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ガラスノカケラ  作者: せんのあすむ
1/18

水妖

「あ、また走りこんでるんだ。おはよ」

水の中から、夏に知り合った彼女が声をかけてくる。

「やあ、おはよう。寒くても走らないと、体がなまるからね」

「不便なもんなのねえ、人間って」

彼女は、尾びれをぴしゃんと水面に叩きつけながら言う。

その水面に、ようやく昇りかけてきた冬の朝日が照りつけて、

「君こそ、水の中にいつもいて、寒くないのかよ」

(わ…なんだかすげえ)

眩しくて俺が思わず目を細めながら言葉を返すと、

「そりゃ、人間とは体のつくりが違うもの。平気よ」

見た目は同い年くらい、だけどきっと俺よりもずっとずっと年上なんだろう彼女が、きっと手でも入れたら皮膚が裂けそうなくらい冷たいと感じるはずの水を、綺麗で長い栗色の髪の先から降り零しながら笑う。


…もうすぐクリスマス。同時に県大会が近づいてきていて、俺が所属している高校の水泳部も、慌しさのピークに達していた。

もちろん、出場する俺も水泳一色。

早朝と真夜中のロードワークは、体力をつけるために欠かせない。

彼女に出会ったのは、四ヶ月以上前のやっぱりこの川。まだ朝だっていうのにもう暑い、夏のロードワークの最中だったんだ。

最初は何の冗談かと思った。誰かの悪戯かと思った。でなきゃ、俺の目がどうかしたのかと思った。

だって彼女は…彼女は<人魚>だったのだから。


あの時も俺は、

(あちい…たまんねぇ)

心の中でブツクサ言いながら堤防の上を走っていた。

踏み切りをこえて、それから河川敷の広がる場所へ出て、

(朝からガキは元気だよな)

なーんて思いながら、多分ここいらへんの近所に住んでるんだろう、ガキらがやってる早朝野球を微笑ましく見て、その側を通り過ぎようとした瞬間、

「うお!?」

がいん! って、頭に何かがぶつかって、思わず目から火花が出る。

思わずつんのめって地面に手をついた側に、野球のボールが転がって、俺はそれをひっつかみ、辺りを見回した。

「す、すみません! ごめんなさい!」

「…気ぃつけな」

「は、はい!」

小学生のガキが、必死扱いて謝ってるのに怒るのも大人気ない。

(マジ、目から火花って出るもんだ…クソ痛ぇ)

痛いのを我慢して走りつづけようとした時、

「ほんっと、マヌケだよね。人間って」

波打ち際のほうから、そんな声が聞こえてきたんだ。

「あんな時だって、私達なら素早く避けられるのに」

その声は、葦だかなんだか知らないけど、俺の胸んとこまで高さのある草が一杯生えてるところから聞こえてくる。

明らかにバカにするような言い草にムッときて、どんなヤツが言ってるのか、その顔を見てやろうと思ってそっちへ近づいて、俺は言った。

「どこのどいつか知らないけど…!!」

「え…!?」

…後で聞いたところによると、彼女も相当驚いていたらしい。

双方、固まったまましばらく時間が過ぎた。

「君…誰?っていうか、何者?」

「なに? 見て分からないの? 貴方たちにも私たちはすごく有名なはずだけど?」

俺の問いに、彼女は頬を膨らませながら答える。でもそのすぐ後で、

「ってか、なんで貴方には見えるの? <認識阻害>、かけてるはずなのに!」

「そんなの知らないよ。それよかそれ…本物?」

「失礼ねえ」

彼女はいまいましそうに尾ひれをぴしゃんと水面に叩きつける。

「もっと南のほうへ行くつもりだったんだけど、ちょっと冷やかしのつもりで川を遡ってみたんだけど、ここの水ってまずいし汚いし、サイテー。人間ってほんっとロクなことしないんだから」

「そ、そう…それじゃ俺、これで」

「あ、待って」

そそくさと立ち去ろうとする俺を、彼女は慌てて呼びとめた。

「貴方、またここに来んの? って言うか、来てよ、ね? せっかくだから話し相手になってよ。認識阻害かけててもたまに『見えちゃう』人間いるらしいってのは聞いたことあったけど、初めて見たし」

「…分かった」

分かった、も何も、毎朝のルートじゃないか。それに、人魚の割には言ってることがどこか人間くさいし、人間をバカにするようなことを言ってるわりには馴れ馴れしいし、

(人間に見えないようになんかしてたんだろうけどそれで見付かるとか、自分もドジじゃんかよ)

とか思いつつ、

「毎朝ここに走りに来てるんだ。俺で良かったら、話し相手になるよ」

「ありがとう! ホントは人間の世界ってものすごく興味があるのよね! よろしく」

俺がため息をつきながら言ったら、彼女は嬉しそうに手を振った。


…それが俺達の出会いだ。

そして何故か彼女は、『ちょっと冷やかしのつもり』とか言ってたくせに、それから五ヶ月近くも経つのにその川に居座っている。

だから俺も、せがまれるままに人間の世界のことを話した。

高校生活のこと、クラブのこと、それから…。

俺の話を黙って聞いてくれている彼女は、時折すごく羨ましそうな顔をする。

「その…君の行くところ? ってとこに、行かなくていいのか?」

俺がたまにそう尋ねると、

「ああ、いいのいいの。どうせそんなに急ぎじゃないし」

必ずそんな答えを返す。

俺がクラブのことで悩んでいたときも、水の中から手を伸ばして、俺の頭を撫でた。ガキじゃないんだから、なんて思ったけど、彼女の手は優しくて…。

なんと水泳法のアドバイスまでしてくれて、俺の実力はぐんぐん伸びた。もちろん、彼女の泳ぎ方そのままじゃないけど、体の使い方とか水中での姿勢とか、参考になる部分もあったんだ。さすがは人魚。

だからクリスマスイブまであと3日って日。

「なあ、何か欲しいものってないか?」

俺が尋ねると、彼女は一瞬だけ顔を輝かせて、でもすぐに力なく首を振った。

「ある…けど、私には叶わない望みだから」

「そんなこと言わずに、言ってみなよ。何が欲しい?」

俺がたたみかけると、彼女は寂しそうな笑顔で、

「…靴」

「靴…? ああ…そうか」

俺は思わず彼女の尾ひれに目をやる。

「足…が、生える方法とかって、知らないのか?」

「竜髭香っていうのがいるって。だけど私達の世界じゃ、手に入らなくて」

「竜髭香…って、聞いたことある気がするな。ちょっと待ってて」

そう言って俺はスマホで検索を掛けてみた、すると、すぐに引っかかってきた。

「それならこっちの世界の漢方薬局で売ってるって」

「ほんと?」

俺の言葉に、彼女は、何故か寂しさとある決心の入り混じった顔をした。

「じゃあ…じゃあさ、悪いけど、私に買って来てくれない?」

「分かった。きっと持ってくる」

約束して手を振ったけど、彼女の顔からは何故か寂しさが消えない。

不思議に思いながら俺は、それでも漢方薬局へ行って、その薬を買った。

高校生の俺には、200グラム7000円は痛い出費だった。新しいランニング用の靴を買うつもりで貯めてたのが吹っ飛んでしまった。だけど、これで彼女が悦ぶんならお安い御用だ、そう思って。

…どうやって使うのかは予想すら出来なかったけど。


そしてクリスマスイブ。明日が県大会だっていう日。

選手達は大事を取って休みってことで、部活はない。俺は大急ぎで川へ走り、彼女を呼び出した。

「これ。で、この服と靴」

「…嬉しい。ありがとうね」

女の子の好みなんて分からないから、姉貴に聞いたらさんざん冷やかされて、それでもアドバイス通りに店をかけずり回って選んだそれを、俺が彼女へ渡すと、彼女は涙さえ浮かべて大事そうにそれを受け取った。

服を探すのに時間をかけすぎて、そろそろ日が暮れかけている。

「はい。こっちが、竜髭香」

「あ。うん…向こう、向いててくれる?」

「あ、ごめん」

思わず双方、真っ赤になった。俺はそっぽを向いて両手で目を隠した。

そして待つことしばし。

「いいよ」

その声に振り向く。そして言葉を失った。

街の光を水がはね返している。その光を受けて、ちょっとドレスっぽいワンピースを着ている彼女の姿は、本当に綺麗で。

「あはは、どう? 似合うでしょ?」

照れながらそう言った彼女へ、俺も照れながら、

「うん、すごく似合うよ」

言葉を返す。すると彼女はポロポロと涙をこぼし始めた。

「ど、どうしたんだよ!?」

慌てて俺は、その体を抱き締める。そんなこと自分にできると思わなかったのに、咄嗟にそうしてしまった。

初めて抱き締めた彼女は、とても小さくて、細くて、頼りなげだった。

「ううん、なんでもない。ねえ」

涙を拭いて、彼女は俺の顔を見上げる。

「人間がする、デートってやつねえ。してくれない?」

「いいよ、もちろん!」

水泳法を教えてくれたから、っていうだけじゃない。いつの間にか、人魚と人間っとか関係なく彼女を大事に思い始めていたことにその時やっと気付いて、俺は大きく頷いた。


そして俺達は二人で街を歩く。

すごく照れくさかったけど、恋人たちがしているように腕を組んで、しゃれた喫茶店に入ってお茶を飲んで、ボーリング場へ入って初めてボウリングの球に触れる彼女はあらぬ方向に投げてしまったりして…。

「もうこんな時間じゃない。いいの?」

「いいんだよ。今日はさ。友達の家に泊まるって言ってある」

もうすぐイブの夜も終わる、午後11時半。川へ戻ろうと言った彼女を送りながら、俺は言った。

「そうか、じゃあさ。もう少しだけ一緒にいてくれる?」

「もちろんだよ」

「…ありがとう」

川へ戻って、ベンチへ腰掛ける。自販機で買ったホットコーヒーを差し出すと、彼女は大事そうにそれを受け取った。

その途端、ちらほら雪が降り始めた。

「雪だ」

「だねえ」

俺が空を見上げていると、隣で缶コーヒーを握り締めていた彼女の肩が、細かく震え始める。

「どうしたの? こないだからなんだかおかしいよ」

俺が慌ててその肩を抱くと、

「人間になったらね」

彼女は涙をこぼしながら、笑顔で俺を見上げて言った。

「私達、泡になるんだ」

俺は返す言葉を知らないまま、彼女を抱き締めていた。

…小さい頃、一度だけ読んだ「人魚姫」の話。あれは『お話』じゃなかったのか。

「だからね、だから…」

震える彼女の体を強く抱き締める。彼女も俺の背中に手を回す。

「ちょっとだけでも人間になって、貴方と…過ごしたかったの」

…だからもう少しだけ側にいてって、そう言って、彼女は泣きじゃくる。

俺はどうしても気の利いた言葉を言えず、ただ彼女を抱き締めていた。

町のほうで、車のクラクションの音がかすかに響いているのだけが聞こえていて、やがて、

「タイムリミットが来ちゃったな…」

彼女がぽつりと言った。俺は思わず彼女の顔を見る。やっぱり涙をこぼしながら笑顔のまま、彼女は続けた。

「ありがとう。メリー・クリスマス」

どこかで静かに、クリスマスを告げる鐘が鳴っている。

彼女の体は一瞬だけ光り輝いて、そして…。

ぱさり、と、乾いた音を立てて、服がベンチに落ちた。


そんな、切なくて悲しくて…だけど素敵だったイブが終わると、翌日のクリスマスは県大会。

なんとかベスト3に残ることが出来たけど、俺の目はやっぱり彼女を探している。

いつかどこかで会えるんじゃないか。馬鹿馬鹿しいけど、そんな思いが消えなくて、そして、

「やっほー。はじめまして。木内君! ずっと見せてもらってたけど、君、強いのねえ。なーんちゃって」

「君は…」

選手控え室へ向かう途中、見覚えのある女の子が俺に声をかけてきた。

「あ、私、氷川優海っていうの。良かったら一緒にロードワークしない?」

「…泡になって消えるんじゃなかったのかよ…」

「あ~、それなんだけどさ、私も今回初めて知ったんだ。人魚に戻れなくなるってのを、昔の人達は『消える』って言ってたみたい。でさ、完全に人間の体になっちゃうのには少し時間がかかるみたいでさ。その間に、魔法でいろいろ準備してたんだ。それが終わって、ね」

そしてひょいっと背伸びをして、彼女は俺の耳に口を近づけ、囁く。

「だから、私をこんな気持ちにさせた責任、とってね」

その瞳は、いたずら小僧のように笑って、驚いて間抜けな顔をした俺を映していたんだ。




FIN~

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