今日、お昼から職員室で受け直せばいいわ。私が時間、測ってあげる」

「うわあ、サイアク」

「頑張れよ、なっかん!」

 楽しそうな笑い声が、背中に痛い。席へ座って顔を伏せて、

(いつか戻ってくるって、戻ってきて欲しいって思ってたはずなのに)

これまで自分が中畑へやったことを思うと、恥ずかしくて顔が熱くなった。

 好きです、って言わなきゃ良かった。そもそも好きにならなきゃよかった。どうして私なんかが中畑のこと、好きになっちゃったんだろう。

 それきり「受け入れの儀式」は終わったらしい。ちらっと顔を上げると、中畑が教卓の前を通り過ぎて、自分の席へ歩いていくのが見える。

(あ…)

そこで彼は、大きな深呼吸を一つして小汚いカバンを置いた後、私のほうを振り向いた。

 目が悪いのは相変わらずらしい。瓶底眼鏡の奥の、鋭くて大きな目でじっと私を見てから、開きかけた口を閉じて、すっと瞼を伏せる。

(私、に?)

 …何か言いたかったんだろうか。今更、私なんかにかけてくれる言葉が彼にはあるんだろうか。

(もう、全然関係ないんじゃない)

誰かの歌にもあったけど、「友達だったのに、他人よりも遠く見える」ってこと、本当にあるんだ。

 そんな彼から私も顔を背けた。そこで二科目め、数学のテストの始まりを告げるチャイムが鳴って、

(顔色は少し悪くなったけど…背は、すごく伸びたんだね)

少しぼやけた目を擦って、私はテスト用紙へ向かったのだ。

 三学期が三ヶ月しかないのが、

(ほんと、助かる)

四月になればまた、クラス替えがある。そしたら中畑ともクラスが別になる可能性だってあるし、彼の姿を見て苦しいのも少しは楽になるかもしれない。だから、彼からのシカトを堪えればいいのは三ヶ月だけだ。苦笑しながらそう思って、十分くらいで解けてしまったテストの解答用紙を何度も見直していたら、小さくアクビが出た。

(さて、もういいや)

 計算間違いのチェックも終わった。まだ終了時刻まで二十分もある。ぼんやりと窓の外を眺めていたら、びゅうびゅう音がして木枯らしが吹いていて、

(うわあ、寒そう)

暖房が効いている教室の中だっていうのに、思わず首をすくめてまたアクビをしたら、窓側の席に座っていた中畑とまた目が合った。

 一瞬だけ…一瞬だけだけれど、確かに彼は私を見て柔らかく笑っていて、私と目が合うと慌てたみたいに反らしてしまう。テストの間中、それはずっと続いた。

(…こら、もう。ねえ、中畑)

そんな小さなことなのに、フラれたはずなのに、嬉しくて胸がドキドキして、

(アンタのこと、好きでいて、いいの? もう分かんないよ、私)

なのにそれ以上に…辛かった。




 それに、辛いのはもう一つ。

「ねえ、もーちゃん」

授業中も、休み時間も、体育の授業以外は大抵、中畑の視線を感じるようになって一ヶ月。

「何? バレンタインチョコ渡すから手伝えってか? だから、あんなの(中畑)に渡すなっての」

「違うよ、違う違う!」

 例によって、私の答えを変に先取りして言うもーちゃんに、私は苦笑して首を振った。昼休みのお弁当を広げている私の席には、

「ミーコ、最近どうしちゃったの?」

最近ではお弁当すら、ミーコは食べにこなくなって、そっちのほうも心配だった。

「…私さ、ミーコに何かした? 私のせいなのかな」

「えー…っと。それは、まあ」

尋ねたら、もーちゃんはたちまちキョドって、とってつけたような笑いを口元に浮かべる。

「コイのナヤミってやつ。当分誰にも黙っておきたいんだって。コーコと会ってると、

どうしてもコーコにも言っちゃいそうだから、『誓い』は守りたいって」

「何よ、それ。言ってくれたっていいのに。友達甲斐、ないよ」

「まあまあ」

私が口を尖らせると、もーちゃんは誤魔化すみたいに、私の肩を叩いて、

「解決したらさあ、また三人で色々…遊ぶから、ってミーコも言ってるんだ。だからさ、しばらくそっとしておいてやりな。アンタのことを嫌いになったわけじゃないんだよ」

「…うん…それなら、いいけど」

 正直、面白くない。いいけど、なわけない。どうしてもーちゃんには言うことを、私には言ってくれないんだろう。私達、友達じゃないかって心の中でミーコに言い掛けたら、五時間目の予鈴が鳴る。

「アンタんとこ、次、英語? だったらごめん! 数学の教科書、貸して! 忘れてきちった、あははは」

「しょうがないなあ」

もーちゃんに頼まれるまま、私は数学の教科書を渡す。その時にまた、強い視線を感じて顔を上げたら、

「ミーコ!」

廊下側の窓には、こっちを見てた中畑と、その向こう側にもう一人の友達がいた。

 思わず立ち上がって、そっちへ走り出そうとした私の腕を、

「…だから、今はダメ」

「もーちゃん…」

思いがけない強さで、もーちゃんがぐっと握り締める。

(ものすごく、深刻な問題になってるんじゃないの…?)

 彼女の真剣な表情に、私は椅子から上げかけた腰をもう一度下ろした。話をするのも、声をかけるのもダメだなんて、

「修復不能なんじゃない」

「そんなことない。そんなことないから、ミーコのことはアタシに任せてな。…じゃ」

私に、というよりも、自分に言い聞かせるように頷いて、もーちゃんは私のクラスから出て行く。

 入れ替わるみたいにしてクラスへ入ってきたモモコちゃんが、

「皆さんに、言っておかなきゃならないことがあります」

同じくらいに真剣な、少し寂しそうな表情をしながら私達に告げたのは、モモコちゃんの結婚についてだった。


 結局、バレンタインも、二年最後の期末テストも、そしてもちろんホワイトデーも春休みも何てことなく過ぎて、

(もう、あれから一年が経ったんだ…)

ミーコとはなんとなく(私には分からない原因で)離れ離れになったまま、私達はとうとう三年生になった。

 クラス替えがあっただけで、他は何も変わらないように見える学校生活だったけれど、少しずつ、小さなところが変わった…と思う。一年の時から英語を担当してくれていたモモコちゃんは、結婚退職してK県へいってしまって、今はもういないし、代わりにやってきた英語担当の先生は、言っちゃ悪いけど「おばさん」だし。

(ケッコン、かあ…いいよねえ)

 モモコちゃんのことだから、きっとすごく綺麗な花嫁さんだったに違いない。私だってお嫁さんになることに憧れていないわけじゃないけれど、

(その前に相手がいないと、こればっかはどうにもならんわなあ)

どんどん優しくなってく日差しの中、苦笑しながら見上げた同じクラスの貼り紙の中に、

(あったあった。三年三組、川崎香子。あ、もーちゃんだあ…と、金田。ミーコとはまた別のクラスかぁ)

浜田朋子、金田祐司の二つの名前を発見して、

(中畑…は、ああ、六組。これで辛くなくなるよね。これがクラス替えのいいとこかもしんない)

ホッとしたり「やれやれ」なんて思ったり。中畑の姿をダイレクトに見られなくなるのも辛いけど、視線だけが合って、なにも話しかけてこられないのはもっと辛いから。

 ついに高校受験。来年は高校生になっているんだっていう実感は、いまいち沸かないけど、獣医になるんだっていう夢は叶えたい。だから、

「四王天高校と、生山を受験したいなって考えてるんだけど」

一学期が始まってすぐの三者面談で、私は新しく担任になった、男子体育担当のカシタニさんへ言った。

「ふうん、すると『オーテン』を滑り止めにして、生山が本命か」

「うん、一応」

 男子の体育担当だから、ちゃんと私と話したことなんて、これがひょっとしたら初めてかもしれない。カシタニさんは、がっしりした熊みたいな体を白い長袖のポロシャツに包んで、下半身はそれでも気を遣ってるつもりなのか、セットになってるスーツのズボンを履いていた。

「『オーテン』が滑り止めってのも贅沢な話だと思うが…まあ、お前ならイケるだろう。頑張れ」

「はあい、ありがとうございました」

 お母さんも、安心したみたいに私と一緒に頭を下げた。

 『オーテン』を私が滑り止めにする、って言ったのを、カシタニさんが贅沢だって思うのも当たり前で、四王天っていったら私達が住んでるN県一の、超難関私立女子高だって言われているのだ。当然、偏差値だって生山よりも高い。

 東大や京大へ行く人だってバンバン出ていて、だったら私が目指す

(H県立大の農学部獣医学科なんて余裕だよね)

そう考えたからだ。

「今まで以上に勉強、頑張らなきゃいけなくなるけど、大丈夫?」

「大丈夫だって」

 そんな風にお母さんと話しながら教室を出たら、廊下に置いてある二つの椅子に、

(金田)

金田と、そのお母さんなんだろう人が並んで座っていた。お母さんは「あら」なんて言いながら頭を下げあっていたけれど、

(金田は、どこに行くんだろう)

私が手を振っても、やっぱり金田はどこかムスっとしたまま、チラッと私を見たきり黙ってる。

(ま、どこへ行くかなんて本人の自由だし)

 思いながら、ふと廊下の先へ目をやると、他のクラスの前にはも同じように椅子が並んでいたり、家族の人たちとそれへ座ってる子たちがいたりして、

(中畑)

廊下の曲がり角にある彼のクラス。その前の廊下には彼が、お祖母さんと一緒に椅子に座っていた。

(うん…頑張ろうね)

 彼も私を認めて片手を上げかけて、慌てた風に下ろす。それを見ながら改めて思った。異性として好きとか、嫌いとか、そういうのはもうどうでもいいんだって。あんな風に罵られても、中畑が私のこと、もしも嫌いでないなら、私は中畑のこと、心の中でこっそり『友達』だと思っていようって考えたら、知らず知らずのうちに笑ってた。

私も、私から目をそらした中畑へ向かってこっそり手を振ったら、

「川崎」

先生に呼ばれてこれから教室の中へ入っていく金田が、私を呼んだ。

「ん? 何、金田」

「…なんでもない。気ぃつけて帰れ」

…人を呼んでおいて、自分は背中を向ける…ほんと、おかしなヤツ。

(ま、どうでもいいけどさ)

こんな金田も毎度のことだし、もう三年目だから怒る気にもなれない。お母さんに促されて、私も下足室へ続く階段を降りていった。


 三年生だから、って、灰色の受験生活ばかりしているわけじゃない。新しいクラスになって一ヶ月経った五月下旬には、修学旅行だってあって、

「おっはようございます! コーコ、いる?」

「はいはい。ちょっと待っててね」

玄関で、お母さんともーちゃんの声がした。学校への集合時間は朝の五時半。だからっていうんで、私ん家には朝の五時にはもう、もーちゃんが誘いに来ていた。

「…ミーコ!」

「うん…おはよ、コーコちゃん」

その側には気まずくなってしまったとばかり思っていた友達が、恥ずかしそうに立っている。玄関先で彼女の名を思わず叫びながら、嬉しくて仕方がなくて、二人の顔を交互に見ていたら、

「ほら、行こ?」

「うん!」

もーちゃんが促した。重いカバンを提げて、私達はいつもやっていたみたいに、揃って私の家を出る。

 どうしてミーコがまた、私とこうやって一緒にいてくれる気になったのかは聞かない。だってその気になったら彼女のほうから絶対に話してくれるだろうし、それに私のほうはミーコが戻ってきてくれただけで嬉しいから。

「おおブレネリ、あなたのおうちはここ」

「そら自己解決やっちゅうねん!」

なーんて、いつもやっていたみたいにくだらない漫才をしながら、ようやく明るくなってきた朝の道を歩いて学校に到着したら、校庭にはもう学年の半分くらいの子がいて、先生達とふざけあったりしていた。

 でも、

(…あれ?)

先生達が苦笑しながら、皆をクラスごとに整列させているその中…六組のクラスの列に、中畑の姿はなかった。

(どうしたんだろう。やっぱり体が遠出できるほどじゃない、とかかなあ)

 そのうち空はどんどん明るくなってくる。なのに中畑は来る気配すらない。

楽しいはずの修学旅行が、

(少しつまらなくなっちゃったかな)

そんな風に思えて、修学旅行前の先生達の説明を聞きながら、私は小さくため息をついた。

 バスに乗って新幹線の駅へ向かって…電車の中でも皆、楽しそうにわいわい騒いで、

「コーコ! そんなシケた顔してないで、ほら!」

「あ、ありがと」

修学旅行先、山口県の小倉まで、あと三十分。私達の修学旅行では、日本海側にある萩城跡や長州藩の武家屋敷を見たり、秋芳洞を探検したりするらしい。

 もーちゃんがくれたおやつを一つ、あんぐりと頬張りながら、

(海、かあ。いいよね、海って)

修学旅行のパンフを改めて見ていたら、その萩城は、海の近くに建っているらしいって書いてある。他に見るものもないし、もーちゃんはクラスの子たちにおやつを配るのに忙しいらしいから、とりあえずその文字をつらつら追っていたら、

「…あれ、コーコ。アンタ、ちょっと顔色悪くない?」

「…酔った」

戻ってきたもーちゃんに言ったら、保健の先生も飛んできて、ちょっとした騒ぎになった。つくづく、動いてる乗り物の中で文字を見るもんじゃないよね。

それでも、萩城跡の側の砂浜へ到着した時には、すっかり気分はよくなっていた。海水浴くらいの時にしか来ない海だけれど、やっぱり吹いてくる風は気持ちいいし、

(やっぱり海っていいよね、いつ来ても)

私が思うことは、やっぱり皆も同じらしい。男子なんかは、早速靴下まで脱いで波打ち際へ入ったりしている。

(中畑も来ればよかったのにな)

その歓声が何故かちょっと心に痛くて、ミーコやもーちゃんがテトラポッドに腰掛けて話をしているのを幸い、私は一人で皆から少し離れたところへ行ってみた。

(わ、綺麗)

 少し離れただけで、歓声はもう聞こえない。ただ寄せては返す波の音だけが聞こえていて、その砂浜には色とりどりの丸い、

(ガラス…なのかな?)

そんな欠片が落ちていた。

(持って帰ろう)

 …波に向かってそれは放れず、なんていう中原中也の詩が、そこで柄にもなく私の心の中に浮かんで、一人でテレながら私はそれを空いたおやつのビニール袋へ入れ始める。

 これが、私の、私自身への修学旅行のお土産。お土産屋さんに並んでいるみたいな、ちょっとした百貨店に行けば並んでるような全国共通の土産物よりは、こっちのほうがいいって思えたから。

「シーグラスっていうんだ、それ」

「え?」

突然、そこで声がかかった。驚いて顔を上げたら、いつの間にか私の側には金田がいて、同じように腰を下ろしている。

「シーグラス。ガラスの瓶とかが、波に削られて丸くなって、それが波打ち際に打ち上げられたヤツ。

手伝ってやるよ。どれを持って帰るんだ」

「あ…うん」

 赤、青、緑、茶色、それから透明。色んな種類の「シーグラス」があって、

「シーグラスって言うんだ」

「うん」

それを一緒に集めながら、私と金田はなんとなく、ぽつりぽつりと話を始めていた。私が尋ねると、金田は下を向いたまま頷いて、

「お前、覚えてるか? 小学校の時、俺、天文学者になりたいって言ってたこと」

「…うん」

「星のことも、宇宙のことも好きで、いつかそんなことを研究できたらって…今でも思ってる」

「そうだったね。そうなんだ」

小学校の担任の先生にも、「天文学者」だなんてあだ名で呼ばれていた金田。私にも冗談みたいに貸してくれたことのある本は「宇宙」っていう題名と、どこかの星雲の写真の表紙のついてる図鑑だったっけ。

「でも、宇宙のことと、他の星のことを研究するんなら、まず自分が住んでる地球のこと、知ったほうがいいって言われたから…色々調べてる。シーグラスのことも、つい最近調べて分かった」

「へえ、すごいね」

 素直に感心して、私は金田の横顔を見た。中畑よりも目はいいけれど、少し背は低い。二年前にはぷっくりしていたはずの頬は、少しだけすっきりしたように思う。まん丸だった目は…中畑と違って二重だってところは変わらないけど、少しだけ鋭くなったように思う。何よりもこんなにも、どこか大人びたみたいな顔をすることはなかったように記憶しているけれど、

(皆、自分の目標を持ってるんだなぁ)

いつまでもコドモのままじゃいられない…私も。過ぎていく時間は、どうしたって止められないんだって改めて思って、少し、ううん、ものすごく寂しくなる。

「けど、天文学者になるためには、地学部に入らなきゃならなくて…ほら、これ、綺麗だから」

「うん。ありがとう」

 ビニール袋へ大きな赤いシーグラスを入れてくれながら、金田は話し続ける。

「地学部のある大学って、レベルが高いんだ。だから、俺も」

「ん?」

そこでふと手を止めて、金田は私の顔を久しぶりにまともに見た。

「俺も、お前が行く生山を目指してる。俺、中学に入ってからつい油断して遊んで、少し成績が下がった。だからトン高と聖風の標準コースだったら安全圏だって、カシタニに言われたけど」

「…」

 トン高、聖風…富美丘高校と私立男子校の聖風高校。二つとも、私が目指してる高校よりもランクは一つ下で、

「だけど、俺、生山に行くよ。お前だったらヨユーだろ? そう思ったから、俺」

何と答えていいのか分からなくて、私は黙っていた。けれど、ひょっとしたら金田だって私の答えを期待していたわけじゃなかったかもしれない。

「お前が行くから、俺は」

 そこまで言って、金田も黙ってしまった。しばらくの間は波の音だけが響いていて、時々ずっと遠くのほうから、

学校の皆のはしゃぎ声が聞こえてくるのが、嘘みたいに思えた。

「…これ、一つくれ」

 突然、金田は私が持っていたビニール袋へ手を入れて、集めたシーグラスを一つ取り出す。

「大事にするから」

砂が、ざくっ、と大きな音を立てた。私から踵を返して皆がいるほうへ向かっていく金田が持っていったのは、透明なシーグラス。


「コーコ、ちょっと」

「ん?」

 そして夜。さすが田舎、っていうべきなんだろうか。私たちの感覚じゃ、「まだ」八時なんだけど、窓の外をのぞいてみたら、ホテルの周りには人影一人見当たらなくてしんとしている。

 なのに、部屋の中ではクラスの皆があっちこっちで固まって騒いでいて、

「ちょっと来て。ほら、来―い来い来い」

「どうしたの?」

そんな中、もーちゃんが私の肩に手を置いて、部屋から出るように促した。くっついて廊下に出たら、

「ミーコ」

「コーコちゃん、話があるんだ。ロビーまで、ちょっといい?」

ミーコが恥ずかしそうに、だけどすごく真面目な顔でそこにいた。

 消灯時間まで後一時間。私もうなずいてミーコやもーちゃんと並んで歩き出す。降りていったホテルのフロントの前には、悪趣味な鎧や兜が並んでいて、

(毛利家当主が代々使用したものです、か)

そこを通り過ぎないとロビーにはいけない。なんとなくそれへ目をやりながら通り過ぎて、海のほうに近いテーブルの席に私達は腰掛けた。

「あのさ、コーコちゃん」

セルフサービスです、って書いてあるお水を、もーちゃんが気をきかせて持ってきてくれる。それへ

「わ、ありがと」なんて言いながら受け取って、ミーコは、

「…今までごめんなさい」

両手でコップを握り締めて、その中をのぞくみたいに俯いたまま、そう言った。

「な、なんで? 私、謝られるようなこと、されてない」

だから私、焦った。だって本当に、今まで避けられていて寂しかったことは寂しかったけれど、そんな酷いこと、されているって覚えがなかったから。

 もーちゃんのほうを見ても、もーちゃんも私から、っていうより私達から目をそらすみたいに、ソファへ仰向けにふんぞり返っていて、

「…あのね」

しばらく黙った後、ミーコはまた話し始める。

「私、さ。去年、金田にコクったの。好きですって…小学校の時からずっと好きでしたって」

「…」

 私の頭の中に、去年の踊り場の映像が浮かぶ。そうじゃないかとは思っていたから、そんなにも驚きはしなかったけれど、

「だけど、フラれちゃった。ううん、フラれること、分かっていたから別に構わなかったの。私ね、知ってたんだ。金田には、小学生の時から、他に好きな子がいて、ずっとずっとその子だけを思い続けてるってこと」

「…そう、だったんだ」

ミーコは一体、なにを言いたいんだろう。金田がどうとか、私には関係ないことじゃんね? なんて思って、それでも他ならぬ友達が真剣に話していることだから、私も(聞いてるよ)って風に真面目に頷いた。

「その子はねえ」

 寂しそうに笑って、コップの水を一口飲んだ後、ミーコはまた、私から視線を落とした。

「ものすごく頭が良くて、勉強以外のこともそこそこ出来ちゃうから、私、すごいなって思っていて、どうしたらそんなにも頭が良くなれるんだろうって羨ましかった。だって私は勉強も、顔も、何もかもがフツーだったんだもの。だけど…女の子としての可愛さ、っていうだけだったら、絶対私のほうが勝ってるって…ものすごく私、嫌なこと考えてた。だから私、金田に言ったんだ。

『私でよかったら、相談に乗ってあげるよ』

って。だって私は、その子と友達だったから。金田も『その時は頼む』なんて言ってくれて、私は本当に何とも思われてなかったんだなって、はっきり分かっちゃった。でも、それからも金田と話せるんだったら、ただの相談相手でもいいって…少しでも側にいたいって思って…今でもホントはそう思ってるんだ、私。中畑のこと、今でも好きな今のコーコちゃんなら分かるよね?」

「…ミーコ」

「『誰にも言うな』って金田、言ったの」

 私が思わずミーコを呼んだ声を遮って、震える声でミーコは話し続ける。

「『頼むから』って。いつかその子と同じくらい、ううん、その子よりもずっとずっと頭がよくなって、その子に自分から『好きだ』って言えるようになるからって。私、その子には他に好きな男の子がいるんだよって言っちゃったのに、それでもいいってアイツ、言ったの。それを聞いただけでも敵わないって思ったのに、その子がどんどん可愛くなっていくから、どうやって話しかけていいのかますます分からなくなった、って相談された時は…もうダメだって思っちゃった。心の中でその子のこと、私より全然女の子らしくない、なんて思ってた罰が当たったんだって」

ミーコが両手で握ってるコップの中へ、ぽとりと一つ、雫が落ちた。

「今でも心のどこかでね、私、金田がその子にフラれたらいいって思ってる。だから、早くコクってフラれなよって。そしたら…ひょっとしたら、金田は私のほうを向いてくれるかもしれないから、って…だけど昼間、金田がその子を探してどこかへ行くのを見ちゃったから、辛いの…こんな嫌な子が友達だなんて、その子には思われたくなかったから、ずっとずっとその子の側にもいられなかった。だけど私はやっぱりその子のこと、好きで、図々しいけどこれからもずっと、友達でいたいって思ってたの。だから、お願い、コーコちゃん!」

そこで一つ、悲鳴みたいな声を漏らして、

「早くフッちゃってよ、金田のこと、さ…これ以上私が嫌な子になる前に…お願い」

ミーコは肩を震わせてしゃくりあげた。

(そう、だったんだぁ)

 長い長い「懺悔」の間、私の耳の中でミーコの声と一緒に響いていたのは、昼間聞いた波の音。

『シーグラスっていうんだ。これ、大事にするから一つくれ』

三年前よりも、ずっとずっと大きくなってしまった手が取ったのは、心に痛いほど透明なシーグラスで、

『俺、お前と同じ高校へ行くから』

あの時、彼が言ったのは、

(そういうこと、だったのかぁ…)

「全然、分からなかったよ。気付かなかった…ごめん」

私、なんて自分のことしか考えてなかったんだろう。苦笑いしてもーちゃんを見ると、もーちゃんは黙ったまま唇を尖らせて、ミーコのほうへ顎をしゃくる。まだ黙って聞いてろってことらしい。

 大きくため息をついて、コップの中の水を一気飲みしたら、

「コーコちゃん」

ミーコが泣いて真っ赤になった目で、もう一度私の顔を見た。

「…金田も言ってたんだけどね。同級生としか思ってなかった女の子から好きだって言われたら、返事に困るって。中畑の態度がグズグズしていて、中畑からの返事がないのは、きっと中畑も迷ってるからだと思うの」

「だ、だけどあの時」

「病院のことだったらさ、私も言ったと思うんだけど、中畑は恥ずかしくて、思わずあんな風に怒鳴っちゃったんじゃないかな。だって中畑、コーコちゃんに嫌いだって言ってないじゃん。だって私だって、私よりも頭のいい金田にコクる時、思ったもん。頭が悪いから、もしも付き合えたとしても、金田には釣り合わないかもって。だから、中畑もそうじゃないのかなあ」

「…そう、なのかな…話しかけてくれないっていうだけでも、十分嫌われてるような気がするけど」

 私はまた、苦笑いした。ああ、ほんと良く分からないな、男の子って。だけどもう、私にはもう一度

『押す』勇気はない。恥をかくのは一度で十分だし、

「心の中で『友達』だと思ってるだけで、私は十分なんだけど」

「そうなの? カノジョとかになりたい、じゃないの?」

私が言うと、ミーコは驚いたみたいに目を丸くする。

「うん。今みたいに目が合って、笑ってもらえて、それだけでもういい」

 そこんところが私の、やっぱりちょっと変わってるところかもしれない。辛くないっていえば嘘になるけど、恋に恋してる状態も悪くないし、ちょっと大人びた、どこかの小説の中の登場人物が言った台詞みたいに『惚れたはれたって、やっぱりめんどくさい』、私もそう思う。

「まあ、どっちにしても、ルール違反はあっちのほう」

 そこでやっと、今まで黙ってたもーちゃんが口を挟んだ。

「好きって言われたんなら、何か、そう、『イシヒョージ』?をして当たり前! フるならフる、好きなら好きって返事をしないと、コーコとしてはいつまでたっても、新しいオトコを好きになれないってこと。どっちにしても、コーコとアイツが付き合うなんて図、想像すらできないわよアタシャ」

「あはは、もーちゃんってば」

「あははは」

「笑いごっちゃないっ」

 いつもやってたみたいに、ミーコと私が思わず声を合わせて笑ったら、もーちゃんはテーブルをどんっと叩いてのたまった。

「だから言ったじゃないのさ。アイツにはコーコは勿体無い! そんなアイマイ?っていうの? そんな態度でいるバカなんざ、こっちから見限って、金田とやらに乗り換えな!」

 そこでまた、私とミーコは顔を見合わせて笑ってしまった。

「何がおかしいのよ」

もーちゃんが膨れて言った途端、

「こら、そこの女子!」

見回りの先生の怒鳴り声が響いてきて、私達は一斉に首をすくめる。

「消灯時間が近いから、はやく部屋に戻りなさい!」

「はぁい!」

「ごめんなさい」

 その先生の前をコソコソと通り過ぎてそれぞれの部屋へ戻って…、

(うん、ちゃんとある)

豆電球だけが照らしている部屋の中、自分のカバンのビニール袋に、昼間集めたシーグラスがちゃんとあるのを確かめてから、私も布団へ潜り込んだ。

(金田…ミーコ)

 いつもならそれだけですぐに眠れるはずなのに、目を閉じてもなかなか眠れない夜を、私はその晩、生まれて初めて経験したのだ。


 修学旅行から帰ってきたら、もう夏だ。いよいよ周りは受験色が濃くなってきて、私も睡眠不足でクラクラする頭を振りながら廊下に出た休み時間、

「川崎さん。弁論大会、今年も頑張ってね」

隣のクラスから、授業を終えたらしい新保ちゃんが私に声をかけてきた。

「受験にも有利になるからね」

「はぁい」

文化部のクラブ活動は、文化祭が終わってから引退、ってことになってる。そして今年も私は『弁論組』に入っていて、中学三年生の弁論大会に出場するだけで、なにやら受験の内申に有利に働くような仕組みになってるらしい。

(そういうの、やだなあ)

 私は伸びをしながら、新保ちゃんの背中を見送った。そういうのって、どこか学校に媚びてる、っていう感じがする。優等生しか見てませんよ、っていう気がするから、自分にとってはトクかもしれないけど、あまり今年はやりたくないような、でも楽しいことは楽しいからやりたいような、変な気持ちだ。

「川崎さん! 私、シーグラスもらってないよ~?」

「あはは、はいはい」

大きなアクビをしたら、教室の扉が開いて、中からクラスメイトがいたずらっぽく顔を出した。

「ちょっと待ってね。余ってるかなぁ」

『修学旅行土産』のシーグラス。ビニール袋に一杯あったから、「受験勉強のお守り」みたいにして、なんて言いながらもーちゃんやミーコへあげてたら、

「川崎さんの頭の良さにあやかりたい」

なんてクラスの他の子も言い出して、結局クラスの女子、全員に配る羽目になった。

 今みたいに、いつ要求されるか分からないから、いつだって制服のスカートのポケットにそれは入ってる。もうあと少しになったそれを取り出して、

「どの色?」

「これ、可愛いからこれにする」

その子が選んだのは、ピンク色に透けたシーグラスだった。

「ありがとう! これを見ながら勉強したら、私も川崎さんみたく頭、良くなるかな。あはは」

「あはは」

手を振りながら、彼女は教室の中へ入っていく。

(もーちゃんは…やれやれ)

 教室の中には、相変わらずアイドル雑誌やファッション雑誌を広げてるもーちゃんの姿や、そのアイドルが載ってるグラビア部分だけを切り抜いてもらってる子、っていう風景が広がっていて、

(受験勉強はどこへやら、だよねえ)

でも、どことなく心が和む。こういった光景も、本当にあと少しで見られなくなるかもしれない…友達と本当に別れ別れになる…本当に、寂しい。

 ちょっと感傷的になってしまって、慌てた。俯き加減になって袋をポケットにしまいかけたら、

「あ…れ」

ちょっと先の廊下の床に、女子のよりも一回り大きくて汚れた上履きが立ち止まったのに気がついた。

「…」

(中畑)

 三年生になってから毎朝、私のクラスの前の廊下を通って自分の教室へ行くようになっていた彼が、

私の前に立っている。この休み時間だって、私のクラスに何か用があるとは思えないし、音楽室や美術室だって、

そもそも私のクラスの前を通っては行けない位置にあるから、

「…」

何か用なのか、と尋ねかけた口をつぐんで、私は黙ったまま、しまいかけた袋を取り出した。

「…はい」

 彼へ渡したのは、群青色のシーグラス。受け取ってくれるだろうか、なんてドキドキしながら、震える手で彼へ差し出して、

「…ありがとう」

おんなじくらい震えてるように見えた大きな大きな手の平が、上へ向いた。その手の中へ確かに群青色のそれは落ちて、太陽の光を反射しながら眩しい光を放つ。受け取ってくれたことが嬉しくて、

「ありがとう」

私はもう一度、彼にお礼を言った。

(…頑張ろうね)

 黙ったまま、私に背中を向けて自分のクラスへ歩いていく彼へ、私はまた、心の中でその言葉をかけたのだ。

『それでも、やっぱり好きなの。今のコーコちゃんなら分かるよね』

 やっと仲直りできた友達の、あの時の言葉を思い出しながら。




to be continued…


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