ガラスノカケラ 「あの日から」
中学生って、つまんない。ただ勉強が出来るってだけじゃだめみたい。女友達は一杯出来たけれど、なんだって男の子って変に意識して話しかけてこなくなるんだろう。
ついこないだ、入学したばかりだと思っていた学校で、
(もうクラス替えだもんね)
一年生の時、私の席につきながら私は授業中、こっそりため息を着いていた。
(金田とも違うクラスになっちゃったしなあ。二年のクラス替えで、同じクラスになれるかなあ)
そしてそんなときには、小学校六年生の時、同じクラスでいつも私へちょっかいをかけてきていた男の子のことを思い出す。
「ほら、川崎! 川崎香子!」
中学校は、他の小学校と私の卒業した小学校からの「持ち上がり」で、中学に行ってからだって友達と別れるわけじゃない。卒業式でだって皆、泣かなくて、
「わ! 冷たいじゃんっ!」
小学校のグラウンド。卒業式も終わったからって帰りかけた私に、水の雫がかかった。
「もう、最後の最後までっ!」
「いい反応するの、だってお前だけなんだもーん!」
「待て、金田祐司っ!」
水で濡らした手のひらの雫を私にかけた金田を、私は追い回した…それまでいつもやってたみたいに。私達のお母さんもそれを見て苦笑してたっけ。
金田とは小学五年と六年の二年間、同じクラスだった。小学生の頃なんて、「アタマがいいヤツ」なんて認識はあっても関係なく、結構男子も女子と話し合っていたような気がする。
(ま、私だけかもしれないもんね。男の子に話しかけもしてもらえない、なんてさ)
中学に入ってから、それが一変したのだ。
(アイツ、頭はいいけど話しづらいよな。俺らに分からない答えが返ってきそうだし)
(何考えてるか分からないじゃん。校則だって変に守ってるし、真面目なだけで面白くなさそう)
中学の一年間で、私、自分が男子にどう言われてるのか知ってるし、だからってわけじゃないけど、別に同年代の男の子に興味があったりとか、よく思われたいとかじゃない。私のことを男子がどう言っていようと、ほんとに
(どうでもいいもんね。私には獣医になるという目標があるのだ)
男子に注目を浴びている同級生の女の子を見ても、どうでも良かったんだ。
「コーコ! ほらほら、またそんなムズカシイだけの本、読んでっ!」
「もーちゃん」
そして、授業終了のチャイムはいつもみたいに気だるく鳴った。早速楽しみにしていた推理小説をカバンから取り出した私の席に、他の中学から「持ち上がってきた」友達がバタバタ近づいてきて、
「ほらっ、アンタには、犯人を捜すよりも、こっちのが大事なの!」
「もう、分かった分かった。しまうから返して」
彼女は…浜田朋子は、私の手から文庫を取り上げ、代わりに彼女がこっそり持ってきたティーンズ向けファッション雑誌を私の机の上に広げるのだ。
苦笑している私に構わず、
「アンタ、こういう髪の毛にしたほうがカワイく見えるよ。そんで、ハンカチはこういうのが今は可愛いの」
「そういうの、興味ないんだよねえ」
「だから、それがいけないの。アンタ、結構肌だって白いし、髪質だっていいんだからさ。
ほら、ちょっと見せて」
言いながら、私の肩まで伸びた髪の毛へ指を伸ばして、クルクルといじったりもする。
それが極々自然な動作で、
(貴重な友達だよね)
なんて、「女の子女の子した」子なんだろうと思う。マッシュルームっていうらしい髪型は、本人によるとハネないようにムースで毎朝形を整えているらしいし、爪の先にはこれもこっそりとだけど、校則違反のネイルアートだって、
「挑戦してるんだ。私、アンタみたいに頭良くないからさ。こういうのが将来やりたいの。なんたって未来のカリスマ美容師だからね」
綺麗に彩られている。
「絶対に資格とって、アンタにもやってあげる。実験台になってよね。約束だよ! アンタは、もうちょっとオシャレに気を遣ったほうがいいって」
「うん。ありがとう」
そこへ、
「あ、やってるやってる」
「ミーコ! ほら、こっちこっち。新しいアイテム、入ってるってさ」
「どこどこ?」
もう一人の友達がやってきた。
「あ、これ可愛いねえ!」
なんて、もーちゃんへ笑いかける彼女…小学校の時、クラスに転校してきて、それからずっと付き合いが続いてる後藤美子は、ちょっと気が弱くて、
「だけどそろそろ、英語部、始まるよ? だから呼びに来たんだけど…」
こういうことを言う時も、どこか遠慮がちなのだ。そして何の因果か、
「ほんとだ、行かないと! ほら、急ご」
「はぁいはいはい」
「新保先生に怒られないといいねえ…」
部室用に使われている教室へアタフタと向かう私たち三人は、同じ「英語クラブ」に所属しているんである。
「部室」に入ると、クラブ仲間や志望高校に合格した先輩達ももう五、六人集まっていた。皆で英語の発声練習をして、
卒業していく先輩と、
「今度の英語劇、何をやるって?」
「シンデレラなんです」
「へえ…頑張ってね!」
「はい!」
なんて話をして…。
だから私、大事な大事な「女友達」がいるだけでよかった。それだけで中学の三年間は過ぎていくもんだと、そう思い込んでいたのだ。
「残念、今年も同じクラスじゃなかったねえ」
「うん、残念」
だけど、『異変』が起きたのは、中学二年に進級した四月のこと。クラス分けの表を見ながら、もーちゃんやミーコが言うのへ、私も苦笑して頷いていた。
「ま、お弁当の時とかはまた遊びに来るから」
「うん。待ってる。私からも行くよ」
そんな風に言って、二年生の新しい教室へ入って、
(ああ、モモコちゃんなんだ)
一年生の時から、英語を担当している教師が今度は私の担任なのだということを確認して、
(また、退屈なだけの授業が始まるのかぁ)
私は思わず大きなアクビをしたものだ。ただ顔ぶれが変わっただけ。これからまた、同じ曜日に部活はある。
始業式だから、授業はない。午前中だけで『ガッコ』は終わって、皆が当たり前みたいにそれぞれのクラブ活動へ急ぐのと同じように、私もいつものように英語部の部室へ急いだ。
今日は、「後輩」がクラブに入ってくる。だから、
「センパイとして、いいトコ見せなきゃ、あははは」
もーちゃんがそう言って笑ってたみたいに、私も遅れるわけにはいかないんだけど、
「はい、お疲れ様。今度からは遅れないようにね」
「はーい、ごめんなさい」
図書室から借りていた本、担任のモモコちゃんから聞かされるまで、返却期間のことをすっかり忘れていた。慌てて校舎三階の東の端にある図書室まで行って、その本を返して、それから一階の一番西の端にある部室へ走って…、
「わ、わわわ、わっ!」
慌てていたから、足がもつれた。飛び降りるみたいにしていた階段から、私はよろけて、
「…痛ぇ…」
…私の下から、そんな声が聞こえる。私はどこも痛くなかったけれど、
「わ、うわあ、ご、ごめん! ごめんなさい!」
私は、その「物体」から慌てて降りた。私のお尻の下には男子がいて、
「いや…構わないけど…眼鏡」
よろよろ起き上がって、四つんばいのまま、両手で廊下を探ってる。どうやらよっぽど目が悪いらしい。
気が付けば、側に黒ぶちの…何だか牛乳瓶の底みたいなレンズが嵌ってる眼鏡が転がってるから、
「こ、これのことかな…」
「あ、それ…あーあ」
「ごめんなさい…」
私がおずおず差し出したそれを受け取って、両手で眼鏡のつるを広げて、男の子は大げさにため息を着いた。
ぶつかった時の衝撃が、よっぽど大きかったらしい。レンズの右側が一部分欠けて、ガラスの欠片がひとつ、廊下へ落ちている。
「ご、ごめんなさい! あの、お父さんとお母さんにも言って弁償するから、クラスと名前を」
「…同じクラスじゃん。俺、中畑一馬。二年六組」
「え?」
思わず目を丸くして彼を見つめた私の表情が、少しおかしかったらしい。こっちが少しムッとするほどに吹きだしながら、
「お前、川崎だろ? 川崎香子。お前は俺、知らなかっただろうけど、変人だって評判だから、俺は知ってた」
「う…」
「弁償なんて別にいいよ。家に帰りゃ、替わりがあるんだ。だから、気にすんな。それよか」
私の荷物も、派手に落ちたせいで廊下に散らばってる。ぶちまけられてしまった中味の一つへ彼は目を留めて、
「へえ、珍しいなあ。『優等生』のお前が、こんなのもするんだ?」
「そりゃ…まあ」
それは、流行のゲームソフトだった。ファッションとか、おしゃれとかに興味が無い代わりに、「神様」とやらはどうやら、そっちのほうへ私の興味が行くように私を作ったらしい。
「もーちゃんに貸してあげようと思ってさ」
「もーちゃん…浜田のことか」
「そうだよ。知ってるの?」
「当たり前だって。同じ小学校だったもん」
「そっかぁ」
私が彼を知らないのも当たり前。彼はもーちゃんと同じ小学校からの「持ち上がり」だったのだ。
「でも、マジ意外。お前、こういうの、ケーベツするほうだと思ってた。ほら、立てるか?」
「うん」
差し出された手を、私は素直に取った。その拍子に視界の隅で、壊れた眼鏡のレンズの欠片が映って、
(金田…)
懐かしいな、って思った。こんな感覚、久しぶりだ。
「じゃあな。俺もこれから部活。良かったら、これからお前が持ってるソフト、貸してくれ」
「うん、いいよ」
やっと「普通」におしゃべりできる男子が現れた。嬉しくて、大きく頷いた私に、
「今度は階段から落ちるなよ? じゃあな!」
「ふん、だ!」
中畑はからかうように言って、その大きな手を振る。渡り廊下の向こうにある体育館へ、その姿が消えるまで見送ってから、私も部室へ急ごうと背中を向けたら、
(あれ、金田?)
そこに、昔の級友の姿を見つけて、私は思わず小さく手を上げたけど、
(…変なヤツ。やっぱりアイツも同じだったかぁ)
…男だ、女だって意識して…この一年の間に私を「変人だ」って思ってしまったのかもしれない。金田は私から、ぷいっと顔を背けて走っていってしまったのだ。
こうして、ゲームが結んだ中畑と私の奇妙な友情は始まった。
ほとんど毎日、昼休みになったら
「この一章にはこの隠し部屋が合って、宝箱が」
「ここだったら、こっちは化け物が出るよね」
なんて話している私と彼を、呆れたような目で見ていた私の親友が、
「ほら!」
なんて言って彼女の机の上に置いた紙切れには、そんな中畑の特徴「らしきもの」が、
『…中畑一馬。三月二日生まれ。身長一七〇センチ、視力左右とも〇・〇一、小学四年のときから
眼鏡が瓶底に変更。よって目つきと成績及び性格、非常に悪し。敬語を使いこなした毒舌、ものすごく
評判悪し。顔悪し。真面目そうな見た目とはかなり違って、自他共に認めるスケベでゲーマー。
オタクつながりという面での友人多し』
まさに、ずらずらとばかりに並べてあった。
「あのね、もーちゃん」
…かなーり辛らつな『調査メモ』だ。
「ここんとこのねえ、眼鏡をかけていて目が悪いから、目つきも悪いって言うのは分かるよ。
だけど、性格と成績が悪いっていうのは、全然文脈もあってないし」
「いいの、それで! アタシ的には合ってんだから、ムズかしいこと言わないで」
どんどん暑くなってく、五月半ばの昼休み。珍しく私を彼女のクラスへ引っ張っていったと思ったら、もーちゃんはお弁当を広げながら、なんだかイライラしたみたいに言う。
「言っとくけど、中畑ってねえ、本当にアタマも成績も性格もチョー悪いよ? あいつにアンタは勿体無い!」
「あははは! やだなあ」
例によって、一つの机にミーコも含めた三人がお弁当を広げてるもんだから、ちょっと狭い。私ともーちゃんの会話を聞きながら、ミーコはただ苦笑してる。
「別に私、中畑のこと、男として見てるってわけじゃないよ? トモダチの一人だよ、トモダチ」
「甘い!」
もーちゃんは、玉子焼きをぐさっと箸で突き刺しながら、私の言葉を遮った。
「なら私のプチトマトと交換しようよ。私、甘いの好きだし」
「ミーコ、アンタは黙ってるっ! 玉子焼きのことじゃないってばっ」
横から手を出そうとしたミーコへも当り散らして、
「トモダチの一人だっつって、それが恋に発展してきた例を、アタシはいくらでも見てきた!」
「いくらでも、って…まだ中学生なのに、結構オトナな物言いだねえ」
「恋の相談を何だか知らないけど、結構受けるのよアタシはっ。アタシだって恋の相談、する側になりたいわよ」
まあ、それはもーちゃんが「頼ってきた女の子を見捨てることが出来ない」姉御肌だからだろう。
私だって、そういう彼女が大好きなんだから。
「そんな中で、アットーテキに多いのが、『友達だと思ってたけど好きになっちゃった。どうしたらいい?』っていう相談なわけ。んでもって」
そこで一息入れたもーちゃんは、お箸に突き刺した玉子焼きをぽいっと口の中に入れた。
「アンタなら大丈夫だから、相手の好みをリサーチして、思い切ってアタックしな、とか、なんだってあんなレベルの低いオトコを?とか、色々アドバイスしてるんだって。で、その経験から言うと…ほれ、ひとつ食べてみな」
「うん、ありがとう…確かに甘いね、この玉子焼き」
「でしょ? おかーさんも、もうちょっとダイエット乙女のこと、考えてくれたらいいんだけどね。
いつだって砂糖、入れすぎなんだよねえ…で、その経験から言うと」
会話の途中で、こういう風に私の口へ玉子焼きを入れてくれるのも、彼女のいいところだ。
「自分にとってレベルの低すぎるオトコを好きになった女の子は、大抵フラれる! なぜなら、アタマの悪いオトコは、自分よりデキる女の子を認めないからだ! ケツの穴、小さいんだよねえ、ホント。カッコばっかりつけたがってさぁ」
「…もーちゃん…」
「そういうこと、あまりおっきな声で言わないほうがいいんじゃないかな…」
私とミーコは、箸を握り締めて力説した友を見て、ちょっとため息をついた。
「だからさあ、私、別に中畑が男の子として好きってわけじゃ」
「はいはい、分かったから」
改めて私が言っても、もーちゃんは右から左へ聞き流す。今度はから揚げを口へ入れてモグモグと咀嚼しながら、
「ま、他ならぬアンタだから、相談には乗るよ。付き合ったげる。万が一、好きになったら、
アタシに言ってね。アタシのほうが、小学校が同じな分、アンタよりも余計にあのバカのこと、知ってるし」
「あはは、その時はよろしく」
ああ、友達に恵まれてるなあ、って、私、本当に幸せだった。でも、
『アタシのほうがアンタよりもあのバカのことを知ってる』
その言葉に、ちょっとだけ胸がちくっとしたのはどうしてだろう。
(中畑は…中学に入ってやっと見つけた、私にとって普通に話が出来る男友達。ただそれだけだよ)
空になったお弁当箱を自分のクラスに片付けに行きながら、
「お、川崎! これ、結構面白いぜ? やってみな」
「中畑」
「俺、ちょうど昨日コイツ、クリアしたからさ」
ちょうどその時、教室の扉から出てきた彼にも、
「ありがとう。じっくり遊ばせてもらうね」
「おう、分からないところ、出てきたら教えてやるから、どんどん聞けよ」
「うん」
ゲームソフトを受け取りながら、確かに私は笑ってた。成績のよしあしは関係なかったし、顔が悪かろうが、目が悪かろうが、スケベだろうが、そんなのだってどうだっていい。性格だってじっくり付き合ってみたら、もーちゃんの知らない中畑のいい所だって、私のほうが一杯発見できるかもしれないじゃない。
…だって、『友達』なんだもん。いいところを認め合うのが友達だもん。
「はいはーい、午後の授業を始めますよー」
廊下の曲がり角から姿を現しながら、英語のモモコちゃんが私達に声をかけてきて、私は慌ててそのソフトを制服のポケットへ入れた。
「ほらほらお二人さん、中へ入って」
きっとバレバレだったに違いない。ニコニコ笑ってる目で私たちを睨んで、モモコちゃんは冗談っぽく私達のお尻を両手で追い立てるフリをする。
(素敵な大人の人だよね)
肩のところより長い髪と、ツンと通った鼻筋。話し言葉は英語をずっと研究しているせいなのか、ラ行が変に舌を丸めた音になる、英語なまりの日本語だけれど…テレビに出ていたっておかしくない綺麗な先生がモモコちゃん。これだけ綺麗だったら、私みたいに変人扱いもされないんだろうなって、一年の時から何度思ったろう。
(なれないもん。土台が違うもんね)
…中畑だって、恋人にするならああいう美人のほうがいいに決まってる。私はただの『友達』でいい。そしたら、ずっとずっと中畑の側にいられる。つまらなかったわけじゃないけど、どこか物足りなかった学校生活が心から楽しくなったのは、きっと中畑のおかげ。
(じっくり大事にクリアしなきゃ)
渡されて、大事に通学カバンの底にしまいこんだゲームソフトは、私がいつかやりたいと思っていたRPGの最新作だった。
(あやや、いけない。英語の教科書忘れた)
ずっとずっと大切にしたい、このままでいたい、それこそ宝箱みたいな時間は、どんどん過ぎていく。
いつの間にか、梅雨の季節になっていた。夏休みに入る前に開催される地区英語弁論大会に私は出場することになっていて、
(教科書忘れたら、話にならないよね)
弁論大会っていうのは、要するに英語の教科書の単元をまるまる暗記して、会場の壇の上で発表する、というものらしい。中学生相手にやることなんだから、弁論っていったって、英語で討論ができるわけが無いんだよね。
でも、それでも一応は「学校代表」として選ばれたのは嬉しい。毎日のように部活で発声や発音の練習をしていたんだけれど、部活の始まる五時間目に英語のの授業があったせいで、ついそのまま、机の中へ教科書を入れてしまったらしい。
(あれ、まだ誰かいるんだ)
雨が降っているから、校舎の中はまだ昼間なのにどこか薄暗い。教室の中に電気はついていないけれど、
人の気配はする。扉に手をかけると何の抵抗もなくそれはするすると開いた。
「あれ、中畑」
「…よう、お前か」
教室の窓際に、たった一人。側の机の上に腰を下ろして、中畑が外を眺めている。降っている雨の勢いはそんなにも激しくないから、野球部やサッカー部の人たちは練習を続けているんだけど、
「今日は部活、休み?」
「…ああ、まあ…いや」
どうやら彼は、そういうのを眺めているんでもないらしい。側に行って同じように外を眺める私へ、中畑は少しだけ寂しそうに笑って、
「お前は?」
「弁論大会の教科書、忘れた」
「あはは、お前らしいな」
いつもみたいに笑おうとしているけれど、その笑顔にはどことなく力が無い。ムキになって言い返そうとしたけど、
「俺…卓球部に入ってたんだけどさ」
「うん。そうだったね」
…止めた。何度かの会話で、彼のクラブのことも知っていた。頷いた私に、
「今日、辞めた」
「…どうして? あ、ごめん。話したくないなら話さないで。聞かないからさ」
「うん…」
すると彼は、少しだけ目を伏せる。不謹慎だけれど、
(ずっと、このままで…時間が止まればいいのにな)
ただ細かい雨の音だけが響いている、その瞬間が、私はずっとずっと続くことを願ってた。中畑と一緒なら、黙っていても『会話』が出来る。中畑が相手なら、彼が黙っていても私は全然気にならない。
「川崎。俺さ」
「うん」
やがて、彼はぽつりと言った。同時に、少しだけ雨の音が強くなる。グラウンドに出ていた人たちが、
慌てて近くの校舎の陰に避難するのが見えた。
「俺…こないだ、病院に行って、検査した」
「…うん」
私のほうを見ないまま、『目つきの悪い』目を伏せて、彼は話し続ける。一言も聞き逃すまいと、私は耳を傾け続ける。
「腎機能が悪いんだって。ああ、つまり、腎臓が悪いって事。だから、激しいスポーツとか出来ないって。だから、オヤジがクラブ、辞めろって」
「…」
「…」
私は、彼にかける言葉を探していた。いつも馬鹿な話とか、ゲームの話ばかりで盛り上がって、彼にこんな風に真面目に話をされたのは初めてだったから。
「オフクロもさ、同じような病気で死んでんだ。俺が小学校二年の時。気がついたら手遅れで、全身に毒が回ってて」
「…そう、だったんだ」
「ああ、そんな顔、しないでくれ」
私、そんなに悲しい顔をしていたんだろうか。私が言うと彼は慌てたみたいに、
「俺のは、ずっとずっと軽いの。ハードな運動さえしなきゃ、全然大丈夫なわけ。長生きだってできるって。だからその、ごめん! 変な話聞かせて」
「ううん、いいよ」
私が首を振ると、彼はたちまち元の明るい表情に戻って、
「だけど、聞いてもらってすっきりした。ありがと」
「ううん、私でよかったら、いつでも聞くよ」
私もホッとして笑う。彼のこと、悲しい事だったけれど、また深く知ることが出来た。それはただ純粋に嬉しい。
彼が私に話してくれたのが嬉しい。
「ああ、じゃあ今度はお前の好きなヤツでも聞かせろよ。いるんだろ?」
「ええ? なんでそんな話になるの?」
そこでついに、二人とも笑ってしまった。
でも、
「おっと、邪魔したか?」
そこでいきなり、教室の電気がついた。入ってきたのはクラスの同級生の男の子で、からかうみたいに私と中畑を半分ずつ見た後、
「なーんだ、やっぱりお前ら、そういう仲だったんじゃん。噂にはなってたけどさあ、本当だったんだ」
「…違う」
言った言葉に、すぐに反応したのは中畑のほうだった。
「俺は、ただココに残ってただけ。コイツは、たまたま忘れ物を取りに来ただけ。
ただそれだけのことだよ。もう帰るしな」
「あ、そだったの?」
ぶっきらぼうに言いながら、中畑は自分の机の上に放り出してあった学生カバンを取り上げる。そのまま教室を出て行く彼を、
「なんだ、つまんねえの」
本当につまんなさそうに同級生の男の子は見送って、それから私にはもう見向きもせずに、自分の机の上へカバンを置いた。
(…行かなきゃ。先生、待ってるし)
私もまた、その子に見えないように笑って…自分の机の中から教科書を取り出す。英語部顧問の新保ちゃん、きっと待ってるに違いない。
(そう、ただそれだけのことだよ。友達、ただそれだけ)
私も思ってたことを、中畑も言っただけ。なのに、薄暗い廊下を走って部室へ向かいながら、こんなに…何かが突き刺さったみたいに胸が痛む訳は、きっと、
(もーちゃんが言った通りになっちゃったよ)
素直に認めたら、涙すら出てきた。
「遅い」なんて新保ちゃんが怒るのへ、謝って、発声練習と発音練習をして…いつもの部活なのに、全然身が入らない。
私は、中畑が好きだったのだ。初めて出会って、彼が話しかけてきてくれたあの日から。
to be continued…