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青をあつめる  作者: せせり
13歳
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カラオケには、うちのクラスの、真紀と同じグループの子たちのほかに、森川瞳さんも来た。自称「杉崎くんの彼女」の子。

定食屋さんと洋品店に挟まれた、小さなカラオケボックスの小さな部屋、くたびれた黒いソファに、私は真紀と森川さんにサンドイッチされる感じで座った。

真紀にいつもくっついて回ってる、篠原さんという子が、さっそく数曲入れて、てきぱきと飲み物やポテトなんかを注文している。

ノリのいいポップなメロディが流れ出す。

「沢口果歩さんでしょ? よろしく。いつも二宮さんと一緒だよね? 今日は、いいの?」

 森川さんが私の顔をのぞきこんだ。くるっと大きな目をしていて、かわいい顔だな、と思う。

「今日は、委員会の仕事があるんだって」

 本当だ。放課後、真紀たちと遊ぶから、と告げると、苑子は、自分も、所属している美化委員で清掃活動しなきゃいけないんだと、私に言った。

私に気を使って、とっさについた嘘だったのかもしれない。学校を出るとき、校舎の中にも外にも、掃除をしている生徒なんてひとりもいなかった。

店員さんが入ってきて、飲み物のグラスを置いた。私は自分のウーロン茶を手に取る。

「果歩ー。いっしょに歌おうよ」

 真紀にマイクを渡される。

「この曲知ってる?」

「知ってる」

 マイクを握って、のどを開いて、思いっきり歌う。すかっとした。声を出すうちに気持ちがどんどん晴れていく気がした。何曲も、何曲も。みんなと一緒に歌って、気づいたら、ソファで飛び跳ねて、踊っていた。

 カラオケボックスを出たあとも、誘われて、駅前のハンバーガーショップでおしゃべりした。みんなとは、もうすっかり打ち解けていた。

「ねえねえ果歩ちゃん。二宮さんって、リョウくんに告られたってほんと?」

 ゆうべのドラマの話で盛り上がっていたのに、ちょうど会話が途切れたタイミングで、森川さんが聞いてきた。黙秘、すべきか。私はシェイクをずずっと吸い込んだ。

「告られたんだよね? 何人も、見たひといるもん」

「……ごめん。知らないんだ。私たち、そういう話、あんまりしないから」

 それが聞きたくて、真紀は私を誘って、森川さんも一緒について来た。どうせそんなところだろうと、妙に腑に落ちてしまう。

 真紀が自分のナゲットにバーベキューソースをつけながら、

「そんな大事な話、親友の果歩にしてくれないの?」

 と、言った。風向きが変わった。私は黙ってポテトをかじる。

「二宮さんと果歩って、腐れ縁っていうか、家が近所ってだけでずっと一緒にいるんでしょ? ぶっちゃけ疲れない?」

「べつに……。疲れないよ……?」

 真紀は片肘をついて、私の目をじっと見た。

「じゃあさ、イラって来ることは? ない? なんかさ、あの子、言っちゃ悪いけど、いつも果歩の後ろにくっついておどおどしてるし、なのに男子にはもてるし」

「そうそう。ていうか結局さー、男子が一番好きなのって、ああいう子だよね。守ってあげたくなる系? っていうの? あれって狙ってやってんのかなー」

 篠原さんがここぞとばかりに身を乗り出した。

「男子って単純だからすぐ騙されるんだよねー。あーあ。リョウくんは違うと思ってたのにー」

「元気出して瞳ー。もっとイケメンつかまえて見返してやりなよー」

 火がついたみたいに、あっという間に盛り上がってしまった。

私は何も言えずに、ただ、ちいさく丸くなるだけ。だんご虫みたいに。固く。自分の身を守るので精いっぱい。

私以外のみんなが、苑子の悪口を燃料にして、燃えあがって、ひとつにまとまっていく。固く結束していく。そこに反論して水をかけて、「何なのこいつ」と思われることが、怖かった。

バーガーショップを出ると、空は明るい蜜柑色に染まりはじめていた。

皆と別れて、ひとりで団地へ続く坂道を登りながら。息苦しくて、何度も座りこみそうになる。

真紀たちのほんとうの狙いは、杉崎くんのことを聞きだすことじゃなくて。私を苑子から引きはがして、自分たちに引き入れること。苑子を、孤立させること。

まるで予想できなかったわけじゃないのに。なのに私は、苑子を置いて、誘いに乗った。

いったい、何をしているんだろう、私は。

 団地の敷地の、けやきの梢が揺れている。夕暮れの空のなかで、揺れている。あじさいはまだつぼみもつけていない。

「……あ」 

 E棟の集合ポストのそばに、ハルがいた。まだ制服姿で、ポスト横の掲示板を、ぼんやり眺めている。と、ハルは、私に気づいて片手をあげた。

「果歩、今帰り? 珍しく遅いじゃん」

「ちょっとね。ていうか、自分こそ」

 ハルの隣に立つ。ハルは私より、ほんの少しだけ、背が高い。

「久々に部活行っててさ」

「そっか。生物部だったね。謎の」

「謎って言うなよ」

「だって何やってんのか全然わかんないもん」

「理科準備室でいろいろ飼って観察してんだよ、蛙とか」

「蛙? ヤダ」

 顔をしかめてみせたら、ハルは、「可愛いんだからな、アマガエルは」と言って、私を軽くこづいた。

「……はやく帰ろっと。おなかすいた」

 ほんとうは、全然すいてなかった。だけど。なんとなく息苦しくて、だけどそれは、さっきまでの、真紀たちと一緒にいたときのいたたまれなさとは違って。

 私は階段をのぼる。すぐにハルの足音が追いかけてきて、私と並んだ。

「ちょっと。ついて来ないでよ。また誤解されるじゃん」

「は? 誤解ってなんだよ」

「忘れてんの? あーもう、説明したくない。口にするのもヤダ」

 駆け足になる。五階まで、一気に。コンクリを踏みながら、駆けあがる。

「待てってば。果歩」

「なに」

 階段を登り切る。振り返らない私の腕を、ハルが、つかんで、引いた。

「なにっ……」

「すげー綺麗だよ」

 言われて、外を見る。

降りそそぐ夕陽が街を照らしていた。空も、雲も、山も、すべてが、透明なオレンジにくるまれている。

 団地の敷地は傾斜になっているから、五棟立ち並ぶ建物の、端っこのE棟は一番高いところにあって、階段踊り場や通路からの眺めが、ほかの棟にさえぎられることはない。

 街の中心部に立ち並ぶビル群、ぎっしりと密集した家並み、新幹線も、所々こんもりと茂る木々の緑も、蛇行する河も。すべてがはるか小さく、一日の終わりの光を浴びて光っている。

「俺、ここから夕焼け見るの、すげー好き」

「うん」

 私も、だ。

「なんかちっちゃく感じる。自分の悩みとか」

「悩みあるんだ、ハルも」

「果歩も、だろ。なんかあったろ?」

「なんもないってば」

 隣にいるハルも、オレンジに照らされている。きっと私も。

「そう言うと思ったけど。いっつもそうだもんな。意地っ張り」

「……バカ」

 なんでわかるんだろう。普段、ぼうっとしてるくせに、へんなとこだけ勘がいいから調子が狂ってしまう。

私はハルから目をそらした。

「自分こそ。悩みってなによ」

 苑子のこと、とか?

「……ん。親父、が」

 想像もしていないところから球が飛んできた。別れて暮らしている、ハルのお父さん。どういう取り決めなのかは知らないけど、定期的に、ハルはお父さんと会っているようだった。

「連休に会ってさ。面会、それで最後にしてくれって頼んだ。親父のことに関しては、俺の気持ちを尊重してくれるって話だったし」

ハルは淡々とことばを紡ぐ。

「なんで……?」

「親父のとこ。子どもが生まれたって」

 離婚の原因になった女の人と再婚して暮らしているらしい、というのは、うちの親が噂していたから知っていた。けど、ハル本人に聞くことはしなかった。多分、苑子もそうだと思う。

「ちょうどいいきっかけになったっていうか。親父と会っても、共通の話題、ないし。映画観てメシ食って小遣いもらって、ってパターン。なんか、そういうの、しんどくなってたし。正直」

夕焼けの空を、細長い雲が流れていく。光を浴びながら。私たちの街を包み込むオレンジが、なんだか、酸っぱい。きゅっと、胸の奥がすぼまるような。

お父さんの、あたらしい奥さんに、子どもが生まれた。

血がつながっているのに遠いお父さん、血がつながっているのに、お互いこれから会うこともないだろう、きょうだい。

「ごめんな、こんな話」

ハルの横顔には、淋しさのいろは浮かんでいない。ただ、すべてを諦めて、受け入れている、そんな風に見えた。

子どもの力ではどうにもできないことがある。ハルはそれを知っているから、足掻くことは最初からしない。私より、ずっとずっと大人だったのだ。

苑子の、生まれてこなかった弟。ハルの、遠く離れてしまったお父さん。ふたりとも、最初から大切なものを失っていて、失ったものを抱えながら生きていて、だから大人で、だから、惹かれ合うのも自然なこと。

今日。苑子の味方になってあげられなかった自分が、ますます、ちっぽけで弱くて、情けない人間に思えた。

「じゃな。果歩。今度アマガエル触らせてやるよ」

 ハルがにっこり笑って片手をひらひら振った。

「冗談じゃないしっ!」

 ハルに、自分のスクバをぶつける。と、ハルは、おもしろそうに笑いながら、逃げていった。

「まったくもう……」

 踵を返す。ハルの横顔が、笑顔が、頭に焼き付いていた。ばか。出てって、と。何度も何度も言い聞かせるのに。胸が。ずっと、酸っぱくて、苦しい。



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